〈クリフハンガー〉という言葉をご存じだろうか。
かつて二十世紀初頭の活劇映画はたいてい二巻立てで、崖のふちにつかまった主人公が絶体絶命の状態となり、次巻に「つづく」となるものが多くあったという。「クリフ」は崖、「ハンガー」はぶら下がり。クライマックス場面に突入し、主人公が崖っぷちに追い込まれ、サスペンスが最高潮となったところで「はたして運命やいかに」となるわけだ。この演出法が〈クリフハンガー〉である。観客は、その先を知りたくてたまらず、次を絶対に見逃せない。この手法は現在でも連続ドラマで受け継がれている。
本作『崖っぷちの花嫁』の表題作は、まさに花嫁が〈クリフハンガー〉となるのだ。いや、実際の崖に花嫁がぶら下がるわけではないが、最初に起こる事件は、同じように危険な高所でのことなのだ。しかも、われらが塚川亜由美まで危ない状況におかれてしまう。
とまぁ、これまで赤川次郎〈花嫁シリーズ〉を読んできた読者であれば説明は不要だろう。もし本書で初めて〈花嫁シリーズ〉を手にしたとしても、なんら心配する必要はない。「塚川亜由美の行くところに花嫁のトラブルあり」と、まるで「犬も歩けば棒に当たる」かのごとく、女子大生の亜由美が数々の難事件に遭遇するのが〈花嫁シリーズ〉。彼女は、被害者となったり問題を抱えたりしている花嫁を助け、持ち前の度胸で事件の渦中に飛び込み、ときに彼女自身も危険な目にあいつつ、親友の神田聡子、亜由美の両親に愛犬のドン・ファン、殿永部長刑事らの助けを借り、みごと事件解決へと導いていく。
記念すべき第一弾『忙しい花嫁』が「週刊小説」誌に掲載され、実業之日本社「ジョイ・ノベルス」の一冊として刊行されてからすでに三十数年が経ち、三十巻をこえる人気シリーズとなっている。それでも塚川亜由美は初登場のときとほとんど変わらず、元気な女子大生のままだ。主要登場人物たちのプロフィールも基本的には変わっていない。ちなみに第二弾『忘れられた花嫁』のみ、合気道をたしなむ女子大生の永戸明子が主役をつとめた。これ以外は、すべて塚川亜由美とその両親、友人、愛犬、恋人や仲間たちが登場し、彼らが活躍する物語である。
また、〈花嫁シリーズ〉第三弾『花嫁は歌わない』以降、一冊に中編が二話収録されているスタイルが続いている。この『崖っぷちの花嫁』、シリーズ第二十六弾の再文庫化となる本書もまた、表題作「崖っぷちの花嫁」と「花嫁は今日も舞う」の二話が収められているのだ。初出は「月刊ジェイ・ノベル」誌の連載で、二〇一二年にジョイ・ノベルスの一冊として刊行されたものである。
さて、最初の一作「崖っぷちの花嫁」は、先に書いたとおり、いきなり亜由美に危機が迫る。しかも、その場所は遊園地のジェットコースターなのだ。
亜由美は、親友の神田聡子とともに遊園地に来ていた。ちょうどソフトクリームをなめているときに騒ぎがもちあがった。はるか頭上、ジェットコースターのレールの上を歩く女性がいる! 園内は大混乱。発着所の若い職員は頼りにならず、そこで亜由美は助けに行こうと自らはしごを上り、レールにたどりついた。だが、その謎の女性、木村みずえは、なんと亜由美に宝石を売り込もうとするではないか。話を合わせて一億円のティアラ購入を承諾したとたん、木村みずえはポケットから拳銃を取り出し自分のこめかみに当てた。亜由美は、とっさに飛びかかった。
と、ここまでが導入部。なんとスリリングな幕開けか。遊園地といえば、かつて亜由美は聡子らとともにディズニーランドに来て少女の誘拐騒ぎに居合わせたことがある(第十三弾『闇に消えた花嫁』表題作)ほか、ある遊園地では彼女自身が何者かに誘拐されてしまった(第十五弾『花嫁は女戦士』表題作)。遊園地は愉しいだけじゃないのだ。
亜由美は、木村みずえを助けたお礼に、彼女の勤める〈S宝石店〉の社長、丸山広志から贅沢なもてなしを受けることとなった。しかしこの〈S宝石店〉、どうも怪しい事情を隠している様子。さらに前野という男の存在が浮上してきた。木村みずえはジェットコースターのレール上で亜由美に向かい、「男など信用してはいけません!」と泣きながら口にした。前野が関係しているのだろうか。やがて殺人事件が起こり、警察が捜査に乗り出した。
この奇妙な事件は、〈S宝石店〉の社員旅行先である温泉旅館で急展開となる。亜由美たちもそこへ乗り込み、真相に迫る。
温泉地というのもまた、本シリーズ中、主要な舞台のひとつ。第十弾『ゴールした花嫁』収録の「花嫁の卒業論文」では早世した小説家の故郷であるK温泉へ行き、トラブルに巻き込まれる物語だったし、第十七弾『花嫁よ、永遠なれ』の表題作では、塚川一家と聡子に亜由美の恋人である谷山先生らが訪ねた温泉町の騒ぎに出くわし、第二十一弾『毛並みのいい花嫁』の表題作でもまたK温泉〈新緑荘〉が舞台となっていた。遊園地だろうと温泉地だろうと事件は起こるのだ。
思いかえせば、作者のデビュー作、女子大生の永井夕子が活躍する〈幽霊シリーズ〉の第一弾「幽霊列車」もまた山間の温泉地を走る列車が事件の舞台だったではないか。
また本シリーズでは、花嫁の勤め先、その企業の闇に迫る物語が少なくない。この「崖っぷちの花嫁」もその系列といえよう。いずれも赤川作品ならではのユーモアや軽妙な展開で愉しめる作品ながら、悲劇の裏側には、現代社会の歪みや陰りが潜んでいるのだ。たとえば、過労死の問題を扱い、社員を使い捨てにするブラック企業を糾弾する「花嫁たちの名誉」(第十一弾『血を吸う花嫁』収録)などは未読の方に薦めたい一作だ。
本書に収録のもう一話、「花嫁は今日も舞う」は、有名バレエ団をめぐる物語である。企業ではないものの、伝統ある集団や仕事の問題に絡んでいる内容ということでは、「崖っぷちの花嫁」とどこか通じている。
塚川亜由美と親友の神田聡子は、アルバイトでパーティーの受付を担当した。それは〈花山バレエ団〉の代表・花山しのぶの七十歳を祝う会。だが会場となるホテルに集まったのは、なぜか訳ありの面々ばかり。
かつてバレエ団のプリマドンナでありながら二十年前に怪我で引退した仲井咲子。その娘で同じくバレリーナの亜也とその恋人も会場に来ていた。花山しのぶのかつての夫だった岸本弘に、ライバル〈ミクニ・バレエ団〉の邦光ユリア。さらに警察が妻殺しの疑いで追っている男、元国会議員の佐古をホテルで見かけたという情報までが舞い込み、殿永部長刑事が現れた。そして事件が起こった……。
作中、殿永部長刑事が「亜由美さんは犯罪を呼び寄せる能力をお持ちですから」と語る場面があった。亜由美がそこにいたならば、かならずや花嫁がらみの事件に巻き込まれる。さけて通れないのだ。
この「花嫁は今日も舞う」は、バレリーナたちが登場する物語のためか、単に結婚とその幸せという話にとどまらず、女性たちの複雑で生々しい感情が渦巻く世界が描かれている。なるほど、〈花嫁シリーズ〉がこれほどの人気を誇り、長寿シリーズとなったのは、単に「幸せな花嫁」という見せかけの図式を曝くだけにとどまっていないから、ではないだろうか。
もちろん、塚川亜由美とその仲間(おもにドン・ファン!)による八面六臂の活躍を追う物語そのものが痛快なのは言うまでもない。彼女は、あるときはフルマラソンに挑んだかと思えば、南米のジャングルではゲリラと渡り合う。はたして次の花嫁はどんな女性で、亜由美はいかなる怪事件を呼び寄せてしまうのか、愉しみでしかたない。
書誌情報はこちら≫赤川 次郎『崖っぷちの花嫁 花嫁シリーズ』
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