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レビュー

爆弾が仕掛けられた列車は走る。警察・JRと米軍・CIAの思惑を乗せて――『謀略軌道 新幹線最終指令』

 本書の初版が発行されたのは二十年前の一九九八年である。当時は新幹線に対するテロなどの行為は「新幹線大爆破」などパニック映画や小説の中の世界の話であって、現実の新幹線に対しては死亡事故など起きるわけがないという「新幹線安全神話」が信じられていた。しかし二十年後の現在、「新幹線」を舞台に選んだテロが現実のものとして想像できるようになってきた。たとえば今年の六月、東海道新幹線下り新大阪行き最終「のぞみ265号」車内で男が周辺の乗客を刃物で切りつけ男性一名が死亡、女性二名が重傷を負う「新幹線殺傷事件」が発生した。三年前には、やはり東海道新幹線下り新大阪行き「のぞみ225号」車内で男がガソリンをかぶりライターで火をつけて自殺を図り、女性一名が巻き添えで死亡する「新幹線火災事件」が起きている。たしかに新幹線は運行開始以来、自殺やホームからの転落といった形の死亡事故はあっても、列車そのものの事故による死者は出ていない。けれども、個人でも車内でテロ的な行為を行うことが可能なことが分かってくると、「新幹線安全神話」もゆらぎつつあるのが現状である。そんな中、新幹線を舞台にしたノンストップ・クライシス・サスペンスである本書の復刻は、時宜を得たものであるといえよう。
 鉄道の現場には現場の、乗客には乗客のそれぞれの日常がある。その中でひょっとしたら気づかない人もいるだろう小さな「?」、その「?」が積み重なって、やがて非日常の世界になっていく。本書は冒頭部分で、盛岡第一運転所における桂木かつらぎ康彦やすひこ運転士の始業点検や出庫点検、新幹線総合指令所における地震発生時の津阪つさか柊平しゅうへい総合指令長が部下に指示を飛ばす様子など、現場における業務のやり取りをわかりやすく臨場感をもって描いている。これらを丁寧に描くことによって、のちの混乱した「やまびこ4号」の車内や、新幹線運行本部内の状況、東京駅での線路付け替えなどが現実味を帯びてリアルに伝わってくる。また、出版の年に起きたドイツでのICEの脱線転覆事故の惨状を元国鉄職員の老人から娘に語らせて、高速走行中の新幹線が爆破されたらどうなるかを上手に読者に想像させている。
 最初は過激派の残党が低速になると爆発する爆弾を高速列車に仕掛け、身代金を要求するというパニックものとしてスタートする。しかし、車内に現れた体調不良の男がやがて生物兵器による連鎖球菌感染症の患者と判明し、その男を追う在日米軍・CIAまで登場してパンデミックものの色彩を帯びてくる。ここに「やまびこ4号」をできるだけ長く走らせたい側=爆弾の解除方法を知って安全に停めたいJR、犯人逮捕に結び付けたい警察=と、早く停車させたい側=感染者の確保、車内でのパンデミックが現実になったら爆弾テロを利用し証拠隠滅を図りたい米軍・CIA=との戦いともなってくる。また、警察内部での刑事部と公安部の対立も描かれ、さもありなんと思わせる。
 さらに、桂木運転士が過労とストレスで倒れてパニックに輪をかける。代わりに運転席に座ったパーサーの小早川こばやかわ恵理えりには、当然運転の経験などない。さあ、どうなる。
 細かい点まで書くとネタバレになるので(解説を先に読む人は少ないとしても)避けるが、時刻と場所を細かく明示して描くことで、物語は読み進むにつれてスピード感をもって緊迫感が増大していく。
 生物兵器は細菌やウイルスを、化学兵器は毒ガスなど毒性化学物質を使用した、生物をターゲットにする無差別殺りく兵器である。これらは核兵器に比べて製造が簡単で原料も入手し易く大量生産が可能であり、大量破壊兵器として国際法で使用が禁止されているが、テロに使用される危険はつきまとう。電車内という閉鎖空間でこれらの兵器を使用したテロといえば、出版の三年前に起き、まだ記憶に新しかったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」がある。この事件は生物兵器ではなく化学兵器によるものであったが、オウムは同時に生物兵器の研究も行って炭そ菌を撒く事件(失敗)も起こしており、これらの事件が本書の参考になったのは間違いないだろう。
 ただ、犯人をカルト教団にすると生々しさを感じさせるため、犯人グループを過激派の残党にしたのだろう。「過激派」という言葉は現代ではほぼ死語になっており、本書が書かれた当時でも連合赤軍の「あさま山荘事件」や東アジア反日武装戦線による「三菱重工爆破事件」からすでに二十年以上たっていて人々の脳裏から薄れつつあったので、小説の素材として使いやすかったはずだ。また、身代金の送り先だが、核実験やミサイル発射を繰り返してきた北朝鮮は、金正恩キムジョンウン第一書記がトランプ米大統領との対話を始めたものの、現在でも現実味をもって受け取られるであろう。ちなみに拉致被害者五人が帰国できたのは、本書出版四年後のことである。もう一つの送り先であるルクセンブルクの銀行口座については、二十年の時間の差が感じられる。現在書かれたなら、マネーロンダリングによく使われている、カリブ海のイギリス領ケイマン諸島やバージン諸島などのタックスヘイヴンの国の銀行ということになったのではなかろうか。
 さて、私たちが日常利用している新幹線の安全対策、テロ対策だが、書かれた頃と現在でそう大きく変わってはいない。はっきり言って二十年前は何の警戒もしておらず、対策は無いに等しかった。現在でも、サミット開催時などはゴミ箱の撤去などが行われるが、それ以外は二十年前とほぼ同じレベルである。「新幹線火災事件」後にガソリン等の可燃性液体の車内持ち込みが禁止され、「新幹線殺傷事件」後には梱包していない刃物の車内持ち込みが禁止された。しかし、手荷物検査が行われていない現状では無視して持ち込むことも可能であり、大した抑止力にはなっていない。確かに外国を見ても、鉄道で手荷物検査をしている例は少なく、ヨーロッパでは国際列車の「ユーロスター」や「TGV」「タリス」などに飛行機並みの手荷物検査をしている駅が見られるくらいで、何の検査も行われない駅が圧倒的に多い。中国では地下鉄でも手荷物検査を行っているが、通勤時間帯には長蛇の列ができる。新幹線で手荷物検査をするにはスペースと長蛇の列が問題になり、新幹線の利便性が損なわれるということになる。現在、新幹線を運行する各社では車内に防犯カメラを設置したり、その台数を増やしたりしており、将来的には画像とコンピュータを連動させて顔認証や不審な動きのチェックで犯罪防止を行う方向である。しかし、それにはしばらく時間がかかりそうで、それまでは全列車に警備員を乗車させ、車内を巡回して抑止力にするしかないのではなかろうか。
 この小説が書かれてから二十年後の今、同様の事件が発生したら同じように対処できるか考えてみた。結論は、残念ながらできないということになる。この二十年の間に、東北新幹線は北海道新幹線につながって新函館北斗ほくと駅まで、東海道・山陽新幹線も九州新幹線につながって鹿児島中央駅まで乗り入れている。まずは、新函館北斗駅発の「はやぶさ」を舞台に検討してみると、この列車に使用されるE5系・H5系は50 Hz専用で、60 Hzの東海道新幹線の線路を走ることができない。作品に出てくるE2系は北海道新幹線に乗り入れておらず、しかも50 Hz・60 Hz共用の0番台車は上越新幹線に4編成を残すのみで、東北新幹線は50 Hz専用の1000番台車に変わってしまった。したがって、50 Hz・60 Hz共用の列車を舞台にするなら、北陸新幹線のE7系・W7系を使用する「かがやき」が選ばれただろうが、それなら鹿児島中央駅まで走れたであろうか。
 当然のことながら、東京駅での東海道新幹線と東北・上越新幹線の乗り入れは、現在も行われていない。また、舞台の一つである新幹線総合指令所も、当時は東京駅日本橋口の同じビルに置かれていたが、後にテロ対策もあり所在地は非公開となった。JR東日本の新幹線運行本部新幹線総合指令室は二〇一六年頃さいたま市に移転する構想が報じられたが、移転したかどうかは定かではない。JR東海の新幹線総合指令所が移転せずそのままであったとしても、当時のように密接に連携を取ることは不可能であろう。おまけにATCも、デジタル化した時に東北・北海道新幹線、上越新幹線、北陸新幹線が採用したDS-ATCと東海道・山陽新幹線が採用したATC-NSに互換性がないため、たとえ線路をつなげたとしても、JR東日本の新幹線車両が東海道・山陽新幹線の線路上を走ることは不可能になってしまった。
 最後に、本書が執筆されたのはまだ国鉄の分割民営化から約十年の時期であり、JR各社に分かれたとはいえ中堅幹部にはまだ同じ釜の飯を食った「国鉄一家」の意識が残っていたであろう時代である。しかし分割民営化から約三十年たった現在では、現場の社員はほとんどがJR発足後の入社組となり各社それぞれの社風が身についてしまって、会社を超えて協力し合うという気風はすでに消え去ってしまっているように感じられる。

>>北上秋彦『謀略軌道 新幹線最終指令』


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