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レビュー

現代の熊本城へと受け継がれる「城取り」藤九郎の意志――『もっこすの城 熊本築城始末』伊東 潤 文庫巻末解説【解説:千田嘉博】

天下無双の名城・熊本城はこうして築かれた――。極上の築城ロマン!
『もっこすの城 熊本築城始末』伊東 潤

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

もっこすの城 熊本築城始末』伊東 潤



『もっこすの城 熊本築城始末』伊東 潤 文庫巻末解説

解説
せんよしひろ(城郭考古学者) 

 伊東いとうじゆん『もっこすの城 熊本築城始末』は、戦国時代から近世初頭に活躍した「城取り」 むらとうろうひでのりを主人公にした物語である。戦国時代の物語というと、どうしても武将に注目が集まる。そうしたなかで武将を支えた築城技術者「城取り」を主人公に据えて、激動の時代を描いた著者の着想は見事だと思う。
 私も城を説明するときに、「たとえば熊本城はとうきよまさが築いた」と記してきた。この説明は決して間違いではない。しかし堀や石垣・天守や御殿など、城を城として実際に築いたのは、藤九郎たち技術者だった。『もっこすの城』に接して、すました顔で武将だけに注目してきたのを反省したい。
 現代でも似たことがある。画期的な商品やサービスをヒットさせた会社の成功を、すべて社長のお手柄とするニュースに、誰もが接しているに違いない。もちろん社長の功績はあったと思う。しかし社長のビジョンを実現するために、駆け回った社員の存在は忘れがちではないか。光があたる武将や社長だけでは世の中はまわらない。
 武将が描いた理想の城を実現した「城取り」のように、ビジョンの実現に向けて懸命に努力する人がいるから世は動き、目指す未来に私たちは近づく。本作品には厳しい状況にあっても前を向いて進む人を応援する、著者の想いが貫いている。それは今を生きる私たちへのメッセージでもある。その思いに共感するから、難事に立ち向かう藤九郎たちへ惜しみない声援を送りたくなる。いつか自分の人生をふり返るとき、熊本城を見つめる藤九郎の心境に達するように日々を生きたい。
 さて藤九郎のような築城技術者「城取り」は、本当に戦国時代に実在したのか。史料に「城取り」の痕跡をたどりたい。一五五三(天文二二)年二月に偽の書状を作成したとしてちゆうばつされたまつださぶろうにゆうどうは「城作(つくり)」と記された(『天文御日記』)。また一五四六(天文一五)年八月に奈良県のたけうちじようを攻めて討死にした坂ノいち すけは「アキ(安芸)ノ国ノ住人」で「城ツクリ」だった(『多聞院日記』)。またのぶながと戦った大坂本願寺は「加賀国(石川県)より城作りを召寄せ」て守りを固めていた(『信長公記』巻一三)。
 戦国時代に築城のスペシャリスト「城取り」が「城作」「城ツクリ」として史料に現れ、彼らは城づくりだけでなく政治や戦いに関わったとわかる。しかし築城は高度な軍事機密なので、戦国期の築城の詳細は史料ではほとんどわからない。わずかに一五六五(永禄八)年より前に成立した『築城記』が、城の立地や、出入り口・堀のつくり方、さくや塀の建て方などをまとめていて、「城取り」の実務をうかがわせる(『群書類従』第二十三輯、武家部)。ただし今も残る各地の城は、まさに「城取り」の知恵と技術の結晶であり、城を訪ねれば「城取り」の世界を実感できる。
 さて本作品に登場する藤九郎の父・木村ろうもんただのりたかしげ)は、織田信長に仕えた普請奉行であり、卓越した「城取り」として描かれる。この高重に相当した人物は文字史料から確認できる。もとになった木村次郎左衛門尉は、一五八一(天正九)年九月六日に安土城の完成を記念して信長から御小袖を賜った職人頭のひとりで、絵画のかのえいとく、彫金のとうへいろうらとともにその名が見える(『信長公記』巻一四)。
 次郎左衛門尉は、安土城下の中心市街地だった常楽寺を本拠にした有力者で、城づくりだけではなく、勢多橋の普請にも近江の諸職人を束ねて関わったと判明している。織田信長は一五七六(天正四)年に近江のそまおおひきおけゆいふきたたみさしの統括権を次郎左衛門尉に認めていて、職人頭として大きな権限を与えた(天正四年一一月一一日付木村次郎左衛門尉宛織田信長朱印状)。さらに一五七七(天正五)に信長が安土城下に下した楽市令「安土山下町中掟書」には、町中にけんせき使などを入れるときに、福富平左衛門尉、木村次郎左衛門尉の両人に届けて判断に従うよう定めた。つまり次郎左衛門尉は、安土の町奉行に相当する役割も果たした多面的な人物だった。
 一五八二(天正一〇)年五月二九日、織田信長は安土城を発って京都へ向かった。六月二日に起きた本能寺の変によって、信長は二度と戻らなかった。その出陣にあたって信長が発令した「安土本城御留守衆」はげんじゆうろうをはじめ七名、二の丸番衆は蒲生がもう右兵衛大輔(かたひで)をはじめ一四名で、木村次郎左衛門(尉)は二の丸番衆のひとりだった(『信長公記』巻一五)。『信長公記』が記した二の丸がどこを指したかは、注意が必要である。現在二の丸と呼ぶところは、本来は詰丸と呼ぶべき空間である。だから現状の二の丸を『信長公記』が記した二の丸と考えるのは適切ではない。安土城中心部の設計と『信長公記』の記述を合わせて考えると、『信長公記』が記した「本城」は、天主や現在二の丸と呼んでいる詰丸を指し、「二の丸」は現在、本丸から三の丸と呼ぶ範囲を指したと考えるべきである。
 安土城の奥空間であった「本城御留守衆」の人数よりも「二の丸番衆」の人数が倍になっていたのも、実際の面積の差と一致して矛盾しない。そして賢秀や次郎左衛門尉は安土城中枢部の表御殿が建つ公空間を守備したと判明する。本能寺の変を受けて、賢秀が御上﨟衆を警護して安土城を出ると、「安土御構、木村次郎左衛門に渡置き」とあるように、次郎左衛門尉は安土城全域の防衛責任者になった(『信長公記』巻一五)。そして安土城山麓の城門・ばしぐちで戦って討死した。本作品が描いたように、次郎左衛門尉は近江の諸職人を率いて安土築城を指揮し、日頃は城下にあって治安を維持し、最後は安土の城と町を守って亡くなった。
 藤九郎は加藤家に仕官して、「城取り」の道を歩み始めたが、最初に肥後の治水工事を任された。城づくりの技術は治水・かんがいと関わりが深い。江戸時代の事例を紹介すると、鳥取城にある巻石垣は、治水のための堤防技術を城石垣の修理に応用したものだった。城を築く軍事技術が江戸時代になると民生技術に転用され、そうして受け継いだ技術が幕末に城を守った。
 つづいて藤九郎が携わったのは、文禄・慶長の役で朝鮮半島に設けた豊臣軍の防衛拠点・わじようの築城だった。本作品に登場する西セン 城やウルサン城は倭城の代表例で、とりわけ蔚山城は詳述されたように激戦の舞台だった。現地を訪ねると、蔚山城は最先端の石垣技術やそとますがたと呼ぶ鍵の手形に張り出した石塁を持つ出入り口を備えた堅城だったとわかる。しかし圧倒的な明・朝鮮連合軍の猛攻を受けて落城寸前に追い込まれた。その激戦の様子は佐賀の鍋島家が伝えた「朝鮮軍陣図屛風模本」(鍋島報效会蔵)が活写している。
 絵画資料や古文書によれば、蔚山城は土づくりの外郭(惣構え)を突破され、内城壁のいたるところで明・朝鮮連合軍が突入を図った。蔚山城の城兵がこれほどの危機を乗り越えられたのは、清正の卓越した指揮があったのに加え、「城取り」たちが技を凝らして強固な城を実現していたからだった。文禄・慶長の役終了後に、朝鮮側は倭城を調査して築城術の把握に努めており、倭城の強さが大きな驚きであったのを証明している。
 藤九郎を導いた加藤清正は、熊本築城の前に家中の技術者を選抜し、廃城になっていた安土城や当時日本最大の城であった豊臣大坂城に派遣して学ばせたという(『御大工棟梁善蔵聞覚控』熊本県立図書館蔵)。つまり清正は天下人の城を手本に熊本城を築いた。大志を胸に技術の大切さを理解した清正のもとで「城取り」たちが力を発揮したから、天下の名城・熊本城ができたのである。本作品でも藤九郎は大切なものを失いながらも天命を悟り、戦をしないための城・天下静謐のための城の実現に挑んでいった。
 熊本城の大天守の建築が、天守台から一階床面を外へ張り出す画期的な建築構造を取り入れたこと、屋根の雨水を効果的に排水する滴水瓦を用いたこと、大天守台石垣の隅を算木積みではなく重ね積みにしたことなど、本作品が描く熊本城の細部はすべて史実に基づいている。著者は戦国の城に精通して、多くの城の本を著している。まさに城を知り尽くした著者ならではのみつで的確な叙述である。
 藤九郎が持てる力を振り絞った熊本城は、二〇一六年の熊本地震で大きな被害を受けた。本作品が発表されたのは、地震からの修復が進む最中であった。その修復は今も続くが、熊本城調査研究センターを中心とした修復チームは、石垣の石ひとつもおろそかにしない精緻な復元を行っている。その結果、二〇二一年には従来は不足していたバリアフリー化も達成して、熊本城の大天守・小天守が強く美しい姿を取り戻した。もっこすの城は、藤九郎の意志を受け継ぐ二一世紀の「城取り」によって日々よみがえりつつある。本書を携えて、読者のみなさんに熊本城の雄姿を、ぜひ体感してほしいと願う。

作品紹介・あらすじ



もっこすの城 熊本築城始末
著者 伊東 潤
定価: 990円(本体900円+税)
発売日:2022年11月22日

天下無双の名城・熊本城はこうして築かれたーー。極上の築城ロマン!
天正10年、京都本能寺で織田信長が弑された。家臣の木村忠範は、自らが作り上げた安土城を守るため、城を枕に討ち死にを遂げる。残された嫡男の藤九郎は、一家を守るために猛将・加藤清正に仕官した。荒れ狂う菊池川の治水工事、死と隣り合わせの朝鮮出兵……。父の遺した秘伝書を武器に数々の困難をくぐり抜けてきた藤九郎は、ついに築城家としての檜舞台、熊本城築城に挑む。威風堂々、熱涙必至の長編戦国ロマン!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322207000250/
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