生涯に九十三回も住処を変えた葛飾北斎のように引っ越しが趣味だったとしか思えない人物もいるにせよ、大抵のひとにとって引っ越しとは、何か大きな理由があるからこそ行うものである。北斎の時代はいざ知らず、現代において引っ越しは、役所への公的な届け出のみならず電気・水道・ガスなどに関する諸々の手続きを要する、極めて煩雑な作業だ。また、自分の住処のみならず周囲の環境も変化することが多いので、大人にとってもさまざまな覚悟が必要となる。ましてや子供の場合、自分の意思ではなく転居を余儀なくされる場合が大部分であるため、心細さは倍加するだろう。
『禍家』『凶宅』……と続いてきた三津田信三の「家」シリーズが、子供である主人公の転居から常に幕を開けるのは、そのような心細さの描写が、ホラー小説の導入部として極めて効果的だからに違いない。シリーズの新作『魔邸』もまた、ひとりの少年の転居からスタートする。
小学六年生の優真は純文学作家だった父親が病死してから、母親と二人で関西で暮らしていたが、その母親が再婚したため東京に引っ越すことになった。義父の世渡知英は裕福な実業家で、その堅苦しい人柄に優真は馴染めずにいる。
優真が住むことになった世田谷の世渡邸は、それまで住んでいた二間のアパートとはかけ離れた豪邸で、あまりに広いため優真にとっては幽霊屋敷にいるような気分である。この邸こそ、タイトルにある「魔邸」なのか……と誰もが予想する筈だが、ここでまたしても舞台は転換することになる。
世渡知英には知敬という弟がおり、同じ関西生まれであり気さくな人柄ということもあって、優真は義父よりもこの義理の叔父に親しみを覚えていた。義父の海外赴任に母親もついていくという話が出て戸惑っている優真に、知敬は自分の別荘で一緒に暮らさないかと提案する。
知敬の別荘は朱雀連山の麓、上流階級の別荘地だった白庄の奥にある「奥白庄」に立っており、以前の住人の苗字に因んで小室邸と呼ばれている。別荘とはいえ、元財閥所有だけあって三階建ての立派な邸宅である。だが、この一帯では過去に不可解な出来事が起きている。二十年ほど前には、小室家の息子が行方不明になり、翌日、当時別荘の管理人のアルバイトをしていた知敬によって森の中で発見された。他にも当地では、子供の神隠し事件が起きているらしい。
そんな曰く付きの土地の別荘で、優真は知敬と、その交際相手である怜美とともに暮らすことになるのだが、最初の夜に早速、邸内で怪しい物音を耳にした。それは当地で起きた神隠しと関係しているのか。優真自身の過去の異界体験の影響は? 彼の身に、更に不気味な出来事が立て続けに降りかかる。
著者の小説はホラーとミステリの双方の要素を具えていることが多く、本書も例外ではないのだが、その配分は「家」シリーズ中でもやや異色の印象である。もし本書の主人公がもっと年長の少年ならば、表向きの物語の背後で進行している事態をある程度察することが出来たかも知れない。しかし、主人公が小学生に設定され、読者がその心細い視点に同化することで、真実から目が逸らされることになるのである。
優真を取り巻く事態が一応の決着を迎えても、まだまだこの物語は油断できない。幕引きの衝撃度は、「家」シリーズでも最大級と言えるのではないだろうか。
なお本書には、『忌館 ホラー作家の棲む家』『禍家』の武蔵名護池や、放浪の怪奇作家探偵・刀城言耶シリーズの第一作『厭魅の如き憑くもの』の神々櫛村といった、著者の旧作でお馴染みの地名が登場するし、「家」シリーズ全作で名前のみ登場する人物がまたしても言及される。三津田ファンにとってはそのような角度からも楽しめる作品だ。
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