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レビュー

不器用な「悪人」たちの「逃亡文学」――『逃亡小説集』吉田修一 文庫巻末解説【解説:酒井 信】

あなたは何から逃げたいですか?
『逃亡小説集』吉田修一

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

逃亡小説集』吉田修一



解説 不器用な「悪人」たちの「逃亡文学」

解説
酒井 信(文芸批評家)  

「逃亡」は「旅」と似ているが、戻るべき仕事や帰るべき家を失うという点で「文学的な影」を帯びる。本作は『犯罪小説集』が有していた「故郷喪失者が持つ影」を、逃亡劇を通して深掘りした、著者の「フロンティア(小説の最前線)」に位置する短編集と言える。
 吉田修一は「逃亡」して「現実逃避」をする人間の感情に、文学性を見出してきた作家である。デビュー作「最後の息子」は、新宿二丁目でおかまバーを経営する「閻魔ちゃん」の部屋に、無職の「ぼく」が援助交際のような形で「逃避」し、暴力沙汰に至る際どい内容だった。代表作『悪人』は、長崎の土木作業員の祐一が、偶然が重なって殺人事件の容疑者となり、自首すればいいものを、出会い系サイトで知り合った光代との恋愛に溺れて「逃亡」し、罪を深めてしまう内容である。
 吉田修一が描く「逃亡劇」は、登場人物たちの人生のどん詰まりのような地点からはじまり、喜劇と悲劇が背中合わせとなった「取り返しのつかない時間」の中で展開される。『逃亡小説集』は、沖縄県の伊平屋村、福岡県の北九州市小倉、長野県の佐久、北海道の網走など特徴的な土地を舞台に、それぞれの場所で人生の袋小路に行き当たった男女が、様々な理由で「逃亡」に踏み切る4つの短編を収録した作品集である。映画「楽園」の原作となった『犯罪小説集』と同様に、現実に起きた事件をモデルにしているが、モデルとして採用された事件は、一作品を除けば、有名なものではない。それぞれの登場人物が抱える「感情のなまり」が「逃亡事件」を引き起こすプロセスを描いた内容だと要約できる。
『逃亡小説集』は犯罪性よりも、帰るべき場所を失った人々の「人間性」や逃亡に至る「不器用な人生」に焦点を当てている点で『犯罪小説集』とは趣きを異にする。この短編集が映画化されるなら、ジャニス・ジョップリンや八代亜紀、ケイウンスクやUAなど、ハスキーボイスの女性歌手の歌声がテーマ・ソングとして似合うと思う。登場人物たちの「不器用な人生の底」に堆積した「人生の重さ」を感じさせる大人向けの小説である。
 例えば「逃げろ九州男児」に登場する秀明は、生活保護の申請に行った帰り道で、警察官に高圧的に「一通無視」を咎められて「もう、いいや……」と逃走する。この事件は、後部座席に母親を乗せて、市街地を車で逃走した2017年の松山市の暴走事件を想起させる。ただ北九州市を舞台にした本作では、突発的な「逃亡」に至る経緯=秀明の人生の描写に、「文学的な影」が宿る。
 秀明は高校卒業後、八幡製鉄所を想起させる職場で働いていたが、地味な仕事内容が嫌になり、職を転々とした後、先輩に誘われてはじめた輸入オリーブオイルの商売で失敗してしまう。地方都市に住む人々が経験してきた「平成不況」の深刻さを感じさせる内容で、借金の返済、失業と転職、母親の看病など、生活保護の申請に至る経緯がリアルだ。生活保護の申請について「正直、申し訳なかった」「ほんのいっときでいいから、助けて欲しかった」と感じた秀明に落ち度はなく、「いいんですよ、そんなにお気になさらなくて」とそれを受け入れた女性職員にも悪意はなかった。しかし若い警官に高圧的な対応をされたことで、秀明が抑えていた感情のたがが外れ、「逃亡劇」がはじまってしまう。
 本作は小倉と思しき街を舞台にして『悪人』の主人公・祐一の「別の逃亡劇」を描いた作品だと考えることもできる。福岡市を挟んで対称的な位置にある長崎と小倉は、重工業と炭鉱が主要産業だったこともあり、「ブルーカラーの街」という点で類似している。「逃げろ九州男児」は、ワイドショーに登場する人物が必ずしも「悪人」ではなく、様々な事情を抱えていることを物語る『悪人』の系譜に連なる秀作である。多くの犯罪が「感情の訛り」や些細なコミュニケーションの行き違いから生じていることを実感させるリアルな内容だ。
「逃げろ純愛」は、初期の短編「Water」や2004年にフジテレビ月曜九時枠のドラマにもなった『東京湾景』の系譜に連なる恋愛小説で、千葉県の中学校の教師の「奈々さん」が、元教え子の高校二年生の「潤也くん」と恋に落ちて沖縄の伊平屋島に「逃亡」する内容である。痛々しくも真っ直ぐな感情が綴られる交換日記の「青臭い言葉」が、「禁断の愛」を推進する燃料になっている点が面白い。奈々さんが「待ってよ、行かないで」と男に向かってすがり付くように叫ぶ描写が、初期の「Water」から2022年刊行の『ミス・サンシャイン』に共通する、吉田修一らしい「恋する女性」の造形と言える。
「逃げろミスター・ポストマン」は、網走から知床に至る道東の港町を舞台に、日本郵便の孫請けの運送会社で働く春也の逃亡劇を描いた短編である。この作品は2019年の5月に京都で起きた「ゆうパック運転手失踪事件」を想起させる。郵便の運送員の厳しい待遇と網走からウトロに向かう国道334号線沿いの風景が、読後の印象に強く残る。表題に採用された「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、ビートルズ版の男性的な曲調というよりは、原曲のマーヴェレッツ版(モータウン版)が持つ、郵便配達員を冗談交じりにからかうような艶っぽい曲調を想起させる。「逃げろ九州男児」の秀明も配送の仕事に従事していたことを考えれば、『逃亡小説集』は「ブルーカラーの労働者」を描いた短編が最初と最後を飾る、ブルーカラーの街=長崎出身の吉田修一らしい短編集だと言える。
 収録されている4つの作品の中で個人的に最も面白く、闇の深さを感じたのは、元人気アイドルの「マイマイ」が、夫が薬物使用で逮捕されたことをきっかけに「逃亡」する「逃げろお嬢さん」である。表題はピンク・レディーのヒット曲から採られたもので、作品の内容は2009年に酒井法子が約5日間逃亡し、覚せい剤取締法違反で逮捕された事件を想起させる。
「マイマイ」の逃亡をドッキリ番組の撮影と勘違いした「康太」が、カメラを意識した過剰な手助けをする展開が、オリジナリティが高く、現代小説らしくて面白い。芸能人を主人公として、ドッキリ番組と誤解した中年男性の視点を織り交ぜながら、「恋愛の演技性」を浮き彫りにしている点も上手い。
「マイマイ」が人気の凋落と共に「夫婦タレント」として売り出す必要に迫られ、素行の悪い夫と結婚して薬物使用に走る経緯が、アイドル固有の「内的な経験」として描かれている点に文学的な深みを感じる。「人間はどこでいつ誰に媚びるかで、その人の価値が決まる」という一節が、生き馬の目を抜くような芸能界の競争の苛烈さと「マイマイ」が歩んできた芸能人生の厳しさを物語る。一見すると恋愛小説のような内容を、無機質的な視点=カメラを介して冷めた視点で描いた点が秀逸で、『国宝』の系譜に連なる吉田修一らしい「芸能小説」と言えるだろう。『犯罪小説集』収録の大王製紙事件をモデルにした「」と併せて、今後の映画化が期待される名短編である。
 これまで吉田修一は、立身出世や「成長」を目指す「直線的な時間」に充実を感じる人物よりも、モラトリアム=円環的な時間に「逃亡」する人物を多く描いてきた。この意味で『逃亡小説集』は吉田作品らしい人物が登場する短編集だと言える。過去の吉田作品と比べると、逃亡する人物たちに「中年」の男女が多い点が本作の特徴で、就職氷河期世代と思しき彼らが経験してきた「逃亡に至る人生」は、平成不況以後の「時代精神」を体感させる。
 一般に不真面目な人間ほど何かから「逃亡」すると考えられている。しかし吉田修一は相応に真面目で、不器用であるがゆえに、「逃亡」すべき場所や人間関係からぎりぎりまで逃げ切れず、切羽詰まった「大逃亡劇」を引き起こして、周囲を騒がせてしまう人物を描く。吉田が『東京湾景』や『悪人』などの作品で、自身と性格の似た人物を主人公に据えていることを考えれば、このような登場人物たちの性格も、作者の実存から滲み出たものだろう。『逃亡小説集』は、「取り返しのつかない逃亡劇」に至る「円環的な時間」の流れとよどみを、不器用な「悪人」たちの「内的な事件」として浮き彫りにした、吉田修一にしか書き得ない「逃亡文学」である。

作品紹介・あらすじ



逃亡小説集
著者 吉田 修一
定価: 770円(本体700円+税)
発売日:2022年09月21日

あなたは何から逃げたいですか?
映画原作『犯罪小説集』とあわせてシリーズ累計20万部突破! 著者のライフワーク第2弾

「もう、逮捕でもなんでもしてくれんね」
高校卒業後、地元の北九州を出て職を転々としてきた福地秀明。特に悪いことをした覚えもないのに不幸続きで、年老いた母親と出口のない日々を送る秀明は、一方通行違反で警察に捕まった時、ついに何かがあふれてしまった。そのまま逃走を始めた秀明は……(「逃げろ九州男児」)。
職を失った男、教師と元教え子、転落した芸能人、失踪した郵便配達員――日常からの逸脱を描く4つの物語。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001839/
amazonページはこちら


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