KADOKAWA Group
menu
menu

レビュー

【解説】「楡の作品世界」自体が「警世の切り口」になっている――『ヘルメースの審判』楡周平【文庫巻末解説:堺憲一】

楡周平『ヘルメースの審判』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



楡周平『ヘルメースの審判』文庫巻末解説

解説
さかい けんいち(東京経済大学名誉教授)

「これから先の日本では、経緯こそ異なれど、ニシハマと同じような危機に直面する企業が続出するでしょう。従来の企業のあり方を根本から見直し、大胆な改革を行わない限りはね……。その時、何が起こるかは、誰にも分かりません。それこそ、神のみぞ知る。神の審判次第ですよ」
「商人の守護神といえば、ヘルメース……。果たして、ヘルメースはニシハマにどんな審判を下すのだろう……」

 巨大総合電機メーカーのニシハマは、なぜヘルメースの審判を仰ぐこととなるのか。それは、打破されるべき悪弊が根強く存在し、同社の行く手を阻んでいるからである。ミスを犯せば、出世の道が断たれてしまう。与えられた仕事のみを無難にこなすだけになり、チャレンジしようとはしない。過去の成功体験にしがみつき、時代遅れのビジネスモデルのなかで必死に延命を図ろうとしている。最難関と考えられている東都大学出身者以外は役員になれない。言語・文化・習慣・教育・価値観の多様性を共有しようという姿勢が希薄。改革を唱える人間は、和を乱す「異物」としてしか見られない……。そのような悪弊は、ニシハマのみならず、多くの日本企業に程度の差はあれ、残されているのが現実なのではなかろうか。
 本書は、そうした悪弊がいかに組織を疲弊させていくのかという点にメスを入れた「警世の書」である。と同時に、そこから脱却するには、どのような方策が考えられるのかという点にも視野を広げた「悪弊打破の特効薬」にもなる作品。さらに言えば、より広く日本の大企業がグローバルに事業を展開するために、なにが必要か、そしてどのようにステップを踏んでいけばよいのか、そのために不可欠なアイデアやヒントとはなにか、それらの一端を知りえる力作である。

 ニシハマのモデルは、とうしばだ。かつては「メイド・イン・ジャパン」の製品を大量に輸出し、日本経済の発展を支えた総合電機メーカーの一角を占めた老舗しにせ企業である。ところが、二〇一五年以降、同社は、不正会計の発覚、大規模なリストラの断行、原子力発電事業の子会社「ウェスチングハウス」の事実上の破たん、東証一部から二部への指定替えなど、数々の深刻な問題に直面する。もちろん、どの企業も大なり小なり、難題を抱えているが、東芝の場合、それはけっして半端なものではなかった。ただ、本書において、東芝の現実がそのまま描かれているわけではない。この点は注意してほしいところだ。東芝という巨大企業を素材に、日本を代表する経済小説の旗手である著者が、そのすさまじい情報収集力・構想力・筆致力を駆使し、エキサイティングで、リアルで、情報満載のエンタテインメント作品に仕立てあげていると考えるべきなのだ。

 主人公は、アメリカで教育を受け、ハーバード大学を優秀な成績で卒業したけん。旧姓はかじわら。ニシハマの創業家である肥後家に婿入りしたことによる。二〇一一年、彼は、「ニシハマ・ノース・アメリカ(NNA)」の副社長を務めていた。東京本社の原発事業部は、海外事業に積極的な動きをしていたが、「ニシハマはババをつかまされた」と言われたように、買収した「インフィニティ・エナジー(IE)」についての懸念が膨らみつつあった。アメリカ国内で建設中であった三基の原発のコストオーバーラン問題が表面化するかもしれなかったからだ。さらに、福島原発の事故によって、日本での原子力発電は窮地に立たされることになった。そうした逆風に抗するため、賢太は、「液化天然ガス(LNG)プロジェクト」を考案。「液化したアメリカ産のシェールガスを日本、そして世界に販売する」というものである。「二十年間で九千億から一兆円規模になる」というビジネスモデルは、ニシハマにとって新たな光明となった。その功績が認められた彼は、LNG事業立ち上げの立役者として常務取締役にばつてき。それから、三ケ月が経過した頃、ニシハマに激震が走る。組織的な粉飾というスキャンダルの発覚である……。

 ラストに用意されているドンデン返しに至るまで、とうのようなストーリーだが、ここでは触れない。指摘しておきたいのは、本書の要となっている「LNG事業を軸にしたビジネスモデル」についてである。それがなぜ生まれ、どのようにして一つのビジネスモデルとして確定され、実施に移され、どういった結末に辿たどくのか。ニシハマにとっての希望の光となるそのプランは、賢太の斬新な構想力から始まり、有力な政治家・官僚やニシハマ経営陣の身勝手な思惑と合致し、「アラブにおけるエネルギー利権を仕切る」大物フィクサーとのパートナーシップや、総合商社・四葉商事との提携により大きく前進。ところが、粉飾が公表されるや否や、一転して、ニシハマの経営の足を引っ張る悪材料に変わってしまう……。そうしたプロセスを通し、読者は、企業がグローバルに事業を展開する際、考慮しておかなければならないさまざまな要素に、心底気づかされることになるだろう。

 経済小説の作家としてのにれしゆうへいの「作品世界」についても言及しておこう。本書も重要な一角を占めているからだ。大きな特色となっているのは、企業・業界を素材にした数々の作品だ。具体的には、①運輸会社(『再生巨流』、『ラストワンマイル』、『ドッグファイト』)、②総合電機メーカー(『異端の大義』)、③自動車会社(『ゼフィラム』、『デッド・オア・アライブ』、『ラストエンペラー』)、④新聞社(『虚空の冠』)、⑤ホテル(『TEN』)などを挙げることができるだろう。それらの作品の多くで登場するのが、本書と同じく、「企業の再生」につながるビジネスモデルの提示・実践なのである。それぞれの企業・業界の固有な事情を踏まえて構築されているビジネスモデルは、どの作品をとっても、常に斬新で独創的で、刺激的なものだ。
 それだけではない。「企業の再生」から始まった彼の作品世界は、「地域の再生」(『プラチナタウン』、『和僑』、『サンセット・サンライズ』)へと広げられ、さらには、「日本が抱える大問題」や「政策提言」など、「日本の再生」に関連した領域にも拡充されている。例えば、①カレー専門店を素材として農畜産業のあり方を描いた『国士』、②ネット通販と非正規労働者をじように載せた『バルス』、③IRを扱った『東京カジノパラダイス』、④高速鉄道の輸出に焦点を合わせた『鉄の楽園』、⑤百貨店の再生という視点から日本の再生を模索した『日本ゲートウェイ』、⑥人口減少によって引き起こされる「日本社会の暗い未来」に抗し、どのようにたいすべきなのかを描いた『限界国家』などを指摘できるだろう。いずれも傑作ぞろいだ。
 そこで強調しておきたいのは、「企業」「地域」「日本」という三つの再生が有機的に結びついた形で進んでこそ、しかもグローバルな視点をベースにしてこそ初めて、それぞれの真の再生・活性化が果たされるという考え方が確立しているように思われることだ。確かに、コストを削減し、利益率を向上させるというやり方は、個々の企業の目線で言えば正しいし、生き残るためには仕方がない面もある。ただ、それだけで終わってしまっては、得られる効果は限られてしまう。特定の企業だけ、特定の地域だけで完結してしまうのであれば、「世の中の人の幸せ」、ひいては「日本の再生」にまでは行き着かないからだ。個々の作品が「警世の書」になっているだけではない。「楡の作品世界」自体が「警世の切り口」になっている。読者に響くのは、単に「頑張れ、企業」、「頑張れ、地域」、そして「頑張れ、日本」という言葉だけではなく、ビジネスモデルという形で、どのようにして頑張っていけばよいのかについても、具体的かつ現実的に踏み込んで言及されているからである。

 混迷の時代、『ヘルメースの審判』をはじめとする楡の作品には、読者ひとりひとりの心に届き、生き方にも訴えかけているような迫力が備わっている。

作品紹介



書 名: ヘルメースの審判
著 者: 楡周平
発売日:2024年07月25日

粉飾、癒着、学閥……。 大企業病に立ち向かえ!極上経済エンタメ小説!
世界的電機メーカー・ニシハマの創業一族に婿入りした梶原賢太は、原発建設のプロジェクト携わっていた。建設計画に遅れが発覚し、莫大な損失が危惧されるニシハマは、窮地に立たされる。奔走する梶原のもとに常務の広重が現れ、使用済み核燃料の最終処分場建設という、政官財を巻き込む一大プロジェクトの遂行を命じる――。経営陣からのプレッシャーに屈せず、前代未聞のビジネスを成功に導けるのか。波瀾の企業エンタメ!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322308001316/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら


紹介した書籍

新着コンテンツ

もっとみる

NEWS

もっとみる

PICK UP

  • 辻村深月『この夏の星を見る』特設サイト
  • 早見和真『八月の母』特設サイト
  • 小野不由美「営繕かるかや怪異譚」シリーズ特設サイト
  • 宮部みゆき「三島屋変調百物語」シリーズ特設サイト
  • 上田竜也『この声が届くまで』特設サイト
  • 「果てしなきスカーレット」特設サイト

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年8月号

7月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2025年8月号

7月4日 発売

怪と幽

最新号
Vol.019

4月28日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

うちらはマブダチseason3 大人になってもマブダチって最強やん!編

著者 やまもとりえ

2

新!ニンゲンの飼い方

著者 ぴえ太

3

おでかけ子ザメ7 特装版 ベビー子ザメ小冊子付き

ペンギンボックス

4

この声が届くまで

上田竜也

5

意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

6

かみさまキツネとサラリーマン

著者 ヤシン

2025年7月21日 - 2025年7月27日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

レビューランキング

TOP