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レビュー

なんと波乱に満ちた生涯か。ひとりの大王の一生を描く、壮大な歴史長編。――『ワカタケル』池澤夏樹 文庫巻末解説【解説:上野誠】

力強く、抜群の面白さで描き切る、壮大な歴史長編。
『ワカタケル』池澤夏樹

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

ワカタケル』著者:池澤夏樹



『ワカタケル』文庫巻末解説

解説
うえ まこと(國學院大學教授〔特別専任〕) 

 はつあさくらの宮にあめした知らしめししすめらみことおほはつわかたけるの天皇〕

天皇の御製おほみうた
 もよ み
 くしもよ みくしもち
 このをかに ます子
 いへらせ らさね
 そらみつ やまとくに
 おしなべて われこそ
 しきなべて われこそ
 われこそは らめ
 いへをもをも

ゆうりやく天皇の御製歌
 かごも まぁまぁ立派な籠を持ってね
 へらも まぁまぁ立派な篦を持ってね
 この丘で 若菜を摘んでいらっしゃる娘さん方……
 家をおっしゃいな 名前をおっしゃいな
 そらみつ この大和の国はね
 すべての上に 私が君臨しているのだよ
 すみずみまで 私が治めているのだよ
 だからね 私の方から まずろう
 家のこともね 名前のこともね──

 なんという牧歌的な歌か。大和やまとに春を告げる若菜摘みという行事に訪れたワカタケル。ワカタケルは、その若菜摘みの少女たちに、声をかける。「よい籠を持って、よい篦を持って」と。そして、結婚を申し込むのである。男性が、女性に対して、家と名前を聞くことは古代社会においては、結婚を申し込むことであった。
 娘たちは答えない。ならば俺の方から名告ろうと、自らの家のこと、自らの名前のいわれを語ると、ワカタケルは、その家系と名前を語ったのであった。
 このワカタケルという人物こそ、奈良時代の後半からは、雄略天皇と呼ばれた人物である。「タケル」とは、たけだけしい、強い男という意味だが、若々しいという意を添える接続語「ワカ」を冠すれば、「ワカタケル」となる。さらに、ワカタケルが政治を行なった宮の場所を冠して、大泊瀬の朝倉宮を冠することもある。この地は、奈良県さくらやまふもとだ。でらは、この地に建立されることになる。「泊瀬」すなわち「ハツセ」は、後の「ハセ」なのだ。
 本小説によって、池澤が描き出したのは、国土を統一し、大和の統治者となったワカタケルの光と影である。こうまでしなくては、日本の統一はできなかったのだという古代国家成立の闇である、と思う。単行本を一読した私は、ふとこんな言葉とともにめ息を吐いた。
 はぁ、池澤さんは、こう見たのかぁ……であった。
 そして、今、当該文庫の解説を書くにあたり、再読して次のようなことを思っている。
 いかなる政治家も、善人であり、大悪党である。今日、われわれは、民主国家をひようぼうしているし、政治は国民の福祉のために行なわれているはずだ。ところが、である。悪名高き独裁者も、同じ思いかもしれないのである。一方的に誰かをヒーローにし、誰かを大悪党にすれば話はわかりやすくなるかもしれないけれど、事実はそれほど単純ではない。国家を担う政治家になるということは、その国家の抱える闇の部分をも、自らの心の内に抱え込むということなのだから。
 二人の兄、シロヒコとクロヒコを殺し、大王の位に就くワカタケル。では、兄のうちひとりが逆に即位したとしよう。そうなれば、自分の方が殺されてしまうということなのだ。私は、その心の闇こそが、ワカタケルの国家統一の原動力になっていった、とこの小説を読んで考えた。いや、この小説の起点は、ここにあるのだ。
 ワカタケルのことを、後に「だいあく天皇」とも称したのには、二つの理由がある。一つは、人倫にもとる行為をしたということ。もう一つは、大悪党と呼ばれるほどの偉大なる力を持っていたということである(もちろん、それは表裏一体)。『日本書紀』は、直情径行であるがゆえに、誤って人を殺すこともあったと記している。八世紀の人びとは、五世紀のワカタケルについて、そういう人物評価を下していたのであった。
 池澤の筆は、私の読解の限りでは、次の点に力点を置いて、ワカタケルの心の闇を描いているように思う。一つは、その大きさである。これほどの大きさがなくては、国家統一などできないだろうと私は思った。もう一つは、生き延びるために行なった行為。その行為がもたらす負の側面が、次々に彼の人生にのし掛かってくるのだ。仏教語では、因果応報ということだろうが、因と果が直結するほど世の中は単純ではない。
 とある若手の経営者たちの団体で、講演をして、一日興じたことがかつてあった。有名な部品メーカーの若社長の言葉が、今も印象に残っている。

上野さん。学問というものには、正解はあるかもしれませんが、経営というものは、何が正しくて、何が正しくなかったのか、その正解がないように思うんですよ。特定の経営判断によって、三年後に大きな利益を得たことが、その次の十年に、会社と社員の幸福につながっているかどうか、わからないんです。だから、何が善で、何が悪か、よくわかりません。

というのである。今、しみじみとこの言葉を思い出している。
 次に、この小説の隠し味について言及しておこう。たぶん、古代の神話や、歴史を好きな人ならすぐに気付くはずだ。「ワカタケル」は、大王として国土を統一した英雄だが、もうひとり「タケル」と称する人物が、古代にはいる。「ヤマトタケル」である。「ヤマト」は、現在の奈良県てん市の新泉にいずみちようを中心とする小地域名だが、この勢力が現在の奈良県、きん地方を徐々に制圧してゆき、国土統一を果たしてゆくことになる。
 じつは、二人の「タケル」は、二人にして一人、一人にして二人という関係性を持っている。ヤマトタケルは、皇子として、西の諸豪族と対決し、東の諸豪族を制圧してゆく人物だ。そして、その途時にたおれた悲劇の皇子である。よく考えてみると、
 ワカタケル→皇子間の戦い・外交
 ヤマトタケル→地域の諸豪族との戦い
という役割分担があって、おそらく、国土統一に関して存在していた諸伝承を、二分割して、ワカタケルとヤマトタケルの伝記に負わせているのである。この分割は、じつに巧妙である。ワカタケルは、大王位に就いた人物。ヤマトタケルは、大王位に就かなかった人物となっている。大王位に就いた人物の汗と血、大王位に就かなかった人物の汗と血があってこそ、全国統一はなされたのであるから、うまく役割分担ができているのである。『古事記』『日本書紀』を通して、今日、われわれは、国土統一に関わる伝えを、二つの汗と血の物語によって読むことができるのである。
 おそらく、池澤は、この役割分担を知った上で、ワカタケル像の中にヤマトタケル像を潜り込ませている、と思っている。ただし、私はこのことを池澤にって直接尋ねたくはない。レストランのちゆうぼうに土足でずかずかと押し入って、食材と調味料をメモすることは、下品この上ない行為であると思うからである。ただし、もし、池澤が筆の趣くままに、書いてそうなったとしたら、学問知ではなく、作家の想像力の勝利ということになろう。ここは、文庫本の読者も、楽しんで読んでほしいし、検証してほしい。
 じつは、『風土記』の一部には、「ヤマトタケル天皇」と大王になったかのごとくに記されている。これは、『古事記』『日本書紀』の元になった「帝紀」によって、ワカタケルとヤマトタケルの二人の人物に国土統一の伝承が整理されたのだが、整理以前の伝承が地方に残っていたからだ、と推測されているのである。
 この数年、文壇では、古典ブームが巻き起こっている。たかのぶは、『日本霊異記』『伊勢物語』をもとにした長編小説に取り組み、まちこうもファンキーな文体の『古事記』口訳をものしている。りゆうろうは、べのなかだ──。もちろん、それらは、たにざきじゆんいちろうげんえんふみ源氏、うちじやくちよう源氏などに代表される円熟作家の古典回帰に範があることは、間違いない。けれども、歴史小説というものは、長い準備期間が必要なので、おいそれと書けるものではない。やはり、起爆剤が必要なのである。
 じつは、この火つけ役こそ、池澤その人であった。池澤夏樹=個人編の『日本文学全集』に、かくみつの『源氏物語』など、今、脂が乗りきっている作家たちに、古典の新訳を促したのは、池澤夏樹なのであった。今、われわれは、その果実の一部を、この文庫で味わうことができるのである。
 最後に、最初にわざわざ『万葉集』のワカタケルの巻頭歌を示した理由を説明しておきたい(といっても、賢明なる読者には、いわずもがなであるが──)。
 ミレーの一幅の絵を見るようなじよじようと、「大悪」と称されたワカタケル。その伝は、一見結びつかないように見える。しかし、そうではない。一人の人物の心のうちにも、光と影があり、どす黒い闇も存在するのである。だからこそ、大きな仕事もできるのである。

いいよ。いいよ。俺から名告るよ。
家のこともね。名前のこともね。
俺はね。この大和を治めている
ワカタケルという者だ。
自分でいうのもなんだが、この大和は
ぜんぶ、俺さまが治めている。
泊瀬の朝倉の宮にいて、
強い男だから、大泊瀬のワカタケルと人は呼んでる。が……。
できたら、宮殿においでよ。
俺の妻のひとりにならんかねぇ……。

 こんな男があんなことしたなんて……、という謎解きが、この本では具体的になされているのである。

作品紹介・あらすじ



ワカタケル
著者 : 池澤夏樹
発売日:2023年09月22日

なんと波乱に満ちた生涯か。ひとりの大王の一生を描く、壮大な歴史長編。
時は5世紀。倭の國の第20代大王、アナホが何者かに殺された。弟のワカタケルは、王位に最も近い2人の兄を殺害し、並み居る豪族をねじ伏せ自身が王位についた。それは、彼の血に塗れた治世の始まりだった――。
豊かな自然と神々とともに生き、未来を見る力を持つ女たちと國を束ねたワカタケル大王。暴君でありながら人々を惹きつけ、偉大な国家建設者であったひとりの天皇の驚きと波瀾に満ちた生涯を、力強く、抜群の面白さで描き切る、壮大な歴史長編。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321808000331/
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