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試し読み

【試し読み】門井慶喜『屋根をかける人』

門井慶喜さんが『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞されました。
直木賞受賞を記念しまして、カドブンでは門井慶喜さんのKADOKAWA作品の試し読みを3日連続で公開いたします。
本日2月8日(木)は『屋根をかける人』を公開いたします。
この機会に「今日の日米関係の礎を築いた男、W.M.ヴォーリズの壮絶な一代記」をぜひお楽しみください。

 

第一章 大きな家をつくろう

 
「あっ、富士山」
 とつぜん、左舷さげん側の甲板から声があがった。
 英語である。口を奥まで使わない、唇の先をひるがえしたような発音だから、あるいは日本人がしゃべったのかもしれない。これを機に、
「ええ?」
「フジマウンテン?」
 甲板上の客がどっと左舷へあつまった。
 四十人くらいだろうか。アメリカ人もいる。中国人もいる。男性もいるし女性もいる。みな英語で、くちぐちに、
「おお、うつくしい!」
 とか、
「東洋一。いや世界一だ」
 笑みを交わしている。どこか浮かれすぎのようでもある。十九日間にわたる太平洋横断の船旅もこれでやっと終わるのだ、動かぬ大地に足を置けるのだという安堵の心がそうさせるのだろう。彼らが乗っているパシフィックメール汽船会社の小型客船チャイナ号は、その明快な船名にもかかわらず、目的地は日本の横浜港だった。
 ただし、ひとり。
 富士山を見ない青年がいる。
 反対側の右舷のベンチに腰かけ、うつむいて、彼はパパイヤを食っている。丸テーブルの上でナイフを使って黄色い果実をふたつに切り、まんなかの黒い種をスプーンでき出す。その穴へあふれるまで蜂蜜をつぎこむ。そうして柔らかな果肉をぐちゃぐちゃ突きくずしつつ口に運ぶことに熱中していた。
 あるいは、熱中するふりをしていた。その青年の頭上へ影がさして、
「またパパイヤなの、メレル?」
 女性の陽気な声がふってくる。青年は顔をあげ、にっこりとして、
「やあ、マクドネル夫人。そっとしておいてもらいたいですね。これはハワイに寄港したとき買ったうちの最後の一個。じっくりと別れを惜しみたいんです」
 冗談っぽく言ったつもりらしいが、その口調は、沈んでいる。だいいち相手の目を見ていなかった。
 マクドネル夫人は、五十歳くらい。
 小太りの、肌つやのいい女性だった。横浜の貿易会社に勤務する夫君をたずねる途中である。おなじアメリカ合衆国の白人だけれども、夫人は一等客室、メレルは二等客室の客だから、これまでは運動時間などに甲板上であいさつを交わす程度の間柄だった。
 このときは、ちがった。
「ねえ。メレル」
 と、彼女はみょうに感傷的な、みょうに母親みたいな目をして、
「あなたはお酒も飲まないし、たばこもやらない。議論をはじめたら相手を説得するまで引き下がらない。ちょっと倫理観がつよすぎる性格のように見えるわ。そういう人はね、人生を棒にふりがちなの」
 大げさな、という表情を青年はした。彼女は声を大きくして、
「ほんとよ。たいせつな人と喧嘩したり、神経衰弱になったりしてね。これからは気を楽にして、おおらかに生きて行ってほしいと思うわ。日本ははじめて?」
「ええ」
「滞在は何年間?」
「永住します」
 青年は、即答した。マクドネル夫人はため息をつき、両の手のひらを伏せてみせて、
「言ったでしょう、おおらかに。ましてや相手は日本人なのよ。日本人っていうのは噓つきで不誠実で、一セントのお金をごまかしても罪はぜったい認めない。まじめなアメリカ人は損するだけって私の夫もいつも言ってる」
「ご忠告ありがとう」
「ささ、富士山を見ましょう。私も日本ははじめてなの」
「ええ」
 メレルが立ちあがってパパイヤの皮くずを海へ放り、彼女につづこうとしたとき、船の底からくぐもった音が聞こえた。
 巨大な牛のうめきにも聞こえる。機械と機械がぶつかりあう不快な振動がどろどろと甲板の床をいまわった。
「何だろう」
 眉をひそめたとたん、メレルは、見えない手によって船の前方へぐいっと体をひっぱられたのである。
 かなりの力だった。思いっきり片足を前にふみだしたから事なきを得たけれども、そうでなかったら転倒していたかもしれない。ふりかえって丸テーブルを見る。丸テーブルからは皿がすべり落ちて割れ、その上へスプーンが落ちて甲板上を滑走した。
 マクドネル夫人は、転倒した。
 メレルは手をさしのべ、紳士らしく丁重に彼女を立ちあがらせたが、左舷のほうの人の群れは混乱している。
「急減速だ」
「どうした、何が起きた」
 誰かが無神経にも、
「座礁か」
 と言ったため、複数の女性が悲鳴をあげた。船はとうとう停止した。エンジンは動いたままだが、天候は晴天。波はおだやかで、船のゆれもなく、船首のむこうには横浜港の波止場がくっきりと見える。
 船橋ブリッジから制服を着た航海士がおりてきて、
「みなさん、ご安心ください。本船は正常に航行しています。この海域には、現在、大日本帝国海軍により港湾防衛のための機雷礁が敷設されている。たくさんの爆弾が海中にただよっているのです」
 乗客全員、しんとなる。航海士はつづけた。
「だいじょうぶです。本船はこれより、それらに接触しないですむ安全な航路をたどります。もっとも、それには港湾会社の派遣する小艇ランチの案内をあおぐ必要がありますので、その小艇の到着を待っております」
(ああ、そうか)
 メレルはようやく思い出した。日本はいま平時ではない。日露戦争のまっさいちゅうなのだ。万が一ロシアのバルチック艦隊が太平洋へまわりこんで横浜港を攻撃したら、日本は輸出入が不可能になり、欧米であつめた外債の処理もできなくなる。国家そのものが滅亡する。港のまわりに機雷礁をつくるというのは、この時代、どこの国でも最新の防衛理論であり、その実践にほかならなかった。
 乗客は、みな船室へ避難した。
 マクドネル夫人も姿を消した。甲板上にはメレルだけ。左舷の手すりをつかんで立ち、ゆったりと青いスカートをひろげる貴婦人のような富士山の山容をながめつつ、
「……ママ」
 陰気につぶやいた。いっそこのまま爆死してしまいたい。ふだんは陽気なメレルのはずだが、これは一体どうしたことだろう。これから日本でうまくやっていく自分の姿が想像できなかった。
 船はほどなく機雷礁に進入した。爆発、沈没することなく、何事もなかったかのように港についた。アメリカ合衆国YMCAの仲介によりキリスト教伝道者として派遣された二十四歳の青年ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、ほどなく、日本の土をふんだのである。明治三十八年(一九〇五)一月二十九日、よく晴れた昼さがりのことだった。

 メレルは、横浜から東京へ出た。
 しかしメレルの赴任地は東京ではない。それよりも人口のはるかに少なく、これといった産業もなく、鉄道交通の要衝でもなく観光地でもない、滋賀県域のほぼ中央部、琵琶湖の南に位置する、
 八幡はちまん
 の街だった。のちに日本の他のおなじような地名と区別するため近江おうみ八幡を名乗ることになる街。メレルは新橋から夜汽車に乗り、せまい座席で十七時間半すごした。ようやく近江八幡の駅に到着し、プラットホームにおりた瞬間、
「帰ろう」
 憂鬱が頂点に達した。メレルは人が好きなのに、人と話すのが大好きなのに、ここには人がいないのである。
 駅舎は、おもちゃのようだった。線路ごしに見える風景はただただ田んぼか、雑木林か、墓地ばかり。かろうじて駅のそばには旅館と雑貨屋が一軒ずつあるようだが、どちらも雨戸がしまっていた。
 ばかりか寒い。これが何よりメレルにはこたえた。まだ午後三時半だというのに周囲はもう夕暮れのように薄暗く、吹きつける風がごうごうと雪を巻き上げている。むろんアメリカでも冬の寒風には悩まされたが、あれは総じて乾いていた。日本のそれはずっしりと湿っている。日本人の鼻が低い理由が、
(わかった)
 という気がメレルはした。欧米人の高い鼻がこんな冷気にしがみつかれたら、凍傷でぽろりと落ちてしまう。メレルは荷物をもったまま、うなだれるしか仕方がなかった。
(神はなぜ、私をこんな僻遠へきえんの地に)
 もっとも、これは神ではなく、故国のYMCAの意志というべきかもしれなかった。メレルは正規の神学教育を受けたいわゆる宣教師ではなく、単なる海外伝道者にすぎず、一民間人とさほど変わらない。故国では、誰も、何も、メレルに期待していなかった。
 と。
「メレル先生!」
 改札のほうから声がした。
 メレルはそちらへ首を向けた。小柄な中年の日本人がこちらへ走ってくる。メレルの前で立ち止まって、帽子をとり、足もとの草でも抜く気かと思われるほど深いおじぎをして、
「わたくしは先生の赴任校である滋賀県立商業学校の英語主任、雨田忠左衛門うだちゅうざえもんと申します。学校を代表しておむかえに上がりました。おくれて申し訳ありません。申し訳ありません」
 なぜか二度あやまった。メレルはもう不安に耐えられず、雨田先生の胸ぐらをつかまんばかりに、
「人は?」
「え?」
「この街には、人は住んでいないのですか。私はどうして生きればいいのです」
「街はここから一マイル北にあります。学校も、役所も、メレル先生のお住まいも、みんなそこにある。人も少しいる。さあ行きましょう」
「馬車で?」
「あいすみません。田舎なもので、歩きで」
 メレルは、北風のなかを黙々と進んだ。永遠の行軍かと思われた。ようやく周囲に田んぼがなくなり、人家がふえると、メレルは街なみに目を奪われる。いかにも風で吹きとびそうな黒板壁がならぶ。
(建物だ)
 道ゆく人がふえたところで左へまがった。
 赴任校はそこにあった。ただ新しいというだけで防風防寒には何の役にも立たないように見える木造校舎のなかに入り、靴をぬいでスリッパにはきかえる。スリッパというのは生まれてはじめて見るものだが、違和感をおぼえる余裕はなかった。教頭室の椅子にすわり、教頭の山崎先生に、
「どうですか。この街は」
 と聞かれたとたん、メレルは身をのりだし、
「すばらしい!」
 横で通訳をしている雨田先生が目をまるくしているのもかまわず、メレルは教頭の目を見て、熱い口調で、
「なんでここが田舎なのか私にはわかりません。ここは真の都会です」
 メレルの口は、キャンプの火のようなものである。何かの拍子にわっと燃えあがる。あの船上での憂鬱は、
(単なるホームシックだったのだ)
 そう心に勢いをつけつつ、
「なるほど人口は大したことはなさそうだ。横浜や東京はもちろん、私の故郷であるコロラドスプリングスにもはるかに及ばないでしょう。それはたしかです。しかしる都市が田舎か都会かというのは、人口の多寡で決まるものではない。ここへ来るまでに見た街なみの姿は、私には他のどこよりも美しく清らかなものでした。いやいや、お世辞を言うのではないのです。街道はあたかも方眼紙のごとく縦横にまっすぐ引かれている上、その道がまたじつに太い。ゆったりとした気持ちになれる。道ゆく人々がすれちがうたび立ちどまって少し話を交わすのも何かしら文明の充実を感じさせる。教頭先生」
「はい」
「近江八幡という街は、街全体が、よほどお金もちなのではありませんか?」
 確信とともにメレルは尋ねた。教頭は、
「おっしゃるとおりです」
 よほどうれしかったのだろう。ひざをたたき、相好をくずして、
「じつを言うとこの県立商業学校は、四年前まで、この西どなりの大津の街にありました。滋賀県の県都です。生徒は順調にあつまり、校地が手狭になったため、移転しようという話になったのですが、このとき近隣各地で綱引きがはじまりました」
「綱引き?」
「誘致合戦です。むろん大津はまっさきに手をあげましたが、最終的には、この近江八幡が勝利しました。決め手は寄付でした。近隣町村あわせて三万五千円のお金と六千坪の土地」
 三万五千円というのは私の六十年ぶんの俸給です、という補足的な説明を雨田先生がしてくれた。メレルは、
「どうしてそんな富の蓄積が?」
「近江商人のさとだからです」
 教頭は、こんどは歴史を語りだした。近江商人とは近江出身の商人という意味で、その発祥は七百年前、鎌倉時代にさかのぼるのだという。
 七百年前の日本には、京都と鎌倉のふたつの首都があった。京都には天皇が住み、鎌倉には源氏と呼ばれる武士のリーダーが住んでいたのだ。当然、両都を往復する人が多かったが、近江国はその途上にあっただけでなく、物産ゆたかな北陸に通じる琵琶湖水運の要所でもあったため、商人があつまり、資本がたっぷりと蓄積された。
「その蓄積が花ひらいたのが、江戸時代でした」
 商人たちは近江を旅立ち、全国各地へ行商に出かけた。近江の物産を売り歩いたのではない。彼らはただお金だけ持って、行くさきざきで特産物や工芸品を買い入れ、べつの土地で売る、そのくりかえしで利益をあげたのである。
「利益のあがるのは、やはり大都市がいちばんでした」
 彼らは行商をつづけつつも江戸、大坂おおさか、京都などに店をかまえ、ますます増加する資本でこんどは金融業に手を出した。金貸しである。こうして近江商人は日本の商業界に一大勢力をきずくに至ったが、その根拠地のひとつが近江八幡なのである。
 自然、日本人ならたいていが「ああ、あれか」と言うような名家豪商が軒をならべている。
「最近ふとんを売りはじめた西川家もここですし、ほかにもばん家、岡田家、森家、中村家、野間家など、数えだしたらきりがありませんな。いや、ほんとに」
 教頭はそう自慢げに言って、ようやく口をつぐんだ。なかなか要を得た説明だったが、しかしメレルは生来の議論ずきである。
(おもしろい)
 と思うや否や、青い目をくりくりと動かして、
「ひとついいですか、教頭先生。日本の江戸時代は武士の時代で、商人は下級の身分とされ、その活動は抑圧されたとアメリカでは教わりましたが?」
「近江八幡は例外でして。武士がほとんどいなかった。形式上は江戸の旗本が支配していたんですが、汽車もない時代ですし、実際には何度も来られませんから、惣年寄そうどしよりと呼ばれる商家の主人たちが町政をとりしきっていたのです。例の西川家の主人も惣年寄でしたよ」
「それなら現在の住民は、なぜ田舎だなどと卑下するのです?」
「それは」
 教頭は苦笑した。雨田先生が助けぶねを出すように、
「それはやはり、メレル先生、人口そのものは大津のほうが多いですし、大津の西には京都もある。大阪もある。御一新以後は社会情況がいろいろ変わってしまったことも大きいでしょう。むかしの商売のやりかたは通用しなくなった」
「もっと自信を持つべきです」
 メレルは言うと、中腰になり、教頭の手をとって、
「たとえばこの街の民家のつくり。あれは世界に示すに足るものです。黒板塀にりっぱな瓦屋根かわらやねをかけ、その上へさらに庭の松の枝をのばしている。さながら塀そのものが一軒の横長の家であるかのようで、世界に類例がありません。きっと強度も見た目以上にあるのでしょう。私は建築家をこころざしたこともありますから、よくわかります」
「ほう、建築?」
 と、教頭はここには目を光らせて、
「メレル先生のご専攻は、たしか哲学だと」
「たしかに私はコロラド大学を卒業し、哲学の学位を授けられました。しかしそれ以前には建築家志望で、マサチューセッツ工科大学の入学許可も得たことがあります」
「神学のご学歴は?」
「ありません」
「そうですか」
 教頭はそっと手をはなし、椅子の背にもたれた。あきらかに安堵している。建築学に関心があるのではなく、神学を忌避しているのにちがいなかった。メレルはにっこりしてみせて、
「ご安心ください。私は、私が英語教師として招かれたことを理解しています。キリスト教の布教はしないことを約束します。校内では」
「校外では?」
「私は職務から解放されている。もしも学ぶ意欲のある者があれば、私は、その学びたいものを教えることを喜びとするでしょう」
 静かに、しかし明瞭にメレルは宣言した。ここのところは、
(ゆずれない)
 教頭は、さっと顔色を変えた。警官が殺人犯を見るような目でメレルを見つめて、低い声で、
「この街は仏教徒が多い。寺だけでも十六もあるし、京都が近いため本願寺系の勢力はことさら強い。あなたの言う『学ぶ意欲のある者』がほんとうにいるかどうか」
「覚悟しています」
「本務をお忘れなく」
「校長先生のご意見は?」
 メレルは言い返した。校長の安場禎次郎先生はたまたま風邪を引いたとかで、この場にいないのである。山崎教頭は、
「私とおなじです」
 とだけ言うと雨田先生のほうへ、
「メレル先生はお疲れだ。宿舎に案内しなさい」
 横柄に命じた。一刻もはやく立ち去ってもらいたいという意思があらわだった。
 メレルは、もう憂鬱ではなかった。ここでなら自分はやっていける。気分屋にすぎないのか、それとも街そのものの力なのか、わかるのはもう少し先だろう。

 宿舎は、街のほぼ中央をまっすぐ縦に走る魚屋町うわいちょう通りぞいにある。
 築三百年の大きな家だった。その日はまだ前任者のジョン・R・ワード先生が住んでいたため、有意義な夜をすごすことができた。仕事の引き継ぎをしたり、生活上の注意を聞いたり。そこで使っていた家具類一式を高額で売りつけられたことを除けばまず満足すべき晩だった。
 翌日。午後一時半ころワード先生を見おくってしまうと、メレルは本当にひとりである。家の南側、裏庭に面した部屋でまきストーブにあたりつつぼんやりしていると、四時すぎ、はるか北の玄関のほうで、
「ごめんください」
 メレルが立って出て行くと、うすぐらい土間に立っていたのは奇跡のぬしだった。まだ若い、というより幼さののこる口調で、
「はじめまして。宮本文次郎と申します。商業学校の英語教師です」
 幼かろうが何だろうが、英語を聞くことは動物的にうれしい。メレルはわれながら大きすぎる声で、
「寒かったでしょう。さあさあ、なかへ入ってください」
 南側の部屋へ通し、薪ストーブを勧めつつ話をした。聞けば文次郎はもともと商業学校の生徒であり、二年前に卒業したのだが、英語の成績が優秀だったためそのまま助教諭として採用されたという。
「よろしければ、メレル先生、あなたの通訳をつとめさせてくださいませんか。つたない英語で申し訳ありません。ところで」
(また謝罪か)
 メレルがやや鼻白んだところへ、文次郎は、おどろくべき質問をした。
「ところで先生、あなたはクリスチャンですか?」
 必死の形相。
 ひたいには玉の汗がびっしり浮かんでいる。返答しだいでは、この若者は、
(腹でも、切るのでは)
 まさかと思いつつ、
「ええ、クリスチャンです。あなたも?」
「私も」
 文次郎は、目をうるませて語りだした。文次郎の在学時に英語教師だったダーウィン・ルート先生は、また正規の宣教師でもあったという。文次郎は英語ができるところからこの先生とつきあいが深くなり、尊敬をふかめ、とうとう洗礼を受けるに至ったが、これはまた親戚や一部の教師から疎んじられるきっかけにもなった。
 ルート先生の去ったあとは孤独になった。ともに語ることのできる友はなく、あたらしく来た外国人教師は信仰に熱心ではなかった上、しばしば日本人には真の信仰はわからないなどと平気でうそぶいたからだ。文次郎は、日本人からも外国人からも見はなされた。
「…………」
 メレルは、どう返事したらいいかわからなかった。
 必死の形相の理由がわかった。この小さな若者は、言葉の厳密な意味において、校内唯一のキリスト教徒だったのだ。あるいは街全体でも唯一かもしれない。
「奇跡だ」
 メレルは、右手をさしだした。
「私もおなじように思っていました。自分はこの街で孤独なのではないか、永遠に孤独から抜け出せないのではないかと。そうじゃなかった」
 文次郎がおずおずと手を出し、メレルの手をにぎろうとした。
 が。
 メレルは、頭よりも体のほうが先にうごく男である。われから手をひっこめると、立ちあがり、台所へ走った。台所では家つきの年老いた料理人がたばこをすっていたけれど、彼の手を借りず、みずから竹編みのバスケットへ鍋やら食材やらを突っ込んだ。そうして部屋にもどって、
「宮本さん、食事をふるまわせてください。私はそれ以外あなたの苦労に報いるすべを知りません」
 言いながら、ブリキの手鍋をストーブの上に置いた。牛乳をたっぷりと入れ、テニスボール大のバターを二個入れ、塩を入れる。あたたまったところで卵を六つ入れ、かきまぜると、卵はかたまってり卵になった。それを黒パンに山のように載せて両手でかぶりつくのである。
「うまい」
 はふはふ息をしつつ、メレルは笑った。文次郎は正座したまま、両手の親指と人さし指でつまむようにして黒パンを持ち、じっと見ている。
「メレル先生、あの」
「何です」
「私は洋食を食べたことがないのです。正直……くさい」
 鼻をひくつかせた。
「何を言います」
 メレルは自分の黒パンを置き、文次郎の両手をがしっと外側からつかんだ。そのまま文次郎の口におしつける。文次郎はぴっちり唇を閉じて、上を向いて抵抗したが、
「おいしいでしょう? おいしいでしょう? 学生時代に私が発明した料理です」
 手をゆるめなかったため、文次郎はとうとう唇をひらき、すみっこの一部をかじった。卵はほとんど口へ入れなかったはずだが、
「お、おいしいです」
 文次郎はじわっと目に涙を浮かべた。メレルは手をはなし、肩をたたいて、
「ごめんなさい。あとはゆっくり食べてください。バイブルクラスを設けましょう」
「バイブルクラス?」
 文次郎は、目を白黒させた。メレルはいたずらっぽく笑って、
「食べものの話ではありませんよ。私は話題がころころ変わるから覚悟してください。バイブルクラスというのは、要するに、この家で聖書を教えるのです。むろん生徒は来ないでしょうから、私とあなただけでやる。長いことつづければ、いずれ三人、四人になる日もあるかもしれない。きょうは、ええと……」
「金曜日です」
 文次郎は答えると、こんどは栗鼠りすのように卵の部分だけを前歯でひっかいた。
「そうですか。それじゃあ第一回は、来週の水曜日にしましょう。五日あれば準備できる」
 そう言いつつ、メレルはあの山崎教頭の顔を思い浮かべている。きっと渋っ面をするだろうが、
(ま、だいじょうぶだろう)
 根が楽天家なのである。ふたりはそれから、熱く信仰を語りあった。

 翌日から、メレルは教壇に立った。
 むろん宗教のことは口に出さず、英語のみを教えたのだ。変わったことはしなかったが、冗談の多いその話しぶりが生徒に好評だったらしい。生徒はたちまちあだ名をつけた。「ヴォーリズ」の発音がしづらいのもあったのだろう、
 ──ボンチが来よった。ボンチが来よった。
 ボンチとは方言で「坊っちゃん」というほどの意味。この人気を受けて、学校側は、
 ──予科のクラスも受け持ってくれ。
 と要請した。予科とは四年制の本科に先立つ一年間の予備教育課程である。メレルはこれを快諾した。放課後には生徒から、
「テニス、しませんか」
 メレルはよろこんで彼らとともに八幡宮へ行き、境内で球を追いかけた。ほとんどの者は下駄ばきだったが、それでもメレルより上手だった。メレルが顔を砂だらけにして、
「もう一度。もう一度」
 と人さし指を立てるたび生徒たちは爆笑した。メレルはむきになって言い返した。
「何がおかしいのです。負けることが好きな人はこの世にありません」
 先生というより、年齢のちかい兄貴のように見えたのだろう。なかには日が暮れても、
 ──まだ先生と遊びたい。
 とせがむ者がいたので、メレルはいったん家にかえり、夕食をすましてから、お茶と、せんべいと、それにアメリカから持ってきた数種類のゲームを用意して彼らを待った。彼らは来た。めいめいストーブの前で馬鹿ばなしをしたり、せんべいを食ったりしたのだった。
 ゲームは特に人気だった。トランプやドミノもあったが、何より彼らが熱中したのは卓上用のシャフルボードだった。まず紙を敷く。紙は縦長の長方形で、数字を書いたダイヤグラムが印刷されている。ふたりのプレイヤーが交互にはしっこから円盤をはじき、とまったところの数字を足して勝敗をきそうのだ。これにはプレイヤーよりもむしろ見物人どもが、
「こら井上、もっと強う打て」
 とか、
「足し算まちごうとるぞ。お前は十七点じゃ」
 などと興奮した。フリンチという一種のカードゲームも人気で、メレルは上きげんで、
「みなさんは、フリンチにしがみついてクリンチますね」
 日本人の若者は、こうして英語にもだじゃれがあることを知ったわけである。彼らは夜がふけても帰るそぶりを見せなかったばかりか、アメリカから持って来た高価な写真機まで勝手にいじりはじめた。メレルはとうとう、
「人間には、八時間の睡眠が必要なのです」
 蹴り出すように追い払った。そうして翌日の晩にはもっとたくさんの生徒が来たのである。メレルは彼らに、
「バイブルクラスに来てください」
 とはいっぺんも言わず、また文次郎にも言わせなかった。だまし討ちのようで気がさしたということもあるが、なかばは戦略的な判断だった。バイブルクラスは、まがりなりにも勉強の場なのである。教師に来い来いと言われたらかえって足が遠のくだろう。

 翌週、水曜日。学校が退け、夕食を取ったあと、メレルの家にあつまったのは四十五名の生徒だった。
 よほどうれしかったのだろう、文次郎は泣きべそをかいて、
「座ぶとん借りてきますっ」
 隣家へすっとんでいった。メレルはほかの生徒といっしょにふすまをはずし、障子をはずしながら、
(奇跡だ)
 とは、もう思わなかった。これまでの四日間でじゅうぶん予測できたことだったからだ。生徒のほとんどは夜の遊びに来たことのある者だった。メレルは時間が来ると、ひとり椅子から立ちあがって、
「みなさん」
 柄も大きさもまちまちの座ぶとんに正座した若者たちを見まわしてから、まずこう宣言しなければならなかったのである。
「今夜は、ゲームはしませんよ。お説教です」
 笑いが起きたところを見ると、みなわかっているのだろう。が、つづく話には、メレル自身も意外なことに、神もキリストも登場しなかったのである。
「この家は、普請がすばらしいですね。最初に来たときは玄関に入ったら土間にいきなり台所があったのでびっくりしましたが、考えてみれば合理的です。なぜなら日本の家では、土間というのは、ただひとつ靴や草履をはいて歩かなければならない汚れ場だからです。そこへかまどや流しを設けて水や魚の頭などの処理場としたというのは、私には思いもよらない発想でした。靴をぬぎ、屋内にあがると部屋がたくさんで……」
「待ってください、先生。もっとゆっくり」
 と悲鳴をあげたのは、となりに立って通訳をしていた文次郎である。全員爆笑。ちょっと早口がすぎたようだった。メレルは片目をつぶってみせ、ひとつ深呼吸をしてから、
「屋内にあがると部屋がたくさんで、ひとつあたりの面積がせまい。私のようなアメリカ人には鼻がつかえる感じがする。正直、住みづらいなと思いましたが、これも襖を外せばたちまち大人数を収容する大広間ホールになるのですね。これには感銘を受けました。そうして私は思ったものです、私たちは、これから大きな家をつくらなければならないと」
「家ぇ?」
 と手をあげたのは、メレルの足もとで話を聞いている井上悦蔵えつぞうという生徒だった。神戸出身、二年生。体が小さかったためメレルが「ベビーさん」とあだ名をつけたけれども、その悦蔵が、ゆくゆくメレルの全生涯をささえる巨大な存在になることはメレル自身まだ知らない。そっけなく、
「何です、ベビーさん」
「家いうて、先生は、大工もなさるので?」
 メレルは苦笑して、
「そういう意味ではありませんよ。これは比喩です。私たちは信仰のあるなしにかかわらず、おたがいの魂をむかえ入れ、やすらかに生活の一部を共有しようという話です。あたかも日本家屋のごとく、人数が少ないなら少ないなりに、多いなら多いなりに」
「むかえ入れたら、どうなります」
「世界に通じる人になれます。家には屋根がある。屋根というのはアメリカ人でも日本人でも、ペルシア人でもアフリカ人でも、ひとしく風雨からまもる。その下にあたたかい団欒だんらんの場をつくる。私たちはいずれ、地球そのものを覆う広大な一枚の屋根をかける人になりましょう。きっとです」
 全員、しんとなった。
 メレルを見あげたまま、ぽかんと口をあけている者が多い。なかには横の友と顔を見あわせる者もあり、両手で顔を覆う者もあった。
 最前列の悦蔵は、小さな体をふるわせている。
 薪ストーブの炎のほうへ目をひんむきつつ、おこりにかかったようになっている。のちに文次郎から聞いたところでは、このことばは、生徒たちに大きな感銘をあたえたらしい。帰るみちみち、
 ──俺は生涯、メレル先生の馬のくつわを取る。
 とまで言ったのもいるという。
 理由はおそらく、目の前にいきなり「世界」をぶらさげられたことにあったのだろう。何しろ彼らはほんの少し前まで日本中を席巻した近江商人の末裔であり、しかし現在は単なる田舎者である。少なくとも本人たちはそう信じている。そういう複雑な自尊心にとって、メレルのことばは、他の地方の人々の想像し得ないほど強烈な磁力を帯びていたのにちがいなかった。
 メレルとしては、布教の絶好の機会だった。
(さらに、煽るか)
 それこそが伝道者としての絶対善だろう。しかしメレルは、本能的に、
(まだだ)
 文次郎へ目くばせをして、一同に、
「役を決めましょう」
 これから選挙をして会長、副会長、書記を決めようと提案したのである。これで聴衆も目がさめたようになった。年長の西村という生徒が手をあげて、
「その必要がありますでしょうか」
「なぜです」
「私たちがここに来たのは、ただ自然に先生のもとへ来た、それだけの話です」
「自然のあつまりだからこそ、人工的に制度化しなければならないのです。骨組みがなければ家は建たないように、自治がなければ組織はない。教師への尊敬もほどほどにしないと、独立心のない人になります」
「具体的にはどうするのですか」
「それは」
 メレルは説明しつつ、手帳のまっしろな二、三ページを切って与えた。
 生徒たちは説明にしたがい、わいわい言いながら器用に紙を裂き、うどんの麵のような五十枚ほどの短冊をこしらえた。
 短冊の最下部へめいめい巧みに小筆や鉛筆で名前を書きこみ、くるくるとかたつむりの殻のように丸めて例のブリキの手鍋にほうりこんだ。
 開票、集計は文次郎がおこなった。その結果、会長には西村が就き、副会長には井上悦蔵が就くことになった。
(ほう、ベビーさん)
 メレルはこの生徒を少し意識した。
 このほか西山という生徒がみずから書記を買って出たところで、メレルは拍手して、
「たいへん結構な運営でした。それでは会長さん、さっそく私から議案を提出しますよ。この多人数は授業には不適当です」
「え?」
「教育効果を考えたら少ないほうがいいし、だいいち私が疲れてしまう。何とかしてください」
 西村は、さっそく立って議論を主導した。
 ──二年生以下の下級生は、辞退しろ。三年生になったら受講資格が生じるようにする。
 という案も出たけれども、これには悦蔵はじめ下級生がこぞって反対の意を示した。下級生は十八名もいたのである。西村は、
「静かにせっ」
 と叱責して、
「それじゃあ次週からは下級生と上級生のふたつにクラスを分けることとする。火曜日は下級生、水曜日が上級生だ。いいな?」
 全員、わっと賛成した。メレルはかえって仕事がふえることになったが、うなずいて、
「妥当な結論です」
 どっちみちバイブルクラスが週何回になろうとも、毎晩この家に生徒が来ることは変わらないのだ。
 生徒たちの自治組織は、それからいくつかの決定をした。両クラスそれぞれの役職者の指名。出席のとりかた。名簿の管理のしかた。欠席がつづく者への対応。ぜんぶ決まると、時刻はもう十時をまわっていた。
 メレルはその後、少し話をしたところで散会を宣言した。こうしてメレルの「家」は着工した。うまく行けば、いずれ屋根もかかるだろう。

 
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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