都内のある人気店から、若手の鮨職人が蒲田 初音鮨にやってきた時のことだ。
「親方、今日は本当にありがとう。こんな凄いネタ、初めてです。今日は、僕らのために特別豪華なネタを出していただいてますよね?明日、店でうちの親方にも、紹介のお礼を言わないと」
「今日は特別?いやいや、いつもこんな調子のネタだよ。毎日がお祭り騒ぎだよ。昨日も今日も、明日もまた同じ調子。もうこれで何年もやってるからね」
 そんなやり取りも、決して珍しいことではない。
 鮨職人は、自分が握るネタの原価を常に意識しながら素材をあつかっている。
 素材である魚をいくらで仕入れ、それをどう捌いて、どのように使っていけば、この鮨一貫を、これこれの価格で提供できるだろう――だいたいの原価はこんなものだから、ここをこう使えば……と収支計算をすることを、若いうちから身体に染み込ませて成長する。
 原価を肌で感じながら、無駄を出さぬよう、損を出さぬよう、体内にあるコンピュータで数字を瞬時に“パン!”と弾き出す。だからこそ、ギリギリに攻めた仕入れで、お客さんから預かるお金から、最高の鮨を出せるのだ。
 そんな修業を積んだ鮨職人なればこそ、蒲田 初音鮨で最初の数貫が出てくると、「これはちょっとオカシイぞ?」と思い始める。
 どこにも仕入れられないような最上級の素材だけで「オカシイ」と思うわけではない。勝は、きっとそのまま使えばそれだけで最高であろう素材に、さまざまな“調理”を施す。鮨職人が施す工夫を“仕事”と表現するが、勝はまさに日本料理を作り上げるかのような“調理”の領域にまで踏み込んだ仕事ぶりで鮨を握る。
 まな板の上で跳ね上がりながら最期を迎える特大の伊勢エビを捌くと、勝はその半透明の身を適度な食感を得られるよう刻み、人数分に整えながら山を作っていく。その間にも、みえ子へとバトンタッチされた“残りの部分”は蒸し上げられ、ちょうど良い頃合いに勝の手元へと返り、強い甘みと旨味でとろけるような伊勢エビの“ミソ”と、新鮮な半透明の身とが一体となって、他店では体験したことが無いような“料理”が口の中で噛むことにより完成される。
 これが蒸し上げた毛蟹だというのなら、多くの店が、きっと足の身をほぐしてまとめた上で、ほどよく火の通った極上の蟹ミソを和えて提供するだろう。しかし伊勢エビのミソも、これまたうまいものだ。ピンピンと跳ねる極上の伊勢エビの、しっかりと引き締まった半透明の身。これに良い塩梅で海老ミソを、と実に発想を飛ばしたのが勝の一貫だ。
 勝のコースが中盤になる頃には、さらに並外れた大きさ、並外れた質のまぐろが目の前に登場し、ダメを押された気分になってくる。
 目の前でざっくりと入る鮪専用の長包丁。赤身、中トロ、大トロとサクッと切り分ける、そのサクの大きさは常識はずれ。そして、そのサクすべてを、その回で使い切る。
「あぁ……今日も大きく切りすぎてしまった……。鮪屋さんがこの包丁、タダでくれるわけです。なぜかってぇと、この包丁で切ると切り身が大きくなりすぎちゃうから。うちの女将さん、この包丁が大嫌いなんですよ」
 そんな軽口とともにサクを切り身にしていくが、実は赤身はもちろんのこと、その中トロと大トロも、そのままで食べさせるわけじゃない。一番、脂の乗った大トロは、一度湯通ししてから、その後、蒲田 初音鮨が長年継ぎ足してきた醤油へ浸され、ヅケの炙りとして提供される。つまりは、“炙りヅケ”となるのだ。
「昔、保存技術が発達していない頃には、腐りやすい大トロは最初に捨てられる部位でしてね……」なんて話も、「ヅケの技術ってのは、実は防腐の技術でして……」というセリフに続く爆笑ネタも、その頃には、驚きのあまり頭に入ってこない。
 あんな立派な大トロを、ヅケにした上で炙ってしまう。その香ばしいうまさは、脂ばかりが目立ってしまう本来の大トロを、実にバランスの良い完成されたメイン料理へと昇華させる。
 藁の炎が脂をほど良い温度で溶かし、タレとネタに香ばしい風味をもたらす。その頃にはすっかり枯れ、奥ゆかしくなったシャリが、溶けた脂をほんの少し軽くすることで、完璧なおいしさが生まれるのだ。
 これで終わりかと思いきや、思い切り大きく切り分け、たっぷりの厚みに切って余らせてあった赤身と中トロも、大トロの炙りヅケと一緒に太巻きにされて、最高のハーモニーを醸し出す。
 こうして、初音のコースは、これでもかとばかりに、あふれんばかりの鮪づくしで終演へと向かうのだ。
 クライマックスの先に待ち構える、さらなるクライマックス。その間、一度たりとて飽きさせないのが蒲田 初音鮨だから、他店の鮨職人の口からは、「これは商売として成り立たない」「今日は特別なんですね」なんていう言葉が出てくる。
 “いつもとは違う”、“ちょっとした配慮”で、いつもよりいい素材、いつもより大きめ、いつもより……そんな贔屓を、同業者にだけそっとしてくれているのだ――そう思ってしまうのは、鮨を知る職人だからこその「リミッター」が、頭の中で働いているからにほかならない。
 ところが勝は、毎日すべてのお客に同じように、こうしたリミッターを外した“お祭り騒ぎ”を長らく振る舞ってきた。
 そんな蒲田 初音鮨だからこそ、玄人衆の間で噂になる。様々な鮨のプロ、あるいはよく物事を知っている美食家が訪問するようになればなるほど“蒲田 初音鮨閉店説”が定期的に噂されるようになった。
 来年末まで取れない予約は、その翌年以降の予約を受け付けていないことを想起させ、原価を無視した、儲けを出せるようには思えないネタ選びは、“最後の記念”を思わせたからだ。
 店を続けるつもりならば、こんな馬鹿げた鮨など出せるはずがない――その道に詳しい者であればあるほど、そう感じるのだろう。
「『来年、お店を閉めるんですって?本当ですか?』と予約の時に尋ねられることがよくあるんですよ」とみえ子。
「誰がそんな噂を?と思っていたんですが、とても商売を続けられるような原価率だとは思えなかったんでしょうね」
 しかしこの玄人の直感、実はまったく間違いというわけではなかった。“続ける気が無い”わけではないが、実は“なぜ蒲田 初音鮨がお客たちを驚かせることができるのか”という秘密の核心を突いているからだ。
 実際、蒲田 初音鮨は長年、事業として成立するギリギリどころか、商売を無視した“お祭り騒ぎ”がその基本にあったからだ。
    ※    ※    ※
 蒲田 初音鮨の仕入れは鮪代だけでも年間3千万円以上。それ以外の素材も4千万~5千万円で、そこに酒代が乗ってくる。さらに諸々の経費を加えれば、年間の仕入れは1億円を払っても、ほとんどお釣りは無い。
 対して1日の客数は、わずか8席×2回転のみなのだから、週休1日で働きに働いても、儲けはほとんど残らない。
 その原価率は6割を超える……という噂がまことしやかに囁かれているが、実はそんな数字も控えめ。白トリュフなどの高級食材を使う時、あるいは珍しい食材が入手できた時などには、原価率が8割近くになることもあった。
「この人(勝)が、原価のことを考えないだけなんですよ。だって、仕入れの時に、値段を尋ねたところを聞いたことなんてないんだから」
 そんな、経営なんてまったく、これっぽっちも考えていないようなやり方なのだから、「毎日、人生最後の記念に営業をしている」「店を続けるつもりはないんだろうね」と噂されるのは、ある意味当然だったのだ。
 しかし、もちろん蒲田 初音鮨を閉めてしまう考えなどは、中治夫妻の頭の片隅にも存在していない。夫妻は一日でも長くこの幸せな空間を維持し続け、より多くの人に“おいしい”を届けたいと考えている。
 では、なぜふたりはこれほどまでの、捨て身とも言える鮨屋の経営をしているのだろうか。
 彼らの成功と幸福とを導く“魔法のレシピ”の秘密を知るには、少しばかり店の歴史、そして中治夫妻の過去について語る必要がある。
 彼らのやり方は、実は、決して特別ではない。経営者の心得としてあたりまえのこと、しかし、誰もが簡単にはできないことをやり続けた結果、11年連続して『ミシュランガイド東京』でふたつ星で紹介されるなどといった今があるのである。
 覚悟を決め、“顧客価値とは何か”に真剣に取り組み、本当の満足を顧客に与えるために何ができるのか、正面から取り組んだからこその成功だった。
 そこには、本書巻末で記すように、あの世界のAmazonアマゾンAppleアップルにも通じる成功法則が内包されている。
 この蒲田 初音鮨が通ってきた轍には、人が、企業が、夫婦が、親子が、様々なカタチで成功を収めていくための普遍的なノウハウが数多く秘められているのだ。
 現在、絶頂にある蒲田 初音鮨。その琥珀色の記憶を辿っていくと、そこにはその幸せな空間からは決して想像もできないような、ジェットコースターのように激しく変わりゆく、先の見えない運命の紆余曲折があった。
 1893年(明治26年)から126年続くこの店の歴史の中でも、一番後のつらく悲しい出来事こそが、現在の蒲田 初音鮨を生み、人々に“品川の関の向こう側”へと通いたいと思わせる力を生み出したのである。
 その理由、蒲田 初音鮨を現在の幸せな鮨屋へと導くつらく悲しい出来事とは、2005年9月に、勝の妻であり四代目・蒲田 初音鮨の女将である、みえ子が突然の癌と余命を宣告されたことだった。
つづきはこちら▷▷本田 雅一『蒲田 初音鮨物語』
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。

書籍

『蒲田 初音鮨物語』

本田 雅一

定価 1620円(本体1500円+税)

発売日:2019年01月25日

ネット書店で購入する