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レビュー

天を衝く大男にして〝かげま〟の傾き者が持つ小刀に込められた、父子の哀しみ『あらくれ 刃鉄の人』

 読後、豊かな物語だけがもつ圧倒的な迫力に、思わず唸ってしまった。なにしろ、この辻堂つじどうかい「刃鉄の人シリーズ」は、本書で三巻目だが、巻を追うごとに読後の充実感が増すという稀有な造りとなっている。別な表現をすれば、研ぎ澄された刀をさらに鍛え上げた鮮やかな切れ味を堪能できるということである。これは文庫書き下ろしシリーズをホームグランドとして、修練を重ね、技術を習熟させてきた作家のたどりついた境地といっていい。
 作者のこの境地は〝文庫書き下ろし時代小説〟が出版マーケティング上、選択せざるえないシリーズ化という足枷を、自らの小説作法の肥やしとして成熟化の道を歩んできた賜物といえる。つまり、シリーズものと単行本の違いをただ単なる判型の違いにとどめず、人物像の彫りをより深く描けること。密度の濃い群像ドラマとして仕立てやすいこと。この両者をテコとする手法を自家薬じかやく籠中ろうちゅうのものとしてきた結果でもある。
 要するに本書は読みどころ満載なのである。第一は、考えぬかれた優れた人物造形である。主人公である一戸前いっこまえ国包くにかねは家宝の刀に魅せられて以来、武士の身分を捨て刀鍛冶に心血を注いできたという設定。加えて、天稟てんぴんの素質と言われた神陰しんかげ流の達人でもある。辻堂ファンならばこの設定が、剣の達人で算盤そろばんの練達者という「風の市兵衛シリーズ」の手法を踏襲したものであるのに気がつくと思う。同シリーズは主人公が二つの得意技を持っていることで、ディテールに富んだ印象的なシーンと、そこから派生する人間ドラマを質の高いエピソードに仕上げ、それが人気の的となったのである。
 本シリーズも第一巻を読むと明らかなのだが、細密画を見るような刀鍛冶の場面と、迫真に満ちた剣戟けんげき場面が、人間の欲望や愚かな所業を包み込むような形で混在しているところから面白さが生まれている。それを際立たせ、支えているのが、

「力およばず、道理はなく、望まれずとも、わが一個の意地はあります。意地こそわが武芸の極意。斑目どの、やると決めたのです。立ち去る気は、ありません。やるしかないのです」

第一巻・第三章「玉川原」

 このセリフが象徴する孤高にして矜恃を失わぬ国包の生き様なのである。さらに意表を突くのが暗殺者としての一面をも兼ね備えているという設定。といっても暗殺を引き受けるのは事の真相を知りたいという性分からで、心憎いほどうまい造形が施されており、それが懐の深い国包の魅力となっている。
 加えて、見逃がしてはならないのが、老僕にして剣の師でもある十蔵じゅうぞうの存在である。国包と十蔵の関係を見事に描いた場面がある。それを紹介しておこう。

 甚左は即座に攻勢に移った。  八相からの鋭い袈裟懸(けさがけ)が、国包に襲いかかった。  途端、国包は甚左へ左の肩先をぶつけるかと見えるまで懐深く肉薄し、甚左の左をすり抜けながら、袈裟懸をはずしたのだった。  両者が体を擦るようにすり抜けたとき、両者の緊迫がくだけ火花を散らした。  両者は再び立ち位置を入れ替えた。  だが、今度は反転しなかった。  甚左は袈裟懸の一刀を下段に落とし、ゆるやかになびかせた。  国包は、後ろ脚から一刀の切先まで、雲間からのぞく青空へ指すひと筋の線のように、身体を静止させていた。  十蔵はそれを知った。そして、  決した……  と、呟いた。

第二巻・第三章「大川越え」

 剣の達人である山陰やまかげ甚左じんざとの対決を見分していた際の十蔵の呟きを描いたもので、国包に影のように寄り添っている十蔵の観察眼の鋭さと、二人のピッタリ合った呼吸を描いている。もうひとつ紹介したいセリフがある。第三巻、第二章「旅芸人」に出てくるもので、経緯を書くと粗筋がわかってしまい興を削ぐのでセリフだけ抜き出すことにする。

「旦那さまに、かかり合いのないことです。気になさいますな。旦那さまは、人の心を捉える名刀を鍛えられた。名刀だからこそ、人がかかり合い、物語が生まれたのです。物語が生まれたのは、旦那さまのせいではありません。稽古刀ですでにそれほどの名刀を作っていたことを、自慢に思いなされ」

 刀鍛冶に己の生き様を投影している国包を傍で見ている十蔵ならではのセリフである。この二人の友誼ゆうぎが本書でさらに深まりつつあることを示すもので、本書のヤマ場のひとつである。じっくり味わって欲しい。
 作者は本書で独得の工夫を凝らした人物造形を仕掛けている。それがもう一人の主役ともいえる熊太夫くまだゆうの造形である。

 大男は、身の丈が天を衝(つ)くばかりではなく、大きな鏡餅を重ねたように、腰から腹、胸から肩、着物の袖や袴(はかま)の裾にのぞく大きな手足までが、はちきれんほどに肥満していた。そして、これは石仏を思わせる太い首に、頬肉の丸々としてふくよかに張った顔が鎮座し、小さな丸い壺のような形に結った髷(まげ)を、狭い額の上の鬢(びん)づけで艶(つや)やかに整えた漆黒の総髪に乗せていた。

第三巻・序章「歌舞伎踊」

 異形の大男という設定に加え、初代市川いちかわ団十郎だんじゅうろうの芸風を愛し、芝居は下手だが、かげま(陰間)の方は相当の遣手で〝かげま団十郎〟という異名まで持つ役者だというから驚く。この熊太夫の造形は出色の出来を誇っており、これに才槌さいづち頭の小男で、猿回しに飼われている猿のような豆吉まめきちが寄り添うことで、熊太夫の喜怒哀楽が行間から立ち上ってくる。要するに本書は、国包と十蔵、熊太夫と豆吉の二組のコンビが関わり合うことで、劇的とも言える人生模様が、舞台の元禄時代さながらの極彩色に彩られた浮世芝居としてあぶり出されてくる仕立てなのである。見事である。
 物語は、熊太夫が同じ役者仲間に刺殺され横死した市川団十郎の葬儀会場に現われた場面で幕を開ける。これが導入部で熊太夫が江戸に出てきた目的は、団十郎の芝居を見たかったからだが、それ以外にもうひとつあった。国包に自分の持つ小さ刀と柄も鞘も、刀身の刃紋も同じ打刀の大刀をあつらえてもらいたかったからである。この小さ刀を何故、熊太夫が持っているのか。国包は深まる謎を丹念に追っていく。謎の先に見えたのは哀切なる父子の物語である。
 こう書くと単純な物語に見えるが決してそうではない。人物造形を読みどころとして第一に掲げたのは、国包と熊太夫という独得の造形が施されたキャラクターが交錯することで、緊張感溢れる場面が次々と繰り出され、息を継ぐ間もないほどの展開が続くからである。特に〝かぶもの〟としての熊太夫の怒りと哀しみが胸を打つ。本書の最大の収穫は熊太夫の造形にあると言っても決して過言ではあるまい。
 読みどころの第二は、セリフのうまさである。『「風の市兵衛」誕生秘話』(祥伝社文庫 風の市兵衛シリーズ公式WEBサイト)というインタビューの中で作者は、

 ストーリーはもちろんですが、こだわりたいのはセリフです。たとえば裁判劇などの比較的動きの限られた題材を、セリフにアクションの要素を加えることで、より緊張感を膨らませストーリーにのめり込んでもらいたい。セリフのやりとりだけで人間の様々な感情を表現してみたいと思います。

 と語っている。本書ではさらに進化した大向うをうならせるようなセリフが目白押しである。すでに二例ほど紹介した。
 もう一例だけ紹介させてもらう。ただしこのセリフは全編を読んで、その後に噛みしめるためのものである。

「(前略)わたしの中に、桜太夫は生きております。これまでもそうだったし、これからもそうです。わたしは、月明かりの下で桜太夫に見せた愚か者の放れ狂言を、今は続き狂言のように、ひとりで演じております。国包の拵えをこのように作り替え、国包の小さ刀は桜太夫、国包の大刀はわたしの差料として……」

第三巻・第三章「父と倅」

 このセリフによって父子の物語は哀切さを増し、奥行のある人間ドラマとなっている。
 読みどころの第三は、「序章」である。作者は、「風の市兵衛シリーズ」でも巻頭に必ず「序」を設け、事件の発端を描いている。これは錯綜する人間ドラマの起爆剤となる事件を伏線として仕込んでおくためである。当然、読者はスリリングな展開を期待し物語に引き込まれていくという仕掛けだ。ベテランだからこその円熟味を感じさせる小説作法と言えよう。
 本書の「序章」は、物語を読み進めていく上での重要な伏線が張りめぐらされている。例えば、何故作者は百年も前の神子かみこお国の勧進歌舞伎興行から書き起したのか。《傾き者》の講釈の意味していることとは。要するに作者は「序章」で熊太夫の造形の肝となることを描いているのである。
 作者は第二巻『不義』で忠臣蔵外伝ともいうべきスタイルを駆使して、まったく新しい物語を紡ぐ手腕を見せてくれた。本書では、この「序章」の秀抜な描き方といい、初代市川団十郎の荒事や死をつかみとして持ってくる手法といい、鮮やかの一言に尽きる。作者が物語作家として、円熟味を増してきたことを示している。
 思わず拍手がしたくなるような傑作である。


書誌情報はこちら≫辻堂 魁『あらくれ 刃鉄の人』


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