本書は、二〇世紀初頭にアメリカから来日し、キリスト教の伝道者として布教に当たる一方、建築家や実業家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズ(以下、メレル)の生涯をもとにした歴史小説である。だが本書がただの評伝ではないことは、敗戦後の京都で、メレルが昭和天皇と生涯でただ一度面会する場面をクライマックスとして描いていることからもわかる。
昭和天皇の日々の言行を記録した『昭和天皇実録』第十(東京書籍、二〇一七年)の一九四七(昭和二十二)年六月十日条に、次のような一節がある。
小雨の中、仙洞御所の御庭を御散策になる。その途中、御庭通用門外にて宮内府京都地方事務所長飛鳥井雅信・社会事業家一柳(ひとつやなぎ)米来留(めれる)(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)・弁護士山下彬麿の拝謁を受けられ、お言葉を賜う。この拝謁は、一柳・山下が鳩を愛でる天皇の御写真をGHQ及び米国本土に頒布するなど日米親善に努めたため、これを飛鳥井が上申したことにより実現した。
『昭和天皇実録』で一柳米来留、すなわちメレルが出てくるのは、この箇所だけである。仙洞御所というのは、京都御所の南東にある庭園を意味する(建物は残っていない)。『実録』では淡々と記されたこの箇所に目を留めた読み手は、学者を含めてどれほどいただろうか。
本書の読みどころの一つは、メレルの天皇観が敗戦を境に、一八〇度変わるところにある。メレルは滋賀県の近江八幡を主な舞台として活躍したが、明治天皇の「御不例」の報に接した近江八幡の人々が日牟禮八幡宮の境内でひざまずき、涙を浮かべつつ手を合わせ、頭を地にすりつけているのを見たときには、「この国は、何なのだ」「動物だ」と感じた。クリスチャンであったメレルにとって、それは「うかがい知れぬ深い暗い沼」を見るような光景であったのだ。
日本人に対するこうした侮蔑感は、一九四〇(昭和十五)年に同じ日牟禮八幡宮の本殿で、日本国籍を取得して一柳米来留となるため、氏子となる儀式に出席しているときにも沸き上がった。町長の岡田伝左右衛門が、昭和天皇の御真影をもって立つと、群衆はいっせいに御真影に向かって最敬礼したからだ。
ところが、四五年八月十五日の正午に軽井沢で玉音放送を聴いた瞬間、メレルはそれまでにない感情に襲われた。「五内ために裂く」という天皇の肉声を聴くに及び、天皇を「神」ではなく、一人の人間と見なして感謝する気持ちが湧いてきたのである。「日本人を未開と思い、自分を文明的と思っていた。われながら単純すぎる二項対立。意識のおもてには出なかったが、しかし心の奥底にはどうしようもなく沈んでいたのにちがいない」という深い反省のなかには、クリスチャンとしての自らのあり方に対する反省の念も含まれていたように思われる。
ここで注意すべきは、戦中から戦後にかけて、皇室神道を信仰し、皇祖神アマテラス(天照大神)をはじめとする神々に戦勝を祈ったはずの昭和天皇や香淳皇后が、逆にキリスト教に接近していたことである。
拙著『皇后考』(講談社学術文庫、二〇一七年)で記したように、香淳皇后は一九四二年から四四年にかけて宮中にクリスチャンの野口幽香を呼び、女官とともに聖書の講義を受けていた。昭和天皇もまた占領期にはカトリックを中心とする多くのクリスチャンに面会し、ローマ法王に親書を送る一方、皇后とともに植村環から聖書の講義を受けている。戦争に対する責任の取り方として退位を封じられた天皇は、もうひとつの方法として改宗も考えていた可能性がある。
こうした事実を踏まえたとき、本書のクライマックスとして描かれる、一九四七年六月十日の仙洞御所御庭におけるメレルと昭和天皇のやりとりは非常に興味深い。メレルは、小さな花に気づき、学名や和名をすらすらと言い当てる天皇が退位したいと思っているのではないか、退位して好きな生物学の研究に一生を費やしたいと思っているのではないかと考えている。
これは大いにあり得ることだ。
さらにその前段には、次のような会話もある。
メレルはやや気が楽になり、 「聖書は、読みますか」 天皇はちょっと首をかしげて、 「キリスト教の、という意味ですか?」 「ええ」 「皇后が好きで」 にこりともせず、ためらいもせず、 「このごろは、私も読みます」 メレルはほとんど反射的に、 「ひょっとしたら、私たちは、むかしからおなじ神を信じてきたのかもしれませんね。陛下」 取りようによっては不適切きわまる発言だったが、天皇は表情を変えず、 「キリスト教の、という意味ですか?」 探究的な口調だった。メレルは、 「ちがう……と思います」 「いいのですか」
この一連の会話には驚かされた。もちろん本書は小説であるから、実際にはこんな会話が交わされたわけではない(ついでに言うと、天皇の行幸では天皇が問いかけたときに限って答えるのが暗黙のルールになっている)。けれども、昭和天皇を研究してきた学者として実感したのは、ここにはいかにも当時の天皇が口に出しそうな言葉が並んでいるということだ。
というのも、「〔聖書は〕皇后が好きで」「このごろは、私も〔聖書を〕読みます」という昭和天皇の言葉は、確かにその通りで、全く偽りがないからである。一方には皇室神道を信仰しながら、敗戦とともに自らの信仰を深く反省して聖書を読むなどキリスト教に接近し、改宗まで考えていたかもしれない天皇がいる。他方には日本人の天皇崇拝をあたかも未開の宗教のごとく蔑みながら、玉音放送とともに自らの信仰を深く反省してマッカーサーに天皇制の存続を働きかけたばかりか、天皇自身に接近するクリスチャンがいる。
メレルの言う「おなじ神」を、昭和天皇が「キリスト教の、という意味ですか?」と問いただし、メレルが否定すると天皇がそれでいいのかと詰め寄る。まさに息を呑むような場面である。ぎこちない両者の会話のなかに、『昭和天皇実録』には記されていない、退位を封じられた占領期の天皇のキリスト教に対する思いの一端が、見事なまでに凝縮されている。
すぐれた歴史小説というのは、史料だけを追っている学者が思いもしないような想像力を駆使して、葬られた歴史の深層をえぐり出してしまうものだ。一次史料に徹底的に依拠しながら、メレルと昭和天皇の一度きりの出会いを通して日本とアメリカ、そして天皇制とキリスト教の知られざる関係に迫ろうとした本書もまた、そうした小説の一つにほかならないと断言できる。
書誌情報はこちら≫門井慶喜『屋根をかける人』
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