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レビュー

面白く、粋に日本思想を芸能から語れないか 『「かたり」の日本思想』

 最初に目次を見て「こういう切り口があったか」と驚き、次に終始感心しながら読みきった。著者は筆の立つ人だ。そのうえ読み手に対して、ある種のサービス精神に満ちた文章を書く。著者の念頭にあった読者は、まずは彼の(いと)おしむ歴代のゼミ生たちだろう。彼らに通じるように、飽きさせないように、相手の反応を感じながらゼミを運営してきた長年の経験が、言葉の端々から(にじ)み出る。
 そんな愛情に満ちた文章に感じ入ったのとは別に、最初に述べたように私が驚いたのはその切り口である。著者の専門とする日本倫理思想史という分野は、古代から近現代までを俯瞰(ふかん)的に捉えることを大事にするが、平家や世阿弥(ぜあみ)近松(ちかまつ)など一部のテキスト以外は、芸能をその俯瞰の視野に明瞭には入れてこなかった。しかし著者は幅広い諸芸能を思想として巧みに捉えてこれに合流させ、突破口を開いている。その手腕に驚いたのである。だから、私のような専門の近い者も、本書中のいろいろな局面で啓発される。
 仏教音楽の声明(しょうみょう)、著者のライフワークでもある夢幻能(むげんのう)、そして節談説教(ふしだんせっきょう)や絵解きといったお説教、祝言能(しゅうげんのう)や歌舞伎「(しばらく)」などハレの演劇、さらに狂言や落語などの笑いの芸能等々、さまざまな芸能がここには登場し、議論の流れのなかでばらけることがない。時代の順や芸能史の流れも踏まえられているが、主眼は、それらの芸能の表現のしかた、それぞれの芸能のテーマ、根柢(こんてい)にある思想の特色や対照を取り出してみせることにある。だから一度論じたものが伏線となっていて、後の議論で再浮上することもしばしばである。
 そのような論じ方のためか、あるいは「はじめに」で宣言されているように「面白く、粋なものとして」日本人の生き方を論じるためか、本書では、議論にたびたび落語の話題が割り込む。落語好きの私にはそれが大変面白い。
 私事だが、いまや女子大唯一となった哲学科で日本思想を教える私は、ゼミで堂々と落語を見せているという著者ほどの度胸はないのに、しかし落語を授業で使いたくてたまらず、「大学の授業はかく受けるべし」という趣旨の新入生向け授業で、夕方こっそり()(ちょう)のDVDを見せている。見せながら、この愛すべき落語をなんとか日本思想のなかに位置づけられないかとずっと考えてきた。しかしこれまで答えらしいものは見つからなかった。時代や演者により自在に変化する落語を思想として(つか)まえるのはたいそう難しいことに思えた。そこへあらわれたのが本書である。「こういう切り口があったか」という驚きは実はそのことでもある。一本とられた。
 ところで、本書のいまひとつの隠れた特徴は、享受する側から芸能を論じていることのように思う。著者は芸能を、まずはなんであれ柔軟に感受性豊かに味わってみる。能を見れば中世の人のように、歌舞伎を見れば近世の人のように、素朴に驚き笑い涙している著者の姿が行間にほの見える。知ったかぶりの評論家のようでなくて親しみを覚えるところである。もちろん、あとで彼は受けた感銘の中身を、現代の反省的な研究者に立ち返って分析し、そこを源泉として芸能から思想をすくいあげる。その段階では、従来説かれてきた日本の倫理思想、仏教や民俗信仰などを駆使して思索を展開するが、それらも享受者の立場からなされる。たとえば文中に「さとり」、「とむらい」、「いましめ」、「わらい」という芸能の分類に関する方位表が登場する。これも享受する側の座標軸といえよう。
 とはいえ、著者は芸能の現場を二項対立的に見てはいない。どんな芸能にも演者と観衆の呼吸がひとつになるような、芸の成就の希有(けう)な瞬間がある。そこでは演じ手とその享受者との分断線は溶けてしまう。本書の主張する思想の神髄は、そのときにこそ現場に顕現するに違いないのだ。著者は、おそらくそんな成就の経験を何度もしてきたのだろう。当然と言えば当然だが、見巧者(みごうしゃ)なのである。


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