大正七年の米騒動から百年目の年に、「あの文体」で栗原康くりはらやすしが世に蔓延はびこるすべての隷属と束縛にファックをかました政治学の書。
「革命とは、サルがオナニーするのと同じことだ」とか「ぜんぶご破算になるまで。自己テロルだ」とか、のっけから飛ばしているのだが、読んでいて大笑いしてバスの運転手から「Someone's happy!」とからかわれたのが、くだんの米騒動の発祥地、富山(「富山の女一揆」とも呼ばれたらしい)に著者が行ったときのエピソードだ。
 現地でデモに参加した著者は、いまどきの日本のデモっぽくみんなでラップとかやっているときに、トラメガを回されて長渕剛ながぶちつよしを熱唱する。しかも、結婚式でもあるまいし、曲は『乾杯』。彼を富山に呼んだおじさんはブルブル本気でふるえ出し、これはカラオケデモじゃないと激怒するのだけれども、そのうち別のデモ参加者が、女性が一人も発言していないことに気づき、「日常の女性蔑視が、このデモでもそっくりそのままくりかえされていませんか」と言うと、おじさんは「おっしゃるとおりだ。自己批判します。自己批判します」とさけんで女性にトラメガを渡そうとした。すると、その女性は言う。
「わたしはしゃべるのが苦手なんです。ほんとうに、しゃべりたくないんです!」
 ふはははは。書き写していてもまた笑うが、アイロニーとはこう決めるものだ。黒いユーモア。それはアナキズムの色。
 本書には、その黒い精神で生きた人々のレガシーがちりばめられているが、伊藤野枝いとうのえの評伝『村に火をつけ、白痴になれ』を読めばわかるように、著者に女を書かせると行間からぎらぎらと後光が射してくる。今回は、野枝と大杉栄おおすぎさかえが娘にその名をつけたぐらい影響を受けたルイズ(・ミッシェル)の生きざまが際立つ。パリ・コミューンでの武闘派ぶりもあっぱれながら、銃撃戦の最中に女子の友だちに会い、あらお久しぶりー、と武装姿で無理やりストリートのカフェを開けさせてコーヒーを飲みながら駄弁だべったとか、ごっついけどチャーミングな逸話で笑わせてくれる。
 しかもこのルイズ、ばたばたと死んでいく同胞を見て覚醒し、『ヴェルサイユ軍に火をつけ、白痴になれ』とばかりに石油を撒いて放火攻撃を行い、それを見たパリの女たちがあちこちで放火して「石油放火女」とヴェルサイユ軍に恐れられる存在になったという。パリ陥落後、ルイズは結局七年の島流しにされ、パリに戻ってきてこう言い放つ。
「もはや赤旗は不要である。これからはどん底の色、黒旗をかかげよう」
 そう言ってルイズがばーんと黒い旗をかかげて見せたのが黒旗の始まりだというのだからクールな話ではないか。
 百年前の米騒動にしろ、トラメガを渡されて「しゃべりたくない」と言った女性にしろ、野枝にしろ、黒旗の起源であるルイズにしろ、アナキズムの陰に女あり。というか、ひょっとしてアナキズムとは女のことなんじゃないかと思ったぐらいだが、セクハラ、パワハラだらけの日本のニュースを見て思うのは、いま、日本でもっともどん底の旗をかかげたくなっているのは女たちではないだろうかということだ。一九一七年の国際婦人デーに、ロシアで「腹へった、メシよこせ」とデモを始めた女工たちに男の労働者たちも加わり、ほぼすべての労働者たちが繰り出して首都大暴動に発展したというように、日本でも女たちが一斉に黒旗を翻し始めたら面白いことになるんじゃないかなとちょっと夢想した。
 今回の著者の本には、「ファック」「ノー・フューチャー」などのパンク世代の年寄りには懐かしい言葉が頻出するが、元セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「こうでなきゃいけない、なんてことはない」と言ったことで有名だ。何ものにもとらわれず、あらゆる権力や思い込み、アナキズムにさえ縛られずケツをまくって離脱せよ。という著者の芸風(いや作風か)は長渕よりもそっちが近いと思う。

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