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レビュー

シャーロック・ホームズの新作パスティーシュ――『新シャーロック・ホームズの冒険』ティム・メジャー 文庫巻末解説【解説:北原尚彦】

今度はトリオで謎解き!?
『新シャーロック・ホームズの冒険』ティム・メジャー

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

新シャーロック・ホームズの冒険』ティム・メジャー



『新シャーロック・ホームズの冒険』ティム・メジャー 文庫巻末解説

解説 
きたはら なおひこ(作家・ホームズ研究家)

 本作は、シャーロック・ホームズの新作パスティーシュである。
 シャーロック・ホームズは、アーサー・コナン・ドイルの生み出した名探偵。一八八七年に『いろの研究』で初登場し、以降、世界中で人気を保ち続けている。シリーズは全部で六十作あり、シャーロッキアン(ホームズ愛好家・研究家)は「正典」と呼ぶ。
 しかし世の中には、コナン・ドイル以外の作家が書いたホームズ物も存在する。今で言うところの「二次創作」である。ギャグにしたり正典にない要素(ドラキュラや火星人と対決させるなど)を導入したりしたものが、パロディ。コナン・ドイルの筆致を真似て真面目に書いたものが、パスティーシュである。
 例えばアンソニー・ホロヴィッツの『シャーロック・ホームズ 絹の家』は、本格パスティーシュ。正典のサブキャラクターを主人公にしたミシェル・バークビイの《ミセス・ハドスンとメアリー・ワトスンの事件簿》シリーズや、老境のホームズを描いたミッチ・カリン『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』などは、ちょっと変化球。では本作『新シャーロック・ホームズの冒険』はというと、『絹の家』同様の本格パスティーシュに分類されるだろう。
 さて、そんな本作を、シャーロッキアン的に分析してみよう。まずは年代学──事件の発生時期である。これは簡単に判る。テート美術館の開館が「およそ一年前の一八九七年の夏」であるとワトスンが記述しているので、一八九八年というのは間違いない。そして冒頭、「火のついていない暖炉」とも語られている。ロンドンは緯度が高い(日本の北海道よりも北にある)ため、春や秋でもちょっと冷えれば暖炉に火を入れる。よって、初春や晩秋ではなさそうだ。そしてレストレイド警部が、第二章で「春の朝ですから」と語っていた。結論として、一八九八年の晩春、と見てよいだろう。
 これを正典に当てはめるとどうなるか。正典の各事件の発生年月日については諸説あるが、ここでは日本で一番流布しているウィリアム・S・ベアリング=グールド説を採用させて頂く(これが「定説」というわけではないので、念のため)。
 ホームズとワトスンが『緋色の研究』で出会って同居を始めるのが、一八八一年。ワトスンが『四つの署名』でメアリ・モースタンと出会うのが、一八八八年。その後、ワトスンは結婚して家庭を持つ。一八九一年に「最後の事件」でホームズとモリアーティ教授が対決するまでが、ホームズの活動前期となる。その後〝大空白時代〟を挟んで、一八九四年に「空き家の冒険」でホームズが復活。これ以降が活動後期となる。
 というわけで、本作の事件は一八九八年に発生したので、ホームズの探偵活動の「後半の中ほど」ということになる。この年の夏は、正典の「踊る人形」や「引退した絵具屋」も発生しており、その数か月前というタイミング。ワトスンはベイカー街221Bを離れておらず、ホームズと同居している時期であった。
 続いて、建築学──ベイカー街221Bの間取りについて。ホームズとワトスンの居間は二階にあり、そこへ上がる階段は十七段だということは正典で記述されている。ホームズの寝室は居間と同じ二階にあるが、ワトスンの寝室は三階にある、という解釈が一般的。しかし本作では、ふたりとも寝室は二階にあるという設定になっている。これは、事件の展開が関係しているに違いない(ここで大変なことが起こってしまうのだ)。
 それから、地理学について。今回の事件はシャーロック・ホームズのホーム・グラウンドであるロンドンで発生した。被害者のバイスウッド氏は、ヴォクソール橋を渡ってヴォクソール公園で死亡する。ヴォクソール橋はテムズ河にかかる橋で、正典にも登場する。『四つの署名』で、ホームズ&ワトスンとミス・モースタンを乗せた馬車がサディアス・ショルトー宅へ向かう途中で渡ったのがこの橋である(角川文庫版三十五ページ)。また同事件の終盤、テムズ河での大追跡を終えて、ワトスンが警察の汽艇を降りたのもこの橋のところである(同百六十五ページ)。ワトスンはそこから〝収穫〟を持ってミス・モースタンに会いに行く……という具合に、ここはある意味、ワトスンにとって想い出の地でもあるのだった。
 キャラクターについて。本作でシャーロック・ホームズは美術的な知識を披露しているが、彼の祖母が実在のフランスの画家の妹である、というのは正典に出てくる公式の設定。その画家とはエミール・ジャン=オラス・ヴェルネで、その事実は「ギリシャ語通訳」で語られている。
 ワトスン博士は今回、ホームズの伝記作家たる地位を脅かされる(少なくとも本人はそう考えた)。第十五章でミス・ムーンはワトスンを『サミュエル・ジョンソン伝』の作者ジェイムズ・ボズウェルと比較してみせるが、これは正典を踏まえてのこと。「ボヘミア王のスキャンダル」で、ホームズはワトスンのことを「ぼくのボズヴェル」と呼んでいるのだ。
 その他、ハドスン夫人やレストレイド警部といった正典でおみのメンバーも登場する。レストレイド警部の外見が何に似ているかについては、正典では「ブルドッグ」「イタチ」「ネズミ」などとばらつきがあるが、本作では「イタチ」が採用されている(第二章冒頭、彼がベイカー街221Bを訪ねてくるシーン)。
 さらに、マニアックなトリビアをひとつ。第十六章で、ミス・ムーンの書いた『ワトスンとホームズ:友情の研究』という原稿が出てくる。原文では『Watson and Holmes: A Study in Friendship』。シャーロッキアンとしては是非とも読んでみたいところだが、これはおそらく(ミス・ムーンと同様に女性探偵小説作家であるところの)ジューン・トムスンの『ホームズとワトスン──友情の研究』(原題『Holmes and Watson: A Study in Friendship』)のもじりであろう。
 本作を読んで他のホームズ・パスティーシュを読んでみたい、という方には、先述のアンソニー・ホロヴィッツ『シャーロック・ホームズ 絹の家』や、ジューン・トムスンの『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』に始まる短篇集シリーズをお勧めしておく。アドリアン・コナン・ドイル&ジョン・ディクスン・カー『シャーロック・ホームズの功績』や北原尚彦『シャーロック・ホームズのしゆうしゆう』は、コナン・ドイルの正典そっくりなものを求める読者に勧めているが、ホロヴィッツやトムスンはそこに作者独自の〝観点〟が加わっている、とわたしは考えている。本作『新シャーロック・ホームズの冒険』も、そこが似ていると思うのだ。本作におけるその観点とは、ミス・ムーンの生活を通して描かれる〝ヴィクトリア朝の女性の立場〟だ。
 ヴィクトリア朝は、女性が自由に生きることはできない時代だった。大人の女性は、あくまで「夫の付属物」としてしか認められなかったのだ。裕福な生活を送っていた女性でも、場合によっては夫が死んだらその遺産は夫の兄弟へ行ってしまい、いきなり無一文で放り出されてしまうこともあり得た。女性が体面を保って「働く」ことも難しく、それが許されるのは女家庭教師(ガヴァネス)やタイピストぐらいだった(ホームズ正典にも、そのようなキャラクターが登場する)。
 そんな時代で、ミス・ムーンのような生き方をするのは、極めて難しかったのである。当時の女性、ミス・ムーンの生き様については訳者の駒月雅子さんが訳者あとがきの中で丁寧に書いておられるので、そちらもお読み頂きたい。
 著者ティム・メジャーの、ミス・ムーンに代表されるヴィクトリア朝の女性への眼差しは優しい。その分、ワトスンが普段以上に辛い目にあっているような気もするが……。
 著者略歴については、やはり訳者あとがきを参照願いたい。とはいえティム・メジャーはこれからもホームズ・パスティーシュを発表する予定(二〇二二年内に二冊)があるので、今後の活躍に大いに期待したい、とだけはパスティーシュ/パロディ好きシャーロッキアンとして申し上げておく。

作品紹介・あらすじ



新シャーロック・ホームズの冒険
訳者 駒月 雅子著者 ティム・メジャー
定価: 1,188円(本体1,080円+税)
発売日:2022年08月24日

今度はトリオで謎解き!?
世界中で愛されるシャーロック・ホームズシリーズに新たなパスティーシュ作品が登場!
小説家の創作ノートから本物の殺人事件が生まれ。ホームズが難事件に挑む!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000795/
amazonページはこちら


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