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レビュー

この時代にこの国でサバイブしなければならない、すべての若者たちに贈るエンターテインメント――『JK II』松岡圭祐 文庫巻末解説【解説:タカザワケンジ】

TBS「THE TIME,」で話題の、青春バイオレンス文学!
『JK II』松岡圭祐

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

JK II』松岡圭祐



『JK II』松岡圭祐 文庫巻末解説

解説
タカザワケンジ(書評家)

 JKとは何か。
 女子高生(Joshi-Kosei)の略語だというのが、二〇二二年現在の日本での常識である。しかし本書を読めばJKがジョアキム・カランブー(Joachim Karembeu)の頭文字だと頭にたたき込まれるであろう。そしてJKという言葉の持つ軽くてキャッチーな響きが、ボディーブローのように重く鮮烈なものに変わるはずだ。
 本書は前作『JK』の続編にあたる。主人公はありさか。高校一年生だ。彼女は前作で、吹奏楽部に所属するかたわらダンスサークルで六人組のユニットを組み、放課後にK‐POPを見事に踊る少女として登場する。しかしある晩、紗奈とその両親が地元かわさきの不良たちに襲われてしまう。目の前で両親を殺され自身も陵辱される。鬼畜たちは証拠隠滅のためにクルマごと三人を燃やした。しかし、数カ月後、ストレートロングの黒髪の美少女が川崎に現れ、事件の関係者たちが次々に襲撃されていく。
 物語は『JK』で完結したかに見えた。しかし、この続編を読めば、前作が序章にすぎなかったことがわかるだろう。
『JK Ⅱ』では平穏な日常を取り戻した紗奈の視点で物語が始まる。日常を取り戻したと言っても、元通りの生活を送っているわけではない。両親はすでに亡く、戸籍上は彼女も死んだことになっている。顔も整形されて別人になった。ユーチューバー「ざき」を名乗りキレキレのダンスを披露して生活の糧を得る一方、他人の戸籍を使って住居を確保した。彼女はこの世に存在しない「幽霊」になったのである。
 しかしダンス動画を撮影中の紗奈の前に、前作で紗奈に煮え湯を飲まされた川崎の暴力団、ひらぐみのチンピラが現れる。「江崎瑛里華」が紗奈だと気づいた男は、ナイフとけんじゆうを手に紗奈に迫るが返り討ちに遭う。チンピラの死に疑念を抱いた川崎署の刑事、は「江崎瑛里華」のマンションを訪ね、DNA鑑定用のサンプルを持ち帰る。津田は紗奈が生きているのではないかと疑っていた。
 ヤクザと警察。いまや二つの組織が紗奈を追っている。しかし、物語は紗奈からいったん離れ、しぶ109に場所を移す。そこでヘロインの取引をしようとしていた衡田組はへまをやらかし、109に立てこもるという前代未聞の事件を起こすことになる。こうして『JK Ⅱ』は女子高生の聖地である渋谷109に舞台を移し、前作からさらにスケールアップした物語へと展開していくことになる。
『JK』の魅力はまず主人公、有坂紗奈の「強さ」にある。ジョアキム・カランブーの心得を支えに鍛えた心身は、平和な世界ではK‐POPのダンスに発揮され、危機に直面したことで格闘技へと転用された。『JK』第一作のエピグラフにいわく「きゆうは学ぶ。逆境が師となる。──ジョアキム・カランブー」。
 ジョアキム・カランブーとは何者なのか。人間を襲う野生動物ばかりの山で遭難し、たった一人でサバイブした人物だと言う。インターネットで検索する限り架空の人物のようだが、その教えは武道家、格闘家、アスリート、ダンサーなどジャンルを問わず、その道を究めた達人の言葉を凝縮したかのようだ。「ジョアキム・カランブーの心得」は生きる術を究めた人間のえいの集積とも言え、『JK』は紗奈を通して、そのしんげんを語り伝えるための神話といった趣もある。したがって『JK』を読むということは、ジョアキム・カランブーの心得を読み解くということでもある。
『JK Ⅱ』のエピグラフにもジョアキム・カランブーの言葉が引かれている。「〝火事場の馬鹿力〟とは愚かな幻想にすぎない」。この言葉をよく覚えておこう。そして、本書でこの言葉についてのくだりが出てきたときにみしめてほしいのだ。
 前作では窮鼠(窮した鼠、つまり追い詰められた弱者だ)である紗奈が、逆境できようじんな身体能力と智恵を身につけたのに対し、『JK Ⅱ』の紗奈はもはや窮鼠ではなく、血なまぐさい世界に適応したスーパーラットに成長している。作中で紗奈のトレーニング・シーンにページが割かれ、弱者が強者と戦うために編み出した戦術が詳述されるのは、その能力が不断の努力によるものだと読者に伝えるためだろう。
 紗奈は女子高生(JK)にしてジョアキム・カランブー(JK)思想の実践者なのである。JKにはこのようなダブルミーニングがあるわけだが、それも単なるわせ、洒落じやれではない。その理由はなぜ主人公が女子高生なのかにある。
 女子高生をJKと呼び慣らわすようになったのはいつからだろう。『現代用語の基礎知識』の2006年版に初登場しているから、いまの女子高生が物心ついたときにはJKという言葉で女子高校生が呼ばれていたことになる。この十六年、女子高生は大人の男性から「JKお散歩」や「JKリフレ」というような言葉で呼ばれる「JKビジネス」にかり出され、性的な対象として消費されてきた。しかし彼女たちは一方的に消費されるだけでなく、自分たちを「JK」と称することで、おしゃれや娯楽を消費する側に回るというしたたかな戦略も取ってきた。しかしそれが女子高生の性的消費をいんぺいしたい側にとって好都合だったことも否めない。
「隠蔽したい側」とは、男性中心につくられてきた社会を疑わない人たちである。世界経済フォーラムは、経済、教育、健康、政治の四分野における男女格差を数値化した二〇二二年版「世界ジェンダーギャップ報告書」で、日本を一四六カ国中一一六位としている。男女の格差は一向に埋まらずにいる。
 また日本は主に男性が女性に対する加害者となる性犯罪にも甘い。二〇一七年に性犯罪に関する刑法があらためられたが、実に一一〇年ぶりの大幅な改正だと言うから遅れているにもほどがある。しかも「ごうかんざい」から「強制性交等罪」に変更され、刑罰が重くなったとはいえ、その刑罰は最低三年以上の懲役が最低五年以上に引き上げられたにすぎない。「魂の殺人」と言われるレイプに対する罰として軽すぎはしないだろうか。
 紗奈は自身がれつな性被害に遭っている。ゆえに、被害に遭う女性たちを守ろうと動く。『JK』ではその強さの根底にあったのはふくしゆう心だった。しかし『JK Ⅱ』では暴力を振るわれじゆうりんされる側に立つという気持ちが強くなっている。紗奈の中で何かが変わり始めているのだ。
 作者のまつおかけいすけはすでに多数のベストセラー、映像化作品を世に送り出している人気作家であり、いまさら説明は必要ないだろう。ここでは『JK』を語るうえで参照すべき作品として、同じく女子高生が主人公の『高校事変』をまず挙げたい。全十二巻が完結したばかりの大長編である。どちらも主人公が制服姿で圧倒的な強さを見せる女子高生だが、二人のプロフィールは対照的である。
『高校事変』の主人公はゆう。父は七つの半グレ集団を率い、国家転覆をたくらみ死刑になった極悪人。幼い頃から身体能力を高めるための訓練を施され、銃や爆弾の扱いを学び、犯罪の知識を植え付けられて育った。いわば悪のエリートである。しかし結衣はその宿命にあらがい、父の遺志を継ごうとする異母兄と戦うことになる。
 一方、『JK』の紗奈は平凡な家庭に育った。それも現代日本の縮図のような家だ。父が勤める会社の業績が悪化し収入がダウン。紗奈は家計を助けるために介護施設とコンビニでバイトを掛け持ちしている。母は職場の過重労働からうつびようを患い家事すらできなくなっている。紗奈は家事を引き受け、母親の面倒も見るヤングケアラーでもあるのだ。彼女の境遇は厳しいものだが、すっかり貧しくなったこの国では決して珍しいことではない。紗奈は現代日本のごく普通の女子高生なのである。ジョアキム・カランブーの心得を実践していること以外は。
 この二人にもう一人のJK(女子高生)をおいてみたい。松岡圭祐の近作『ウクライナにいたら戦争が始まった』のである。琉唯は高校二年生。母と妹とともに、ウクライナに単身赴任中の父のもとへ向かう。首都キーウ郊外のブチャで暮らすことになった琉唯たち一家は、そこでロシアのウクライナ侵攻に遭遇する。彼女たち一家は突然戦争に巻き込まれ、国外脱出の道を自力で探さざるを得なくなる。
 この小説は現実に起きたロシアのウクライナ侵攻の日時、場所に基づいており、ウクライナからの帰国者の証言が反映されている。そのため日常から非日常へと変化していくプロセスがきわめて具体的に書かれている。ただし登場人物の造形は創作である。作者自身が冒頭で「女子高生の視点でつづられているが、私たち日本人の誰にでも、突然起こりうる問題としてお読み頂ければ幸いである」と読者に断っている。
 琉唯は戦後七七年経ち戦争から遠く離れた(ように感じている)日本人の代表であり、暴力と無縁に生きる非力な私たちの象徴なのである。琉唯は有坂紗奈とも優莉結衣とも違い、特別な身体能力もサバイバル能力も持ち合わせていない。しかし、それでも窮鼠のごとく平時には想像もしなかったであろう生命力を発揮する。
『高校事変』が大胆な「if(もしも)」の設定に、実在する場所や武器、格闘技などでみつに肉付けすることでリアリティを持たせたフィクションだとすると、『ウクライナにいたら戦争が始まった』はその逆に、事実を基にエンターテインメントの技量を存分に使い、報道では描かれない世界に踏み込んだフィクションである。
 では『JK』はどうだろう。『高校事変』はこの国のあり方、とりわけ安全保障と治安を問うスケールの大きな物語であり、ゆえに優莉結衣は常識破りの戦闘に挑まざるを得ない。一方、『JK』はいまのところ巨悪は登場していない。しかし巨悪ではないが、現実に多くの人を不幸にしている犯罪が次々に湧いて出てくる。身近に存在しながら誰もが目を背けている不都合な犯罪に対し、法治国家の外にいる「幽霊」である紗奈がたった一人で戦いを挑むのだ。
 そして、この三作には大きな共通点がある。それは、か弱くて非力、経験値が少なく未熟だと思われている女子高生が過酷な状況を生きのびるというドラマツルギーだ。作者は『JK Ⅱ』にこう書いている。

「ほんのわずかな時間で物事を達成できるはずがない、そんなふうにいいたがる大人は多い。(中略)実際にはそこに不可能などない。アスリートのピークは十代後半だ。なにごとにも否定的な人たちは、真に切羽詰まった状況で、カランブーのような心構えに身をゆだねた経験がないのだろう」

 私たちの目は偏見に曇り、事実を見ていない。生き抜くために智恵を絞り、死力を尽くす。それが人間という生き物の本質であり、生き抜く力は年齢や性別よりも個体差のほうが大きい。『高校事変』『ウクライナにいたら戦争が始まった』でも描かれてきた「サバイバル」というテーマが、よりソリッドにテーマとして浮上した作品、それが『JK』だと私は思う。だからこそ、生き抜くことを教えるジョアキム・カランブーの言葉が響くのである。もう一度作中から言葉を引用しよう。

「勝てなくてもまだ生きていれば、負けた経験が備わる。そこから負けないすべが見つかる」

 この先に紗奈が付け足すもうワンフレーズがあるのだが、それは本文を読んでいただきたい。ジョアキム・カランブーの心得はいまを生きる私たちの指針になる。とりわけ未来ある若者たちにとって有用だろう。この時代にこの国でサバイブしなければならない、女子高生を始めとするすべての若者たちに贈るエンターテインメント──それが『JK』なのである。

作品紹介・あらすじ



JK II
著者 松岡 圭祐
定価: 770円(本体700円+税)
発売日:2022年09月21日

TBS「THE TIME,」で話題の、青春バイオレンス文学!
K-POPダンスが人気のユーチューバー「江崎瑛里華」。ある朝、投稿用動画の撮影中に川崎の暴力団、衡田組のチンピラが現れた。瑛里華の正体に気づいた男はナイフと銃で脅し、連れ去ろうとするが返り討ちに遭う。残されたバッグの中から犯罪計画と思われるメモを見つけた瑛里華は、自分を“幽霊”にしたヤクザたちの悪行を潰すため、記された日時に渋谷109に向かう。女子高生の聖地で、凄惨にして哀しい少女の復讐劇が始まる!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322206001178/
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