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レビュー

ミステリの名手が贈る、極上の謎解きの“その後”――『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』北村薫 文庫巻末解説【解説:佐藤夕子】

表題作「遠い唇」のその後とは――?
『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』北村 薫

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』著者:北村 薫



『遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集』文庫巻末解説

解説
とう ゆう

 一作家一ジャンル道のまんなかをひようぜんと歩む大家、きたむらかおるによるノヴェレッテンが、また一つ完成した。
『ノヴェレッテン』は8つのノヴェレッテとも呼ばれるシューマンのピアノ曲集で、短篇小説ノヴエレからの連想とおぼしい表題は造語。章題がないかわり、この魅力的な表題が、全曲をかんぺきかたどる。異なる芸術の融合からすぐに連想するのがムソルグスキーのピアノ曲『展覧会の絵』で、こちらでは、序奏で間奏でもある名曲「プロムナード」が、10の多彩な画題を律しきる。
 一方、作家は言葉でスケッチし、音を奏でる。収録作「パトラッシュ」の、ラヴェル『ボレロ』のピアノデュオをテレビで観る場面は圧巻だ。昨年、うしともはるさん・まつ華音かのんさんデュオコンサートでアンコールがこの曲だった。硬質で澄んだピアノが呼応しながらあの独特なリズムを刻み、高まり、鐘と鳴らし、最後は空間を一つの渦に変えるのを、期せずして、まず言葉で聴いていた。音で追体験して、ああ、だからあの場面で、とうなずけた。
 あいにく当方、高校時代の古典の授業で短歌実作の宿題を課され、先生に「理屈っぽいのが難」と寸評された古傷を持つ。言いおおせて何かある。芭蕉ばしようは正しい。
 北村印は違う。言い果せていながら、なお余情が寄せてくる。えらぶ言葉に、いつも多層な音や彩豊かな絵が見える。だからこそ、理屈屋はノヴェレッテンの中にあるだろうプロムナードを、言葉のかたちで、つい探してしまう。

 増補版刊行にあたり「付記──ひらめきにときめき」そして「まことさんのこと」は、「付記──ものがたりの島」へと形を変えた。北村さんからのこの上ない祝辞だ。追加収録の二作と表題作のつながりを中心に、作者の作品への限りない愛情が、熱く静かに語られている。当方の解説など必要ない、完璧な自作解説だ。
 作品への付記そのものは、これまでも時折あった。「これだけは、どうしても」を、いた理屈に流れることなく、丁寧にすくい取り「もう一度、ご一緒に」と読者に手渡す。屋根に屋根を重ねない、吟味しつくされた名調子が心地よい。また連載の形で短篇を連ねてゆくタイプのエッセイ群がまとまる折には、「解決編」と呼びたい秀逸なちゆうが頻繁に登場し、読者をもう一度、あっと言わせる。付記は、この作家にしか広げられぬプロムナード、いやさ〈島巡りの舟〉だと実感する。
 ただし〈作品については、作品そのものが語る〉〈後は読み手にまかせるべきだ〉もまた、この作家の譲れぬ信念だ。だからか、後日たんやスピンオフ、外伝など、作品の形をとった「付記」は、読む側にはすいぜんものだが、これまでそれほど多くはなかった。長篇やシリーズやオムニバスは、付記を包含しやすい枠というのもあるだろう。
 いや、人知を超えた名探偵、かんなぎゆみひこ氏ならぬ北村さんの付記だからだ。あえてその場では並び立たず、アンコールで初めてかおをのぞかせる。〈常人では分からぬ一本の道を、空から見たかのように示す〉のが名探偵。ただ、天才は、待てる。〈待てしばしのない〉と自認する性格には、せっかちとは彼岸ほど隔たりがあるのだ。何より「ひらめきにときめ」かずにおれぬのは、まず作家自身だろう。天才は茶目っ気としやあふれ、島巡りの舟のさきで、常に自ら、あかりを掲げたいと願うのだ。
 先例では2017年秋に創元推理文庫に入った『太宰治の辞書』。ひときわ愛着あるデビューシリーズ、待望の新作だった。さらにぜいたくにも、本編にまつわる二つのエッセイと、初出1990年の珠玉短篇「白い朝」が満を持しての収録。
 よねざわのぶ氏の名解説にて丁寧に掬い取られているとおり、これら新作所収のタイミングには、シリーズとうを飾る作品文庫化ゆえの必然があるのだが、それにしても27年だ。秘蔵っ子の肖像を縁取るためとはいえ、なんと息の長い一徹さ。
 かくのごとく。北村さんの作品は作品で語る。未来を思い出すように、何十年も前に投げられた伏線のブーケが、今日、てのひらに落ちてくる。なぜここに、この作品が収録されたかが、ある時レッドカーペット上に金文字で浮き上がる。たいの謎物語仕掛人の腕のえ、作品という名の、付記の心意気なのだ。

 短篇集ノヴエレである本書は、こうした意気(いき)を存分にかした好例だろう。
 ひとの想いが時間を経て解かれるのが北村作品だから、この主題を象る表題からして、シューマンの命名に匹敵する。時の彼方かなたに遠ざかるあの人の唇はあのとき、なにを自分に伝えたかったのだろう。震えが来るほど、うまい。
 そして、付記と追加収録を含む全10篇のノヴェレッテは、独立した短篇と見えていたものが、作品同士で、ここにはない別の作品との間で、あるいは偉大な先達のあの名品へと手を差し伸ばすように、つながっている。紡がれるのはすべて前日譚、後日譚、スピンオフ、先達へのオマージュなのだ。秘密の花園のかぎは、別作品の中に埋め込まれている。プロムナードは形をかえつつ本の中を縫い、縁取っては消え、そこここに点在する。
 わけても、表題作と、追加された新作二作における人物の、回り舞台にも似た登場退場の巧みさは、「人間喜劇」におけるバルザック的再登場法をほう彿ふつさせる。〈さて、なえさんのことを話そう〉の書き出しで、もう百人一首のように「あ!『飲めば都』っ!」と叫んでしまう。〈裸足はだしで駆け出す、愉快なサナエさん〉に、〈文ネエ〉ことぐちまりえさんに、また、会えた。まりえさんの口を借りて、大事な先輩「書ネエ」も登場している。うれしい嬉しい再会だが、これ自体が必然だ。
 バルザックはスピンオフを最初に小説で用いた作家といわれるが、北村作品にあっては、作品の連関はより有機的かつ通時的で、結果、再出の必然性が高い。『飲めば都』は北村作品中随一のユーモア度を誇るが、中で一滴、墨を落としたように暗いのが、まりえさんが主役の「指輪物語」だからだ。十余年越しの苦しい宙ぶらりんは、北村さんだけが救える。ずっと待っていて、本当に良かった。作者の思い入れのほどは、どうか〈てらわきとまりえのために〉書き下ろされた付記でごたんのうあれ。
 なお本書の初文庫化の折に解説を書かれた歌人・あまけいさんは、表題作の由来に関しけいがんを披露されている。前述『太宰治の辞書』所収の「一年後の『太宰治の辞書』」では、実は「遠い唇」のきっかけも明かされていたのだ。ここにもまた、付記が!
 あの作とこの作のリンクコーデも冴えわたっている。前述のスピンオフ三作を繫ぐ俳句や、「ゴースト」の短歌、「ビスケット」の古典文学。「パトラッシュ」のミド嬢と「わらいかわせみに話すなよ」の翡翠の醸す、圧倒的なみどりのきらめきと、さえずり。
「遠い唇」で教授が見つける七円葉書に刷られたやく水煙飛天と、「振り仰ぐ観音図」で宝塔を見上げる観音様の、それぞれにまとうのゆらめき。そういえば薬師寺の水煙も数年前に交換されているはずで、時の断絶はさらに重い。
「パトラッシュ」では前景にそびえる〈山〉が「ゴースト」ではあざやかに背景に退く、その舞台装置めいた早変わりの怖さ。一方は明るく、他方はひたすらにくらい。
 また「しりとり」の探偵役はネームレスの男性作家で、「ビスケット」で待望の再登場となったひめみやあゆみ嬢でないことは明らかだが、両人がそれぞれ〈表現というのは内面告白〉〈小説は自分の内面告白〉とつぶやき、〈知り合いに自作を読まれたくないたち〉〈知り合いだから──という理由では読まれたくない〉と響き合うところは、両者確かに作家自身と頷け、その共振は心憎いほど。
 極私的に一番の異色作は「解釈」。とはいえ、宇宙人が文学作品から地球人を分析するという枠組は、かのふじ・F・異色短篇へのオマージュともとれ(北村さんは、この漫画界の天才とも『スキップ』でつながっている!)感性の相関を強く感じる一作。文体の喜劇的軽やかさも、もう一人の天才に通じる。
 同じく先達へのオマージュ「続・二銭銅貨」は真打ち。あのがわらんの処女作にささげるこだまなのだ。〈描表具〉によるこうな額装が、『ニッポン硬貨の謎』に続きまた一つ施された。

 繰り返しで恐縮だが、本書は北村作品初の文庫増補版である。最初の文庫化では付記という名の魅力的なエッセイで、さらにこのたびは表題作の後日譚と新・付記という形で、正しく「物語に語らせる」花道を渡った北村薫さんとは、一貫して、〈わたしを分かってくれる、もう一人のわたし〉たちに、しんこたえつづける誠実な名人である。

作品紹介・あらすじ



遠い唇 北村薫自選 日常の謎作品集
著者 : 北村 薫
発売日:2023年09月22日

日常の謎の名手・北村薫による自選集!表題作「遠い唇」のその後とは――?
コーヒーの香りで思い出す学生時代。今は亡き、姉のように慕っていた先輩から届いた葉書には、謎めいたアルファベットの羅列があった。(「遠い唇」)/『吾輩は猫である』『走れメロス』……宇宙人カルロロンたちが、地球の名著と人間の不思議を解く?(「解釈」)/辛い時にすがりつきたくなる、大型犬のような同棲中の彼氏。そんな安心感満点の彼の、いつもと違う行動と、浴室にただよう甘い香り。(「パトラッシュ」)/トークショーの相手、日本通のアメリカ人大学教授の他殺死体を目撃した作家・姫宮あゆみ。教授の手が不自然な形をとっていたことが気になった姫宮は、"名探偵"巫弓彦に電話をかける――(「ビスケット」)など、2019年に刊行した全7篇に、「遠い唇」の主人公・寺脇と、『飲めば都』にも登場する女性編集者・瀬戸口まりえが出会う場面を描いた「振り仰ぐ観音図」、そして二人が再会し、句を介して関係が始まっていく様子を描いた「わらいかわせみに話すなよ」の計2篇を加え、ここに完全版として刊行!

本書は、2019年11月に小社より刊行された文庫に「振り仰ぐ観音図」(新潮文庫『もう一杯、飲む?』2021年6月刊収録)、「わらいかわせみに話すなよ」(「小説 野性時代」2021年9月号収録)を加え、サブタイトルを付したものです。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322109000618/
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