文庫解説 文庫解説より
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影なる名探偵としての戦略とテクニックが最大の読みどころ。著者ベネットによる「女王陛下の逆襲」――『エリザベス女王の事件簿』(S・J・ベネット著、芹澤恵訳)文庫巻末解説【解説:大矢博子】
容疑者10名!90歳の女王が難事件に挑む!英国10万部、18カ国で翻訳
『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』(S・J・ベネット著、芹澤恵訳)
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』(S・J・ベネット著、芹澤恵訳)
『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』文庫解説
解説
世界十八ヶ国で翻訳され、イギリスだけでも十万部(二〇二二年六月現在)を突破したという人気作が、いよいよ日本上陸だ。女王陛下が名探偵! なんとワクワクする設定だろう。
それも架空の人物ではなく、英国の現在の女王として知らない人のいない、あのエリザベス二世がミステリの主人公として活躍するのである。
実はエリザベス女王は、これまでも多くのミステリに登場している。本書に近いのは、C・C・ベニスン『バッキンガム宮殿の殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)に始まる「女王陛下のメイド探偵ジェイン」シリーズだろう。バッキンガム宮殿やウィンザー城で起きた事件を解決するため、エリザベス女王がメイドに調査をさせて情報を集めるという趣向である。
若い頃のエリザベス王女が登場するミステリなら、アリスン・モントクレア『王女に
ミステリ以外なら、アラン・ベネット『やんごとなき読者』(白水Uブックス)が印象深い。齢八十にして突如読書の愉しみに目覚めたエリザベス女王が巻き起こす大騒動と感動の物語である。女王自身の生涯を描いたドラマ「ザ・クラウン」(Netflix)も人気だ。
これらに共通するのは、エリザベス二世は本当に愛されているのだなあ、と感じさせてくれること。それぞれキャラクターには若干の違いはあれど、どの話の女王陛下もキュートで、思慮深く、機知に富んでいて、茶目っ気がある。書き手の敬愛の念が
それほどイギリスでは王室が身近なのだろう。お国柄の違いと言ってしまえばそれまでだが、日本で現役の皇族を主役にしたエンターテインメントが書けるかというと難しいのではないか。P・G・ウッドハウスの「ジーヴス」シリーズがお好きとおっしゃっていた上皇后陛下なら面白がってくださるかもしれないが。
閑話休題。
したがって本書も「お、また女王陛下モノですね?」と気軽な気持ちで読み始めたのだが、ページが進むにつれて思わず座り直した。そこには、従来にない新たな試みがあったからだ。
物語の始まりは二〇一六年四月。ウィンザー城で女王主催の
女王、つまり最高権力者が探偵というのは、ひとつ間違えばチート技だ。女王の権力を
面白いのは、ロージーに前任者がいること。歴代の秘書官がこれまでもこっそり陛下の調査の手助けをしていたことが途中で明かされる。これにより、今回の一件が陛下の勇み足や気まぐれではなく、若い頃から謎解きに
そしてロージーの他にもうひとつ、表立っては動けない女王が名探偵になるための極めて大事な要素がある。これこそがこの物語の最大の特徴なのだが、女王は自らの命令という形ではなく、極めて巧妙に、本人が自分で気づいたと思わせるような形で関係者を真相に誘導するのである。
いやあ、これには感心した! さすがに女王陛下が謁見の間に関係者を全員集めて「あなたが犯人です」みたいなことはしないだろうが、ロージーに探偵の役を演じさせるのかなと思っていたのだ。しかしこんな方法があったとは。陛下が名探偵であることを周囲に気付かせず、捜査関係者が自発的に解決したと思い込ませる──これなら、陛下は他者の職分を侵すことなく事件を解決できるではないか。
他者の職分を侵さない──これは実はとても大事なことだ。作中にこんな言葉がある。
「女王と王室は、絶対的な忠誠を規範として日々の生活を営んでいる。王室は女王のために、女王は王室のために忠誠を尽くすのだ」「バルモラル城からバッキンガム宮殿、ウィンザー城、サンドリンガム・ハウスにいたるまで、何百人という大勢の使用人たちはみな家族なのだ。彼らは、困難な時代を通じて九十年近くにわたり文字通り女王を養い、国民が不平不満を言い立てるときには女王を守る盾となってきた」
家族だからこそ、忠誠を誓っているからこそ、女王は彼らを尊重する。彼らの邪魔はしない。それぞれが自らの仕事の中で自ら手がかりに気づけるよう、彼らが過剰な恩義や引け目を感じることのないよう、目配りと気配りをしつつ誘導しているのである。どうやって誘導するのか、その戦略とテクニックが本書の最大の読みどころと言っていい。
これは忠誠の物語なのだ。女王と王室、互いの忠誠ゆえに成立する、影なる名探偵。これこそが本書の試みなのである。
このような「操り型」の探偵にしたのには、もうひとつ理由が考えられる。
MI5の長官は、女王のことを「頭の鈍い老婦人」だと思っている。秘書官のサイモンは女王を守って差し上げるべきか弱い女性だと思っている。ロンドン警視庁の警視総監は、女王に残酷な事件の話はすべきではないと考えている。九十歳の女王という外側だけ見て、高貴な老人とはこういうものと勝手に思い込んで、
女王はそれを決して否定しない。むしろ利用して物事を都合の良い方に運ぶ。すでに女王がお見通しなことを知っている読者は、MI5の長官が鼻高々に女王に「教えて差し上げる」のを見るにつけ、にやにやしてしまうことだろう。九十歳の老婦人の手のひらの上で、働き盛り分別盛りの男たちがコロコロと転がされるのだから。
とても痛快な場面である。女王という特殊な環境で九十年を生きてきた、「普通」を知ることのないまま国民の勝手なイメージを負わされ、それを裏切ることを許されなかったひとりの女性の、本当の強さというものがここに描かれている。
著者のS・J・ベネットのインタビューによれば、女王が「帽子をかぶった小さなおばあさん」として過小評価されているように感じたという。だから本書はベネットによる「女王陛下の逆襲」なのだ。人を誘導して事件を解決させ、自分は何も知らなかったと思わせる。これは見た目だけで言えば、「現実と変わらない」のである。つまり、あの「帽子をかぶった小さなおばあさん」は、もしかしたら実際にこの物語のようなことをやっているかもしれない、その可能性は否定できない……それこそがベネットの企みだったのではないだろうか。
ああもう、最高の上司だ。こんな女王陛下、好きにならずにいられないじゃないか!
こちらもイメージ通りのフィリップ王配殿下が物語を明るくしていること、王室の職員と女王の間に流れる細やかな気遣い、ロージーの
本書の原題は“THE WINDSOR KNOT”、ネクタイの結び方でお
作品紹介・あらすじ
『エリザベス女王の事件簿』
エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人
著 S・J・ベネット
訳 芹澤 恵
定価: 1,430円(本体1,300円+税)
発売日:2022年07月21日
容疑者10名!90歳の女王が難事件に挑む!英国10万部、18カ国で翻訳
ウィンザー城で若い男の遺体がクロゼットから発見される。晩餐会に呼ばれたロシア人ピアニストで、遺体はあられもない姿だった。事件について城では箝口令が敷かれ、警察とMI5はロシアのスパイによるものと見なし捜査するが、容疑者が50名もいて難航する。でも大丈夫。城には秘密の名探偵がいるのだ。その名もエリザベス2世。御年90歳。世界最高齢の女王が華麗に事件を解決する!英国で10万部突破、18カ国で翻訳。解説・大矢博子
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