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レビュー

【解説】作者の奔放な想像力に脱帽――『臥竜の天』火坂雅志【文庫巻末解説:菊池 仁】

火坂雅志『臥竜の天』上・下(角川文庫)の刊行を記念して、下巻の巻末に収録された「解説」を特別公開!




火坂雅志『臥竜の天』文庫巻末解説

解説
きく めぐみ(文芸評論家)

 圧倒的なパワーを備えた物語である。長大な物語であるにもかかわらず一気せいに読み進めることができた。強力な磁力が、物語のコアにあり、吸引力となって引き付ける。伊達だてまさむねの生涯を扱った作品としては、やまおかそうはちかいおんちようろうもとようおとみつぐ等、人物伝記を得意としてきた先達の大作を思い起こす。しかし、あくまで私見だが、『臥竜の天』はこれらの大作と一線を画す物語性を内蔵している。政宗の哲学、志、複雑多岐にわたる行動様式、生涯尽きることのなかった野望を、戦国大名を支配する下克上、血族間の争い、血を超える主従の熱いきずなかくはんし、血沸き肉躍る波乱万丈の伝奇ものとして再現していること。加えて、作者が肝を据えてこの作品と取り組んできたことがうかがえる。
 書評や解説の仕事をしていると、デビュー作との出会いが、作者との縁を取り持ってくれることがある。そのデビュー作が斬新な着想と、豊かな物語性を備えていればなおさらである。まさに作者の『花月秘拳行』(一九八八年)との出会いはそうであった。
 八四年にりゆうけいいちろうが『吉原御免状』で登場して以来、将来性が期待できる新人は現れていない。時代小説は不振の中にあった。不振を打破するポイントは壮大なロマンを意識した構想力、人間描写の確かさ、題材の新しさにある。衝撃を受けたのは『花月秘拳行』がそれらをきちんと備えていたからである。内容は「明月五拳」の極意を体得している西さいぎようが、「暗花十二拳」の謎に挑むといったもの。ヒーローに西行を使った意表を突いた設定に作者の才気を感じた。西行が和歌の優れた読み手であると同時にけんぽう家であったという解釈も面白い。加えて、和歌に拳法の極意が秘められているという謎は、読者を引き込む絶妙な仕掛けとなっている。これらのことは作者が長い時間をかけて、時代小説と歴史小説を研究してきていることを示している。時代小説が不振をかこっている原因についてもきちんとした認識を持っており、本格派の歴史ロマンの書き手として期待した。
 しかし、二作目の『花月秘拳行2 北斗黒帝篇』(一九九三年に『続・花月秘拳行』に改題)と三作目の『骨法秘伝』を見ると作者がスーパー伝奇ものに活路をいだしていることが窺える。
 理由がある。作者はデビュー作から執筆の舞台がノベルスであった。ノベルスはハウツーものを除けば推理小説によって支えられてきた。しかし、文庫がジャンルの拡大を図るに及んでノベルスのポジショニングは極めて不安定なものとなった。活路を求めたのがスーパー伝奇であった。スーパー伝奇とはSF、推理、冒険、歴史、格闘、チャンバラなどの要素をごった煮にしたエンターテインメントである。作者はデビュー当時から時代小説の新しい書き手としての独自性をどう打ち出すかという命題を抱えていた。この問いの答えがスーパー伝奇の書き手としてひた走ることであった。
 八八から九八年の十一年間ノベルスを書き続けることで、物語性の豊かさと、起伏を付ける展開の技術を体得し腕を磨いてきた。特筆すべきことは、『西行桜』、『利休椿』、『桂籠とその他の短篇』(二〇〇二年に『桂籠』に改題)で、短編の名手であることも証明したことである。確実に成熟の一途を辿たどりつつあった作者は、九九年にその後の方向を定めることになる『全宗』を発表し、本格的歴史小説の書き手として第一線に躍り出る。
『全宗』については、『臥竜の天』で重要な位置づけを持った作品なので改めて解説するが、『全宗』以降の活躍には目を見張るものがある。戦国時代を独自の価値観を持って駆け抜けたのぶながまつながだんじように共鳴し、古い価値観を打破しようとした豪商・いまそうきゆうの生涯に迫った『覇商の門』、しゆくうけんの僧であったすうでんのう漿しようを振り絞り、並み居るとくがわいえやすの閣僚を押しのけて、頂点に立つさまをスリリングなタッチで描いた『黒衣の宰相』、日本、モンゴル、中国、ヴェトナムといった東アジア的視野で蒙古襲来をとらえ直した『蒼き海狼』等、力作揃いで、進境著しい様を見て取れる。これら作品の成果を惜しみなくつぎ込んで書かれたのが『臥竜の天』である。
 興味深いのは作者を“時の人”として全国的な有名人にした『天地人』と並行して連載されていたことである。周知のように同書は二〇〇九年にNHK大河ドラマとして放映され人気を博した。“愛”をトレードマークとしたなおかねつぐの“義”を貫き通し、中央権力とたいし続けた武将魂は、地方人のド根性を全国に示した。つまり、同様の意図が伊達政宗にも託されていたと考えられる。
 なかがわようは妻として同志として伴走した三十八年の思いをつづった『夫・火坂雅志との約束』の「あとがき」中で、
「僕は、泳ぐことを止めたら死んでしまう回遊魚と同じなんだよ。小説が書けなくなったら、もう生きている意味がない」
 という強烈な印象を与える言葉を紹介している。作者自身が古今東西の歴史を回遊していた回遊魚そのものであった。長く留まり精魂を尽くして書き継いだのが、時代のはざまで、向かい風をものともせずとうの生き方を貫いた伊達政宗だったのだろう。
 本書の読みどころを紹介する。
 第一は、政宗の成長過程を、大胆な柄と細やかでせいな柄を絶妙な配分で織り上げた、あでやかで見栄えのする織物に仕立て上げたところにある。
 てのもり城の戦いで皆殺し戦術をおくすることなく実行した政宗は、天下取りの足掛かりとして東北統一を強引に進めていく。しゆの化身となったような政宗をダイナミックな筆致を駆使して描いている。しかし、ひでよしとの出会いで一変する。武力でもそれを支える経済力でも秀吉とは雲泥の差があった。武力だけに頼る戦国武将の時代が終わったと悟った政宗は、方向転換を余儀なくされる。つまり、これからは外交とそれを支える情報の収集能力で優劣が決する。もともと隠密組織・くろ脛布はばき組を使って情報を集め、幾多の修羅場をくぐってきた政宗は、この得意技の強化に乗り出す。ここで登場するのが全宗である。
 ちょうど手元にあった朝日新聞社編『朝日日本歴史人物事典』を引いてみたら、全宗のことを次のように紹介している項目を見つけた。

 いん全宗 戦国・安土桃山時代の医者。本姓はたん、号は特運軒、近江国(滋賀県)甲賀郡に生まれ、幼くして父を失い比叡山薬樹院の住持となる。織田信長の叡山攻め後に還俗してどうさんの門に入り、医を学んで豊臣秀吉の侍医となり、施薬院の旧制を復興、京都御所の一画(烏丸一条通下ル中立売御門北側)に施薬院を建て、施薬院使に任ぜられて、庶民の救療に当たった。子孫は施薬院を家姓とした。秀吉の側衆としても重用され政治にも参画した。京都で没し比叡山に葬られたが、現在は施薬院家代々の葬地じゆうねん寺(京都市上京区)に墓がある。

 独自の解釈を施し特異なキャラクターに仕立てることを得意とする作者は、戦国時代ちようほう戦のただなかで活躍していた忍者の技を、医師という職業に付加したのである。政宗は天下の秀吉を意のままに操る全宗の手法から多くのことを学ぶ。このエピソードは本書だけのオリジナルである。二人がやり取りする場面は本書の山場の一つである。
 最も重要なのは、秀吉の誇大妄想によって多くの将兵が命を落とした朝鮮出兵の無意味な失敗から、武力で人々を屈服させることの限界と虚しさを学び、領民が安心して暮らせる平和な国作りこそ、これからの自分の仕事だと会得したことだ。
 第二は、政宗の生涯にこんせきをとどめ、強烈な影響を与えた人々である。ふたつにグループ分けできる。ひとつは、せんのきゆう、関白ひでつぐおおながやすである。もう一方は、たけよししげ蒲生がもううじさと、直江兼続である。
 秀吉といしみつなりとのあつれきで追い詰められていた千利休が、政宗を訪ねる場面がある。
「そなた自身が、生きて考えることだ。けっして、生き急いではならぬ。そなたはまだ、二十五であろう。水は曲がりくねりながら、なおも流れる。そのこと、心にとどめておかれるとよい」
 この言葉は政宗の心に刻み込まれる。もちろんフィクションである。物語作者として成熟した手腕が窺えるかつこうのエピソードである。
 関白秀次の動向を凝視する政宗の行動と心情はすさまじい気迫に満ちている。政宗は、秀次との交わりを深めることで、天へ駆けのぼるきばを研ぎ続けていたのである。
 大久保長安は金銀山の開発に成果を挙げ、徳川幕府財政基盤の拡充に貢献し、経済政策の担当者であった。敵の弱点をいち早く察知し、くさびを打ち込む政宗の謀略のやいばは、長安の取り込みに向けられた。楔の役割を担ったのは娘婿のまつだいらただてるである。尽きせぬ政宗の野望がかいえる。
 政宗の生涯の大半は戦場が舞台であった。それだけに戦場で渡り合った宿敵とのエピソードは、リアルで迫真性をはらんだ描写と相まって、独特の味を持ったものとなっている。中でも佐竹義重、蒲氏氏郷、直江兼続は恰好の読物となっている。
 第三は、魅力的な脇役の存在である。筆頭はさいそういつである。作者は政宗を造形するにあたって思い切った省略法を使っている。子供時代を割愛し、虎哉宗乙に薫陶を受ける場面に多くの筆を割いている。秀吉の存在を認識させるのが狙いだ。これが作者の政宗像の出発点となっている。
 歴史上の著名な人物を、斬新な着想を駆使して新たな解釈を施し、歴史の行間を渉猟させるという手法は作者の独壇場といえる。本書に登場するしようがそうである。黒脛布組を統率する芭蕉の遠い祖先は蝦夷えみしである。芭蕉は、大和朝廷に対し独立を誇り、中央戦力に対し戦いを挑んだの血脈を受け継いでいるという設定となっている。当然、上方政権への反骨心もある。要するに、政宗と同様のものを芭蕉も抱えているのである。
 作者の奔放な想像力に脱帽である。

作品紹介




書 名: 臥竜の天  上・下
著 者:火坂雅志
発売日:2025年10月24日

著者没後10年、『虎の城』に比肩する歴史巨編!
著者没後10年、『虎の城』に比肩する歴史巨編!
「圧倒的なパワーを備えた物語である」(解説より) 文芸評論家 菊池 仁

天下統一をなした豊臣政権は栄華を極め盤石に見えたが、朝鮮出兵や継嗣問題をめぐり翳りが射し始めた。やがて秀吉亡き後、石田三成と徳川家康によって天下を二分する戦いが勃発。東北の地から中央を見据えていた伊達政宗は、その隙をつき、さらなる領土拡大を図る。だが関ケ原の戦いで早期の決着がつき、次の天下人となった家康に不興を買ってしまう……。戦国の世をしぶとく生き抜き、最期まで天下を見つめた政宗の苛烈な生涯!

上巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322506000516/
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下巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322506000517/
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