文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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(解説者:西上 心太 / 書評家)
平成二十九年七月二十九日の夜。千葉県船橋市の休耕地で幼女の遺体が発見された。その報せを受けた船橋署刑事課の香山亮介は現場に急ぐ。現場には同僚の三宅義邦と増岡美佐が先着していた。遺体は前日の夕方に児童公園で遊んでいた後に行方不明になった、深沢美穂という五歳児で、遺体の状況から変質者による犯行と思われた……。
筆者が物心がついた昭和三十年代から四十年代にかけては身代金目的の児童誘拐事件が目立ったものだった。その多くで誘拐された児童は殺害され、身代金を奪うこともなく犯人は逮捕されている。割に合わないことが知れ渡り、児童の身代金誘拐が下火になったのはなによりだが、その後増えてきたのが性犯罪と結びついた誘拐だ。もっとも有名なのが昭和の終わりから平成の初めにかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件であろう。少女を性の対象とする歪んだ性嗜好を持つ人間の残虐で身勝手な犯行は世間を震撼させた。身代金目的であっても性犯罪が目的であっても、誘拐は許されざる犯罪である。その唾棄すべき犯罪に、否応なしに立ち向かわなければならないのが警察官だ。本書は彼らの捜査を中心に据えた警察小説であるのだが、実はそれだけにとどまらない。そして本書のオリジナリティはそのプラスされた部分にあるのだ。
誘拐殺人のような重大事件では捜査本部が設置される。捜査本部となったのが遺体が発見された場所の所轄署の船橋警察署だ。千葉県警捜査一課の刑事が乗り込み、原則として所轄署の刑事とコンビを組んで、「鑑取り」や「地取り」捜査に携わる。前者は被害者周囲の人間関係を、後者は目撃情報などを担当するのだ。
香山亮介は四十代後半の巡査部長だ。面長で高い鼻梁、一重の目に薄い唇という風貌で喜怒哀楽をめったに表に出さないことから「埴輪の兵士」と呼ばれている。闘病生活の末に最愛の妻を失い、刑事を続けながらまだ手のかかる一人娘を育てられないという理由で妹夫婦の養女にした。それ以来、たった一人の生活を送っている。感情を表出せず、孤独を貫いているが、捜査に対しては柔軟な思考を持っている。三宅義邦は四十代前半の巡査長。相撲取り並みの巨漢で熊のような風貌のベテランだ。三宅とコンビを組むのが捜査実務に携わったばかりの二十九歳になる増岡美佐巡査である。刑事にしておくのは惜しいほどの整った顔立ちをしている。ところかまわず煙草を喫うなど粗野な言動が目立つ三宅を相手に、駆け出しだが堂々と自己を主張して怖じない増岡のやりとりが楽しい。
この二人は香山に私淑する「部下」に当たる。一方、香山と反りが合わない存在が一年前に係長として異動してきた五十九歳の入江正義警部補だ。捜査の主導権をすべて握ろうとする入江と、臨機応変を旨とする香山はよく衝突するのだ。
捜査本部では香山は捜査一課の新居武敏警部補と、新米ゆえに忌避された増岡は通常と同じく三宅とコンビを組み「地取り」捜査を割り当てられる。増岡と同じ理由で、入江のお気に入りの部下もコンビを組んで目撃情報を収集する。
香山と入江の人間関係から生じる対立や、三組に分かれた刑事たちの足を使った捜査のリアルな描写が本書第一の魅力である。そして三宅・増岡コンビが得た情報と増岡の推理を聞いた香山は、「模倣犯」の可能性を検討する。
実は七年前にもやはり性犯罪がらみの誘拐事件があったのだ。この時活躍したのが入江だった。あることがきっかけで田宮龍司という男が容疑者として浮かび上がる。逮捕された田宮は頑として犯行を否認する。ところが勾留期限のぎりぎりになって、新たに見つかった証拠をきっかけにして田宮は自供する。裁判では自供内容を否認したものの、一審に続き二審でも死刑判決を受けた田宮は、しばらくして拘置所で自殺していたのだ。この事件にはまだ若手だった三宅も入江の部下として捜査に加わっていた。
こうして過去の誘拐事件の顚末もじっくりと描かれる。ところが作者はさらなる展開を用意しているのだ。七年前の事件は冤罪で、逮捕を免れた真犯人が犯行を再開したのではないか。それを裏付けるかのような証拠が見つかり、さらに箝口令にもかかわらず、外部に情報がリークされたのだ。
もしこれが事実なら無実の人間を死刑囚にしたあげく、自殺へと追いやってしまったことになる。警察上層部の何人もの首が飛ぶ事態である。しかも警察はジレンマに襲われるのだ。もしこの事件が冤罪ならば、現在の事件の解決が過去のミスを暴くことになってしまう……。
模倣犯なのか、七年前の犯人の仕業なのか、あるいは他の可能性があるのか。香山・新居コンビ、三宅・増岡コンビは命じられた捜査を横に、秘かに独自の捜査も開始する。一方で入江の部下も有力な手がかりを得る。
上層部の思惑を横目に、臨機応変、融通無礙な香山たち、過去の誘拐事件の捜査に絶対の自信を持つ入江たち。気の合わない二つのグループが集めた証拠と手がかりがやがて結びついて、意外な真相が明かされるのだ。歯車の一部に過ぎない捜査員たちが、限られた自由の中で、真相に肉薄していく。この展開の面白さが本書第二の魅力なのである。
読者の興趣を削ぐことがないよう詳述は控えるが、さらに従来の警察捜査小説を大きく逸脱する破格の真実が待ち構えている。それが本書最大の驚きであり最大の魅力となっている。
作者の翔田寛は一九五八年東京生まれ。二〇〇〇年に第二十二回小説推理新人賞を「影踏み鬼」で受賞し、翌年に同作品を表題とした短編集『影踏み鬼』(双葉社)が刊行され単行本デビューを果たした。若い狂言作者が師匠の鶴屋南北から、昔の拐かしの話を聞くという内容で、謎と肉親の愛憎が巧みにからみ合う作品だった。続いて明治初年の横浜を舞台に、イギリスの雑誌の特派員として来日し、後に風刺雑誌を創刊した実在の人物を探偵に据えたライトタッチの謎解き連作集『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』(東京創元社、二〇〇四年)を、同年末には明治四年に起きた太政官参議・広沢真臣惨殺事件の謎を追うシリアスタッチの歴史ミステリー『参議暗殺』(『参議怪死ス』改題、双葉文庫)を上梓した。
一方で初の時代小説長編となる『眠り猫─奥絵師・狩野探信なぞ解き絵筆』(幻冬舎文庫、二〇〇七年)に続いて書き下ろしの時代小説文庫にも挑み、『やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃』(小学館文庫、二〇〇八年)は全七作に及ぶシリーズになった。
さらに昭和二十一年に起きた誘拐事件と十五年後の殺人事件を描いた『誘拐児』(講談社、二〇〇八年)で第五十四回江戸川乱歩賞に応募し受賞。翌年にはやはり敗戦後の日本で日系二世が事件を追う『祖国なき忠誠』(講談社、二〇〇九年)を発表。その他にも『探偵工女 富岡製糸場の密室』(講談社、二〇一四年)、『真犯人』(小学館、二〇一五年)、『左遷捜査 法の壁』(双葉文庫、二〇一八年)という具合に、現代ミステリー、時代小説、歴史ミステリーを三本の柱にして活躍している。
かつてコンビ作家の岡嶋二人は誘拐事件をテーマにすることが多く、「人さらいの岡嶋」という異名を取ったものだ。翔田寛も「影踏み鬼」、『誘拐児』、本書、そして『人さらい』(小学館、二〇一八年)というように誘拐ものを得意としているようだ。「誘拐の翔田」がどのような新機軸を見せるか。どうか本書でそれをお確かめいただきたい。
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