◎第4回角川文庫キャラクター小説大賞《優秀賞》受賞作!

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小路幸也氏、高里椎奈氏が選考委員を務める角川文庫キャラクター小説大賞。

第4回の受賞作の刊行を記念した試し読み第1弾では、その世界観造形が選考委員から絶賛を受けた、大塚已愛さんの『ネガレアリテの悪魔』をお届けしました。


第2弾では、〈優秀賞〉を受賞した朝田小夏さんの『天命の巫女は紫雲に輝く 彩蓮景国記』をお送りします。

「巫女×王宮×ラブ」の大本命・中華ファンタジーに、是非ご注目ください!



 第一章 蠱毒と王座の争い


  序


 夜陰に紛れて一人の男が雪の残る大路を急いでいた。笠を被り、短剣を帯び、うつむき加減で歩く。粗末な黒衣をまとってはいるが、もとどりを留めているしんは銀である。
 年のころは三十。
 背丈は高く武術の心得はないのだろう、怯えたようにしきりに左右を確かめながら上ずった足取りで月光の陰を行く。
 そこに都を守る兵士が数人、ほこを手にして見回っているのを見つけると男は闇を縫うように路地を曲がった。ちょうど月が雲から半輪を現したので、男の姿がわずかに闇から浮かび上がった。ひげのない純朴そうな男である。帯から垂れる宦官かんがんの身分を示す印綬いんじゅ(身分証)が歩く度に揺れて見え隠れする。
 こんな夜中に出歩くような度胸などなさそうだが、道をゆく足取りに迷いはない。男は兵士たちがいなくなったのを確認すると、寒さに曇った息を吐き、暑くもないのに額から汗の粒がつたうのをしきりに手巾しゅきんで拭いた。その時、背中に気配を感じ、はたと足を止めてそっと振り返った。
 そこにあったのは──黒いもやである。
 真っ黒な靄が地面を蠢き、土壁をつたって近づいてくる。しかし、よく見ればそれはただの靄ではないようで、時に一つの塊となり、時に煙のように消えながら、音もなく足元に忍び寄ってくる。男は一瞬にして蒼白となった。
 ──まずい。
 じりじりと近づいてくる黒い靄。
 意識を集中させると、震える手で短剣を抜いた。しかしいくらそれを振り回したところで空を切るばかりでなんの効果もない。男は動きを止めた。動けば動くほど、この黒い靄は活発になるのに気づいたからだ。瞳だけが忙しく左右を窺い、靄の次の動きを読もうと忙しい。
 ──このままでは喰われる!
 靄は足元にまで及んだ。男はとっさに身を翻すと全力で走り出したが、黒い塊は彼を追いかけてきたかと思うと、音も立てずに一気にその脚に食らいついた。そして一瞬にして男の半身を覆い尽くす。
 悲鳴ともつかぬ声が夜の闇を裂いた。

  1


 死体が上がったとの報告が貞家ていけにもたらされた。
 しかも宦官のものだという。
 霧のかかる朝方、明河めいがの黄色い水にぷかぷかと浮き上がっているのを漁師が見つけてさおでつついて岸に上げたらしい。河辺に寝かされたままの遺体の損傷は激しく、異臭を放っている。しかも下半身がない。何かに喰われたように肉と皮が強引に引きちぎられている無残な死体だった。
「まったくとんだことを命じられたわ」
 金糸の獣文を襟にほどこした白衣姿の小柄な少女が、死体を前に口を袖で覆いながら言った。
 彼女の名は貞彩蓮さいれん
 ここ景国けいこくの神権を握るかんなぎ一族、貞家の一人娘であるが、霊力は未熟な十七歳。
 黒髪に縁取られた白いかんばせに賢そうな瞳、頰紅を差したわけでもないのに赤い頰が愛らしく、母親を早く亡くしたせいもあり、一族の人間には可愛がられているけれど、半人前だからと与えられる仕事はいつも雑用ばかり。
 今日も覡の長、太祝たいしゅくである祖父、貞白ていはくに朝早くに呼ばれたかと思うと、「怪しげな死体が河で上がったそうだから見てまいれ」と言われてここにいる。
 彩蓮は膨れ上がった死体に眉を少し歪め、何も言わずに踵を返した。紅玉の耳飾りが歩く度に左右に揺れる。
「死体は何かに食べられているわ」
「この傷だと獣か大魚でしょうか」
 死体の骨をあらためていた髭面の大男、皇甫珪こうほけいが言う。
「そうかも。でも嫌な気が死体から漂っている。むしかもしれない」
 蠱とは、蛇などを瓶に入れ共食いさせて、その生き残ったものからも作ることができる、人の恨みや悲しみが「物象」となったもののことで、元来、自然界にも存在する下等な動物や虫の霊物モノである。人智を超えた存在である霊物には形のあるものと、幽霊のような形のないものがあるが、蠱は前者で、肉食で獰猛どうもうなわりに知能が低いので呪者じゅしゃが操りやすく、非常に危険である。
「蠱を使った呪術を総じて蠱術こじゅつと呼ぶんだけれど、操るには高度な能力が必要とされるわ」
「そんな恐ろしい術が巷で使われるなど怖い世の中になったものですなぁ」
 彩蓮の後ろにいた皇甫珪が濡れた手を拭きながら立ち上がった。
「これは思っていたよりも大きな事件になりそうね」
義父上ちちうえに応援を頼まないといけませんな」
 皇甫珪は、彩蓮の義兄である。もと禁軍きんぐん武官だったが仕事で問題を起こしてやめさせられ、今は彩蓮の父のしょうとなった母親を頼って貞家に雇われている。彩蓮の目付け兼、護衛である。頭の切れもよく未来の貞家の長の側近にはぴったりの男だが、三十路独身元武官。最近、汗臭さと小うるささが増してきており、若い彩蓮には鬱陶しがられている。
「それにしてもどうして宦官の死体だと分かったの? 上半身だけでは分からないわ」
 答える代わりに皇甫珪が何かを彩蓮に投げた。
「これがあの死体の腰で見つかったのです」
 それは木でできた印綬で、張賢ちょうけんとある。
 所属は陽明殿ようめいでん。あわせて指に高価な翡翠ひすいの指輪があったらしい。
 彩蓮はこめかみを押さえた。もし、宮殿に関わりのあることならば、それはここ数年ほどの後嗣争いが原因の可能性がある。やっかいなことに巻き込まれてしまったことになる。
「とりあえず、この男のことを調べて。宦官が蠱術によって殺されたとすれば、何らかの陰謀が絡んでいるかもしれない。ただし、まだ物取りや、怪奇な殺人事件の可能性も捨てたくはないわ」
「分かりました。すぐに配下に命じましょう」
「あとは、早く死体を片付けなくてはね」
 祖父の貞白からは死体を見に行くように命じられたが、それは実際に『見る』だけを意味しない。問題を上手く隠して穏便に済ますように言いつけられたのである。
 漁師他、その場にいた者を集めて、彩蓮は金を配り、この地を速やかに立ち去り、三年ほど離れるように命じた。もちろん、皇甫珪は、口外すればただではおかないとつけ加えるのを忘れなかった。蠱術が使われたなどと噂になれば、民は動揺し、貞家やひいては王家の威厳が損なわれるからである。
「分かったならこのことを黙っていなさい」
 彩蓮はそこまでの仕事を終えると、とむらいの儀を済ませた死体が、荷車に乗せられ貞家に引き取られていくのを眺めていた。
 ──一仕事これで終わり。
 すらりとした手足を伸ばして、大きく息を吸うとゆっくりと吐いた。美しい河の水は、澄んでこそいないが、その風は、死体を見た後の嫌な気分を払拭してくれる。
 彩蓮は大河を見渡せる大岩の上に座った。
 そして一緒に来た神官たちが河を浄める神事を行っているのをぼんやりと見つめる。白衣の男女が獣面を被って酔ったように踊り、神を降ろした若い巫女が、中央で白目を剝いて体を揺らしていた。住民らは手を合わせて河の神に穢の許しを乞いながら太鼓を叩く。
 こういう儀式は貞家の直系として彩蓮が率先してやるべきことだが、今日はそんな気分ではなかった。
 というのも、一族のほかの女たちは着飾って宮廷の儀式へと行っているからだ。片や宦官かんがんの腐った死体の始末である。がっかりするのは当然だった。汚くて地味な仕事ばかりが回ってくる。彩蓮は細い指先で恨の文字を書いてすぐに足で消した。人を妬む気持ちはよくない。かんなぎである前に性格として彩蓮はそう思っていた。
「何かが近づいてきますね」
 ずっと黙って御神酒おみきを飲んでいた皇甫珪が、西の方を指差した。人の群れが、川伝いの道をこちらに近づいて来ているのである。
 旗は赤。景国の軍旗の色である。背の低い彩蓮は大岩の上に立ち上がると、遠くにかすむ軍列を額に手を当てて見やった。
「異民族の胡国ここくを討伐に行った兵が帰国したようです」
 皇甫珪が明るい顔で彩蓮を見上げる。
「もう帰って来たの? 出兵してまだ二年じゃない。噂では、胡人は勇猛であと何年もかかるって聞いていたのに」
「俺もずっと先かと思っていましたが、討伐が早く片付いて帰国したのでしょう」
 軍列は規則正しい足音を立てていた。子供らがむらから集まってきて、畝を走り抜けて手を振り、女たちが兵士に食べ物を差し入れる。
 彩蓮はその中でひときわ美しい黒馬に乗ったよろい姿の男に目をとめた。
 まだ二十代半ばの銀髪の男で、わずかに日焼けしているが、品のいい面長で秀麗な顔立ちをしている。きりりとした眉が男らしく、その相は極めていいと言っていい。しかし、彩蓮は影を感じた。深い影だ。日光が眩しくて急に立ちくらみしてしまうような感覚に似ている。冷たい彼の灰色の瞳がそうさせるのかもしれない。
「彩蓮さま? どうかされましたか」
 気を失いかけた彩蓮に一番に声を掛けたのは皇甫珪だったが、一番にその異変に気づいたのは彼女の横を通り過ぎていた銀髪の男だった。彼はさっと馬から飛び降りると、岩の上から崩れ落ちそうになった彩蓮を、すんでのところで革の鎧をつけた胸の中に抱き止めた。
「大丈夫か」
 瞳と瞳がぶつかって、彩蓮は大きな目を見開いた。自分の顔が彼の瞳に映り、彼もまた近すぎる距離に驚いたのか、わずかに口を開ける。その健康そうな白い歯を覆う整った唇が、何か言いかけたけれど、彼は言葉を飲み、彩蓮は彼の神秘的な顔立ちに見惚れた。
 しかしそれは瞬きほどの時間のこと。
 すぐに眩しさと暗闇がいっぺんに彼女を覆い、目をつぶれば、闇の深層に足が引っ張られる。あまりの恐ろしさに彩蓮は思わず男の厚い胸板を突き飛ばそうとした。
「ご無礼をいたしました」
 走り寄った皇甫珪が男に代わりに詫びた。
「お前は──」
 男は皇甫珪を見知っているらしい。何か言おうとしたが、先に皇甫珪の方が頭を下げて遮った。
「巫なのです。お許しを」
 そう言われてはじめて男は彩蓮が白衣をまとっていることに気がついたらしい。はっと目を見開いて、「すまなかった」と低い声で言う。巫女にみだりに触れることは神への不敬に当たる。男は礼儀正しく天に仕える彩蓮を石の上に座らせた。
「わたし……」
 彩蓮はお礼に男に忠告をすべきか迷った。
 彼女には一族の皆のように安定した霊力があるわけではない。
 気まぐれにふらりと向こうから何かを告げてくるのを待つだけなのだ。だから、今のこの感覚が正しいのかも、どう言い表していいのかも分からない。父や祖父からは他人の未来を安易に告げてはならぬとも言われている。それでも何かしてやらねばという思いに駆られて彼女は口を開いた。
「気をつけて。栄光と闇が近づいている」
「どういう意味だ?」
「都は危険よ」
 彩蓮はそれだけ言うと助けを求めるように皇甫珪を見た。彼は彩蓮を立ち上がらせて、こうべを垂れる。
「では失礼します」
 皇甫珪は荷物のように彩蓮を肩に担ぎ、覡たちがちょうど豚の血を天にささげている方へと行った。ちらりと彩蓮が見たかぎり、銀髪の男は、ただこちらをじっと眺めていただけだった。

書籍

『天命の巫女は紫雲に輝く 彩蓮景国記』

朝田 小夏

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2019年05月24日

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