名手中村航の恋愛ロードノベル
『いつかこの失恋を、幸せにかえるために』中村 航
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『いつかこの失恋を、幸せにかえるために』中村 航
『いつかこの失恋を、幸せにかえるために』中村 航 文庫巻末解説
解説
感動を、どうやって人に伝えるか。
美しい光景を見た時、何気ない日常がいつもと違って見えた時、街で美しい人を見かけた時──もし自然と頭に音楽が流れたら、君は音楽家になると良い。その瞬間の絵を無性に描きたくなったら、画家になるのが良い。その場に自分がどういるべきかを考えたなら、役者を志そう。言葉が浮かんで書き留めたくなったなら、詩人か小説家になると良い。もしなにも浮かばないなら、感動を心行くまで味わえば良い。決して無理に、表現しようとせずに。
これは私が学生の頃、とある人に言われたことだ。以降、自分の人生の真理の一つとしてこの考え方がある。その人も、誰かから聞いたものらしく、出典は不明だ。
私の場合、その瞬間をどういうフレーム(ヒキかヨリか)で切り取るのかということ。そしてそのフレームの中にいる人は、いったい何をこちらに語りかけているのか、ということ。つまり、映像と言葉の両方が浮かんだ、欲張りなタイプ。そして映画監督になった。
今作に登場する槙田さんと、小学生の遥希くんは、きっと私と同じタイプなのではないか。そんなシンパシーを、感じた。
『いつかこの失恋を、幸せにかえるために』(旧題『#失恋したて』)は、もとは2019年に、小説アプリに連載されていた長編小説だ。スマホでも手軽に読めることを意識されていたのか、中村航さんの小説の中では、まず読み進めやすさという意味で一番ではないだろうか。
北の大地で、劇的な失恋をした大学生のなつき。就職活動もうまくいかず、自分の居場所や進むべき進路が見えずにいる。そんな中、彼女はある動画をきっかけに、父子家庭の親子と出会い、旅をすることに。シンプルなプロットの中に、魔法のようにたくさんの要素が詰め込まれていると感じた。
私が中村航さんの小説にはじめて出会ったのが『100回泣くこと』であったからだろうか、中村さんと言えば恋愛小説の名手、というイメージがあり、実際今作も、恋愛というテーマが一貫して描かれている。
物語の序盤、地質調査のアルバイトという独特な空間での恋の始まりから、突然切り出される終わりまでが丁寧に描かれる。その過程は、恋愛にありがちな、甘さに満ちている。ここで言う甘さとはすなわち、ロマンチックな響きと同時に、ある種共依存的であるというネガティブな意味も含む。
とにかくなつきは、甘い。夢見がちであり、相手のことを盲目的に信用する善き人である。そんな彼女が、一世一代の大失恋とでも言うべき人生の転機に直面し、やがて成長を遂げていく。恋愛の機微や心理を、読者は存分に味わうことが出来る。
物語の後半には、ロードムービーの要素が前面に出る仕掛けが用意されている。
なつきが食するもの、見る景色を自分も体験してみたいと読者の多くが思うだろう。失恋したなつきに同情心を抱いていたはずが、段々と彼女のことが羨ましくさえ思えた。サクサクパイも、うに丼もラーメンも、さんまんまも食べてみたい。ホタテタワーにも登りたい。
彼女はそれらに、純粋に感動する。ネットで拾った予備知識や、型にハマった称賛文句なしの、混じりけのない感動。対象物に等身大で向き合うからこそ、自然と沸き起こる感動。
その情感こそがまさに、失恋を癒す最大の特効薬として描かれるのだが、私は彼女の感動の仕方にこそ、強い共感を覚えた。
すなわちこの物語を、冒頭に書いた、感動を人にどうやって伝えるかということを知らずにいた女性が、知っていく話なのだと、私は理解したのだ。
彼女が旅先で出会う槙田さんと遥希くんは、おそらく体感的にそれを知っている。すなわち、映像だ。彼らは映像を使って、瞬間の感動を半永久的に残すことに、成功している。
彼らが大切にしている映像(映画)は、セルフドキュメンタリー的なものであり、槙田さんがディレクター兼カメラマンとして手持ちで撮影を続け、不器用に編集したものだろう。モノローグが多用された映像ということで、見る人が見ると退屈に感じてしまうものかもしれない。
しかしこういった類の映像は、説明を欲する心理を排除できるようなタイミングで見られた時、刻まれたポエジーが、視聴者にダイレクトに語りかけてくる場合がある。とても雄弁に、切なくも、楽し気に。
槙田さんの映画とはどんなものなのか、想像してみる。
マイクは、カメラについている簡易的なものではないか。
主人公なつきは、槙田さんの映画を鑑賞し、涙した。
これがもし失恋前の彼女であったら。隣にいる恋人に、シーンの意味を訊ねていたかもしれない。感想を聞きたいとか、どんな感想を言おうかという気持ちで途中から見てしまっていたかもしれない。その場合、槙田さんの映画はどれほど彼女の心に迫れただろうか。
孤独な時にこそ、人はもっとも感動するのかもしれない、と思う。
心がポジティブな方に動いたとしても、かつて抱いたことのない感情に身を包まれると、どうすれば良いのかわからず(どう記憶すれば良いかわからず)、戸惑うものだ。故に、他者を必要としてしまう。無理に言葉に変換してしまう。映えるかどうかが、最大の価値基準になってしまう。
決して、一人でいることを推奨しているわけではない。たとえば映画を見終わった後、感想を誰かと語り合う時間は至福である。
しかし隣に誰かがいたとしても、五感を働かせるのは、自分一人の力によるしかない。対象物を見ている時に私たちは紛れもなく孤独であり、だからこそ等身大で受け止めた感動は、手軽にラベリングされたそれと違って、新しい何かを生み出すのだろう。人との新たな繫がりだったり、表現者の場合は作品だったり。
旅の終わり、なつきは新たな境地に至り、次の人生を歩み出す。失恋の先に、独りでいる力を、彼女は知ったのだ。
なんとも言葉では表現しにくい、極めてパーソナルな感慨。これを一つでも二つでも持っておくことが、人生を豊かにする秘訣なのかもしれない。なつきは私に、そんなことを教えてくれた。
ところで中村航さんとは、ある映画の製作過程で出会って意気投合し、公私ともに仲良くさせていただいている。
中村さんは、小説だけではなく、作詞やアニメのストーリー原案、小説投稿サイトの運営や VTuber のプロデュースなど、あらゆるプロジェクトを手掛けていらっしゃる。なんとも「企み」に満ちた方である。
そしてその「企み」は、小説内にも密かに施されていた。作中、幸福駅のメッセージカードには、他の中村航作品を愛する方が読むと、ニヤッとできる遊び心が幾つか。
次の企みはどんなものだろうか。どんな新しい感動を、提案してくれるのだろうか。きっともう、中村さんの頭の中には、幾つもあるのだろう。
作品紹介・あらすじ
いつかこの失恋を、幸せにかえるために
著者 中村 航
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年11月22日
名手中村航の恋愛ロードノベル
就活苦戦中の大学生・なつきは、社会人の彼氏・亮平との将来を夢見ながら北海道旅行を計画、楽しい夏休みになるはずだった。でも待ち合わせ場所に彼は来ず、スマホには「別れよう」のメッセージが……! 皮肉にもそこは「幸福駅」。突然の失恋に呆然とするなつきは、母を喪った不思議な父子と遭遇、一緒に旅をすることになった。帯広から襟裳岬、釧路へ――喪失を抱えたなつきと父子が旅の果てで見たものとは?
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