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レビュー

最初の驚愕が訪れたとき、あなたはもう著者の術中に--愛憎に彩られた極上ミステリ『カラヴィンカ』

 読まされてしまう、という体験がしたいなら遠田潤子(とおだじゅんこ)を推す。
 辛く耐えられないような出来事が描かれていても、先が気になって、背後に隠されていることが知りたくて、どんどん読まされてしまう。止められない。「今日はここまで」ができない。とてつもない吸引力に最後まで一気に引っ張られ、読み終わってため息をつき、そして思う。「ああ、すごい」と。
 二〇一二年刊行の『鳴いて血を吐く』を改題した本書『カラヴィンカ』も、そんな物語だ。
 読まされてしまうのには理由がある。謎の出し方、情報の出し方が抜群に上手いのだ。
 たとえば本書の序章では、多聞(たもん)という青年の元に実菓子(みかこ)から電話がかかってくる場面が描かれている。どういう関係なのかは説明されない。ただ多聞が実菓子を嫌っている、ということだけはわかる。他に、多聞がなにやら家具を処分したことや、不動(ふどう)という兄の名や優佳(ゆうか)という名前も出てくるが、これも詳細には語られない。
 第1章で多聞が音楽ジャーナリストの吉井(よしい)と会話をするくだりになって、多聞がギタリストであること、吉井の妹の優佳と結婚していたが別れるにあたってギターコレクションを処分したこと、多聞はヴォカリーズ(歌詞ではなく母音のみで歌う歌唱法)歌手の実菓子と組んでCDをヒットさせたことなどがわかる。
 吉井は、実菓子の自伝を出版するため多聞にインタビューを依頼。吉井には恩があるので引き受けざるを得ない。そして次の章でインタビュー場所に設定された「藤屋(ふじや)」に向かうことになる。
 ここでようやく読者は、多聞と兄の不動は丹羽谷(にわだに)村で「藤屋」と呼ばれる旧家の息子だったこと、不動は一年三ヶ月前に他界したこと、実菓子は同じ村の旧家「斧屋(おのや)」の娘であり不動の妻だったこと、そして実菓子と「斧屋」は村でも嫌われているらしいことが明かされるのである。
 つまり最初から読者に設定すべてを伝えるのではなく、まず目に見える部分を出し、そこから少しずつ薄皮を()ぐように背景を提示していくのだ。これは著者の他の作品にも見られる趣向で、読者はその都度「ああ、そういうことだったのか」と納得し、けれど次のわからないことが出てきてそれに引っ張られる。たとえば実菓子がサラリと言う「二度も藤屋の男と結婚したのに、『藤屋の実菓子』とは思ってもらえない」という言葉だ。二度? だが多聞は聞き流す。説明はない。なぜならふたりの間では自明のことだから。そのまま数ページを経て、その章の終わりにやっと多聞の視点でこう語られる。
「父と結婚した頃は痛々しいほど美しかった。まだ柔らかな青い(とげ)のような少女だった。兄と結婚した頃は怖ろしいほど美しかった。鋭く透明な刃のような女だった」
 物語が始まって四十七ページ、ここで初めて読者は実菓子が多聞の父の妻であり、その後で兄の妻となり、そして今、多聞と同じ家で向き合っているという壮絶な設定を手に入れることになる。なんだそれは、とのけぞった時にはもう著者の術中だ。逃げられない。

 少しずつ見えてくるというのが遠田潤子の魅力なので、本来なら前情報なしに読んでその快感を味わって欲しいのだが、それでは解説にならないのでアウトラインを整理しておこう。
 丹羽谷村には青鹿(あおしか)家の「藤屋」、静谷(しずたに)家の「斧屋」という二軒の旧家があった。「斧屋」は最後の当主が亡くなり、唯一の生き残りである実菓子が「藤屋」に嫁いだため、家系は途絶えて廃屋になっている。一方の「藤屋」も父と兄が亡くなり、残っているのは多聞と、兄の未亡人である実菓子のみ。多聞には家を継ぐつもりはない。
 その「藤屋」の屋敷で、多聞は実菓子の自伝のためのインタビューを三日かけて行うことになる。だが実菓子に喋る気はなく、多聞から見た実菓子を語ってくれればそれでいい、と言う。かくして物語は、多聞の回想に入る――という次第。
 実菓子が小学校四年のとき、母の鏡子(きょうこ)とともに「藤屋」の離れに住まうようになったこと。その実態は妻妾(さいしよう)同居だったこと。実菓子は当時からとびきり綺麗な少女だったが、鏡子からは育児放棄されていたこと。そんな実菓子を、中学一年の不動と小学校五年の多聞が守ってやりたいと思ったこと。おとなしい妻や病弱な長男に対し限度を超えたモラハラで苛む暴君の父、我が物顔に振る舞う鏡子、黙って耐える母と不動、無視される多聞。実菓子に勉強を教えた思い出、病弱だが絵画の才能があり、思慮深くて優しい兄、幼い恋心。そして起きる事件。
 多聞の回想は一九九〇年代後半が舞台だが、まるで昭和初期のような家族の構図が描かれる。「藤屋」の中で展開されるこれでもかと言わんばかりの地獄は圧巻で、読んでいてとても辛いのだが、それでも読むのをやめられない。心を傷つけられた少女が何を経て今の淫乱と呼ばれ嫌われる女性になったのか、これほど実菓子を大事に思っていた多聞少年が何をきっかけに彼女を憎むようになったのか、ここでもまた、序盤で撒かれた謎の種が読者を引っ張る。
 壊れた家族、理不尽な逆境、長いスパンの過去の物語とそれが帰結した現在、というのは複数の遠田作品に共通するモチーフだ。出世作となった『雪の鉄樹』(光文社文庫)の主人公も幼い頃の家庭環境が原因で、人と一緒に食事がとれないという描写がある。だが『雪の鉄樹』の登場人物は皆、基本的に善意の人だったのに対し、本書は奔流のような悪意が読者を(から)めとる。読者にむかって、悪意を(たた)えた愛憎劇が質量を持ってのしかかる。そんな物語なのだ。
 だが本書は凄絶(せいぜつ)な愛憎劇であると同時に、実に巧緻(こうち)に計算されたミステリであることも言っておかねばならない。終盤の畳み掛けるようなどんでん返しと伏線が次々回収されていくくだりには息を飲んだ。最後まで読んであらためて最初から読み直すと、何気ない会話のひとつひとつがまったく違う意味に受け取れるから驚くではないか。
 特に秀逸なのは謎の隠し方だ。ミステリは犯人を探すフーダニット、動機を探すホワイダニットなどに分類されるが、本書はさしずめ「実菓子と不動・多聞兄弟に何があったのか」を探るホワットダニットだと考えればいい。ところが読んでいくうちに、実は謎だと思いもしなかったところにこそ大きな謎が隠されていたことに気づくだろう。それが最大のサプライズだ。
 畢竟(ひっきょう)、遠田潤子は〈謎〉を書く作家なのである。〈謎〉の舞台として、たとえば本書では旧弊な村の旧家だったり、最新刊の『冬雷』(東京創元社)では日本海沿いの館だったりというゴシックな枠が作られ、〈謎〉を体現するものとして愛憎に翻弄される人々が描かれ、〈謎〉を解くことによりテーマが浮かび上がる。本書に仕掛けられた複数の謎も、すべてひとつのテーマに収斂(しゅうれん)していく。
 そのテーマが何かは真相にかかわるので明かせないが、登場人物の誰もが持っていた秘密が次々と暴かれる、ということだけ言っておこう。誰のための、何のための秘密だったかに注目だ。誰かを(かば)うため、あるいは自分を正当化するため。理不尽な環境から逃げるため、あるいは戦うため。自分では気づいてなかった無自覚な秘密もある。歪んだ秘密もある。そして、それら多くの秘密を知った多聞がどう変わるかが読みどころ。
 何より、実菓子の秘密をどうか深く味わっていただきたい。彼女が求めた「一言」が何だったのか、ここにも伏線の妙が効いている。それがわかったとき、旧弊な村の底で長い間(よど)んでいた暗く重い物語がたったひとつの出口を見つけ、一気に流れ出す。
 その奔流の後に残るのは、一筋の希望だ。大時代的な、濃密で壮絶な物語だが、読後感は意外なほど清々しい。遠田ワールドの粋を味わえる力作である。


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