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レビュー

業界をまたいで転職を繰り返し、社長を目指した一人の男の物語。――『転職』高杉 良 文庫巻末解説【解説:加藤正文】

名もなき花に光を当てて──高杉良が紡ぐ青春譜
『転職』高杉 良

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

転職』著者:高杉 良



『転職』文庫巻末解説

解説
とう まさふみ (神戸新聞経済部長・特別編集委員・論説委員)

 経済小説の系譜で三千メートル級の高峰としてそびえる作家はしろやまさぶろう清水しみずいつこうたかすぎりようの三人だ。いまロンドンを拠点に精力的に作品を刊行しているくろりようの見立てにうなずく。
 一九二七(昭和二)年生まれの城山は、海軍の少年兵として戦争の不条理を体験し、終生、「組織と個人」のあり方を追求した。三一(昭和六)年生まれの清水は戦後の焼け跡から身を起こし、証券市場の心臓部であるかぶとちようい回り、躍動感あふれる企業小説を量産した。この二人は敗戦と復興、高度経済成長を刻んだ昭和時代を色濃く体現した作家といえよう。

平成の三千メートル級の高峰
 一九三九(昭和一四)年生まれの高杉は一九歳で石油化学新聞の記者となり、企業社会の現場に飛び込み、筆力を磨いた。七六年の『虚構の城』でのデビュー以降、『大逆転!』『生命燃ゆ』『大脱走』『広報室沈黙す』『炎の経営者』など苦難に際して前向きに闘う男たちを描いた名品を次々と刊行した。成長と繁栄、その負の側面も含め、昭和のダイナミズムをつかんだ高杉だが、その真骨頂は時代の転換点となった平成の経済社会の潮流変化を察知し、作品として結実させたことにある。
 バブルからその崩壊に至る時期に、長編『小説 日本興業銀行』(一九八六~八八年)を出したのを皮切りに金融や官僚、メディアの世界を描いた作品が続く。『小説 巨大証券』『濁流』『烈風 小説通産省』に続き、筆名を高めた大河シリーズ『金融腐蝕列島』(一九九七~二〇〇八年)ではバブル崩壊で金融機関がのたうち迷走する様子を活写した。二〇〇〇年代に入ってからも『小説 ザ・外資』『乱気流 小説・巨大経済新聞』『破戒者たち 小説・新銀行崩壊』など同時代の問題点をえぐる作品を連発した。
 時代を切り取った作品群は、市場原理主義や拝金主義、権力者の腐敗、不条理を、働くミドルの立場から厳しく追及してきたのが特徴だ。平成の標高三千メートルの峰にはそうした傑作群が並ぶ。

家族とともに紡いだ物語
 高杉は二〇二三年一月で八四歳になった。近年患った肝臓がんやぜんりつせんがんに加え、加齢おうはん変性で視力が落ち、妻の献身的なサポートで日々の生活が続いている。とはいえ創作意欲は衰えない。最近では児童養護施設に預けられた少年時代の体験をつづった『めぐみ園の夏』(一七年)に続いて、ITベンチャーに焦点を当てた『雨にも負けず』(一九年)、石油化学新聞での駆け出し時代を書いた『破天荒』(二一年)を出版した。
 デビューから四七年が過ぎた。八〇以上の作品を出した経済小説の巨匠も、さすがに外に出ての企業取材はできなくなった。そんなある日、転職を重ねる娘婿の話に反応した。「三度の飯より取材が好き」という好奇心の塊は「よし、話を聞かせて」となった。本作の主人公、けんいちの誕生の瞬間だ。東京・はまやまの自宅で近所の寿司店でやまなかの山荘で、新型コロナウイルス禍で面談が難しい時には孫の協力を得ながら、いつものごとく丁寧な取材が続いた。「ほとんど実話だよ」。家族とともに紡いだ物語は無類の面白さだ。
 小野は新卒で入った外資系コンサルティング大手アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)を振り出しに、P&G、リーバイス、モルソン・クアーズ、ブルーボトルコーヒー、アサヒコ…と次々と会社を移る。それぞれ異なる業界、異なる企業風土だが、どこへ行っても向き合うのは人間と組織であるのに変わりはない。マーケティングを究めたいという初志があるから持ち前の向上心で組織再生に挑む。そんな中、ヘッドハンターの声が掛かり、モルソン・クアーズ・ジャパンで念願の社長に就く。
 前向きであきらめない小野が縦横に活躍する姿はさわやかだ。少年時代から野球一筋。高校時代は〈度胸は人一倍どころか百倍あった。先輩に言いがかりをつけられても、堂々と言い返していた〉。英語が苦手なのにもかかわらず外資系コンサルティング会社に入って体当たりで課題に取り組む。〈頼れるのは己だけ〉という過酷な状況でプログラミングの技術を高め、システムの開発に打ち込み、取引先や同僚の信頼を勝ち得ていく。

経済小説の三要素
 経済小説の成否を決めるのは情報性、人間性、娯楽性の三要素だ。実用的かつ文学的、エンターテインメント性があればなおいい。本作の奥行きを広げているのは転職先企業の状況が細部に渡るまで書き込めているからだ。P&Gではファブリーズを担当し、入社二年目にしてブランドマネージャーになる。プリングルス、パンパースと主力商品を担当する。上司のディレクターが小野に諭す。〈「いいか。マーケティング戦略と言っても、結局現場で働く営業が一番大事なんだ。だから我々は現場の声を積極的に聞いて、連携を密に取らなければならない」〉
 全編にあふれるこうしたリアリティーある会話に引き込まれる。畑違いのリーバイスではまずカルチャーショックに始まる。〈P&Gでは〝コンシューマー・イズ・ボス〟の考え方を基に、消費者が求めていることは何かという観点からマーケティングが始まる。しかしながら、アパレルブランドの場合は、自分たちがどういう商品を顧客に届けたいかという感性が出発点なのだ〉
 取材でしかすくいあげられないエピソード。会議で小野がコスト削減による値下げを提案したアジア本部社長に反論するシーンが小気味よい。〈「私は、特にユニクロの存在を考えた場合、仮に今エドウインと同価格にしたとしてもブランド価値を高めていかなければ将来的にはユニクロに総取りされるだけだと思います」〉

「青年社長」再び
 高杉作品といえば組織の暗部をえぐり、時の為政者にひつちゆうを加えるという、取材に基づく迫真力が魅力だった。世間を騒がせたあの事件のこの人物を思わせる生々しい物言いとすさまじい権力欲。対して、泥沼の現実の中で権力者と闘う中間管理職の苦悩と勇気。時代を切り取る経済小説の真骨頂がそこにある。
 時を経た今、高杉の円熟の筆は限りなく優しい。不条理を憎む反骨精神のしんにあったヒューマンでな魂が発露している。それは、『組織に埋れず』『青年社長』『雨にも負けず』と同様に、はつらつとした若者が仕事を通じて成長していく青春物語に昇華されている。それぞれの持ち場で奮闘する名もなき花に光を当ててエールを送る。これこそが高杉の神髄なのだ。本作で小野はモルソン・クアーズ・ジャパンやブルーボトルコーヒージャパンでトップに就くが、初心は少しも変わらない。私心を捨て去り、人々と正直、誠実に向き合い、筋を通す。「青年社長」は仲間を大切にしながら組織に命を吹き込んでいく。
 どんなに時代が変わっても守らなければならないものがある。それは家族であり、雇用であり、安心して人生を送ることができる平和な民主主義社会だ。戦後の混乱期に少年時代を送り、記者として作家として幾多の人間ドラマを見てきたからこそ、それらを脅かす時流や為政者に対して厳しい態度で臨んできたことが分かる。

アルチザン作家の気骨
 高杉は自分自身を「アルチザン(職人)」と呼ぶ。「取材七割、執筆三割」。書き始めた段階でもう七割が済んでいる。足軽く取材をして読み応えのある物語を紡げるのは天賦の才だ。八四歳で出すこの新刊への思いを聞きに東京・浜田山の自宅を訪ねた。「ここまで近寄ってやっと君の顔がわかるんだよ」と言ってぐっと顔を寄せてきた。
「こうやって四倍のルーペをみながら書くわけ。仕事は外が明るくてまだパワーもある午前中に限られる。朝食前にちょっと書いて、食後、本格的に書いて一一時半ぐらいでやめちゃう。これまで筆を折りたいと思ったことは何回もあった。もうそんなに働く必要もない、でもまだ書けると思い返す。作家の業と言った編集者がいたけど、ファンを思えば簡単に投げ出してはいけない、頑張ろう、集中しようと言い聞かせています。本格的な取材はもうできないけれど自伝的小説や短編などに向き合っています。何より書いているから元気でいられるしね」
(敬称略)

主要参考文献
堺憲一『日本経済のドラマ 経済小説で読み解く1945‐2000』(二〇〇一年、東洋経済新報社)
加藤正文「明日への航跡 同時代を語る 作家 高杉良さん」『神戸新聞』(二〇二一年)
黒木亮『兜町しまの男 清水一行と日本経済の80年』(二〇二二年、毎日新聞出版)
ほかに高杉良の作品、インターネットの記事などを参照した。

作品紹介・あらすじ



転職
著者 高杉 良
定価: 858円 (本体780円+税)
発売日:2023年05月23日

業界をまたいで転職を繰り返し、社長を目指した一人の男の物語。
野球選手への道をあきらめ外資コンサルに就職した小野健一。持ち前の体力でハードな研修を乗り越え、プロジェクトを成功に導いた小野だったが、社長になるという夢を叶えるために、転職することを決意する。マーケティングを武器に様々な業界を渡り歩いてキャリアを積み上げていくなか、小野はどんな逆境でもビジネスを成功に導く方法を模索する――。チャレンジし続ける小野の姿に勇気をもらえる、著者渾身の経済小説!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322201000351/
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