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レビュー

加藤シゲアキ“渋谷サーガ”の集大成。<記憶の封印>が解かれたとき主人公に何が起こる!?

 小説を書くということが、加藤シゲアキの中で着実に積み上がっている。

 一緒に芸能界入りするも道が離れてしまう幼馴染の少年ふたりを描いたデビュー作『ピンクとグレー』(角川文庫)、パパラッチとアイドルの奇妙な逃避行を綴った『閃光スクランブル』(同)。本書は前二作同様に、渋谷と芸能界をモチーフにした〈渋谷サーガ〉の三作目だ。
 物語は、舞台劇作家の夏川レイジが、演劇界の大きな賞を受賞する場面から始まる。かつてレイジは天才子役として人気だったが、小学四年生で役者を引退したという過去を持つ。だが作り手に転身することで三十歳という若さでの最高賞受賞、マネージャーでもある妻・望美は妊娠七ヶ月と、まさに幸福の絶頂にあった。
 ところが授賞式の帰り道に、レイジと望美は交通事故に巻き込まれてしまう。レイジはケガで済んだものの望美の意識は戻らない。そんな時、病院の中でレイジは思いがけない人物と二十年ぶりに再会することになる。
 その人の名はローズ。レイジが子役として活動していた小学生の頃、渋谷で出会ったドラッグクイーンだ。実はレイジには、子役時代の記憶がなかった。無意識に封印していたようなのだが、ローズと再会したことで、当時を少しずつ思い出していく。
 ――というのが本書の導入部で、この後、現在と二十年前を行き来しながら物語が進んでいく。
 既刊の『ピンクとグレー』は友情、『閃光スクランブル』は恋愛をテーマにしていたが、本書の核は家族だ。
 子役時代、レイジの心は空っぽだった。学校でいじめられたときは、目と耳を閉ざし抵抗しない。職場では大人受けを狙って敢えて子どもっぽく振る舞う。天才子役と言われたのも、確たる自分を持たないがゆえに「ハードウェアの自分に『役』というソフトをインストールして取り込めば済んでしまう」から。序盤のレイジはまるで感情を持たない、機械のような子どもとして描かれている。
 そんな時に知り合ったのが、ホームレスの徳さんとドラッグクイーンのローズだった。ふたりはレイジに〈魂を燃やす〉ことと〈楽しむ〉ことを教える。徳さんとローズが、空っぽだったレイジの心を少しずつ埋め、レイジが自然な感情を獲得していく過程がひとつの読みどころだ。三人は他人ではあるけれど、レイジが甘えたり、拗ねたり、互いに心配しあったり、一緒に笑ったり、時には厳しく接したりする様子はまさに家族そのもの。ふたりに出会ったことでレイジは初めて、ちゃんと〈子ども〉になれたのだ。
 巧いなあ、と思った箇所が二つある。ひとつはちゃんと〈子ども〉になったレイジが、これまでのような演技ができなくなったこと。自分が空っぽではなくなったので、「役」というソフトをインストールできなくなったことを表している。
 そしてもうひとつは、レイジを〈不幸な家庭の子ども〉にはしなかったところだ。父はいないが、母親はちゃんとレイジを愛している。だがレイジの方にそれを理解する器がなかった、という描き方になっているのがいい。外に〈疑似家族〉を持ったことでレイジ自身が変化し、母の心を理解できるようになる。この設定が、一見突飛なように見える本書を普遍的な物語にしていることに気づかれたい。私たちは、身内以外にも今の自分を作ってくれた人――つまり〈親〉のような存在を、誰しも持っているものだから。
 そんな記憶が、なぜ封印されなければならなかったのか。大きな事件が起きたからだ。詳しくは明かせないが、親にも等しい人たちが巻き込まれた事件の封印を解き、今度はレイジ自身が親になる、とだけ書いておこう。

 さて、冒頭で私は「小説を書くということが、加藤シゲアキの中で着実に積み上がっている」と書いたが、それはどういうことか。〈渋谷サーガ〉における本作の位置付けを、その構成とテーマから見てみよう。
 この三部作はいずれも、時制や視点が行き来するのが特徴だ。たとえば『ピンクとグレー』では現在と過去、『閃光スクランブル』では主人公とヒロインの視点が交互に綴られる。そして本書では、二十年前と現在が並行して語られている。
 これにはもちろん意味がある。『ピンクとグレー』は不穏な現在をまず見せることで「過去に何があって、この現在につながるのか」というミステリ的興味で読者を引っ張る効果があった。また『閃光スクランブル』での視点の併用は、主役ふたりの心情を双方から描くことで読者が神の目線でふたりを俯瞰することができ、感情移入を容易にした。いずれも、読者を物語に取り込む手練れのテクニックだ。
 本書でも、過去と現在を並行させることで「封印された記憶とは何なのか」という興味を起こさせているのは間違いない。また、直接描かれこそしないものの徳さんやローズの背景が自然と浮かんでくるような描写になっているのは、『閃光スクランブル』を経たがゆえだろう。
 だが、それだけではない。本書はただ過去と現在を並べたのではなく、レイジが〈子どもになる〉過程と〈親になる〉過程を並行させているのがポイント。それにより、人は誰かに育ててもらった子ども時代を経て親になるのだという主題が明確になる。『ピンクとグレー』『閃光スクランブル』が主人公ふたりの関係を描いているとするなら、本書は夏川レイジという人間の〈再構築〉を描いていると言っていい。
 この〈渋谷サーガ〉三冊にはもうひとつ共通点がある。既刊を未読の方のためにボカした書き方になるが、三冊とも物語の終盤で、主人公が事件の中枢から離れる時期があることだ。その結果、主人公の外部では最も混乱していたはずの期間が描写されない。前の二作では、エピソードが煩雑になるのを避け、主人公の内面に特化させるのが狙いだったと思われるが、本書は違う。そのブランクがレイジの〈記憶の封印〉を象徴しているのだ。そしてその封印を解くことで、レイジの子ども時代と現在が、同時にリスタートを切るという構成になっている。これがレイジの〈再構築〉というメインテーマに多重的につながっていくのである。実に巧い。
 過去二作で培った技術が、本書で十全に活かされ、さらに飛躍していることがお分かりいただけたと思う。そのテーマからも、技法からも、本書が〈渋谷サーガ〉の集大成であり、ホップ、ステップに次ぐジャンプの位置にある一冊であることは間違いない。

 そのジャンプの行く先は、この後に出た著者初の短編集『傘をもたない蟻たちは』(KADOKAWA)だ。渋谷、そして芸能界という住み慣れた場所を飛び出し、幻想小説、SF、ミステリ、ギミックにあふれたサラリーマン小説からひりつくような恋愛小説、そして青春小説まで、驚くほどの引き出しの多さを示してくれた。
 加藤シゲアキはトップアイドルグループNEWSの一員として多忙な日々を送っているが、二〇一二年の作家デビュー以降、こうしてコンスタントに小説を上梓しているのは読者として実に嬉しい。これまで書いてきたものが蓄積され、まったく新しい次の作品へと昇華される様子は、作家・加藤シゲアキの幹が一作ごとに太くなり、枝が伸び、葉が茂っていくかのようで、ワクワクさせられる。
 次はどんなものを読ませてくれるのか。楽しみでならない。そう期待させるだけの実績が、既に加藤シゲアキにはあるのだから。


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