■本物
大倉崇裕は、本物である。
本物のマニア、もしくはオタクだ。
二〇一五年に発表されたインタビュー(「嗜好と文化」毎日新聞)の見出しが「ゴジラと生きて20年」であるところからして、それっぽい。嗜好を語る趣向のインタビューのせいか、作家なのに新刊の話をほとんどせず、プラモデルの話ばかりしていたほどなのだ。ちなみに〝ゴジラと生きて〟というのは、中学の頃にガンダムで始めたプラモデル作りの道において、あれこれ作ってみた結果として怪獣模型に到達し、それから二〇年ということなので念のため。
少しばかり過去に目を向けてみれば、二〇〇三年に刊行された著書の帯には「オタク道35年の著者がおくる、情熱の書き下ろしミステリー」というコピーがついているくらい本物だ。ちなみに大倉崇裕は一九六八年生まれ。何歳からゴジラと生きてきたか、あるいは、何歳からオタクだったかは引き算で簡単に求められる。筋金入りということが判ろうものだ。
そんな大倉崇裕が二〇一六年に発表した小説が、オタクの街を舞台とした大活劇小説『GEEKSTER 秋葉原署捜査一係 九重祐子』である。
GEEKSTERとは、GEEKとHIPSTERから生まれた言葉で、「眼鏡、髪型、服装などにより、わざとオタクっぽく装ったイケメン」という意味の言葉である。「オタク」を意味するGEEKと、「通」とか「新しがり屋」などを意味するHIPSTERを組み合わせて生まれた言葉だ。本書に登場するギークスターは、この言葉の定義よりは少しばかり、骨っぽい。
■秋葉原
二〇一六年の秋葉原。警視庁秋葉原署副所長である九重祐子が、オープンしたばかりの五十二階建ての複合ビル最上階の社長室に、三条晄臣なる男を訪ねる場面で、本書は幕を開ける。二人の間で交わされる短くもヒリヒリとした会話がプロローグで描かれ、そして物語は一気に二〇〇〇年の秋葉原へと遡る。
二〇〇〇年七月。警視庁秋葉原署刑事課捜査一係に九重祐子は異動してきた。一九九六年に同署交通課に着任してからの活躍が認められ、巡査部長に昇任しての異動であり、抜擢であった。だが、捜査一係の重鎮、三ヶ日警部補は祐子をけっして認めようとしなかった。祐子を〝困っている人たちの訴えを聞き、報告書にまとめる〟任務に就かせたのである。交通課を三年経験しただけの目障りな新米を、体よく現場から追い払ったのだ。結果として祐子は、巡査部長でありつつも、九時五時の勤務で、オタクたちの相談を聞き続けることとなった。
一週間ほど事件性のない相談を受け続けた日のこと、祐子のもとにやってきたのは、谷本という二十二歳の青年だった。食玩――食品玩具の略称で、オマケである玩具に主眼が置かれて買い求められることが多い――のイベントに参加するために栃木からやってきた彼は、誰かに尾けられている気がすると訴えた。だが、尾行者の姿は目撃しておらず、気配を感じたというのみ。祐子は何かあったら連絡してくれと谷本を追い返した。その谷本は翌日、栃木で死体となって発見された。殺されたのだ。その報せに居ても立ってもいられなくなった祐子は、夜の秋葉原の街に歩み出す。自らを囮として、谷本殺害犯をおびき出そうというのだ……。
こんな具合に祐子が足を踏み入れた秋葉原のアンダーグラウンドを、本書は濃密に描いている。谷本の殺害のみならず、連続放火事件や、マニア向けのショップ同士の抗争、自警団が変化したゴロつきたちによる狼藉など、秋葉原の危険な顔が、祐子を通じて明らかになっていくのだ。そのそれぞれが、マニアならではのメンタリティ(あるいはマニア心を理解しない外様の無神経さ)をもって語られており、まずはマニアの街ならではの危険として生々しく読者に伝わってくる。
そんな街に無防備に飛び込んでいった祐子は、当然ながらピンチに陥る。そこに現れるのが、ギークスターだ。フードを被り、革手袋をした長身の男。やたらと喧嘩に強い。そうした現実離れした存在も、大倉崇裕は、見事に秋葉原の街に定着させてみせた。この街のリアルな空気のなかで、非現実的なヒーローが、ごく当たり前のように活躍するのである。ギークスターのアクションそのものも実になめらかでスピーディーで魅力的なのだが、この現実と非現実を渡り歩く著者のバランス感覚は、なお素晴らしい。
そしてその素晴らしいバランス感覚は、ギークスターを活躍させるにとどまらない。ファイヤー・レイザーやエンプティ・ハンドなどにも命を吹き込むのである(このカタカナ表記の輩が何者かは、あえてここでは書かない)。さらに返す刀で秋葉原署の面々にも警官として個性と存在感を与えた。そしてもちろんオタクたちやオタク相手の業者たちにも、それぞれの行動原理を持たせた。これらの人物造形――表も裏も、リアルも非リアルも――のなんと見事なことか。特に、ギークスターの日常に関する造形が素晴らしい。それがあるからこそ、ギークスターは本書において秋葉原のリアルのなかに自然な形で居場所を得られたのだ。
さて、そんな面々が繰り広げる乱戦のアクションノベルである本書は、ただ闇雲に争う小説ではない。誰が何故このバトルを仕掛けたのか、きちんと計算されているのだ。その計算があるが故に、二〇一六年のプロローグから二〇〇〇年の本篇へと遡り、そこでの死闘を経て最終的に二〇一六年のエピローグへと到達する構成が活きてくるのである。ともすれば大倉崇裕が趣味の世界で好き勝手に書きたいことを書いたように思われかねない要素ばかりが詰まった一冊だが、いやいや、一九九七年に創元推理短編賞の佳作となってから数えれば十九年目に発表した著作であるだけに、しっかりと読者を愉しませる設計がなされた小説なのである。
■中野とか
さて、前述の創元推理短編賞の佳作となった「三人目の幽霊」は、悪質な行為により落語家が噺をオチまで語ることが出来ない状況が続くという、落語界を舞台にした謎解きミステリであった。雑誌『季刊落語』の新米編集者である間宮緑をワトスン役に据え、編集長の牧大路を探偵役とするこの短篇は、二〇〇一年、『三人目の幽霊』という単行本となって刊行され、《本格ミステリベスト10》において六位に選ばれた。それほどに出来の良い〝佳作〟だったのである。落語という素材はその後、牧と緑の活躍する長篇『七度狐』(同四位)や第二短編集『やさしい死神』へと続くだけでなく、越智健一なる大学生が落語研究会であれこれともめ事に巻き込まれる『オチケン!』『オチケン・ピンチ!!』『オチケン探偵の事件簿』という中編集三冊にも発展した。
大倉崇裕は『三人目の幽霊』刊行後、小説推理新人賞受賞作(円谷夏樹名義で一九九八年に受賞)を表題作として、トラブルに巻き込まれ続ける青年を描いた連作短編集『ツール&ストール』を二〇〇二年に発表。その後文庫化に際して『白戸修の事件簿』と改題し、さらに『白戸修の狼狽』『白戸修の逃亡』とシリーズ化して発表した。また、警官オタクたちが、鑑識、盗聴、尾行、銃撃などの能力を活かして悪と闘うクライムコメディ『警官倶楽部』等の単独作品の発表も続けた。さらに、『刑事コロンボ』のマニアであり円谷夏樹名義でノベライズも手掛けたこともあるという蓄積を活かし、倒叙ミステリの本質を深く理解して『福家警部補の挨拶』に始まる一連のシリーズを放ったりもしたし、あるいは大学時代に山岳部に所属していた皮膚感覚に基づいて『聖域』『白虹』などの山岳ミステリも世に送り出した。さらにさらに、本当に怪獣が日本を襲ってしまう『BLOODARM』を含め、実にバリエーション豊かに作家活動を続けてきたのである。
そんな大倉崇裕の作品で注目すべきは、冒頭で記した二〇〇三年の著作である。「オタク道35年」というあれだ(ちなみに文庫化の際には時間差が考慮されてオタク道は38年と記載されていた)。タイトルは『無法地帯』。サブタイトルは「幻の?を捜せ!」である。
この作品はといえば、食玩やソフビ人形をはじめとするコレクターズアイテムを巡る乱戦の物語であった。時価四百万円というアイテムを、怪獣好きのヤクザ、食玩コレクターの私立探偵、モラルゼロのオタク青年が奪い合うのである。知恵と知識、金と暴力、コネと嘘、様々な得物を駆使した争奪戦は、やがて死者を生み、人間関係を複雑に再編する。みっしりと熱く濃厚なマニアックサスペンスが結末に向けて疾走するのである。オタクならではの愛情もここまで来るともはや美しいとしかいいようがない。そんな小説であった。
そんな小説であるのだが、それにとどまらない一冊であった。なんとこの『無法地帯』、刊行から約三ヶ月後に設定された締め切りまでに本の帯に印刷された応募券を切り取って送ると、大倉崇裕特製の怪獣フィギュアが抽選でプレゼントされるという企画とともに刊行されたのだ。五種類のうちの四種類の怪獣は、書籍の表紙を飾っていたりもする。残る一つ「大海獣ザリガニラー」はシークレットとのこと。なんともまあたいした趣向である。
そして、だ。この『無法地帯』の序盤で、まだデザインも特性も明らかになっていない怪獣として登場しているのが、バルバドンである。バルバドンといえばバルバドン、本書でくっきりと姿形が描かれるあの怪獣である。谷本基が秋葉原にやってきたのも、バルバドンの先行発売イベントに参加するためだった。十三年もの時を隔てて発表された二つの作品は、こんなところで繋がっていたのである。
ちなみに『無法地帯』では、オタクの集う街は中野であった。それに対して本書では秋葉原である。そうしたオタクの街の変遷を含め、両作は是非併せ読んで戴きたいものである。
■大倉
そして大倉崇裕は今、時の人である。『本格ミステリベスト10』において、二〇一七年のMAN OF THE YEARに選ばれたのだ。新作が高評価を得たことに加え、長編アニメ映画『名探偵コナン から紅の恋歌』の脚本を担当したり、あるいは『小鳥を愛した容疑者』に始まるシリーズが、『警視庁いきもの係』としてTVドラマ化されたことなどが総合的に評価されたのだ。
そんな時の人の、まさに本能むき出しの一冊である『GEEKSTER』がこのタイミングで文庫化されるのは、もはや必然であろう。たっぷりと旬の魅力を堪能されたい。