文庫解説 文庫解説より
狐憑きの発端はSNS!? 名手・今野敏が魅せる警察小説と伝奇小説の華麗なる合体技『豹変』
誰が言ったのだったか、この二十年ほどの日本のミステリ状況は「警察小説の時代」だったというのを聞いて、なるほどその通りと思ったことがある。事実、かつてこれほど警察小説が長く活況を呈した時代はなかった。といっても、警察小説が脚光を浴びたのは今回が初めてではない。一九六〇年代から七〇年代にかけても、ちょっとした警察小説のブームがあったが――佐野洋、三好徹、結城昌治、藤原審爾、笹沢左保、生島治郎など「清張以降」の作家たちが活躍した時代だが――現在ほどの隆盛をきわめることはなかったように思う。
ではなぜ今日のブームが生まれたのか。いくつか考えられる理由の中で最もわかりやすいのが、警察小説の進化および深化ということだろう。先輩作家たちが築き上げてきた土台の上に、現代の作家たちが新たな方法的冒険を試みた結果、警察小説は犯罪捜査の細密な過程を描いた、謎解きを中心とするミステリという枠を超えて、さまざまな相貌を持つようになったのだ。捜査する側の刑事や被害者、さらには加害者を含めた事件関係者たちの立場と人間性、心情などを加味し重視していくことで、まったく新しい地平を切り拓くことに成功したのである。これによって警察小説はミステリの要素も含みながら、同時に厳格な階級社会の中の組織小説、ひとりの家庭人として立ち返ったときの家族小説、時代の世相や流行を描いた風俗小説、事件関係者との交流を描いた人情小説、そしてアクションたっぷりの活劇小説といった具合に、いくつもの相貌を見せることができるジャンルとして大いなる可能性を押し広げたのだった。
今野敏はこうした潮流のど真ん中にいた作家であった。
彼が書く警察小説は、常に驚きと新しさに満ちている。そのひとつひとつを挙げていくとキリがなくなるが、たとえば刑事というのは二人一組で行動するのが基本である。この場合、物語上の役割分担では階級の上下や先輩後輩などの関係もあり、通常はどちらかひとりが主で、もうひとりは従と相場が決まっていた。ところが今野敏はそんな常識に囚われず、どちらが主か従かではなく、もう一歩進んでお互いが“相棒”と認め合うような関係を描き出すのだ。《横浜みなとみらい署暴対係》シリーズなどは典型的で、諸橋夏男警部と城島勇一警部補のコンビは、この階級による組み合わせも珍しいが、往年のテレビドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』を彷彿とさせる行動とノリで弾けており、相棒小説として楽しませてくれる。あるいは警視庁捜査三課《萩尾秀一》シリーズでは、盗犯係一筋のベテラン刑事と女性捜査官・武田秋穂のコンビが登場するが、最初は年齢差や相手が女性ということもあって戸惑っていた萩尾が、次第に秋穂を相棒と認めるようになる過程が丁寧に描かれる。また《マル暴》シリーズは、北綾瀬署刑事組織犯罪対策課の気弱な刑事・甘糟達夫巡査部長が、こわもて先輩刑事の郡原虎蔵と組み、微妙に面白おかしいふたりの関係が描かれている。
コンビの相手が刑事とは限らないというのも今野敏の特徴だ。《渋谷署強行犯係》シリーズは、辰巳吾郎巡査部長と整体師にして琉球空手の使い手・竜門光一のタッグが、たっぷりの活劇アクションをまじえて活躍する。また《警視庁捜査一課・碓氷弘一》シリーズにいたっては、事件が起きるたびに外部から専門分野の助っ人的な人物が登場し、碓氷はコンビを組まされるのだ。その相手が自衛隊爆弾処理班、美人心理調査官、外国人考古学者……とおよそ犯罪捜査とは無縁の人物ばかりとくるから困ってしまう。しかし行動を共にしていくうちに、相棒もしくは戦友とでもいうような気持ちを相手に対して持つようになるのだった。
ここで重要なのは、事件解決までの展開もさることながら、それ以上に登場人物たちの心理や人間性を描いた部分だろう。というよりも、むしろこちらのほうがメインと言ってよいかもしれない。事件の真相を究明するという共通の目的を持つふたりが、日々の行動の中で、性格や嗜好などを含めて少しずつ相方のことを知っていくようになる。この少しずつというのが今野敏の場合は絶妙な出し入れ具合で、読者の興味と共感を高めていくのである。これによって今野敏の警察小説は、滋味豊かな味わい深い作品に仕上がっているのだった。
そして本書『豹変』は、おそらく警察小説史上最も異色と言ってよいだろうコンビが登場する。いや、時にはトリオになり、カルテットになることもある。
どういうことか。
とその前に、本書が四作目となる《祓師・鬼龍光一》シリーズのおさらいをざっとしておこう。まず第一作の『鬼龍』だが、これだけはちょっと別格で、主人公は鬼龍浩一という“亡者祓い”を請け負う鬼道衆の血筋を引く人物であった。が、このときはまだ鬼龍浩一は単独での登場で、奥州勢の祓師・安倍孝景も、警視庁生活安全部少年事件課の巡査部長・富野輝彦も出てこない。
シリーズ作として現在のような形になったのは、第二作『陰陽』が最初で、このとき鬼龍の名前も浩一から「光一」と変更され、富野と孝景もこの作品から登場する。以後『憑物』そして本書となるわけだが、最初の『鬼龍』から数えると二十年以上の歳月を経て続く稀有なシリーズと言えよう。
古代から連綿と受け継がれているという鬼龍ら祓師の仕事は、亡者に取り憑いた陰の気を祓うことである。怒りや憎しみ、怨み、妬み、悲しみ……そうしたマイナスの情念が凝り固まると、大きな精神エネルギーの場が生まれる。これらマイナスの精神エネルギーの虜となった人々は亡者となり、周囲の人間に災いをもたらす存在となるのだった。しかし亡者は、いつも同じような状況、状態で現れるとは限らなかった。祓師と呼ばれる鬼龍ら鬼道衆は、それら亡者を見つけて祓う仕事を請け負っていたのだ。とはいえ、陰の気といってもすべてが悪いものではない。陰と陽とどちらが正しいというものでもない。どちらも必要なもので、要はそのバランスが肝要なのだった。実際に芸術関係、芸能関係、服飾関係などの職業に就く有名人は、強い陰の気を持っている人が多かった。祓師はその見極めができる能力が備わっている。象徴的な事例では、陰は淫に繋がり、あるときは濃密で淫靡な気を発して、男も女もひたすら快感を求める獣と化していく。
ところが、今回の事件はいつもとちょっと勝手が違っていた。
発端は、都内の中学校で起きた生徒同士のいざこざだった。十四歳の中学三年生の生徒が、同級生を刃物で刺したというのだ。加害者はすぐに補導されたが、その様子はどこか奇妙だった。老人のような嗄れた声、態度も尊大で、自分の邪魔をしたから懲らしめたと悪びれる様子もない。しかも事情聴取されていた取調室を勝手に出て行こうとし、取り押さえようとした係員を軽々とはね飛ばしたのである。
このときに現れたのが、黒いシャツに黒いスーツ、そして黒いコートという全身黒ずくめの男、鬼龍光一だった。鬼龍によると、少年は狐憑きだという。それもかなり位の高い老狐が憑いているのだと。鬼龍とともに除霊に向かう富野。そこに加えて、全身白ずくめで髪の毛さえも銀色に輝く安倍孝景も参戦するのだったが……。
しかし事件はこれで終わりではなかった。同じ十四歳で中学二年の少年が、金属バットでこれも同級生をめった打ちにする傷害事件が起き、さらには暴行目的で四人の男に連れ去られた十四歳の少女が、逆に男たちに大けがを負わせる事件が発生する。彼らの様子、態度はいずれも最初の事件の少年と同じで、やはり狐憑きの状態であったのだ。
これは一体どういうことなのか。何かとんでもないことが始まろうとしているのか。
不可解な事件が起き、富野たち警察の力ではどうにも解決のしようがなかったときに、鬼龍や孝景たちが陰で事件を解決に導いてくれたことは確かにあった。その意味では鬼龍は情報提供者であり協力者である。しかし今回ばかりは、いくら何でも「狐憑き」はどうにも信じがたかった。が、それでも現実に奇妙なこと、不可解なことは起こっている。その事実だけは認めねばならない。富野はそれぞれの事件の共通項を探り、鬼龍と孝景は独自のネットワークを駆使して真相に迫っていく。すると、そこには意外な共通点が浮かびあがってきたのだった。
本作で初めて登場するのが、有沢英行という富野の五歳年下で三十歳の巡査長だ。富野は今野敏の警察小説の中では意外とマッチョな人物である。自分より年上の捜査員でも平気でタメ口をきく。年上には敬語を使う風習があるにもかかわらず、富野は気にしない。腹が立つなら、そう言ってくれればいい。言われたら改める、という姿勢を貫くのだ。もちろん年下に対しては言わずもがなである。そんな富野と組むことになるのが一見茫洋としてつかみどころのない、平凡な人物としか見えない有沢だった。だがこれが、いざというときには結構頑張り、存在感を示すのだから面白い。
かくして富野は、鬼龍とはコンビを、孝景が加わるとトリオに、さらに有沢が入ってきてカルテットになり、相棒というのか仲間というのか、彼を中心とする不思議な関係のチームが出来上がっていく。
言うならば、鬼龍や孝景らと同族の血が流れているかもしれない富野は、祓師と現実社会の橋渡し役を。有沢はその富野と警察組織の橋渡し役を担うことになるのだった。まったく、こんなにも異色のチームは警察小説史上どこにもなかったと言っていいだろう。だが、こういう部分こそが今野敏の真骨頂なのだった。警察小説と伝奇小説の華麗なる合体技――こういう“勝負”ができるのは、今野敏ぐらいしかいないだろう。
さて、事件の真相は意外なところから見え始めてくる。
のではあるのだが、あまり詳しい事情を書くと興を削いでしまいかねない。なのでここでは、すべての発端はスマートフォンによるSNSのアプリにあったとだけ記しておく。
これもまた、前近代的な狐憑きという現象と、最先端の科学であるIT技術との驚異の合体技なのだった。もっとも、今野敏は早くからこの種のトレンドを取り入れていた作家であった。たとえば一九九五年発表の『イコン』では、パソコン通信の掲示板を利用した犯罪を描いていたし、二〇〇二年の『殺人ライセンス』では、ネットを使った殺人ゲームの可能性と、現実社会と仮想現実の曖昧さも指摘していた。またこの作品では、本書にも登場する、エジソンやコンスタンチン・ラーデブが試みた霊界との通信という研究の話も書かれている。何も急に思いついたテーマではないことがこれでよくわかる。
ところで、このIT技術と狐憑きという関係の着地点は――誰もが唖然とするような、しかしそうか、そうだったのかと納得してしまう本書の結末だが――二〇一五年の「本の旅人」七月号に掲載された今野敏のインタビュー記事では「よく途中で思いついたと思っています。思いついたときには手を叩きたかった。これだ! って」と語っている。
何と、書いている途中で謎解きが閃いたというのである。
こういうことは作家には意外とあるものらしい。《浅見光彦》シリーズでお馴染みの内田康夫も、NHKの番組で「最初から犯人がわかって書いていくと面白くなくなるでしょう。聞き込みにしても何にしても、最初からわかっているとへんにぎこちなくなってしまう」と話していたのを見た記憶がある。また高橋克彦も、連載中の長編ミステリが終盤に差しかかって「ここまで書いてきて、やっと犯人がわかったぞ!」と嬉しそうに担当編集者へ電話をしたことがあったそうだ。
われわれ凡人には到底できそうにない奇跡のごとき神業だが、これが読者の予想を裏切る面白さへと繋がってもいるのだろう。非凡な作家の潜在意識のなせる業と言っていいかもしれない。
いや、だが、それにしても本書の物語の展開と結末には驚かされた。特に注目すべきは後半部分の、あるカリスマ的人物と富野、鬼龍らの緊迫した会話場面だ。どうか心してお読みいただきたい。
本当に驚くぞ。
二〇一八年八月
>>今野敏『豹変』
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