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試し読み

およそ一万人に一人、特殊能力を持つ者がいる。『夜がうたた寝してる間に』大ボリューム試し読み#2

 夕飯前の健全な時間に解散し、帰宅する。ドアを開けると、玄関にスニーカーが並べて置いてあるのが見え、思わず溜息をつく。俺が土曜日が嫌いな理由は、ロングホームルームの他にもう一つある。父親が自宅にいるからだ。
 父は俺が起きると同時に家を出て、夕飯を終えると同時に帰宅する。平日はほとんど顔を合わせずに済むのだが、土日となるとそうもいかない。日曜は家にいることが多いが、土曜は趣味の釣りに出かけることもある。学校から帰り、玄関先に履き古したスニーカーがあると、舌打ちしたくなる。
 わざと靴をでたらめに脱いで家へ上がると、リビングには顔を出さず自室へ向かう。階段を三段ほど上がったところで、がちゃりとリビングのドアが開いた。
あさひ」不機嫌をあらわにした母の声が聞こえてくる。「帰ったら言うことは?」
「腹減った」
「じゃなくて! リビングに顔出して、ただいま帰りましたお母様お父様、くらい言いなさいっての」
 うるさいなあ、と吐き捨てると、母の顔を見ず階段を駆け上がる。ご飯もうできるからね、と背後から張り上げた声が聞こえてきた。
 部屋の中は暖かかった。エアコンがついている。俺が「帰る」と母に連絡してから、逆算して部屋を暖めたり、夕飯を作ったりしてくれているのだろう。それくらいのことは分かっているはずなのに、悪態が口をついて出てきてしまう。
 制服を脱ぎ部屋着に着替えていると、机の上に大きな水色の封筒が置いてあるのが見えた。宛名は「さえ旭様」。俺宛だ。恐らく母が置いていったのだろう。開けなくても、中身は想像がつく。特別支援地区のパンフレットだろう。
 国内の一定の地域に、特別支援地区、通称「特地区」と呼ばれる区域がいくつか存在する。そこは主に能力者と、能力者の家族のみが居住している区域だ。能力者が一般の人々と生活するとなると、どうしてもリスクは伴う。そこで立てられた対策が、この特地区というわけだ。
 その地に住むかどうかの判断は、初めは能力者の保護者にゆだねられる。自分の子供を、一般社会で育てるのか、それとも能力者たちに囲まれて育てるのか。そして、能力者が十八歳になった頃。その決定権が初めて、能力者本人に与えられる。
 もちろん、それは俺も例外ではない。高校卒業まではこの場所で暮らすことになるだろうが、大学進学もしくは就職と同時に、俺は決めなければならない。特地区に行くのか、行かないのか。
 高校二年に上がった辺りから、この手のパンフレットが時々届くようになっていた。中に書いてあることは大抵同じ。特地区がどれだけ能力者を受け入れる態勢が整っているか。どれだけ能力者を第一に考えられているか。まるで能力者にとってのユートピアだとでも言うような美辞麗句が躍っている。俺から言わせてもらえばそんなところ、厄介者を閉じ込めたうばて山だ。
 こんなもの読まなくたって、俺の気持ちは決まっている。特地区なんて、普通の環境でうまく生きていけなかった奴らが集まる場所だ。俺はそんな負け犬なんかにはならない。封筒を開くことなく机の端に寄せると、そのままベッドへと寝っ転がった。
 しばらくすると、ドアの向こうから母の声が聞こえてきた。ご飯できたよ。体を持ち上げるのがおつくうでぼんやりしていると、またさらに聞こえてくる。ご飯できたってば! どうにか布団から体を引きがすと、一階へ下りてリビングへ向かう。
「ご飯できたって言ったらすぐ来てよ、冷めちゃうでしょうが」
 母の小言を、はいはいと受け流す。食卓には既におかずが並べられており、母は台所でちやわんに白米をよそっている。俺は父の向かいに座る。父はテレビの中のバラエティ番組に視線を注いでいる。別に見たくて見ているわけではないことくらい、すぐに分かった。
「はいはい、パパお待たせ。さ、食べよ食べよ」
 それぞれの目の前に茶碗を置くと、母が父の隣に座る。父がテレビを消し、傾けていた体を正した。いただきまーす、と母が手を合わせ、父と俺がそれに続く。
 ふいに、父と目が合った。小さな両目をしょぼつかせている。俺はさっと目を逸らし、米を口に放り込む。じりと口元にしわのいっぱい寄った父の笑顔が、ちらりと目の端に見えた。
「旭は、今日は友達と遊んできたのか」
 ああ、としやくしながらぞんざいに返事をする。困ったように笑う父の顔が見えたが、俺は無視してご飯を飲み込む。母がじろりと睨みつけてくる気配がしたが、それも無視する。
 母は若いし美人だ。せてすらっとしていて、年齢もまだ四十を過ぎたばかりだ。本人に言いはしないが、自慢の母親だ。小学校のときの授業参観で、冴木くんのママきれいだねと言われるのがとてもうれしかった。今でも、並んで歩いていると姉弟と間違われることもある。俺の外見のせいもあるかもしれないが。
 父は母と同級生だった。母と反対に父は、とてもそうは見えないほど老けている。てっぺんが丸く禿げた頭、白いものだらけの髪、深く刻まれた法令線、垂れた目尻に集まる小じわ、そしてのったりとした動作や独特の体臭。還暦を超えているようにしか見えない。学校の行事で父を見られるのが恥ずかしかったし、祖父と孫だと思われたことも何度もあった。
 父のことが嫌いだ。にへっと笑うだらしない顔やおくびような目。でも何よりも嫌なのは、それが自分の未来の姿かもしれないということだった。
 父は俺と同じ能力を持っている。つまり、時間を止めることができる。この力は、父から受け継がれたものだった。
 能力者が自分の力を自覚するタイミングは人それぞれだ。俺のように生まれつきその能力を持っている者もいれば、突然授かる者もいる。逆にその力をいきなり失う者もいるらしい。原因もいまだに判明しておらず、遺伝で力を得てしまう場合もあれば、突然変異で手に入れる場合もある。要するに、詳しいことは何も分かっていないのだ。
 そしておおよその能力がそうであるように、俺の持つ力にも副作用やリスクは伴う。時間を止めている間、停止を解除するまでは時の流れが動き出すことはない。だが、止めている本人の体にだけは、時間が流れる。たとえば一時間ほど時間を止めたとすると、他の人より一時間余計に体感していることになる。
 俺と父が実年齢よりずっと老けて見えるのはそのせいだった。時間を止めればその分だけ余計に歳を取る。父がとても四十代には見えないように、俺もとても十七歳には見えない。軽くはたちは超えている見かけだ。そのぶん、止まった世界で生きてきたということだ。
 むやみやたらと時間を止めるな、と大人たちからは口酸っぱく言われた。止めれば止めるほど、寿命が縮まっていくのだから。
 とはいえ、そうはいかないこともあるだろう。まるで指を鳴らしたり爪をんだりする癖のように、勝手に体が時間を止めてしまうことは多々ある。きっとそれは父も同じだ。あの人だって力を使いまくったせいで、あんなジジイになってしまった。もしかしたら俺だって、いつかああなるときがくるかもしれない。そう考えるとやっぱりぞっとするし、どうしても父の顔を見るといらちが募ってしまう。
 時間を止められる力なんて、俺にはあまりにも大きすぎる。たとえば映画や漫画なら、この力を使って強大な敵に立ち向かったり、大勢の人たちを助けたりして、ヒーローのようなはちめんろつの活躍を披露するのだろう。でも、現実にはそんなことは起こらない。せいぜいできるのは、落とした皿を割れる前に受け止めることくらいだ。
 何の為にこんな力が生まれてきてしまったのだろう、と時々考える。偉い人たちが一生懸命考えても分からないことが、俺に分かるはずないのだが。

(つづく)

作品紹介・あらすじ



夜がうたた寝してる間に
著者 君嶋 彼方
定価: 1,650円(本体1,500円+税)
発売日:2022年08月26日

高校二年の冴木旭には、時間を止めるという特殊能力がある。だが旭にとって一番大事なのは、普通の場所で、普通の人と同じように生きていくことだ。異質な存在に向けられる無遠慮な視線や偏見に耐え、必死で笑顔をつくっていた旭だったが、大量の机が教室の窓から投げ捨てられるという怪事件が起こり、能力者が犯人ではないかと疑われる。旭は真犯人を見つけて疑いを晴らそうとするも、悩みをわかり合えると思っていた能力者仲間の篠宮と我妻にも距離を置かれてしまう。焦りを覚えていたところに、また新たな事件が起きて……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000318/
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