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レビュー

解説 夢文学としての左近シリーズ『さくら、うるわし 左近の桜』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:もん / 書評家)

 こん桜蔵さくら

 この魅力的なキャラクターが世に現れてから、はや十三年の年月が経った。

 だが、物語の中ではもう少し緩やかに時は流れ、第一作『左近の桜』の冒頭で十六歳の高校一年生だった彼は、三作目となる本作でようやく大学に進学。生家を離れ、新しい環境で暮らし始めている。

 しかし、行きずりにこの世ならぬものとシンクロし、がんと彼岸の境目をひょいと超えてしまう体質は相も変わらず。本書でも異界の住人たちと遭遇しては、生と死のあわいに入り込む。

 左近シリーズは、そんな桜蔵が体験する幻夢をつづる連作短編集だ。そしてそれは、本シリーズが人類最古の文学形態である「夢文学」の正統な嫡子であることを意味する。

 原始のいつの頃にか、人類は言葉を編み出し、時間という概念を持つようになった。その二つが結ばれ「歴史」が誕生した結果、人類は単純な因果律では動かない不可解な世界の在り様を、想像力を駆使して説明しようとしはじめた。

「神話」の誕生である。

 そして、その中において、夢は常に重要な役割を果たしてきたのだ。

 たとえば、人類最古の神話「ギルガメシュ叙事詩」では、大きな出来事が起こる前に必ず予兆としての夢が語られる。無二の親友、というか恋人といいたいほど親密な半人半神のギルガメシュと獣人エンキドゥは、お互いが各々の運命に関わる夢をたびたび見、それによって宿命としての死に導かれていく。桜蔵が、の死を夢で追体験するように。
 今よりもっともっと日常と死が近かった時代、夢は運命、とりわけ重大事である「死」の兆しを探る、重要なツールだったのだ。

 だからこそ、れいめいの人類は夢の解釈に心血を注いだ。

 紀元前十二世紀にはすでに古代エジプトで夢解釈の手引書が編まれている。それらは古代ギリシャや古代イスラエルの社会に流れ込み、ヨーロッパから西アジアの文化に大きな影響を与えていった。

 東洋でも同じく、夢は神々からのメッセージだった。中国古代のいん王朝では、占夢は単なる夢占いではなく、国家の吉凶を知るための手段であり、政治上重要な判断材料だった。殷が滅んだのは紀元前十一世紀半ば頃とみられているので、古代エジプト「夢の書」が成立した時期とほぼ重なる。夢と人類の関係性が洋の東西を問わぬという証左になるだろう。

 夢は誰でも体験できる、もっとも身近な「神秘現象」だ。現実にはあり得ない出来事がごく当たり前に起こり、時には見たこともない景色を目の当たりにする。遠く離れて住む人、さらに今は亡き人にさえ会える。

 現実とは異なることわりが支配する世界が、あたかも実在するように感じられるのだから、精神分析や脳科学の知識がなかった二十世紀以前の人類が、夢とは人智を超えたもう一つの世界からのメッセージ・ヴィジョンであると考えたのは無理もない。

 そういうわけで、数千年前には夢の解釈法を手に入れていた人類だが、時代が下るにつれ、「夢のお告げ」は少しずつ政治を離れ、個人の体験として記録されるようになっていった。


書影

長野まゆみ『さくら、うるわし 左近の桜』
定価: 704円(本体640円+税)
※画像タップでKADOKAWAオフィシャルページに移動します。


 そして、中世日本。ちょうどへいあん時代からかまくら時代に入る頃に、夢のエキスパートが現れた。

 仏教僧のみようである。たいの名僧として知られる人だが、現代では紅葉の名所として名高い京都・こうざん中興の祖、というのがもっとも通りのよいプロフィールだろうか。しかし、彼が真に歴史上特筆すべき人となったのは、十九歳から約四十年書き続けた夢記録「明恵上人夢記」に因ってだろう。

 明恵は一一七三年、紀州(現在の和歌山県)に武士の子として生まれたが、幼少時に両親を失い出家。始めはとうだいなど当時の仏教の中心地に学ぶも、二十二歳頃から紀州のしらかみや京都のとがのといった奥深い山中の寺で修行生活を送るようになった。

 学識豊かでれいな頭脳を持つ一方、感受性が非常に鋭い人だったようで、たびたび神秘体験をしている。その上、とても純粋な心の持ち主でもあった。大の大人になっても、いつも拝礼しているしや如来像に宛てて旅先から「はやくあなたに会いたいです」と本気のお手紙をしたためてしまうほどに。

 ところが、そんな純粋性が暴走すると、時には狂気の域に至った。その最たるものが、二十六歳で自ら右耳を切り落としてしまった事件だ。

 なぜそんなことをしたのかはさておき、すでにほんぺんを読んだ方なら「おや?」と思ったかも知れない。そう、第一章のタイトルは「その犬に耳はあるか」であり、作中、とあるアクシデントに遭遇した桜蔵が父・まさきに助けを求めて電話した折、柾が発した問いが「その犬に、耳はあるか?」、そして「飼い主のほうはどうだ?」なのだ。

 この問答があった直後、桜蔵は夢の中=あの世とこの世の境目に引きずり込まれてしまうのだが、なぜ柾がこのような問いを息子になげかけたのか、理由は明記されていない。ただ、結末を見る限り、少なくともここまでは現実での出来事だったらしい。

 柾は、耳の有無で何を確認しようとしたのだろうか。夢のエキスパートたる中世の僧に耳がなかったことは、関係しているのだろうか?

 左近シリーズの世界に仏教的なモチーフは似合わない、と思う向きもあるかもしれない。だが、続く「この川、渡るべからず」は、あきらかに仏教的な異界観であるさんの川と、そのほとりにいるというけんおうだつを長野流に仕立て直した物語だ。桜蔵を夢に引きずり込む「耳がない何か」の後ろに明恵のイメージがようえいしていても、おかしくはない。

 さらに、犬もポイントである。犬は夢解釈において死の世界に直結する象徴とされている。黒い犬は特に不吉で、陰険な謀略と災いを意味するそうだ(現実の黒いワンコが、黒猫同様にただ可愛いだけなのは言うまでもない)。

 また、神話では犬やイヌ科の動物は死に関連付けられることが多い。特に、女神が連れている犬。古代ギリシャの月の女神アルテミスに付き従う猟犬たちは命令ひとつであらゆる生き物を八つ裂きにするし、死の女神ヘカテのけんぞくは犬だ。北欧神話の死の女神ヘルは月の狼に死体を食べさせることでその霊魂を死後の世界に運ぶ。インドのヴェーダでも、死の門は女神が司り、二頭の犬がそれを守るとされている。つまり、女と犬という組み合わせは「死」そのものなのだ。

 このように、本書の各話に登場するあれこれを古来の夢解釈や神話と照らし合わせると、背景に人類が何千年と見続けてきた「夢」の欠片かけらが浮かび上がってくる。

 さらに、もう一つ。現実と夢が境目なくつながる物語構造は、日本の中世に描かれた絵巻物における夢表現と通ずる。

 絵巻物では、時間の流れを描くにあたり、異なるタイミングで起こった複数の出来事を一つの場面の中に描き込む異時同図法が使われるが、夢を描く場合も同じ手法が取られる。つまり、絵巻物の中では「ここまでは現実」「ここからは夢」と区別することがないのだ。桜蔵が夢に入り込んでいく場面と同じように。

 近代になると、夢は完全に個人の持ち物となり、心理解釈の道具となっていった。それがゆえに数多あまたの文学者が夢文学を手掛け、夢について書き残しているのだが、そんな中の一人、あくたがわりゆうすけはその名もずばり「夢」と題した手記の中で次のように述べた。

世間の小説に出てくる夢は、どうも夢らしい心持ちがせぬ。たいていは作為が見え透くのである。(中略)夢のような話なぞと言うが、夢を夢らしく書きこなすことは、いいかげんな現実の描写よりも、かえって周到な用意がいる。

 もう多言は不要だろう。本シリーズがいかに「周到な用意」の上に書かれているかについては、すでに見てきた通りだ。本シリーズを「人類最古の文学形態の正統な嫡子」とした理由は、これでおわかりいただけたのではないだろうか。思えば、著者のデビュー作である『少年アリス』もまた、夢文学だった。

 長野まゆみという現代屈指の幻想の紡ぎ手が見せる夢にただ酔うも良し、そこここに漂う夢の破片から何かを読み取って楽しむも良し。

 私としては、気分にあわせて読み方を変えながら何度も再読し、今はただ桜蔵が見る次の夢にまみえる日を夢見て待つばかりである。

長野まゆみ『さくら、うるわし 左近の桜』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000144/


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