松岡圭祐『令和中野学校II 対優莉戦』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
松岡圭祐『令和中野学校II 対優莉戦』文庫巻末解説
解説
吉田 大助(ライター)
一九三八年に大日本帝国陸軍により創設され、所在地が東京・中野であったからその校名が付いたスパイ養成学校、陸軍中野学校。史実では一九四五年八月一五日の敗戦をもって閉校したはずだが……もしも同校の遺伝子を持った組織が、現代日本に存在していたとしたら? そんな「if」を本気でシミュレートしてみせた、松岡圭祐の『令和中野学校』(二〇二五年四月刊)のシリーズ第二弾が本書である。一言で表現するならば、「陽」から「陰」へ。著者はこれまでさまざまなシリーズを発表してきたが、一巻と二巻でここまで色が変わった作品は初めてかもしれない。
前巻が「陽」たるゆえんは快感、爽快感の演出にあった。高校三年生の燈田華南が大学受験に失敗したことが判明したその日、「令和中野学校」にスカウトされ、想像だにしていなかった進路へと一歩踏み出すところから物語は本格的に幕を開ける。高校卒業から二二歳未満の若き精鋭たちが通う諜工員候補の育成施設、および学生寮の所在地はもちろん、中野だ。華南は学び舎で授業を受け、仲間たちと共同生活を営みながら、諜工員候補という立場で実戦に臨場する。公調(公安調査庁)の管轄下にある諜工員は、作中の表現を借りるならば「国家公認の仕置人」だ。公調では手がけることができない「公共安全確保のための超法規的対処」、ありていに言えば違法な「汚れ仕事」を彼ら彼女らは請け負っている。それは例えば、少年法に守られた悪質な闇バイト連中を始末することであり、離婚した妻子への養育費の未払いを続ける男を成敗することだ。そして、熊を駆除すること。このところニュースでよく耳にするようになったという人も多いはずだが、熊が街中に現れ人を襲ったとしても、「かわいそうだ」という道義上の問題以前に、法律上は殺処分することができない。であるならば……と諜工員たちが動き出す。
まぎれもなく唯一無二、ここでしか読めない学園生活の場面も醍醐味ではあるが、この実戦部分こそが前巻の目玉をなしていた。現代の物語は法令遵守の考え方や、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を使用し多様性を尊重しようとする考え方が壁となり、「必殺仕事人」を成立させることが難しい。物語の常道であった「勧善懲悪」が叶うことすら、今や相当貴重だ。しかし、令和中野学校という舞台装置は、読者の/書き手の内側に発生する想像力のストッパーを吹っ飛ばす。そうすることで、フィクションだから表現することができる快感、爽快感を導き出すことに成功していたのだ。一方で、華南が抱えた家族にまつわる問題や、成績優秀眉目秀麗な一学年上の先輩・桜澤美羽の過去の惨劇をも記録しながら。
続巻となる本巻のオープニングでは、秋の昇級により二年生となったヒロインの華南が、尊敬する美羽とともに犬吠埼でのミッションに臨む姿が活写される。田園地帯に建つ平屋の古民家に、東南アジア系と思われる二人組の怪しい男たちが日に何度も出入りしている。古民家から古新聞を運び出し、トラックに詰め込んでどこかへと運んでいるのだ。その行為には何の目的があるのか? 男たちはかつて世間を騒がせた半グレ集団「田代ファミリー」の残党であるという報告を受け、華南らは古民家を監視していた。留守を見計らって突入すると……。
意外な顚末が語られるとともに、前巻では名前だけ出てきた「高校事変」シリーズ(本書刊行時点で既刊二三巻)のヒロイン・優莉結衣が颯爽と初登場を果たす。公調および令和中野学校の上層部によれば、平成の世を震撼させた凶悪テロリストである優莉匡太の娘である結衣もまた、凶悪なテロリストだ。偶然と不運が重なって結衣との遭遇を果たした華南は、結衣と生身で対面した数少ない存在として、のちのミッションのキーパーソンになっていく。そのミッションとは──優莉結衣暗殺計画。
実のところ、優莉結衣は公調や令和中野学校関係者に対して敵対的行動を取っているわけではない。華南が負った大ケガも、偶然遭遇した結衣がまとうオーラにビビった華南がバイクですっ転んだだけなのだ。しかし、上層部により被害状況は過剰に評価され、当該人物による加害の成果であると認識されてしまう。そうしたズレから生じる笑いの感触は、本作の密かな魅力となっている。
また、本シリーズの特徴は、視点人物を複数採用し、令和中野学校の諜工員候補生「たち」の群像劇が描き出されていく点にある。優莉結衣暗殺計画と前後して、同時多発的にさまざまな事案が諜工員候補生たちに降りかかってくる。ただし、群像劇形式にはデメリットがある。ヒロインよりも別の人物の方のキャラが立ち、読者がそちらをより応援してしまいたくなる可能性だ。本巻でいえば、華南にとって憧れの対象である美羽の存在がそうだ。おそらく多くの読者が、読み進めるうちに美羽に心を奪われていくことになるはずだが、その先に、驚くべき展開が現れる。
具体的な内容に関しては実際にページをめくって触れてみてほしいが、本巻が「陽」から「陰」へとフェーズを移行したゆえんは、美羽を取り巻くドラマにある。違法な「汚れ仕事」を遂行する諜工員候補生たちは、裏を返せば、法律によって守ってもらえる存在ではない。前巻の快感や爽快感とは真逆の、令和中野学校という舞台装置を採用したからこそ噴出することになった悲劇と絶望がここにある。
もちろん、副音声付き実況中継と称すべきアクション描写も前巻から引き続き、冴えている。〈ヒビだらけのフロントウィンドウを叩き割って視野を取り戻すのは映画のなかだけだ。そう簡単に割れるガラスではない。蜘蛛の巣状態になったフロントウィンドウには長所もあった。簾と同じく、車内からはそれなりに見えるものの、周りはドライバーの位置を正確に視認しづらい。わずかだが命中率がさがる。この地獄を突破するには多大なベネフィットだ〉といった銃vs車、あるいは銃vs素手の格闘のバリエーションには目を見張るものがある。
しかし、やはり本巻の最大の魅力は、「陰」へと移行していく物語であり、「陰」を体験することから始まるヒロイン・華南の覚醒だ。彼女の中には、上から与えられた職務としてではなく、優莉結衣を亡き者にしたいという深い、暗い個人的な動機が宿っている。そんなヒロインがこの先の未来において、優莉結衣とどのような再会を果たすのか。その時、何が起こるのか。作中の記述から本巻の事件や出来事は、『高校事変 Ⅸ』(二〇二〇年一〇月刊)と『高校事変 Ⅹ』(二〇二一年三月刊)の間に起きたと推測される。「高校事変」シリーズの歴史と、本シリーズはいったいどのように絡み合うのか?
次巻が楽しみでならない。
作品紹介
書 名: 令和中野学校II 対優莉戦
著 者:松岡圭祐
発売日:2025年10月24日
「JK」「高校事変」を超えるZ世代の青春バイオレンス第2弾。
令和中野学校に入学し、諜工員候補生となった燈田華南。先輩の桜澤美羽らとともに、犬吠埼近くの不審な古民家の監視任務に就く。そこでは東南アジア系の怪しい外国人コンビが、大量の新聞紙を外に運び出しては搬入する、謎の奇行を反復していた。古民家内に侵入した華南たちは予想外の事態に直面する。だがそれは余りにも苛酷な任務、優莉ファミリーとの激突の序章だった――。緊張が走るZ世代の青春バイオレンス第2弾。
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