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世界を、自分の人生への信頼を諦めていない。それこそが本作の重要なテーマであり、希望である――『スワン』呉勝浩 文庫巻末解説【解説:瀧井朝世】

銃撃テロを生き延びた五人。彼らは何を隠しているのか、何を恐れているのか
『スワン』呉勝浩

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

スワン』呉勝浩



『スワン』呉勝浩 文庫解説

解説
たき あさ

 埼玉県のベッドタウンにある国内最大級のショッピングモール、がわシティガーデン・スワン。この施設で四月八日の日曜日の午前十一時、惨劇が起きる。男二人が日本刀や3Dプリンタで作製した大量の銃を携えて施設の両側から侵入、約一時間にわたって動画を撮影しながらさつりくに及んだあげく自害したのだ。死者二十一名、重軽傷者十七名。映像は当日、複数の動画サイトに投稿された。そのてんまつが七十ページ近くにわたり複数の視点から克明に記されていくが、これはプロローグだ。
 かつひろの九作目となる本作『スワン』は二〇一九年に単行本が刊行され、翌年第四十一回吉川英治文学新人賞、第七十三回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞した。また、著者にとって初となる直木賞ノミネートも果たしている。
 中学生時代に映画の面白さに目覚め、大学では映像学科に進んだ著者だけに、小説の創作でも映画からインスピレーションを得ることは多いようだ。単行本刊行時に何度かインタビューする機会があったが、その際、本作の外郭を作ったのはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『静かなる叫び』(二〇〇九年)とケネス・ロナーガン監督の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(二〇一六年)だったと語ってくれた。
『静かなる叫び』は一九八九年にカナダのモントリオール理工科大学で実際に起きた銃乱射事件を題材とし、事件当日の犯人の青年や被害に遭う複数の学生たちの様子をじっくり追っていく作品だ。生き残った学生のその後も少しだけ描かれるが、これが突き刺さる。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は主演のケイシー・アフレックがゴールデングローブ賞やアカデミー賞で主演男優賞を受賞した話題作のため、観た人も多いだろう。ボストン郊外で便利屋を営むリー・チャンドラーが兄の危篤の知らせを受けて故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに向かうが間に合わず、さらに兄が遺言で高校生のおい、パトリックの後見人に自分を指名していると知る。パトリックと一緒に暮らすために故郷に戻らなければならなくなるリーだが、彼にとってこの町には辛い記憶があるのだった。
 無差別殺人を扱った『静かなる叫び』は分かりやすいが、『マンチェスター~』がなぜヒントになったのか。この二作が共通して〝悲劇のその後〟を描いていると考えれば理解できるだろう。『スワン』も無差別殺人そのものではなく、事件当事者の〝その後〟を描いた物語なのだ。
 思えばデビュー作『道徳の時間』や『スワン』の次に発表した『おれたちの歌をうたえ』など、著者のいくつかの作品は悲惨な事件のその後を扱っている(ネタバレになるものもあるので詳しくは書かない)。理不尽な出来事に直面した人々がその後どう生きるのかは、著者にとって大きなテーマなのかもしれない。それはサバイバーズ・ギルト(災害や事故で生き残った人々が抱く罪悪感)の問題だけにとどまらない。
 そのテーマ性は事件の後日に開かれる奇妙なお茶会の様子から明らかになっていく。大手企業の取締役社長の母で、事件で命を落としたよしむらきくの死の真相を知るために開かれたこの集まりに呼ばれたのは五人の男女。視点人物となるのは女子高校生のかたおかいずみだ。彼女はスワン内のスカイラウンジで犯人が九人を射殺後自害した現場に居合わせており、他の被害者を見殺しにしたと世間からぼう中傷を浴びている。まだ16歳の少女に対して非常に過酷な仕打ちであるが、いずみは非常に冷静だ。事件について詳細に調べる彼女は懸命に現実、そして自分の苦痛と闘っているように見える。だが二一四ページ二行目の彼女の心のつぶやきに、読者はぎょっとさせられる。いずみが抱える秘密は何か。そう、本作は犯人捜しのような分かりやすいミステリではない。

 本作ではいくつもの理不尽が描かれる。まずは何よりも、大量無差別殺人。犯人たちの動機は短絡的であり、スワンにいた人々の大半は彼らとは無関係だ。因果関係があればよいわけではないが、理由もなく突然ここまでの恐怖にさらされることがあっていいのか。事件後、いずみが教師のあゆかわにバレエ『白鳥の湖』のチャイコフスキーのオリジナル版と改変されたプティパ版について語る場面が象徴的で、事件に対する思いもうかがえる。

「でもチャイコフスキー版のほうがマシだと思うところもあります。(中略)悪意に筋道がついている感じです。それがプティパ版ではぞんざいになる。王子やオデットに向けられる魔女の悪意に理由はなくて、としか思えないほど理不尽なんです」

 次に、マスコミや世間のれつな反応。昨今のSNS社会だからこその現象だろう。初めは事件の犯人たちが責められ、次に警察の対応がやり玉にあげられ、その次に警備員たちが批判され、そして、いずみも標的となる。しかし彼女に何ができたというのだろうか。緊急事態において、人は冷静に行動できるだろうか。冷静に行動したとして、それが正解だといえるのか。不測の事態が起きた時に下した決断が正解だったのか誤りだったのかは、結果が出なければ分からない。もしいずみが違う行動をとっていたとしても、それが理想的な結果になったとは限らないのだ。しかし無関係な人間は事後に、あたかも自分だったら〝正解〟の行動がとれたかのように人を断罪する。苦しいのは、どうしても被害者である当人も、自分を責めてしまう点だ。いずみも語っている。

「(略)あのときなかった選択肢が、まるであったかのように思えてくるんです。どうしてその選択肢を、正解を、わたしは選べなかったんだろうって」

 事件とは直接関係のないところで個人的に刺さったのは、いずみが鮎川から、劣等感から彼女をいじめていたふるたち小梢こずえが克服して前に進んでいる、と言われた時の思いだ。

〈待ってよ、と思った。適当な美談にしないでくれ、と。彼女のせいでわたしが受けた屈辱や孤独や、痛み。それを勝手に、彼女が成長するための、小石程度のハードルに置き換えないで〉

 その心の叫びは痛いほどよく分かる。いじめ事件ではよく、このように周囲の人間がいじめられた側に理解を求めるケースがある。都合のよい物語を仕立て上げて被害者に押し付ける残酷さは、スワンの事件での世間の反応にも通じている。
 では、物語を作ることは罪なのか。本書はそこにも踏み込んでいく。〈どんな方法を使っても、ほんとうを正しく伝えるなんて不可能で、だからわたしたちはこの先、とてもわかりやすく黒と白に塗られた世界で生きていくほかないのだ〉と考えるいずみは、やがてある決断を下す。それはあきらめではなく、〈世界への信頼が回復〉するための手段だ。想像を絶する苦しみの中にいるのに、彼女はまだ、世界を、自分の人生を諦めていない。
 この先いずみはどのような人生を辿たどるのか。実は『静かなる叫び』も『マンチェスター・バイ・ザ・シー』も、悲劇を完全に乗り越える話ではない。きっと彼女も一生心の傷を抱えていくだろう。だがいずみは、世界を、自分の人生への信頼を諦めていない。それこそが本作の重要なテーマであり、希望である──と思うのだが、著者は執筆開始時にそこまで意図していなかったようだ。
 呉勝浩は事前にプロットを作るタイプの作家ではない。それを承知してもなおインタビューで度肝を抜かれたのは、第一回のお茶会でのいずみの「スワンにいませんでした」という台詞せりふは、その場面になるまで考えていなかったという話。つまり、その先の展開もノープランだったのだ。だからこそ登場人物たちの言動が予定調和的でないのだと納得するが、それであの胸打つ終盤にまで持っていく筆力に感服してしまう。それはこの物語を無理に悲劇を乗り越える美談に仕立て上げようとせず、誠実にいずみという少女と向き合ったからこそ、たどり着いた結末なのだろう。こういう希望のあり方を書いてくれる作家がいるという事実は、少しだけ、〈世界への信頼の回復〉へとつながっている。

作品紹介・あらすじ
『スワン』呉勝浩



スワン
著者 呉 勝浩
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年07月21日

銃撃テロを生き延びた五人。彼らは何を隠しているのか、何を恐れているのか
ショッピングモール「スワン」で無差別銃撃事件が発生した。死傷者40名に迫る大惨事を生き延びた高校生のいずみは、同じ事件の被害者で同級生の小梢から、保身のために人質を見捨てたことを暴露される。被害者から一転して非難の的になったいずみのもとに、ある日一通の招待状が届いた。5人の事件関係者が集められた「お茶会」の目的は、残された謎の解明だというが……。文学賞2冠を果たした、慟哭必至のミステリ。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001837/
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