ミステリーと病院――。
この二つの単語は、妙に相性がいいようだ。事実、病院を舞台としたミステリーには名作が目白押し。ちょっと考えただけでも、帚木蓬生『閉鎖病棟』、貫井徳郎『転生』、久坂部羊『廃用身』、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』、知念実希人『祈りのカルテ』――、といくつもの作例が浮かぶ。漫画や映画、ドラマも含めるなら、その数はさらに増えるだろう。
ではなぜ、病院がミステリーの舞台に適しているのか。理由はいくつか考えられるが、ひとつにはそこが「生と死」「病と老い」というテーマと不可分に結びついた空間だからだろう。人生で一度も病院のお世話にならずに済む人はいない。診察室や病室で巻きおこる命のドラマは、誰にとっても切実で、素通りすることができないものを含んでいる。
また病院は、医師や看護師、患者やその家族などさまざまな立場の人が集う場でもある。そこで生まれる人間模様も多種多様。優しさや希望が生まれる反面、暗い感情もそこかしこに渦を巻く。こうした側面も、作家たちに好まれるポイントだろう。
さて、長岡弘樹が二〇一六年に刊行した『白衣の噓』は、そうした病院ミステリーの歴史に新たな一ページをつけ加えた短編集である。
六つの収録作の舞台となるのは、地方都市の個人病院や国立の総合医療センターなど、日本中どの地域にもありそうな平凡な医療施設。登場する医師や患者たちも、取り立てて目立った特徴のない、地に足の着いた人たちだ。一口に病院ミステリーといっても、社会派サスペンスから〝難病純愛もの〟まで豊富なバリエーションがあるが、本書は病院で起こるささやかな事件を繊細なタッチで描いた日常寄りの短編集、ということになる。
といっても、それはあくまで表面的な話。長岡弘樹といえばラストで読者をあっと言わせるタイプの作品を得意とする、短編ミステリーの名手だ。その長岡が初めて病院を舞台に選んだ『白衣の噓』が、平凡な作風であるわけがない。これから本書を読もうという人は、あらかじめ騙される心の準備をしておいたほうがいいだろう。
この油断のならない六編のミステリーを紹介する前に、まずは著者のプロフィールを簡単にふり返っておこう。長岡弘樹は一九六九年山形県生まれ。筑波大学を卒業後、地元に戻って就職するが、作家になりたいという夢を諦めきれず、三〇歳を目前に新人賞への応募を始める。そして二〇〇三年、短編「真夏の車輪」で第二五回小説推理新人賞を受賞し、念願のデビューを果たした。〇五年には雑誌掲載した短編をまとめた初の単行本『陽だまりの偽り』を刊行している。
長岡弘樹の名を多くのミステリーファンに知らしめたのが、〇八年に日本推理作家協会賞・短編部門を受賞した「傍聞き」である。同賞選考委員の一人であった有栖川有栖の「真相に至るキーワードを堂々と題名に掲げながら、なお読み手を欺く手腕に感服した」という選評は、長岡ミステリーの特徴をよく表しているといえる。同作を表題作にした短編集『傍聞き』もヒットした。
一三年には、警察学校という特殊な世界を扱った連作『教場』が大ブレイク。トリッキーで技巧的な短編ミステリーの書き手、という評価を不動のものとした。以来今日まで『血縁』『にらみ』『道具箱はささやく』と、ハイレベルな短編集を相次いで刊行。作家を短編型と長編型に分けるなら、長岡は明らかに前者だろう。並み居る現代ミステリー作家の中でも、著作のほとんどがノン・シリーズの短編集(二〇一八年末現在、純粋な長編は『線の波紋』のみ)という作家はかなり珍しい。
『白衣の噓』は、そんな長岡の名手ぶりを余すところなく伝える珠玉短編集だ。ここではそのすごさを読者の皆さんと分かち合うために、六編の読みどころと簡単なあらすじを(ネタバレには十分注意しつつ)記しておこう。
一作目「最後の良薬」(『小説野性時代』二〇一四年三月号掲載)の舞台は、とある地方の個人病院。そこに内科医として勤務する副島は、末期がんを患った女性患者・友葵子の担当を命じられる。早速治療に取りかかった副島だったが、いくら話しかけても友葵子は返事をしない。どうやら彼女は副島に反感を抱いているようなのだ。ラスト数ページ、見事などんでん返しが決まると同時に、登場人物の秘めた思いが明らかになる。本格ミステリ作家クラブ編のアンソロジー『ベスト本格ミステリ2015』にも収録された、長岡ミステリーの好見本ともいえる逸品。ぜひ二度読みして、さりげなく張られた伏線を確かめてみてほしい。
大学バレーボールの選抜選手として活躍する彩は、トンネル事故に巻きこまれ、片足を失ってしまう。姉の多佳子が勤務する病院のベッドで悲嘆に暮れ、自暴自棄になる彩。ところが今度は、多佳子がクモ膜下出血で緊急入院することになり……。二作目の「涙の成分比」(『小説野性時代』二〇一五年六月号掲載)は、スポーツと医学という別々の道を歩んだ姉妹の、複雑微妙な関係性を描いた作品。ラストの彩の台詞に感動させられるとともに、この世にはミステリーでしか描けない人間ドラマがあるのだ、ということを思い知らされる。日本文藝家協会の年間傑作選『短篇ベストコレクション 現代の小説2016』にも収録された。
三作目「小医は病を医し」(『小説野性時代』二〇一五年四月号掲載)は、「小医は病を医し、中医は人を医し――」という中国の諺が重要な役目を果たす作品。町役場に勤める角谷は、仕事中に心筋梗塞を起こし、隣町にある医療センターへと搬送される。主治医の岸部は、成し遂げたいと思っている目標を強く意識することが、病に打ち勝つ最大の秘訣と語った。やがて角谷は、喬木という無口な男との相部屋を命じられる。角谷の秘めた過去、喬木の正体、病院の事務長失踪事件。ばらばらのピースがひとつになり、思いも寄らない図柄を作りあげる結末はまさに長岡マジック。角谷の心の揺れを、繊細にすくいあげたラストシーンも印象的だ。
長岡ミステリーには、登場人物が言葉以外の方法でメッセージを伝える、というシーンがしばしば登場する。四作目「ステップ・バイ・ステップ」(『小説野性時代』二〇一四年六月号掲載)もそんな一編。外科医の上郷は、体調不良で一週間ほど休んでいる研修医・内山亜沙子のマンションを訪ねる。うつを患っているらしい亜沙子に治療を受けさせるため、上郷は一計を案じた。彼女のマンションから病院までの道のりを一週間かけて少しずつ、ステップ・バイ・ステップで進むことを約束させたのだ。ところが五日目から、亜沙子は約束と違ったルートを辿りはじめ……。病院ならではのアイデアが効果的に使われた好編。亜沙子は上郷に何を伝えようとしたのか。彼女のメールに添付された画像から推理してみるのも一興だろう。
五作目「彼岸の坂道」(『小説野性時代』二〇一五年九月号掲載)の主人公友瀬は、総合病院の救命医療センターに勤める医師。現センター長の津嘉山は、半年後に退職することが決まっている。次期センター長の椅子に座るのは友瀬か、ライバルの生原か。周囲の注目が集まる中、津嘉山が大怪我を負い、センターに搬送されてくる。何者かに背中を押され、崖から転落したというのだ。病院ミステリーにつきもののポスト争い(そこまで熾烈なものではないが)を描いた一編で、葛藤する若い医師たちを包みこむような、津嘉山のキャラクターがしみじみと心に残る。
六作目の「小さな約束」(『小説野性時代』二〇一四年九月号掲載)。刑事としてハードな職務をこなす実鈴はある日腎不全を患い、人工透析が必要な体になってしまう。完治するには腎移植手術を受けるしかない。弟で警察官の秀通は、腎臓を提供したいと主治医の貞森に伝えるのだが……。臓器移植をめぐるドラマであると同時に、警察小説としても、不器用なラブストーリーとしても味わえる贅沢な作品。結末で明かされる意外な動機には、そうだったのか! と膝を打つはずだ。余韻の残るラストシーンも、巻末を飾るにふさわしい。
こうした長岡弘樹のミステリーを読んでいて、私がいつも連想するのは絵画でいう「騙し絵」の技法である。一見すると平凡な風景画や人物画。しかし眺める角度を変えると、まったく異なる絵柄が浮かびあがる――。本書収録の六編も、まさにトリックアート的な発想方法で書かれたものだ。アイデアありき、結末の意外性ありきで組み立てられた、極めて人工的な小説空間である。
しかしその一方で、作品全体から受ける印象はあくまで温かい。それは著者の人を見る目が、優しさに溢れているからだろう。『白衣の噓』には、かつて過ちを犯した人が新たな一歩を踏み出す、という物語がいくつも含まれている。彼らは理由あって罪に手を染めはするが、決して悪い人間ではない。この点について著者は、単行本刊行時のインタビューでこう語っている。
世の中そうそう悪い人なんていないような気がするんです。罪を犯したとしても、根底にあるのは弱さだったり、過ちだったりという人が大半だと思う。僕の小説に出てくるのは、追いつめられて過ちを犯してしまった人が多い。本当に悪い人は出てこないんですね。 (『ダ・ヴィンチ』二〇一六年一一月号)
人間に潜む複雑さ(そこには暗い感情も含まれる)を直視しながら、あくまで希望を失わない。長岡ミステリーの魅力は、そんな人生観にも由来しているように思う。
病院という舞台を十二分に生かし、トリッキーな叙述で人生の深みに触れた『白衣の噓』は、目の肥えた本格ミステリーファンはもちろん、心に沁みる物語を求めている方にもお薦めできる一冊だ。六つの驚きと感動を、じっくり噛みしめていただきたい。
書誌情報はこちら>>長岡弘樹『白衣の噓』