文庫巻末に収録されている「解説」を公開!
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(解説者:大矢博子 / 書評家)
過去の名作を、現代を舞台に翻案するといった試みはこれまでも多くの例がある。たとえば近年の小説だけに絞っても、森見登美彦『新釈 走れメロス 他四篇』(角川文庫)、小泉八雲を下敷きにした柳広司『怪談』(講談社文庫)、尾崎紅葉の『金色夜叉』を現代に置き換えた橋本治『黄金夜界』(中央公論新社)など、枚挙に遑がない。映像の世界では「シャーロック」(BBC)の大人気も記憶に新しい。
江戸川乱歩も、海外のミステリを日本を舞台に置き換えた翻案小説を執筆している。『白髪鬼』はマリー・コレリ『ヴェンデッタ』を、『幽霊塔』はアリス・マリエル・ウィリアムソン『灰色の女』を、『鉄仮面』はフォルチュネ・デュ・ボアゴベイ『サン・マール氏の二羽のつぐみ』を、それぞれ黒岩涙香が翻案したものの再翻案だ。また、乱歩が直接翻案を手がけた作品として、イーデン・フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』を下敷きにした『緑衣の鬼』、ジョルジュ・シムノン『サン・フォリアン寺院の首吊り人』をベースにした『幽鬼の塔』などがある。おそらく多くの乱歩ファンは、それぞれの原作と読み比べた経験が少なからずあることだろう。
翻案に限らず、乱歩の膨大な作品は多くの読者を魅了し、今も読み継がれている。そしてその人気ゆえに、乱歩作品を下敷きにしたオマージュやパスティーシュも、それこそ数え切れないほど多い。本書の著者・歌野晶午にも、乱歩が登場する作中作を含む『死体を買う男』(講談社文庫)がある。
そしてここにまた、乱歩を翻案した作品集が登場した。
本書に収録されている七編はいずれも乱歩の中短編を現代を舞台に翻案している。それぞれ何が下敷きになっているかは各編冒頭に記されているが、あらためて一編ずつ、その内容と工夫を紹介していこう。
「椅子? 人間!」
作家・原口涼花のもとにかつての交際相手・渡辺明日路からメールが届く。自分を捨てた復讐にと、渡辺はある計略を進めているというのだ。それは涼花が愛用している椅子の中に……。
乱歩の「人間椅子」の翻案である。「人間椅子」では女性作家のもとに手紙が届き、そこに書き手の異常ともいえる執着が綴られる。それを本編では手紙ではなくメールにしたところがミソ。これにより涼花と渡辺が会話を交わすことが可能になった。しかもメール(携帯機器)を使うことでさらなる恐怖が演出されるというオマケつきだ。
オリジナルのラスト同様、最後にはどんでん返しが待っているが、本編にはさらにもう一捻りが用意されている。オリジナルの結末は意外ではあるが現実的だ。現実的ということは理に落ちるということであり、読者の中には恐怖より安心感が残ることになる。そこを著者は、恐怖が残るように書き換えたのだ。何より、当時なら非現実的と思われたような展開も、現代なら(そしてこの方法なら)充分可能なのだから。
「スマホと旅する男」
長崎を訪れた「私」は、たまたま知り合った男から一緒に観光しないかと誘われる。彼はどうやらスマホのテレビ電話機能を使って恋人に長崎の風景を見せているらしい。だがその恋人がアイドルユニットのひとりだと言われ、「私」は不審に思う。なぜならそのアイドルは……。
もちろん元ネタは「押絵と旅する男」。本編のポイントは、スマホやテレビ電話といった現代機器を介することで、「スマホの中にアイドルがいる」という状態を不自然でなくしたことだ。ここで一旦、原典で序盤から滲み出る幻想風味は排除される。ところがその後、男とそのアイドルの関係を聞くにつれて、種類の異なった不気味さが滲み出るのである。スマホやAIにまつわる最新技術、握手券などに代表されるアイドル商法など、本編には現代的な要素や問題が多く盛り込まれているが、現代的であり科学的であるがゆえに生まれる幻想小説の味わいがここにある。「押絵と旅する男」は、現代においてより現実味を増したと言えるだろう。
なお、終盤の展開には乱歩の「蟲」が取り入れられていることにも注目。「押絵と旅する男」だけではなく「蟲」もぜひ併せてお読みいただきたい。
「Dの殺人事件、まことに恐ろしきは」
渋谷道玄坂で、薬局の娘が心肺停止状態で発見された。その背中にはいくつものミミズ腫れがあったという。向かいのダイニングバーにいた興信所調査員の「私」は、小学生の聖也とともに現場に駆けつけたが……。
明智小五郎の推理が冴える「D坂の殺人事件」が下敷き。本編では、現場が密室であったことや「私」の推理の内容など、オリジナルの展開に実に上手に沿っている。オリジナルを踏襲するという点においては、本書の中でも屈指の一編だろう。
だが違いもある。原典は明智が謎を解いて終わりであるのに対し、本編はそこからもう一歩踏み込んでいる。謎解き+αの驚きが用意されているのだ。詳しくは書けないが、本編にも現代ならではの技術と社会風俗が登場する、とだけ言っておく。謎解きで終わらないのは、より凝ったもの、より刺戟の強いものを求めてきたミステリの進化ゆえだろう。
ところで本編のタイトルにある「D坂」ならぬ「D」とは何か。本編にはいろいろなDで始まるものが登場する。そのたびに「これか?」と想像しながら読むのも一興だ。
「『お勢登場』を読んだ男」
年の離れた妻の浮気疑惑と、認知症の舅の介護で疲れてしまった太郎は、乱歩の「お勢登場」を読んである計画を思いつく。この小説に出てくる方法を使えば、舅を事故死に見せかけて殺すことができるのでは……。
タイトルにもある通り「お勢登場」が元ネタである。元ネタというよりも、ここから先の三編は原典が明確な形で作中に登場する。翻案ではなく、原典のその先を描いたものと言った方がいいかもしれない。
オリジナルを現代に置き換えるという趣向の中で、最も技術面での工夫が見られるのが本編だ。これは(ここまでは書いてもいいと思うが)原典も本編も、主人公が密閉された場所に閉じ込められる話である。だが今は、スマホがある。携帯端末と通信網の発展により、孤立や閉じ込めという事態を作るのにミステリ作家が苦労しているのはご存知の通りだが、本編はそれを逆手にとっている。
なお、タイトルは「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」に始まるウィリアム・ブリテンの「◯◯を読んだ~」シリーズを踏まえている。物語の構成自体も「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」を踏襲しているのが楽しい。
「赤い部屋はいかにリフォームされたか?」
乱歩のトリッキーな短編「赤い部屋」の芝居を上演している劇場が舞台。ところが銃で撃たれて死ぬ役割の俳優が、本当に撃たれたと上演者たちが騒ぎ出す。観客の中にいた警察官は客を足止めし、捜査を開始する……。
オリジナルの「赤い部屋」は法に触れることなく九十九人を殺したという人物の話と、その最後に仕掛けられた意外な展開で読ませる短編。本編はそのオチをさらに捻った、「赤い部屋」の続きの物語とでもいうような位置づけである。
ここまで本書にはスマホなど現代のテクノロジーが登場してきたが、本編でポイントになるのは集団心理とネット社会だ。誰が怪しい、という話が出たらその尻馬に乗って糾弾する者たち。人が撃たれたと聞いても自分の都合にこだわったり茶々を入れたり。ここでの言葉の応酬はまるでSNSの炎上を見ているかのようだ。さらに事件の真相が明らかになったあとの展開にも注目願いたい。創作側の苦労が垣間見えると同時に、思い当たるところのある読者も多いのでは。
タイトルは都筑道夫のミステリ評論『黄色い部屋はいかに改装されたか?』より。
「陰獣幻戯」
女性に対して異様なほどの性的欲望を抱えながら良き教師として振る舞う「彼」は、知り合いの北欧雑貨店の店主・由貴から相談を受ける。ツイッターに不穏なメッセージが届くというのだ。メッセージの主は由貴のことを監視しているらしく……。
下敷きになっているのはもちろん「陰獣」。オリジナルで乱歩は自作をパロディ的に使っていたが、本編でも「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」をはじめ、乱歩作品への言及がある。オリジナルのストーカーは手紙でアプローチしてくるのに対し、本編ではツイッターを使うところが現代的。「陰獣」や「屋根裏の散歩者」の時代と違って現在はもっと簡単に人を監視できるわけで、なるほど現代に置き換えるならこういう方法になるよなあ、と極めて納得のいく翻案だ。
オリジナルは中編で、二転三転の後に意外なトリックと真相が待っている。本編は短い分、キレのいい謎解きでスパッと落としてくるという違いはあるが、実は細かな設定にこっそり共通点が仕込まれている。探してみていただきたい。
「人でなしの恋からはじまる物語」
乱歩の短編「人でなしの恋」は、新婚の夫が夜な夜な蔵の二階に上がっていくのを不審に思った新妻があとをつけ、そこで夫の驚くべき実態を目にする――という物語である。
それを下敷きにした本編は、彼氏に不満を持つ女性の視点で始まる。無理やり彼の元に押しかけた日、彼女は彼の秘密を見てしまい……というところまではまさに現代版「人でなしの恋」だ。だがさらに続きがある。物語は途中から、暗号解読ものに変わるのだ。
このくだりは乱歩の「二銭銅貨」さながらである。「人でなしの恋」からはじまって、乱歩のデビュー作「二銭銅貨」で締めくくられるという、一粒で二度美味しい作品なのだ。前半と後半でがらっとテイストが変わり、最後は皮肉にして少し温かな読後感を残す作品となっている。
なお、本編前半の展開がお好きな方には、歌野晶午の著作から『女王様と私』(角川文庫)をお薦めしておこう。
以上、個々の作品について紹介してきたが、全体を通して注目していただきたい点が三つある。ひとつは文体だ。
どれも乱歩的文体に寄せているのは言うまでもないが、それだけではない。たとえば出だしの一文がオリジナルを模倣しているものもあれば、オリジナルのセリフや文を本編の意外な場所に忍ばせたりしているものもある。「Dの殺人事件、まことに恐ろしきは」に唐突に差し込まれるアイスクリーム屋への言及しかり、「人でなしの恋からはじまる物語」に登場する「あの泥棒が羨ましい」しかり。乱歩作品の翻案としてかなり細部までこだわったつくりになっているのである。
もうひとつは原典のジャンルとの整合性だ。
原典が不気味な幻想小説なら本編も現代ならではの不気味さを醸し出し、原典が本格推理のものは本編でも論理的な謎解きを披露する。原典が皮肉な結末で終わるものは本編もそのように、セクシュアルなモチーフのものは本編もその要素を……といったように、ただ設定を現代風に置き換えただけではなく、そこで乱歩がやろうとした狙いをそのまま引き継いでいるのだ。モチーフやトリックを現代的にすることで、一見オリジナルからは離れて見える。だが通底するものは守る。これぞ翻案小説の真骨頂と言っていい。
そして三つ目は、各論でも触れた現代のテクノロジーや社会問題を取り入れた点だ。ここに翻案小説の真髄がある。
先人の作品を翻案する意味は何か。ひとつは、先人の功績を再評価して後世の読者に伝えること。そしてもうひとつは、原典を踏襲した上でその時代ならではのメッセージを込め、オリジナリティを出すことにある。テクノロジーが発達し、乱歩の時代のトリックや風俗は今や現実的ではなくなったものも多い。だが物語を現代の社会情勢や科学技術と組み合わせることで、現代でもなお――いや、現代だからこそ成立する「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」の世界を著者は作り上げた。時にはめくるめく幻想を、時には論理的な謎解きを、また時には衝撃的な結末を。――思えばこれは、乱歩の特徴であるとともに、歌野晶午の作風そのものではないか。
本書は乱歩の世界と歌野晶午の個性が見事に融合した一冊である。単独で読んでも充分お楽しみいただけるが、やはり原典との併読をお薦めする。現代に置き換えるにあたりどのような工夫があるか、原典の何を踏襲し何を変えているか、ひとつずつ確認することで面白さは何倍にも膨れ上がるはずだ。歌野晶午と江戸川乱歩、両方のファンにご満足いただけることと思う。そして、乱歩がフィルポッツやシムノンを紹介したように、本書を通して乱歩に触れる読者が現れるに違いない。こうして物語は読み継がれていくのである。
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