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【解説:中江 有里】それぞれの望み 『望み』

 身内から犯罪者が出るか、もしくは被害者が出るか、あなたならどちらを選びますか。

 本書が投げかけるのは、こんな究極の問いかけだ。

 身内だと範囲が広い。この場合、夫婦の間に初めて生まれた子供──慈しみ育てた長男が事件の加害者か被害者、どちらかの可能性がある。真相がわからない中、親たちはどちらかを望まざるを得ない。

 よくあるミステリーならば、両親は息子の無実を信じ、疑いを晴らすために奔走するだろう。でも実際そんなことが可能なのだろうか? 息子へ疑いの目を向けられると同時に家族はマスコミ各社に囲まれ、日常生活を送ることもままならない。この方がずっとリアルだ。

 父・かずとフリーの校正者の母・は二人の子供とともに暮らしている。自宅は建築デザイナーである一登自らが手掛け、モデルルームとして顧客に見せるための作品でもあり、フリーの校正者になった貴代美の仕事場でもある。中三の娘・みやびも訪ねてきた顧客に自室を見せるのは役目と理解している。

 しかし高校一年のただだけは不満を隠さない。

「いきなり見ず知らずの他人が部屋に入ってきて、愛想よくしろって言うほうが無理あるし」

 足を怪我してサッカー部を辞めてから、遊び仲間と無為に時間を費やしている規士は親には斜に構えたような態度を取り、一登たちが何を言っても心に響いた様子はない。

 行く末をしていた息子は夏休み明けの九月の週末、家に戻らなくなった。

 やがて一人の少年の遺体が見つかる。殺されたのは規士の友人・くらはしひこ。一登夫婦は遺体が息子のものでなかったことにあんするが、居場所のつかめない規士には疑惑が降りかかる。

 しつそう直前、一登は規士が部屋に隠し持っていた切り出しナイフを見つけ、危険を感じて預かっていた。

 もしや息子は与志彦を殺害した犯人──。

 逃亡している犯人は二人、しかし行方不明者は三人。規士は犯人か、もしくは別の理由で行方不明となっているのか……。

 事件の新しい情報はなかなか出ない。不安が募る一登と貴代美の心情を丹念に追っていく。

 一登は息子の無実を望み、貴代美は息子の無事を望む。夫婦の望みは分かれ、互いの選択に失望し、対立していく。



 多くの場合、人が望むのは今持っていないもの、あるいは今よりいい状況だと思うが、この夫婦が持つのは明るい望みではない。真実がわかるまですがるしかない命綱のよう。絶体絶命の間際に目の前にある二本の綱。どんな綱かわからずともどちらかを選ぶしかない。

 命綱の先にあるのは別の形の「絶望」だ。それでも綱をつかむ。そう思う訳には、二人の社会的立場も関わってくるのだろう。

 一登は息子の無実を望む。望みの裏側には息子が加害者となれば、仕事もキャリアも家も、これまで築き上げたものをすべて失ってしまう怖さもあった。規士の妹・雅も希望校の受験がかなわず、将来にわたって兄の不祥事が影響することを心配している。しかし一登は取り上げたはずの切り出しナイフが工具入れから消えていたことで心が揺らぐ。

 正直、父と娘に共感を覚えてしまった。他人からどう思われようと、家族だけは信じたいというのは自然な感情だろう。同時に、選択した「望み」の行く末にあるものを想像する。それは無実の規士が被害者となり、殺されている図だ。

 一方の貴代美は、夫が世間体を気にしていることをさげすみ、規士が生きていてほしいと願う。兄が加害者なら志望校に入れない、と焦る雅に言い放つ言葉が印象的だ。

「世の中、欲しいものが何でも手に入るわけじゃないの。(中略)望み通りにさせてやりたくても、させてやれないことだって出てくるの」

 規士のためにすべてをなげうつ──雅は「お母さんは、私よりお兄ちゃんのほうが大事だから」と嘆くが、貴代美は全力で否定する。雅は突然将来の望みを断ち切られ、兄を擁護する母へ反発するのもわかる。息子とともにどんな社会的制裁も受け止めると決めた母の動じない覚悟も伝わった。

 親は子供のすべてを把握しておきたいが、子供は巧みに親の目を逃れるすべを覚える。成長過程でのよくある話だ。自分たちの息子を信じたい。でも道を踏み外さないように注意もしなくてはならない。たとえ息子に疎まれても──。

 家族は事件後、自宅をマスコミに囲まれて、ネット上でも加害者同然に扱われる。冒頭に記した通り、家族にも大した情報は入らず、周囲はネット情報や噂や先入観に影響され、一登の兄や貴代美の姉までもが、規士を半ば加害者と決めつけ、一登の兄に至っては自分の家族への影響をおそれて、距離を置くことを提案してきた。

 このような凶悪事件が起きると、世間は大いに騒ぎ、メディアで語られないしんぴよう性が怪しい情報もネット上では平然と発信、拡散されていく。しかしネットを通じて知った情報でも、信じるかどうかを選ぶのは本人だ。

 誰も自分にとって都合のいいことは信じたいし、そうでないものは噓だと思う。そうして正義を振りかざして相手を追い詰めたり、時にかばったりする。情報がその後に明らかになった真実と食い違っても、誰も責任を取らないし、訴えようにも糾弾した者たちの顔は見えてこない。

 真実は思い込みからは浮かんでこないのだ。

 終盤、夫婦の望みの結果には胸が締め付けられ、たまらない思いが心に充満した。

 規士の思いに触れ、一登、貴代美、雅それぞれが望んだ先にあるものとたいしていく。そこにあるのは自らの裸の心──。

 人間は社会的な生き物だと思う。自分らしく生きたくとも、他者からの評価も必要としている。常に他者と比べられ、他者を疑っている。学歴、職業、配偶者、子供……自分が望んで得たものであるはずなのに、社会に望まれる存在であるかをつい計る。

 その一方で、人間は夢や希望を見る。盲目的と思えるほど誰かを信じることもできる。

 矛盾しているようだが、人間は自分の価値観と他者の価値観の両輪で生きているのだろう。

 本書における家族それぞれの望みには、人間の複雑な心が映し出されている。

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