本書は桃園書房から発行されていた「小説CLUB」の一九九九年八月号から二〇〇〇年一月号に掲載された作品です。その後、一九九九年十二月に角川春樹事務所からノベルス版として刊行されました。雑誌の号数は実際の日時より先行しているので、こういう例もままあるようです。そして一年後の二〇〇〇年十二月に、同社から文庫版が刊行されました。今回は十八年ぶり、二度目の文庫化になります。
かつて『奥さまは魔女』という人気テレビドラマがありました。一九六〇年代半ばから七〇年代初めにかけてアメリカで制作された番組です。可愛らしく明るい妻サマンサと、広告代理店に勤める夫ダーリンは相思相愛で結ばれ、後にはタバサという娘も生まれます。
何度も再放送されたので、幅広い年代の方に知られていると思います。最近も当時の映像を使ったCMや、リメイク作品が国内で作られたほど。
サマンサとダーリンの夫婦は、郊外にマイホームを構えているようで、絵に描いたような中流ホワイトカラーの家庭という設定でした。どこから見ても幸せで仲の良い夫婦ですが、二人には隠さなければならない秘密がありました……と、もったいぶってもしかたがない。そうです、タイトルにあるように、奥さまは魔女だったのです(笑)。
魔法は使わない約束だったのに、しょっちゅう魔女の世界からサマンサの家にやってきては引っかき回す母エンドラを筆頭に、二人の家庭にはさまざまなトラブルが起きてしまいます。サマンサはしかたなく魔法を使い、事態の収拾をはかります。すると向かいに住む主婦がそれを目撃。ところが金棒引きの主婦の話を彼女の夫は全く信用せず、無事にサマンサ一家の秘密は保たれるのがお約束です。
日本における嫁姑関係と同じ、夫と妻の母親との不仲(アメリカでは、どういうわけかこちらの組み合わせに問題が多いようです)や、穿鑿好きの隣人という、どなたにも起こりうるおなじみの問題を加味した、楽しいシチュエーションコメディでした。
サマンサの秘密は魔女という属性にありましたが、本書の主人公・伊原ユリの秘密はその職業にあります。彼女はスパイだったのです。
伊原ユリは四十一歳。中規模の商社に勤める夫の修一との間には中学一年生で十三歳になる一人娘の涼子がいます。ユリは英語、ドイツ語、フランス語などに堪能で、主婦業のかたわら、その能力を活かして人材派遣会社に登録し、通訳や翻訳の仕事を請け負っています。
ユリはスパイといっても危険なことをしているわけではありません。外国人と財界人が集まる立食パーティなどで通訳を務め、そのおりに小耳にはさんだ会話を報告するという地味なエージェントなのです。第二章の章題にあるように、まさに「草の根スパイ」という言葉がぴったりでしょう。
ユリ一家は団地住まいで、最寄り駅に出るにはバスに乗らなければなりません。郊外という印象ですね。さらに夫は商社勤めのホワイトカラーであり、ユリに気があることが透けて見えるお節介な階下の住人もいて、サマンサ一家とユリ一家を取り巻く環境がなんとなく似ているのが愉快です。
一見平凡な人間が実は……というパターンの物語は赤川次郎さんお得意のテーマのひとつです。なかでもすごいのが一家中が表の顔と裏の顔を持っているという、初期の代表作『ひまつぶしの殺人』から始まる《早川一家》シリーズでしょう。ルポライター実は殺し屋が長男、インテリアデザイナー実は詐欺師が長女。そして母親は美術商実は泥棒の親分なのです。ところが正義感が強い三男は警察官に、そして家族の裏の顔を知ってしまった次男は弁護士になり、家族の悪事がばれた時に備えるという、いったいどうしたらこんなことを考えつくのかという、ぶっ飛んだ設定のシリーズでした。
また天涯孤独な女子高校生が、弱小暴力団の跡目を継ぐという『セーラー服と機関銃』もそうでしょう。こちらは意外すぎる環境の変化によって、平凡な女子高校生の人生が一変するという作品でした。自らの意思ではなく他の力によって押し流されながらも、与えられた環境で生きていく。方法論は違いますが、困難な状況に向かっていくという点では共通しているのではないでしょうか。
本書で赤川さんは、主婦スパイという意外性はあるがシンプルな形で、表と裏の顔が違うヒロインに降りかかるトラブルを描こうとしたのでしょう。
実は赤川作品の後に、主婦の意外な裏の顔を描いた作品が何作か登場しました。その一つが荻原浩の『ママの狙撃銃』(二〇〇六年)です。こちらのヒロインもユリと同じ四十一歳で、夫と二人の子供がいる専業主婦です。幼いころアメリカで育った彼女は祖父から射撃を習ってめきめきと上達し、やがてとある組織からスカウトされ、プロのスナイパーとして仕事を請け負った過去があったのです。日本に帰国し、結婚してすっぱりと足を洗ったのですが、再び彼女に仕事が持ちかけられて……、というストーリーでした。
もう一作が大沢在昌の『ライアー』(二〇一四年)です。なんとこちらのヒロインも四十一歳です。偶然もここまで重なると奇妙な気がします。彼女は消費情報研究所に勤めるキャリアウーマンです。しかしそれは表の顔。その研究所は国家の秘密組織の隠れ蓑でした。彼女はこの組織の命令で、暗殺を実行する――ただし国外に限る――殺し屋なのです。大学教授の夫と小学生の一人息子が家族です。上海に家族旅行に出かけ、旧友と会うという口実で家族と別行動を取り、命じられた任務を遂行しますが、帰国後にその任務のおかげで彼女の家族に災厄がもたらされます。そして大沢作品らしく、ヒロインはそれに抗い戦いを挑むというハードな展開が待ち構えています。
さて、ユリが情報を上げる国は、東ヨーロッパにあるポメラニア共和国という小国でした。ところが、この国家が消滅してしまったというTVのニュースが流れたのです。国家財政は以前から粉飾を続けており、ついに破綻。大統領は隠し財産を持って海外に逃亡。ユリは仕えていた駐日大使のアルブレヒトから以上のような詳細を聞きました。大使館は閉鎖、もちろんこれまで貰っていた給料も打ち切りです。十五年に亘って続けてきた「草の根スパイ」が失業の憂き目を見ることになったのです。
そしてこの直後からユリの周りで異変が続きます。貴重な収入源を失い、夫が入院中というピンチに、ユリはいっそう通訳の仕事に身を入れます。ところが仕事現場に向かう途中、ユリは駅のホームで背中を押され、電車が入線する線路に転落しそうになります。さらにユリに何かを渡そうとして再会したアルブレヒトが、ユリの面前で車にはねられそのまま拉致される事件も起きてしまいます。
こうしてユリは入院中の夫や、中学生の娘を抱えるハンデを負いながら、国家消滅の裏事情がからんだ陰謀に巻き込まれていくのです。そして後半は、どんでん返しのつるべ打ちが続きます。その果てに明かされる真相には、ミステリーを読み慣れた読者もきっと驚くことでしょう。
赤川次郎さんのミステリー作家としてのキャリアは、一九七六年に「幽霊列車」が第十五回オール讀物推理小説新人賞を受賞したことから始まりました。それ以来、赤川次郎さんは毎年毎年倦むことなくコンスタントに作品を書き続け、二〇一六年には作家デビュー四十周年を迎え、現在では著作数は六百冊を超えています。
アイデアあふれるプロットを、読みやすい文体で綴った作品は、性別や年齢を問わず、幅広い読者に受け入れられています。親から子、そして孫まで、三代に、あるいはひょっとすると四代に亘ってまで読み継がれる国民的ミステリーを書き続けている作家なのです。
その功績によって赤川さんは二〇〇六年に日本ミステリー文学大賞を受賞されています。この賞の対象となるのは「わが国のミステリー文学の発展に著しく寄与した作家および評論家」です。つまりは読者の支持を受け、長い期間に亘って作品を書き続けている作家でなければならないのです。まさに赤川さんこそ、それにふさわしい作家の筆頭といえるでしょう。
大ベテランの赤川さんですが、一九七六年にデビューした時の年齢は二十八歳でした。赤川さんの登場が呼び水になったのかはわかりませんが、このころは若い作家が次々と出てきた時代でした。赤川さんのデビューから二年後の一九七八年には、二十三歳の竹本健治が『匣の中の失楽』でデビュー。すでに評論活動を始めていた二十五歳の中島梓が、栗本薫名義で応募した『ぼくらの時代』が、第二十四回江戸川乱歩賞を受賞したのもこの年でした。さらに同年には二十三歳の今野敏が「怪物が街にやってくる」で第四回問題小説新人賞を受賞、翌一九七九年にはやはり二十三歳の大沢在昌が「感傷の街角」で第一回小説推理新人賞を受賞しデビューしています。
栗本薫さんは惜しくも二〇〇九年に亡くなりましたが、作風こそ違え、当時の若手作家が競い合い、ほぼ四十年という長い歳月を、ファンの期待に応えて歩み続けてくれたことは感謝に堪えません。その中でももっとも読者に対して、サービス(奉仕)を続けてきてくれたのが赤川次郎さんであることに、異論を唱える人はいないでしょう。
本書はシリーズものではない単発作品であり、六百冊を超える赤川作品の中でややもすると埋もれがちになります。しかし、本書は本書なりの、この作品ならではの魅力に満ちています。
主婦であり、素人スパイである伊原ユリ。愛する家族を守るために奮闘するユリの活躍ぶりをぜひお楽しみ下さい。
書誌情報はこちら>>赤川次郎『スパイ失業』
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