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レビュー

世界に、牙を剥け。超弩級ミステリー巨編!――『アンダードッグス』長浦京 文庫巻末解説【解説:千街晶之】

策謀と銃弾飛び交う香港で“負け犬たち”は世界に牙を剥く!
『アンダードッグス』長浦 京

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

アンダードッグス』著者:長浦 京



『アンダードッグス』文庫巻末解説

解説
せんがい あきゆき(ミステリ評論家) 

 血と銃弾の雨が降る中、大国のちようほう機関を命がけで出し抜きながら、重要な国家機密を奪い取る──そんな物語の主人公といえば、どのような職業の人物を思い浮かべるだろうか。諜報員、ようへい、公安警察官、裏社会の人間など、荒事の場数を踏んでいる人物を想像するのが普通だろう。
 しかし、長浦京『アンダードッグス』(『小説 野性時代』二○一九年二月号~二○二○年一月号に連載された「ルーザーズ1997」を改題・改稿、二○二○年八月にKADOKAWAから刊行)の主人公は元官僚である。しかも、治安を預かる警察庁や、外国との駆け引きを専門とする外務省などではなく、農林水産省だ。国際アクション小説の主人公として、これほど似つかわしくない職業設定も珍しい。同じ著者の小説の主人公でも、腕利きの諜報員だった『リボルバー・リリー』(二○一六年)の百合ゆりや、殺人経験を持つ『マーダーズ』(二○一九年)のきよはるらとは正反対の存在と言える。
 もちろん、主人公をそのように設定したことには、何らかの著者の意図があるに違いない。では、その意図とは何だろうか。
 あらすじの紹介に入る前に、物語の背景となる「香港ホンコン返還」について少々説明が必要かも知れない(もはや四半世紀以上前の出来事なので)。一八四二年の南京条約(第一次アヘン戦争の講和条約)によって清朝からイギリスに割譲された香港島にイギリスが香港政庁を設置し、一八九八年には香港島と九龍カオルーン半島を除くしんかいが九十九年の期限で租借地となった。その後、情勢の変化に基づくイギリス・中華人民共和国両政府間の交渉により、九十九年目にあたる一九九七年に香港の全地域がイギリスから中国に返還され、中国の特別行政区となることが決定したのである。
 その返還を目前に控えた一九九六年の十二月二十四日からこの物語はスタートする。主人公のけいは証券会社勤務だが、もとは農林水産省の官僚だった。しかし、国益のための正しい行為だと信じ込まされて従事した裏金作りの責任を負わされ、起訴は免れたものの省を去らざるを得なくなったのだ。
 そんな負け犬アンダードツグである古葉が、香港在住のイタリア人大富豪マッシモ・ジョルジアンニから呼び出される。仕事の話と思いきや、マッシモの用件は驚くべきものだった。翌年七月一日の香港返還を控え、香港のメガバンクから世界の主要国の要人たちの機密情報を記録したフロッピーディスクと書類が運び出されることになっているが、それらを奪い取ってほしいというのだ。息子を自殺に追いやったアメリカ政財界へのふくしゆうに燃えるマッシモは、古葉以外にも四人の男に同じ使命を与えており、八十五万アメリカドルの軍資金も提供するが、従わなければ厳しいペナルティを科すという。当然、古葉はちゆうちよするが、裏金作りで失脚した農水省時代の上司が一家心中を遂げ、しかも古葉自身も裏金作りをマスコミにリークした犯人に仕立て上げられていることを知り、マッシモの計画に乗ることを決意する。十二月三十日、香港に渡った古葉は、マッシモとの待ち合わせ場所であるレストランを訪れる。ところが、そこで彼は予想もしない事態に遭遇する……。
 間もなく年が明ける十二月三十一日の夜、古葉はマッシモが雇った他の四人と顔を合わせることになったが、一人は待ち合わせの場に現れず、しかもまだ何もしていないうちから正体不明の男たちに銃で狙撃される。ここからはひたすら逃避行の連続となるが、古葉以外の三人──イギリス人の元銀行員ジャービス・マクギリス、フィンランド人の元IT技術者イラリ・ロンカイネン、香港政府の公務員の林彩華ラムチヨイワ──と、彼らの警護役として雇われたオーストラリア人のミア・リーダスは、みなそれぞれ秘密を抱えている。更に、マッシモの復讐の対象であるアメリカをはじめ、イギリスやロシアといった大国の諜報機関や香港警察などが介入してきて、生命の重さなど紙切れに等しいせいぜつな殺し合いが展開される。誰も信用できない状況で、古葉はいかにして生き残り、使命を果たすのか。展開はまさにジェットコースター並みであり、敵味方の構図は目まぐるしく反転を繰り返し、つるべ打ちに襲ってくる危機の前では考える時間すら与えられない。とつの判断を誤れば、そのまま死に直結してしまうのである。
『オール讀物』二○二一年一月号掲載のインタヴューによると、「編集者と話して”最近コンゲームの味わいがある暴力小説がないよね”と盛りあがり、ジェフリー・アーチャーの『百万ドルを取り返せ!』をもう少しハードにしたような冒険ものを書いてみようと思いついたんです」というのが本書の着想の源だったようだ。主人公の古葉を元農水官僚に設定したことについては、「一番それっぽくない人を活躍させるのが面白いと思って、農水官僚を主人公にしました。ドメスティックに日本の農業問題を考えていて、国際的な謀略になんて絶対かかわりたくないと思ってる人が、むりやり海外に連れて行かれる展開が楽しいかなと(笑)」と述べている。
 もちろん、主人公が官僚であることにはそれだけではない理由がある。マッシモは奪取計画を明かした際、古葉の人間性を「弱い者だからこそ、死に物狂いで知恵を出し、時には途方もない力を見せる。考えてみてくれ。君はある意味で私と似ている。高い先見性と計画性、決断力を持ち、しかも復讐心に裏打ちされた強い動機も兼ね備えている。ぼんやり今を生きているようで、自分を陥れた政治家や官僚に対する怒りも憤りも完全には消えていない。君は確かに一度失敗した。でも、その失敗は、君をより強く慎重に、そしてこうかつにしているはずだ」と喝破している。また、それに加えて、古葉には人並外れた観察力と、官僚時代に鍛えられた記憶力がある。どう考えても実戦向きではない彼が諜報機関相手の戦いで生き残り続けられたのは、それらの資質の賜物である。
 古葉を含め、この物語の主要登場人物は負け犬である。しかし、彼らには彼らなりに、ささやかながらもきようがある。「あんなところでひざを抱えていても事態は好転しない。同じ失敗をするにしても、俺は悪あがきした末の失敗だったと感じたい」、「馬鹿にされたままで終わりたくない、もう二度と。絶対に犬死にはしない」といった古葉の意地が、彼の行動を支えるきようじんな軸となっている。また、お互いを信用せず、いなど一切考えられない間柄にもかかわらず、「不安だからこそ、裏切りへの対策を練りながらも、それでも君たちを信じようとしている。さい心ばかりが募れば、最後には身動きが取れなくなるだけだ。諦め、期待、どちらの言い方でもいいけれど、結局はどこかで他人にゆだねなければ、作戦は遂行できないんだから」という誠実さを最後まで失わないところも古葉というキャラクターの魅力である。
 古葉慶太の戦いは一九九六年の年末に始まり、一九九七年の春節である二月七日に終わるが、それと並行して、二○一八年を背景とするパートが進行する。こちらの主人公は古葉えいという女性だが、彼女を待ち受ける運命も、本書を印象深いものとしている。
 著者の長浦京は一九六七年、埼玉県生まれ。二○一一年に『せきじん』で第六回小説現代長編新人賞を受賞してデビューし、続く『リボルバー・リリー』で第十九回おおやぶはるひこ賞を受賞した。本書は四冊目の著書であり、第百六十四回直木賞および第七十四回日本推理作家協会賞の候補作となった。その後も、時代背景や舞台を変えながらもアクション満載の小説を執筆し続けており、二○二三年八月には『リボルバー・リリー』の映画が公開された。日本のアクション・ハードボイルド小説の最前線を担う作家として、今後の活躍がますます期待される。

作品紹介・あらすじ



アンダードッグス
著者 :長浦 京
発売日:2023年09月22日

世界に、牙を剥け。超弩級ミステリー巨編!
1996年、元官僚で証券マンの古葉慶太は顧客の大富豪・マッシモにある計画を強要される。
それは中国返還直前の香港から運び出される機密情報を奪取するというものだった。
かつて政争に巻き込まれ失脚した古葉は、自分を陥れた者たちへの復讐の機会と考え現地へ飛ぶ。
待っていたのは4人のチームメンバーと、計画を狙う米露英中の諜報機関だった。
策謀と銃弾飛び交う香港で“負け犬たち”は世界に牙を剥く!
直木賞候補作にもなった究極のエンタテインメント小説。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322301000216/
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