高齢ドライバーによる死亡事故、それは本当に〈老いの宿命〉だったのか?
『震える天秤』染井為人
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『震える天秤』染井為人
『震える天秤』染井為人 文庫巻末解説
解説
「三面記事」という言葉がある。新聞の一面や二面に載るような政治・経済の記事ではなく、社会面の記事を指す言葉だ。しかし、犯罪や事故の報道でも、大規模なものや衝撃度が著しいものは一面に載ることもあるので、三面記事という言葉にはそこまで大きな事件・事故ではないというニュアンスも感じられる。新聞以外の媒体、例えばTV報道や週刊誌の場合は、報道の順番などで事件に格差がつけられることになる。
とはいえ、一見よくある事件であっても、当事者にとっての衝撃は大事件と変わりはないし、その種の事件の背景に、実は思いもよらない深刻な事情が隠れている場合もあるだろう。
著者は一九八三年生まれ。介護の仕事や派遣会社勤務を経て、芸能プロダクションでティーン向け雑誌のモデルのマネージャーとなり、二○一二年にはソメイヨシノ名義で児童書籍『うちらのオーディション物語』を刊行している。やがて演劇プロデューサーとして活躍しはじめるも、毎日時間を問わずかかってくる電話から逃げて、ひとりで静かに仕事がしたいと思うようになり、二年ほどかけて初めて書いた小説『悪い夏』で二○一七年に第三十七回
この『悪い夏』は、生活保護の不正受給をめぐってエゴイスティックな人々が引き起こす騒動を描いている。著者は他の作品でも社会的テーマを扱うことが多く、『
また著者の小説では、どうしようもない悪党が登場することはあっても、彼らが絶対悪として描かれるとは限らないし、善人の中に潜む悪が描かれる場合もある。『正義の申し子』(二○一八年)の主人公二人は、正義のユーチューバーを自称しつつ家庭では妹に暴力を振るう引きこもり青年と、彼のターゲットになった悪徳請求業者であり、いずれもまっとうな人間とは言い難いけれども、ある事件に巻き込まれたことから彼らは悪と戦うことになる。『正体』(二○二○年)では、一家三人を惨殺した罪で死刑判決を受けた男の逃避行を通じて、彼に接触した人々のさまざまなリアクションを描いている。『鎮魂』に登場する凶悪な半グレ集団のメンバーにすら、子供にだけは父親の自分を見習わずまっとうに育ってもらいたいと考える者や、過去の罪を
本書もまた、そのような著者の作風の二つの特色が
主人公は、三十七歳のフリージャーナリスト、
現地に到着した律は、昇流の父親で事故現場となったコンビニのオーナーの石橋
当初、律は編集長の指示通り、高齢者の運転問題という方向性で取材を進めようとする。この観点からまとめるのであれば、被害者がどのような人物であろうと、記事の方向性に何か影響があるわけではない。しかし、関係者から話を聞くにつれて、コンビニの補償問題、被害者や遺族の裏の顔といった、記事の題材として興味深そうな話題が次々と現れる。そして、加害者である落井正三について調べるうちに、律の中で疑念が濃くなってゆく。落井は、半年ほど前に山崩れの被害に遭い、間もなく廃村が決定している
俊藤律は決してヒーロー的な人物ではなく、むしろミステリの主人公としては平凡なタイプだろう。だが、彼にはジャーナリストとしての正義感と、気になったことは徹底的に調べずにはおかない探究心があり、そのため、取材者に食いついて離れない執念深さも持つ。ただし、過去にある人物の罪を報道したことが、その後に起きた悲劇の原因になったのではないかという苦い思いも胸に秘めている。そんな彼が今回の取材の果てに
ミステリファンであれば、本書からアガサ・クリスティーのある長篇や、
ラストにおける律の選択については賛否両論あるだろうが、その彼の立場を相対化するのが、元妻で裁判官の
ありふれた三面記事のひとつひとつに、実は思いがけない真実が、そしてそれを報道する人間の迷いが隠されているのかも知れない。本書は、社会派ミステリとしてのテーマ性を通して、外部からは容易に窺い知れない人間の思いの謎を描いた著者らしい小説である。
作品紹介・あらすじ
震える天秤
著者 染井 為人
定価: 858円(本体780円+税)
発売日:2022年08月24日
高齢ドライバーによる死亡事故、それは本当に〈老いの宿命〉だったのか?
高齢男性の運転する軽トラックがコンビニに突っ込み、店員を轢き殺す大事故が発生。
アクセルとブレーキを踏み違えたという加害者の老人は認知症を疑われている。
事故を取材するライターの俊藤律は、加害者が住んでいた奇妙な風習の残る村・埜ヶ谷村を訪ねるが……。
「この村はおかしい。皆で何かを隠している」。
関係者や村の過去を探る取材の末に、律は衝撃の真相に辿り着く――。
横溝賞出身作家が放つ迫真の社会派ミステリ!
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