黒川博行『煙霞』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
黒川博行『煙霞』文庫巻末解説
解説
 
 誤解のないように言っておくが、もちろんそれまでも面白かったのである。デビューは一九八四年の『二度のお別れ』(角川文庫・他)。銀行強盗に端を発した誘拐事件に大阪府警の捜査一課が挑む警察小説で、のちにシリーズとなる〈黒マメ〉コンビの第一作だ。それ以降、精力的に刊行された犯罪小説や警察小説にはどれもたっぷりと楽しませてもらったが、「あ、これだ」と思ったのが一九九一年に刊行された『てとろどときしん 大阪府警・捜査一課事件報告書』(角川文庫・他)と『大博打』(新潮文庫・他)の二作だったのである。
『てとろどときしん 大阪府警・捜査一課事件報告書』は著者がデビュー以来書き続けてきた大阪府警捜査一課の短編集だ。〈黒マメ〉コンビを中心に府警の刑事たちが事件を追う話が六編収録されている。一九八七年から九一年にかけて雑誌掲載された初期作だ。これらは短編であるがゆえに、黒川博行作品の大きな魅力のひとつが「掛け合い」にあることがはっきりと現れた。コンビ芸と言ってもいい。収録作はそのほとんどが刑事コンビの会話で進行していく。軽やかな大阪弁の掛け合いが、ワンアイディアで成立する短編の、時には
 もう一冊の『大博打』は長編の誘拐ミステリである。会社社長の父親が誘拐され、身代金として用意された時価二十億円の金塊を巡る駆け引きを中心に物語が進む。二転三転する展開、犯人の動機や金塊回収の方法などミステリ的な構造もしっかりした良質なミステリだが、私が本書で
 誘拐されても平気で犯人と渡り合う父。父の命より金が大事な息子。刑事たちから犯人に至るまで、それぞれ個性が際立っていた。みな気取らず、がめつく、しぶとい。そして、個人単体の魅力よりも、人と人が絡むことによって起きる化学反応こそが物語を先へ先へと進めていくことに気づかされたのだ。ここでそんな行動をとるのかという驚き、ここをそうやって
 コンビ芸の快さとキャラクターの動きによってもたらされる求心力──それまでも楽しく読んでいた黒川作品だったが、一九九一年のこの二作を読むに至り、黒川博行の面白さの根源がどこにあるのか、ようやく気づいたという次第だ。
 黒川博行のこのふたつの強みは、一九九七年の『疫病神』(角川文庫)で一気にブレイクする。初期の到達点にして現在に至るジャンピングボードたる一冊と言えるだろう。「疫病神」シリーズの第六作『破門』(角川文庫)で、黒川博行は第一五一回直木賞を受賞する。
 前振りが長くなったが、そのふたつの強みが十全に発揮されているノンシリーズ作が、この『煙霞』だ。二〇〇五年から二〇〇六年にかけて新聞連載され、二〇〇九年に文藝春秋社から単行本が刊行された。その後文春文庫に入り、これが二度目の文庫化となる。
 私立
 三人は、ヨーロッパへ視察旅行に向かうため家を出た酒井とその愛人を首尾よく捕まえた。だがそこから事態はおかしな方に回り出す。実はこの一件の背後で糸を引く黒幕の狙いは理事長が持っている隠し財産──時価二億円を超す金塊を奪うことだったのだ。
 金塊は何度もその場所を移され、複数のコンビがそれを追いかける。
 というのが本書の骨子である。当時、少子化による経営難や乱脈経営、不祥事隠しなど私立学校の在り方が社会問題になり始めた時期だ。黒川博行は専業作家になる前に高校の美術教師をしていた時期があったが、学校を舞台にした作品はこれが初めてだった。
 そのあたりの背景の情報の濃さや取材の深さはさすがだが、物語の軸は教育問題でも学校経営でもなく「金塊を奪う」という一点のみのコン・ゲームである。これが実にスリリングなのだ。
 最初にある人物が金塊を奪った手際も見事だが、そこからの動きはもう、読み出したら止められない。あるはずの場所になかったり、他者の隙を突いて動かしたり。中には、「この人たち、その車に金塊が積まれていることを知らずに乗り回しているのでは?」という状況もあって笑ってしまった。敵がその車を懸命に追っているのに、運転手側は面倒だから乗り捨てて行こうかなどと考える。思わず「ちょっと待て。
 もうひとつ、忘れてはならないのが登場人物の動きだ。主人公の熊谷はこの中でもっとも普通の一般人と言っていい。だが菜穂子が危険を顧みずぐいぐい行くタイプで、ふたりはどんどん深みにハマっていく。熊谷は引っ張り回されているだけなのだが、それでも講師という仕事ならではの人脈で情報を集めたり、踏むべき地雷をきちんと踏んで話を進めたりと、「疫病神」シリーズの
 これは敵方にしても同じである。酒井よりもその愛人のキャラがいい。また、敵も二人組なのだが、これがまた冷徹な頭脳派と脳筋武闘派という絵に描いたようなコンビなのである。どの組み合わせでも笑いがとれる。いや、笑い事ではないんだが。おまけに敵の中に騙し騙されがある。読みながら、いったい今金塊はどこにあるのか、誰が味方で誰が敵で誰が誰を裏切っているのか、次々と変わる局面に夢中になること請け合いだ。
 最終的に金塊の
 そして読みながらふと気づくのは、これが「犯罪喜劇」であるということだ。
 ただ会話がコミカルだという意味ではない。当事者の彼らは生きるか死ぬかの中を搔い潜って金塊を追うわけで、必死である。一生懸命である。だが傍から見ると喜劇なのだ。どこか物悲しさすら感じるような、ペーソスのある喜劇なのだ。
 これこそが黒川博行の三つ目の魅力かもしれない。金塊に踊らされる者も、やむにやまれず悪事に手を染める者も、巻き込まれた者も、どこか悲しくて、どこか
 タイトルの「煙霞」とは、もやや霞がかかって景色がぼうっと
 魅力たっぷりの会話芸やキャラクター、息をもつかせぬノンストップの構成、そしておかしみとペーソスに
作品紹介
書 名: 煙霞
著 者:黒川博行
発売日:2025年10月24日
騙し合いに次ぐ騙し合い! 高校教師2人が、理事長の隠し財産を狙う!
正教員の資格を目指す美術講師の熊谷は、音楽教諭の菜穂子とともに晴峰女子高校理事長を誘拐した。
私学助成金の不正受給をネタに2人は理事長を脅すが、
裏で糸を引く黒幕の真の目的は、汚職で私腹を肥やした理事長の隠し財産だった。
教育業界に渦巻く闇。目も眩むような大金塊を巡る騙し合いに次ぐ騙し合い。欲深い教師コンビの行く末は――。
森山未來&高畑充希でWOWOWドラマ化も経た傑作ノンストップ・サスペンス!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322506001179/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら
      
    
      
      
      
	
			   
			   
			   
			   
			   
          
        
          
		  
          
		  
          
		  
          
		  
          
		  
          
		
          
		
          
		
          
		
          
		







              
    
              
                
                      
            
                      
                        
          
          
            
					
					
					
					
					
					


