「こんな人間がまだいたのか!」と、発売直後から各紙誌を驚愕の渦に引き込んでいる傑作ノンフィクション、『ストリップの帝王』。
刃物をもったヤクザ相手に大立ち回り、角材でぶん殴り、相手を病院送りにする。警察の手入れに激怒し、腹にダイナマイトを巻いて警察署を襲撃し逮捕。業界のドンとして全国指名手配をされるも逃げ切る等々……。
このような武勇伝とは裏腹に、その男・瀧口義弘は線の細い銀行マンでした。福岡の進学校を卒業後、福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)に勤めていたものの、昭和50年にストリッパーとして活躍していた姉に誘われ、その日のうちに辞表を出して劇場に飛び込みます。以降、彼は帝王としてストリップ業界を差配するまで上り詰めていきます。
15年以上にわたり、日本各地、世界各国の色街を取材し、ストリップ劇場の栄枯盛衰も見てきた八木澤高明さんが描く、悪漢にして好漢の一代記!!
「まえがき」を公開しますので、ぜひご覧ください。まるで映画やドラマのような話ですが、これは本当にあった“実話”です。

1975年(昭和50年)2月初旬、千葉県木更津市にある、木更津別世界というストリップ劇場で働きはじめた瀧口義弘は、劇場の経営者である姉から車で一時間ほどの千葉市内の劇場へ踊り子を送り届けてくれと頼まれ、ちょうどその用事を終えて帰ってきたところだった。劇場外の水場で顔を洗っていると、劇場前の通りから怒鳴り声が聞こえてきた。
よく起きる客同士の喧嘩かなと目をやると、白い上下のスーツを着た短髪の男と劇場支配人の田中が言い争っていた。
一瞥しただけで、再び顔を洗っていると、劇場の中から姉が瀧口を呼んだ。瀧口は蛇口を閉めてから、中に入った。業界の用語で、テケツと呼ばれる入場券売り場の中に姉はいた。「支配人と喧嘩しているのは新宿のヤクザもんで、後ろからでも斬りつけてくるような卑怯な奴だから気をつけろ」と姉は言ったのだった。
水場へと戻り、再び蛇口をひねると、「バキッ」という木が裂けるような音がした。通りに目をやると、田中支配人がヤクザを木製のバットで殴りつけ、それが折れた音だった。
その音を合図に、2人の乱闘がはじまった。ヤクザと渡りあっていた田中支配人は、福岡県筑豊の出身で中学卒業後から旅芸人をしていたが、旅芸人では食えなくなり、ストリップ業界で働きはじめた男だ。1955~65年(昭和30年代)に大衆演劇の人気が下火になっていくと、ストリップ業界へ転身する者も少なくなかった。ヤクザと興行が密接に結びついていた時代を生き、川筋者と呼ばれた荒っぽい気風の筑豊出身ということもあり、ヤクザにもまったく怯まなかった。
「殴り合いがはじまったんで、のんびり顔を洗っているわけにもいかないですから、私も助太刀に入ったんですよ」
タオルで顔を拭いてから瀧口が通りに出ると、2人は暗がりで取っ組み合いの喧嘩になっていた。その日、劇場は満員で100人ほどの客が入っていたが、喧嘩が起きたことが伝わると、客は2人の喧嘩を見物するため出て行ってしまい、ショーは中止になった。
騒然となっている現場に、「タイム」という間の抜けた場違いの声が響いた。誰もが声の主の方を振り向くと、そこには瀧口が立っていた。
「私は暗いところが嫌いでしてね。街灯が当たるところで喧嘩をしようと思って、そう声をかけたんですよ」
瀧口の声に殴り合いを中断して、田中とヤクザは街灯の下に移動した。
まるで猛獣使いのように現場を仕切っていた瀧口は、つい数日前に福岡から出てきたばかりだった。瀧口の姉で、劇場の経営者の名前は桐かおる。当時、ストリップ界で知らぬ者はいない名ストリッパーだった。彼女はレズビアンショーで知られ、同じく絶大な人気を誇っていた一条さゆりと人気を二分していた。
瀧口の前職は銀行マンだった。福岡相互銀行、現在の西日本シティ銀行に勤めていた。安定した銀行員の職業を投げうって、姉が経営するストリップ劇場の一員となっていたのだった。
「私が木更津に行く前は、両親が姉の劇場を手伝っていたんですが、両親も年でしたし、九州に帰りたいと言い出したもんですからね。私が手伝いに行くことになったんです」
ストリップ業界に身を投じた経緯を瀧口はさらっと言う。当時、34歳の瀧口には、福岡に妻子がいたが、単身で木更津に来ていた。姉から帳簿をつけろと言われ、1975年(昭和50年)の2月から劇場で働きはじめたのだった。最初に降りかかってきたトラブルが、ヤクザとのひと悶着であった。
ヤクザが木更津別世界へ殴り込んできたのは、ヤクザが抱えていた踊り子を巡るトラブルだった。瀧口の弟勝弘は大学を中退し、木更津別世界で姉を支えていて、踊り子の興行を取り仕切るプロモーターをしていた。昔も今もシステムは同じで、どの踊り子たちも、全国の劇場を10日間隔で移動しながら、ストリップを披露している。踊り子がどの劇場を回るか、興行を取り仕切るのがプロモーターの役目である。時にプロモーターは、他のプロダクションの踊り子の興行を頼まれることがある。勝弘はヤクザが抱えていた踊り子の興行を任されていて、何らかの手違いが起きたのだった。
ヤクザは金でケリをつけようと、何度もしつこく電話をしてきたのだが、埓があかず、直接劇場へ来て、勝弘を刺すつもりだったという。
ヤクザは、ジャケットの胸ポケットに脇差を忍ばせていた。田中支配人から思わぬ反撃に遭い、さらには瀧口まで加勢してきた。
乱闘の情報をどこで聞きつけたのか、木更津のローカルラジオ局の記者も現場に駆けつけて実況中継をはじめた。
瀧口は揉み合いが暗がりに入ると、すぐに「タイム」と声を掛けた。乱闘は1時間以上に及び、大騒ぎになったにもかかわらず、警察を呼ぶものはいなかった。
「まわりの人間は、喧嘩だと思わないで、映画の撮影をしていると思っていたみたいですね。私が暗がりが嫌いなもんですから、揉み合いで暗いところにいくと、すぐにタイムをかけて街灯があるところに移動したりしていたから、勘違いしたんですね」
何度目かのタイムをかけて、明るいところに移動しようとすると、ヤクザの手元に冷たく光るものが見えた。ヤクザが忍ばせていた脇差をついに抜いたのだった。
もみ合いの中で、まず田中が肩を刺された。肺近くまで刃物が入り、乱闘の輪からすぐに外れ、片隅に座り込んだ。
「よく見たら、私の右腕から血が出ていて、相手の白いスーツも血まみれになっていたんです。相手が、凶器を持っていることがわかったんで、危ないですから、こっちも何か用意しないといけないと思って、野立ての看板に使う角材を手にしたんです」
ヤクザの持つ脇差より倍以上は長い角材を手にした瀧口は、何の遠慮もなしに、振り下ろした。切れ味では当然、脇差に劣るが、高校時代から野球で鍛えた瀧口の腕から振り下ろされる角材のスピードにさすがのヤクザも尻込みした。じわじわとヤクザを袋小路に追い詰めていき、最後は角材を遠慮なく頭に振り下ろした。ヤクザは頭から血を流して、その場に倒れこんだ。
「支配人も危険な状態ですし、ヤクザ者も気を失ったんで、姉に言って、救急車を呼んでもらったんですよ」
瀧口が打ちのめしたのは、新宿を根城にするヤクザだった。前科19犯で、殺人2件、殺人未遂が7件と、乱暴者として知られていた。その男を病院送りにした噂はすぐにストリップ業界を駆け回った。「木更津にいかれた奴がいる」と、業界の人間誰もが瀧口のことを知るようになった。
後年、ストリップの帝王と呼ばれることになる瀧口の伝説は、ここ木更津で産声をあげたのだった。
(このつづきは本編でお楽しみ下さい)
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。