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13億円は私のもの? 気づけば大騒ぎの中心に!――『あなたも私も』久生十蘭 文庫巻末解説【解説:町田 康】

小説の魔術師・久生十蘭が、大きな運命に翻弄される女性の生を鮮やかに描く。今も色あせない傑作ミステリ。
『あなたも私も』久生十蘭 

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

あなたも私も』著者:久生十蘭 



『あなたも私も』文庫巻末解説

解説
まち こう(作家・ミュージシャン)

 ひさじゆうらんの名前を初めて目にしたのは今(令和五年四月)からちよう四十五年前、当時、先鋭的な音楽活動を行っていた s-ken という人のインタビュー記事を読んでいる時であった。
 何度か聴いたことがある、その人のバンドは「魔都」という題の楽曲を演奏しており、それについて s-ken は「久生十蘭の同名の小説の影響下、作詞作曲した」と語っていたのである。
 その曲がどんな曲だったか、くわしくは覚えていないが、たん的でたいはい的な、らんしたような都市の様相を想起させる曲で、サビのようなところで「魔都」と言うのが印象に残っている。
 それから何年か経って、その頃、住んでいたアパートの隣の隣の学生の部屋に「地底獣国」と題した文庫本があり、「なんじゃ、こら」と手に取ると作者が久生十蘭であったので、「あー、これがあの s-ken が言っておった久生十蘭か」と思い、それを借りて読んだのである。というのは噓で、直ぐには読まなかった。なんとなれば、その「地底獣国」という題名が、なにかこう噓くさいというか、子供だましの空想科学小説のように思われて、それを思えば「魔都」という題もろうれつな三流の映画の題のように思えてきて、「いやさ、これは僕の読みたいものではないのかも知れぬ」という感じで敬遠してしまったのである。だけど。
 る時、ひまで閑で仕方なく、手に取って読み出すや、その筋のおもしろさにたちまち引きこまれて夢中で読みふけり、「いやさ、これこそ僕の読みたいものだよ」という感じで崇拝者になってしまった。
 で今、自分は、筋のおもしろさに引きこまれて、と書いた。それは、それそのものは他にないおもしろさで、なぜその筋のおもしろさが他にないものなのか、という事には少しばかり心当たりがあるのだけれども、それよりなにより若い自分がまずかれたのは、言葉そのもの、言葉遣いのおもしろさであった。というのは例えば、「地底獣国」。これの中に極悪な侵略計画のことを、「陰険しんらつなる」とする表現があって、若い自分はこの表現にしびれた。なぜなら、それはその時、そして今も自分が考える陰険という言葉、そして辛辣という言葉が指し示す範囲を超えて、だけど内容にぴったりまる実に格好いい言葉遣いであるからである。らい、自分はこの、「陰険辛辣なる」というを自在自由に使えるようになりたい、と願って生きてきた。
 と言うとその表現だけが突出しているように聞こえるが、そんなことはなくて、そういう風にぐっとくる言い回しが到るところにあってその都度、もんぜつしながら読んだ。それは自分にとって、自分が普段、何気なく使っているオートマチックな語彙と、その言葉の本来の意味、あるいはその歴史的な背景との距離を知ることであり、その距離を自由にコントロールして文章をつづることの妙を体感することであった。
 そうして読むうち右に言った、題の臭み、もまた作者のたくらみであるかも知れないと思うに到った。というのは、人間は低俗なものと高尚なものがある場合、高尚なものの方が偉いと自動的に思ってしまう。だから苦労してこしらえた作物に題を付ける場合などはなるべく高尚な、「天上のにじ」みたいな感じの題を付け、「ドスケベ天国」といったような題は付けない。その時、「その、上に思われたい、という心の働きこそが低俗なんじゃないのか」というバランス感覚のようなものが作者の中で作動してこうしたタイトルを付けたのではないか、と自分は勝手に思い込み、その一方に(この場合は高尚ぶりに)傾かないへいたんな心にあこがれを抱いたのである。
 そしてその事は物語・筋のおもしろさにも関係しているのではないかとも思う。どういう事かと言うと、筋というものは一般に低俗なものとして扱われる。なんとなれば筋に対する興味というのは、そもそもが好奇心・野次馬根性が根底にあり、人が物語の筋を追う時、その根底にある動機は、俗悪なワイドショーなどを見る時の動機となんら変わらないからである。それ故、「僕はもっと高尚な文学を追究するのさ。もっと人間の根底をえぐるような」とうそぶいて筋を軽視する態度がより格好いい、と思う人も出てくる。それに対して、「だけど。そんなことを言うけれども。その人間の根底に俗悪な性根があり、その俗悪な性根に突き動かされ、それによって時代が動き、歴史が動いている以上、小説もまた低俗にならざるを得ないのではないかね。と言うか。小説ってそもそもそういうものなのではないかな」というバランス感覚が働いて、筋をおもしろくしている、という事である。そして。
 おもしろい筋をおもしろく表そうとすると当然のことながら展開が早くなる。その間にある事をいちいち表現していたら、おもしろくない現実に接近しすぎてしまうからである。しかしだからといって、あまりにも展開を目まぐるしくすると現実味が失われ、御都合主義的な展開になってしまう。そこでその中庸を行こうとすると、たいしておもしろくもなく、しかも現実味もあまり感じられないカスみたいな作物になってしまう。
 しかるに例えばこの「あなたも私も」を読めば、その息をもつかせぬ急な展開に次ぐ展開に驚き惑いつつ、その成り行きに御都合主義ではまったくない現実味を感じて、読むのをやめられなくなるのだが、ここにはいったい如何いかなる魔術が施されてあるのであろうか。自分は四つくらいのことがあるのではないかと考える。
 その一はその計算力で、人が思いもよらない展開を次々と繰り出してたんなく結末に導くにはみつな計算が必要になってくる。だけどそれに優れた人はごまんと居て、それだけなら、結末がわかった上での二読三読、に堪えられるものではない。そこでそれに加えてあるのが、その二、文章力で、この二つを兼ね備えるという事はまずほとんどない事なのだけれども、「あなたも私も」においてはそれが二つとも備わっており、それ自体がもはや魔術的なのである。
 だけど、その上にもうひとつあるその三とその四、実はこれがもっとも重要で、これさえあれば、もしかしたらその一もその二も必要ないのではないか、いやさ、これがなければその一とその二があって、読むものを楽しませることはできても、それ以上の意味はないのではないかと思われる事、があって、それは何かというと、
 その三、わかりやすい正義や道徳に依拠せず、現実の中にある人間の欲心や不道徳を直視して、その欲心や不道徳の底の底で泥にまみれて底光りしてあるような人間の純一なもの、「あなたも私も」で言うなら、ばくだいな富を巡る策謀や裏切り、冷徹な大国の思惑、親を思う人間の情や秘めたる愛など、をおおな言葉を用いず、ことさらな大声でなく描く事、そして、
 その四、それら悪徳や純一なものから作者として一定の距離を保ち、それらをモンタージュして一幅の絵とすバランス感覚、言い換えるなら、ともすればけい的な感覚が尊ばれる芸術の世界にあって正常な感覚を保つ事、である。
 となるともはやこれは魔術ではなくせきであると言えるが、それをえて魔術のように見せるのもまた魔術であるのかも知れず、どこまで行っても無限の仕掛けが施されてある久生十蘭の小説の魅力に自分は永久にあらがえないのである。

作品紹介・あらすじ



あなたも私も
著 久生 十蘭
定価: 726円 (本体660円+税)
発売日:2023年06月13日

13億円は私のもの? 気づけば大騒ぎの中心に!
売れないファッション・モデルとして貧乏生活を送るサト子。実は自らも知らぬ間に、時価13億円の鉱業権の相続人に指定されていた! あれよあれよという間にサト子は、一攫千金のにおいをかぎつけた実業家や弁護士らに囲まれることに。莫大な資産はいったい誰の手にわたるのか、肝心の鉱山の実体は――。小説の魔術師・久生十蘭が、大きな運命に翻弄される女性の生を鮮やかに描く。今も色あせない傑作ミステリ。解説・町田康

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322302001010/
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