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レビュー

作家生活三十周年、『鹿の王』の続編を刊行 『鹿の王 水底の橋』

 上橋菜穂子という作家は、相反するものがせめぎあう境界線に立ち、物語を紡いできた。国や民族、歴史や文化、背景が異なる者同士が共に生きるにはどうすればいいのか。壮大な物語の根底には文化人類学者としてフィールドワークを重ねてきた人ならではの眼差しがある。異世界を舞台にしていながら、ファンタジーというジャンルの枠を超えて今必要な物語として深々と刺さるのはそのせいだろう。
 作家生活三十周年を迎える今年、代表作「守り人」シリーズのスピンオフ『守り人外伝 風と行く者』に続き、『鹿の王 水底の橋』が刊行された。二〇一五年に本屋大賞を受賞した『鹿の王』は、実に千ページを超える大長編だった。伝説の病・黒狼熱ミッツアルから生還したヴァンと治療法を模索して奔走する天才医術師ホッサル。ふたりの主人公を交互に描く構成の妙にも惹き込まれるが、画期的だったのは目に見える世界とは別に、体の中にもうひとつ、内なる世界があることに気づかされることだ。内なる世界において、病のヴィルスもまた招かれざる異分子として宿主との共存の道を探っている。その時、体の中で何が起こっているのか。
 異分子が侵入すると、体はまず排除しようとする。それでも撃退できないと、今度は対抗するための抗体をつくりだす。これが「免疫」の仕組みである。体内で起こっている免疫のドラマが難局を生き抜こうとする人々のドラマといつしか響きあい、拮抗する。人の世のルールだけでは図れない、命の営みを描いてきたこの作家は、『鹿の王』で医療を描くことで、人の体という自分の意志ではどうにもできないもうひとつの世界を発見したのだと思う。カメラがヴァンとホッサル、体の内と外の世界を行きつ戻りつするうち、人々を隔てていたものが別の姿で見えてくる。物語の中でフレームが何度も変わることで、どんな命も等しく尊いものに思える。それこそが上橋作品の最大の魅力ではないだろうか。
 続編『水底の橋』で描かれるのは、天才医術師ホッサルと彼の右腕であり、恋人でもあるミラルのその後の物語だ。
『風と行く者』でもジグロの恋が描かれていたし、バルサとタンダの結婚も短編「春の光」で初めて描かれた。上橋作品において番外編は、しばしば本編では描き切れなかった恋の行方が明かされる場でもある。
 祭司医の真那まなに乞われ、ホッサルが清心教医術の発祥の地である安房那あわなに向かったのは、真那の姪の先天性の病を診るためだった。清心教医術とホッサルが行うオタワル医術とは、東洋医学と西洋医学のように異なっている。長年皇帝に仕えてきた清心教の医術師たちは、オタワルの医術師たちが重用されることに危機感を抱いていた。つまり、ホッサルが安房那を訪れることは、政敵の本陣に乗り込んでいくようなものなのだ。図らずも次期皇帝をめぐる政争に巻き込まれたホッサル。ミラルとの恋も岐路に立たされる。
 目の前の命を救うためなら、いかなる手段であれ、手を尽くすべきだと考えるホッサルの前に立ちはだかるのは、自分とは異なる死生観を持つ人々だ。彼らには踏み越えてはならないタブーがある。領主の安房那侯は言う。

私たちの間にある問題は医術の優劣ではない。そんな単純なことであれば、解決の糸口は容易く見つかっただろう

 パンドラの箱を開けるべきか、開けざるべきか。人類の歴史はその逡巡の上に積み重ねられてきた。正解はひとつではないからこそ人はためらい、迷う。これは越境を試みる者たちの物語でもある。そもそもなぜ人は壁をつくろうとするのか。こちらは正しく、あちらは間違っているという考え方が何を生むのか。続編では怖れの根源までさかのぼっていく。タイトル通り、かつてはかかっていたはずの水底の橋がそこに見えてくる。グローバリズムとナショナリズムがせめぎあう今だからこそ、愚かな純粋に足をとられないための処方箋を捜す人々の逡巡は、やはり私たちに深々と刺さってくるのである。

書誌情報はこちら≫上橋 菜穂子『鹿の王 水底の橋』
>>シリーズ特設サイト


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