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レビュー

出版界と大泉洋という二つの「ノンフィクション」を題材に書く社会派にして本格ミステリー

塩田武士『騙し絵の牙』

 昭和最大の未解決事件「グリコ・森永事件」を題材にした『罪の声』を発表し、社会派ミステリーの新たな旗手に名乗り出た、塩田武士。第七回山田風太郎賞を受賞し「本屋大賞2017」第三位に輝くなど、日に日に支持の声が高まるなかで刊行される新刊『騙し絵の牙』は、ノンフィクションを題材としている、という点で『罪の声』と共鳴する。ひとつは、市場規模は右肩下がりで救世主到来を待つ、出版界およびエンタメ産業の現状というノンフィクション。もうひとつは、誰もが知る国民的俳優でありバラエティ番組等でも活躍する、大泉洋の存在というノンフィクションだ。奥付には、次のようなクレジットがある。「モデル 大泉洋」。演劇や映画、ドラマの世界には脚本の段階で、この役を演じるのはこの俳優だ、ならば最初から俳優のイメージを取り入れた役を作ろう、という「当て書き」の文化がある。本書は、主人公に大泉洋を「当て書き」して執筆された、前代未聞の小説だ。

眠そうな二重瞼の目と常に笑みが浮かんでいるような口元に愛嬌があり、表情によって二枚目にも三枚目にもなる

 主人公は出版大手の薫風社で、月刊カルチャー誌「トリニティ」の編集長を務める速水輝也。新聞社から転職し、週刊誌記者から文芸編集者を経て今の役職となった四〇代半ばの彼は、同期いわく「天性の人たらし」だ。周囲の緊張をほぐす笑顔とユーモア、コミュニケーション能力の持ち主。部下からの信頼も厚いが、苦手な上司・相沢から廃刊の可能性を突きつけられ、黒字化のための新企画を探る。芸能人の作家デビュー、大物作家の大型連載、映像化、企業タイアップ……。

 編集部内の力関係を巡る抗争やきな臭い接待の現場、出版業界に関する深い議論のさなかでも、ひとたび速水が笑顔を繰り出せば硬い空気がふっとやわらぐ。ひょうひょうとした速水の語りを発端とする登場人物たちの掛け合いがいちいち楽しい。相手も面白くさせてしまう魔法の話術は、誰かに似ている。大泉洋だ。「速水=大泉」の公式は、表紙や扉ページの写真以外に、会話の中からも強烈なリアリティが溢れ出している。

 しかし、速水のそれは高い確率で「つくり笑い」であることを、文中から察することができる。例えば妻の早紀子と一人娘の美紀との家庭描写では、表情や感情のコントロールから解放されていて、編集者の「顔」とのギャップが脳裏に焼き付けられる。どこまでが演技で、どこからが素顔なのか? 速水は何故ここまで雑誌と小説とを愛し、自らが編集者であることにこだわるのか。やがて、図地反転のサプライズが発動する。「速水=大泉」に必ず、まんまと騙される。

 本書を読み終えて真っ先に想起したのは、塩田のデビュー作『盤上のアルファ』のことだった。将棋の棋士と新聞記者をW主人公に据えた同作のテーマは「逆転」だ。そのテーマが本書でどう関わってくるのかは伏せておきたい。出版界の未来に新たな可能性を投じる「企画」として抜群に高品質でありながら、デビュー作から積み上げてきたテーマや作家性が十全に発揮されている。本作を最高傑作と呼ばずして何と呼ぶか。

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江戸、明治・大正、昭和を生きた三人のヒロインの生涯を追い掛けることで、自由度を増す女性の生き方の変遷を辿る連作短編集。第三章「華族女優」のヒロイン・花音子は、昭和恐慌の末に没落した華族の娘だが……ラストの展開で、間接的モデルになった人物の存在が明かされる。あの名司会者?!


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