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レビュー

世に溢れる“異世界転生チートもの“へ叩きつけられた、名手・恒川光太郎からの挑戦状『ヘヴンメイカー』

 現代日本で暮らす冴えない主人公が、ある日とつぜん異世界に転移し、常人にはない力の持ち主として、新たな人生を切り拓く……。
〝異世界転生もの〟とか〝異世界チート〟と総称されるこのタイプのファンタジーは、ここ数年、ウェブ小説を中心に爆発的にヒット。とくに、大手小説投稿サイト「小説家になろう」で圧倒的な人気を呼び、アマチュア作家が書いた数万作(もしくは十万作以上)が、数十万の読者を集めている(そのため、異世界転生ファンタジーを指して〝なろう系〟と呼ぶ場合もある)。二〇一〇年代の日本は、まちがいなく、人類史上もっともたくさん異世界転生ものが書かれた時代・地域だろう。
 ちなみに、チートというのは、詐欺、いかさま、ズル、カンニングなどを意味する英単語のcheatから生まれた言葉。コンピュータ・ゲームの裏技や改造みたいに、システムを騙す行為を指す用語だったが、そこから転じて、とくに理由もなく(努力して獲得したわけではなく)ものすごい力を持つ主人公が活躍する物語をチートものと呼ぶようになった。またの名を、〝俺TUEEEEE〟(オレ強ええええ!)。
 こういう願望充足ファンタジーは、もちろん、最近になって生まれたわけではない。古典的な例は、いまから百年前に出版されたエドガー・ライス・バローズ『火星のプリンセス』(一九一七年刊)。南軍騎兵大尉だったジョン・カーターはアパッチ族に襲われて逃げ込んだアリゾナの洞窟で幽体離脱し、火星に転生。地球より重力の小さな火星で抜群の身体能力を発揮し、ぐんぐんのし上がって、火星の王女である絶世の美女、デジャー・ソリスの愛を獲得する。これが大ヒットしてシリーズ化され、合計十一作も書かれている(二〇一二年には、『ジョン・カーター』のタイトルでハリウッド映画化された)。異世界チートは、洋の東西を問わず、昔から人気が高かったのである。
 ……と、すっかり前置きが長くなったが、『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー』と続く恒川(つねかわ)光太郎(こうたろう)《スタープレイヤー》シリーズの設定は、まさしく異世界転生チートもの。
 地球そっくりの異世界に転移した主人公には、使用者以外には見えないタブレット、〝スターボード〟が与えられ、〝スタープレイヤー〟と呼ばれる特権的な存在になる。スタープレイヤーは、自身のスターボードを通じて、十個の願いを叶えてもらうことができる。具体的でありさえすれば、願いごとの内容はほぼ無制限。ひとつの都市や国をまるごとつくることもできるし、もといた地球から親兄弟や友人、憧れのアイドルやハリウッドスターを呼び出すこともできる(そうやって呼ばれてきた人々は生身の存在なので、たとえスタープレイヤー自身が命を落としても、そのままこちらの世界で生きつづけるため、この世界には、先住民の他に、地球からのこうした〝移民〟が多数存在している)。しかも、ひとつの願いの中に、オプションとして別の願いを含められるので、一度にたくさんの願いを叶えてもらうことが可能。
 また、スターボード自体にも、〈十の願い〉を消費することなく案内人を呼び出したり、地図を表示したりと、さまざまな便利機能が搭載されている。著者によると、これは、「何でもできる魔法のスマートフォンのようなイメージ」だったらしい。いわく、「文字が打ち込めて、メールや電話ができて、地図も見られる。僕はスマートフォンを持っていないので、人が使っているのを見て、いいなあと思っていたんです(笑)」(ダ・ヴィンチ二〇一四年十月号掲載のインタビューより)
 いやしかし、このスターボードはいくらなんでもチートすぎるんじゃないの……と思うところだが、だからといってそう簡単にハッピーにはなれないところにこのシリーズの面白さがある。昔話の「三つの願い」ほど単純な教訓ではないにしろ、願いを叶えてもらうことには一定のリスクがつきまとう。願いが叶ったからといって、思い通りの結果が得られるとは限らない。
 未読の方や、読んだけど内容を忘れてしまったという方のために簡単に説明しておくと、二〇一四年八月に出た前作『スタープレイヤー』の主人公は、東京都小金井(こがねい)市に住む三十四歳無職の〝私〟こと斉藤夕月(ゆづき)。買物帰りに住宅街で(くじ)を引いたら一等が当たり、スタープレイヤーとして異世界に転移する。最初のうちはとまどっていた彼女も、先輩格にあたるスタープレイヤーとの出会いを通じて、スターボードの高度な使い方や願いの方向性について学んでいく。やがて、民族間の争いに否応なく巻き込まれた挙げ句、あっと驚く〝願い〟をひねりだすことになる。
 その結末近くにちらっと出てきた〝ヘブン〟の来歴とその後について記されたのが本書。といっても、主人公は違うし、話はまったく独立しているので、前作を未読の方もご心配なく。いきなり『ヘブンメイカー』から読みはじめても、とまどうことはありません。

 さて、あらためて紹介すると、本書『ヘブンメイカー』は、〈小説野性時代〉二〇一五年十一月号に一挙掲載された「サージイッキクロニクル」に大幅に加筆して(というか、孝平(こうへい)パートを追加して)、二〇一五年十一月に四六判ソフトカバー単行本『ヘブンメイカー スタープレイヤーⅡ』として刊行された長編。
 小説の前半は、高校二年生の鐘松(かねまつ)孝平と、大学生の佐伯逸輝(さえきいつき)、ふたりの転生者の物語を交互に(前者は三人称、後者は一人称で)語るかたちで進んでゆく。一人称パートの逸輝のほうは、前作の斉藤夕月と同じく、籖引きによってこちらの世界に転生したスタープレイヤーだが、孝平のほうは事情が違う。
 鐘松孝平は、横須賀に向かってバイクを飛ばしている最中、トラックに幅寄せされ、記憶が途切れる。次に気がつくと、そこは見知らぬ家の見知らぬ部屋。外に出てみると、異国風の町が広がり、《ようこそ、死者の町へ》というメッセージに迎えられる……。
 というわけで、孝平パートは典型的な〝トラ転〟(トラック転生)もの。前述の異世界転生ファンタジーの中で、主人公がトラックに轢かれて転生するパターンがあまりに多いので、ネット上でこう呼ばれるようになったらしい。流行り出したのは二〇〇九年ごろからで、〝転生トラック〟(略して〝転トラ〟)とも呼ばれる。それを踏まえたうえで、あえて狙ったのかどうかはともかく、幻想的なホラー小説で知られる恒川光太郎が、いまの日本でもっともたくさん書かれているファンタジーに、真っ向から挑戦状を叩きつけた格好だ。宮部みゆきが『ブレイブ・ストーリー』や『英雄の書』で異世界往還型のファンタジーに挑戦したのと似ていなくもないが、長い導入部をつけて自分の土俵(現代日本の日常描写)から出発した宮部みゆきに対し、恒川光太郎は自分の得意技を封印して、いきなり相手の土俵に上がり、相手のルールで勝負する。デビュー作の『夜市』や『秋の牢獄』、『南の子供が夜いくところ』でファンになった読者は驚くだろうが(僕もはじめて『スタープレイヤー』を読んだときは唖然としました)、それでも最後はかならず読者を満足させてみせるという、著者の自信の表れだとも言える。実際、よくあるパターンだなとタカをくくって読みはじめると、著者の術中にハマり、豪快なすくい投げを食らって天を仰ぐことになる。
 もうちょっと詳しく説明すると、孝平が転生した〝死者の町〟には、さまざまな時代(一九五〇年~一九八一年)、日本のさまざまな土地で死んだ人々がおおぜい(三千人以上)集められていて、孝平と同時に目を覚ましたらしい。見知らぬ者同士だった彼らは、すこしずつ社会を構築し、ルールをつくり、世界を探究しはじめる。このパートは、ものすごくスケールの大きな〝漂流もの〟と言ってもいいだろう。
 一方、「サージイッキクロニクル」と題された逸輝パートは、語り手の〝私〟こと佐伯逸輝の回想から始まる。中学時代の同級生で片思いの相手だった華屋律子(はなやりつこ)に死なれて生きる気力を失った〝私〟は、大学に休学届を出し、神奈川県藤沢市の実家に帰る。ある晩、やみくもにほっつき歩いた挙げ句、江の島の明かりが見える夜明け前の砂浜にすわっていたとき、長身の奇妙な男と出会い、薦められるままに籖を引く……。
 というわけで、こちらのパートの出だしは、切ないラブ・ストーリー。〝どんな願いも叶うとしたら、失った恋人をとりもどすことはできるか?〟という問いが出発点になる。逸輝は内省的な思索家タイプなので、じっくり考えてから、最善と思われる願いを選択する。だがしかし……。
 小説全体の通しテーマは、理想と現実。二つのパートはやがて思いがけないかたちで合流し、意外な真実が明かされる。さんざん書かれてきた設定、手垢のついた材料から、これほど独創的な物語を紡ぎ出す手腕には脱帽するしかない。
 著者は、『スタープレイヤー』刊行時のインタビューで、〈十の願い〉についてこんなふうに語っている。

完成してから、自分は人間の欲望について書いていたんだと気づきました。スターボードがあれば欲望をそのまま実現して非道なこともできるわけですから。でも、そういう物語にはしたくなかった。人間はやっぱりダメな存在なのだ、ではなく、思考と知恵の使い方で道はいくらでも開けると描きたかったんです

女性自身二〇一四年十月十四日号「今週の著者の告白」より

 
 このポジティブな姿勢は、本書にもしっかり貫かれている。人間にはダメな部分がたくさんあるし、理想を実現することは困難だが、しかし不可能ではない。「サージイッキクロニクル」は、ある意味、佐伯逸輝が〈十の願い〉を通じて、人間について学んでゆく物語でもある。その学びの結果、人々の運命はどう変わったのか。〝魔法のスマートフォン〟に導かれた長い長い旅の果てにたどりつく結論が深く胸に沁みる。
 自分がスターボードを与えられたらいったい何を願うだろう。そんなことを考えながら、まだ書かれざる『スタープレイヤーⅢ』を気長に待ちたい。


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