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試し読み

「おや、まだ判らないのかい?」『謎解きはディナーのあとで』著者が放つ、新凸凹コンビ本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』特別ためし読み!#5

「小説 野性時代」で人気を博した、東川篤哉さんの本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』。
10月17日の書籍発売に先駆けて、「もう一度読みたい!」「ためし読みしてみたい」という声にお応えして、集中掲載を実施します!

※サイン本のプレゼント企画実施中!
(応募要項は記事末尾をご覧ください)

>>第4回へ

 ◆ ◆ ◆

 そうして歩くこと数分。たどり着いたD大学のキャンパスは、土曜日ということもあり閑散としている。だが、それでも部室棟だけは別世界。講義のない週末だというのに、いったい何が目的で集まってくるのか。鉄筋の建物の中に足を踏み入れると、そこには大勢の学生たちの姿があった。無言で擦れ違う男子もいれば、「つみれちゃーん、久しぶりー」と手を振ってくれる女子もいる。そんな中、私たち二人を遠くから眺めながら「誰だ……?」「陶芸部の……?」「偉い人かな……?」と囁きあう声もチラホラ。どうやら作務衣を着た三十男の姿が、彼らの目には偉い陶芸家の先生か何かのように映っているらしい。
 みなさん大間違いですよ――と心の中で訴えながら、私は思わず苦笑い。その横で当の本人は何を思ったのか、「そうそう、君、知ってるかい。常滑焼の特徴はね……」と唐突すぎる焼き物の話。私は咄嗟に叫んだ。「――なに無理やり、陶芸家に寄せていこうとしてんですか!」
「いや、まあ、それも恰好いいな、と思っただけ……」
 申し訳なさそうにいって、『怪運堂』店主はポリポリと頭を掻く。
 意外に俗物だな、この人――と彼への評価を下げながら、私は部室棟の廊下を進んだ。
 やがてたどり着いたシーズンスポーツ同好会の部室には、幸いにも人の気配。ノックして引き戸を開けると、そこは実に雑然とした空間だ。テニスのラケットの横にピンポン球が転がりビーチパラソルの隣にスキー板が立て掛けてある、といった具合。そんな中、部員と思しきトレーナー姿の女子が一名、椅子に腰掛けてスマートフォンを操っている。
 竹田津さんは室内を覗き込みながら、「あの、ちょっとお聞きしたいんですが……」
「はい!?」ようやくスマホから顔を上げた女子は、彼の姿を目にするなり「ああ!」と声をあげると、「陶芸部は、この隣の隣ですよ。さっきユキちゃんが捜しにきてました」
「え、ユキちゃんが僕を? そりゃ申し訳ない。早くいってあげなきゃ……」
「なに乗っかろうとしてんですか!」
 私は陶芸部のユキちゃんのもとへ向かおうとする《ニセ陶芸家》の背中を、むんずと掴んで引き戻す。そして彼の耳許に素早く囁いた。「会いたいのはユキちゃんではなくて、町田孝平さんだったはずですよね!」
「あ、ああ、そうだった。忘れるところだった」
「…………」あなたがそれを忘れちゃったら、私たち、ここにきた意味がゼロになるんですよ!
 すると私たちの会話が耳に届いたのだろう。スマホを持つ女子が口を開いた。
「町田さんでしたら、もうすぐここにきますよ。さっき彼からメールがきましたから」
「そうかい。だったら待たせてもらおうかな。――ところで、君はこのサークルの人? ひょっとしてジェシカちゃん?」
「誰ですか、ジェシカって!? そんな部員いませんよ。ジュリアちゃんならいますけど、このところ見かけないですね……え、私? 私ですか……え、なんで見ず知らずのオジサンに、私が名前を教えてあげなくちゃいけないんですか。必要ないですよね?」
「う、うん、そうだね。確かに君のいうとおりかもだ……」現役女子大生の繰り出す容赦ない正論に、さすがの竹田津さんもタジタジである。「そ、それじゃあ、つみれちゃん、僕らは廊下で待たせてもらうとしようか」
「そうですね。――どうも、お邪魔しましたー」
 そういって部室を出た私たちは、二人揃って廊下で待機。すると間もなく廊下の向こうから、五月にしては珍しい半袖Tシャツ姿の男子が登場。その胸には『柴犬ってさ、よく見るとキツネっぽいよね』と誰かの名言がプリントされている。それを見るなり、私はすぐさまピンときた。竹田津さんも何らかの直感を得たのだろう。即座に彼を呼び止めると、
「――ああ、君、町田クンだね」
 するとTシャツの彼は「え、なんで僕のこと知ってるんスか!?」と心底驚いた表情。だが驚くには当たらない。そんな面白くもない面白Tシャツを着ている時点で、《サークル一のお調子者》確定である。さっそく竹田津さんは質問の口火を切った。
「ちょっと君に聞きたいことがあってね。いや、陶芸部の部室はどこか――なんてことを聞きたいわけじゃないんだ」
「え、違うんスか!?」と意外そうな町田さんは、「じゃあ、他に何っスか?」
「うむ、ちょっとした確認事項さ」と意味深にいって、竹田津さんはズバリと本命の質問を口にした。「実際のところ、どうだったのかな? 高村沙織ちゃんは倉橋稜クンの足を本当に踏んだんだろうか。それとも実際は踏んでないけど、君が面白おかしく大袈裟なことをいっただけなんだろうか。――どっちだい?」
 すると問われた町田さんは一瞬キョトン。だが即座に質問の意図を悟ったらしい。「ああ、BBQ大会の話っスね」といって頷くと、考えるまでもなく即答した。「ええ、あのとき高村さんは、確かに倉橋の右足を踏んづけたっスよ」
「しっかりと、思いっきり……?」竹田津さんが念を押すと、
「ええ、思いっきり、しっかりと」町田さんも首を縦に振る。
「全体重が掛かるくらいに……?」
「ええ、そんなふうに見えたっス」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 私は黙っていられなくなって、男性二人の会話に横から割り込んだ。「本当ですか、それ? 沙織さんの足は、まともに倉橋先輩の足を踏んでいたんですね?」
「ああ、そうだよ」なに判りきったことを聞くんだ――といいたげな顔の町田さん。
 それでも私は尋ねずにはいられなかった。「足を踏んだんですね? 傍に転がっていた石ころではなくて、倉橋先輩の足のほうを?」
「はあ、石ころ!? そんなもの転がってたっけ。僕は気付かなかったけど」といって僅かに首を傾げた町田さんは、あらためて面白シャツの胸を張った。「とにかく間違いないって。高村さんの足は完全に倉橋の右足に乗っかってた。それで倉橋は右足を押さえて痛がったんだ。何か腑に落ちないことでもあるのかい?」
 そういって町田さんは、またキョトンとした表情。それで私はもうそれ以上、何もいえなくなった。確かに彼の目から見れば、それは何の不自然さも感じさせない光景だったろう。足を踏まれた男子が、足を押さえながら痛がっている。当たり前のことだ。
 だが私は不思議でならない。
 町田さんの話が事実だとするなら、沙織さんの話はいったい何だったのか。彼女は『吾郎』の昼飲みの席で確かにいったのだ。「私は倉橋先輩の足なんて踏んでいない」「私が踏んだのは、傍に転がった石ころのほうだ」「私は倉橋先輩に意地悪されたのだ」――と。
 では、これらの主張は沙織さんの思い違い? べつに彼女は王子様から意地悪されたわけではなかった? てことは意外や意外、なめ郎兄さんが唱えた《被害妄想説》が最も正鵠を射ていたってこと? 混乱する私は助けを求めるように竹田津さんに尋ねた。
「いったい、どういうことでしょうか?」
 すると彼は丸いレンズ越しに、怜悧な視線を私へと向けながら、「おや、まだ判らないのかい、つみれちゃん? 僕はもう、おおよそ見えた気がするよ、この事件……」
 そういう竹田津さんの表情は、いままでになく真剣そのもの。例のニヤリとした皮肉屋っぽい笑みは微塵も見られない。
 そんな彼は目の前の男子学生に向き直ると、また新たな質問を投げるのだった――

      8

 部室棟での用事を終えた私と竹田津優介さんは、揃ってD大学の正門を出る。すると彼の足は、すぐさま新しい目的地へと向けられた。目指すべき場所については、つい先ほど町田さんから情報を得たところだ。ここから歩いてすぐの距離だが、黙って歩いていられる気分ではない。
 私は隣を歩く竹田津さんに対して真面目な顔で訴えた。
「どういうことなんですか、《この事件》のことがおおよそ見えたって。竹田津さん、さっきそういいましたよね。でも何ですか、《事件》って。石材店の泥棒のことですか。私にも判るように説明してください」
「ふむ、そうだな。では歩きながら話せるだけ話すとしようか。――だけど、どこから始めればいいのかな?」
 考え込むように顎に手を当てた竹田津さんは、おもむろに口を開いて説明を始めた。
「要するに問題なのは、高村沙織ちゃんは倉橋先輩の足を踏んだのか否かだ。だがこれは、さっきの町田クンの話で明らかになったと思う。沙織ちゃんは確かに倉橋先輩の右足を踏んだんだ。実際、町田クンの話し振りには、まったく曖昧なところがなかっただろ。だから、これはまず信用していい証言だと思う」
「でも、そうだとすると沙織さんの話は? 彼女は倉橋先輩の足ではなくて、石ころを踏んだんだと主張していますよ。あれは嘘ってことですか」
「嘘というより勘違いだな。そもそも彼女は自分の足許を目で追っていたわけじゃない。女友達との会話に夢中になっていた彼女は、『二三歩後ろに下がり』そこで、何かを踏んだんだ。実際に何を踏んだのかは、彼女自身も最初は判らなかったはずだ。だが倉橋先輩が痛がる素振りを見せたから、彼女は自分が彼の足を踏んだと思った。その直後、傍に転がる石ころを見て、自分は石ころを踏んだのだと思い直した。要するに沙織ちゃんの話は町田クンの話に比べれば、酷く曖昧ってことだ。勘違いの余地は充分にあるだろ」
「それは、そうかもしれません。けれど沙織さんの足には石ころを踏んだような感触が、確かにあったといいます。それも彼女の勘違いですか」
「そう、そこに矛盾がある」竹田津さんは歩きながら独り言のように続けた。「沙織ちゃんは倉橋先輩の足を踏んだ。正確には彼の履いている靴の爪先あたりを踏んだんだ。にもかかわらず彼女の足の裏には、まるで石ころを踏んだような感触があった。つまり石のように硬い感触だ。これは、どういうことだろうか」
「さあ、判りません。倉橋先輩はごく普通の白いスニーカーを履いていたはず。石を踏むのとスニーカーの爪先を踏むのでは、まるで感触が違う気がしますけど……」
「なぜ、そう思うのかな?」竹田津さんが唐突に私へと視線を向ける。
「はあ、なぜ――って!?」私は思わずキョトンだ。
「なぜ彼の履いていた靴が《ごく普通の白いスニーカー》だって、そう思うんだい?」
「だって、それは沙織さんが、そういっていたから……」
「確かに、沙織ちゃんの目には倉橋先輩の履いている靴が《ごく普通の白いスニーカー》に映っていたんだろう。だが実際には、彼女は彼の靴には指一本、触れさせてもらえなかったはずだよね。だったら、その靴が普通かどうか、彼女にだって判らないじゃないか」
 竹田津さんの指摘に、思わず「あッ」と声が出た。そうだった。沙織さんが倉橋先輩の足に手を伸ばそうとしたとき、彼はその手を振り払った。あれは腹立ち紛れに邪険な態度を取ったのではない。彼は自分の靴に触れられたくなかったのだ。「――てことは、つまり彼が履いていた靴は、見た目は《ごく普通の白いスニーカー》だけど、実際は普通じゃなかった?」
「うむ、普通の靴じゃない。爪先が石のように硬く作られた特殊な靴だ。中に鉄板が入っているんだよ。いわゆる《安全靴》ってやつだな」
「あ、安全靴……!?」
「そう。一般に安全靴といえば、いかにも作業用って感じの黒くてゴツイ靴を連想するけど、実際はいろいろと種類があってね。スーツに似合う革靴風のものもあれば、お洒落なスニーカーとしか見えないものもある。彼が履いていたのは、たぶんそれだ」
「そうか。だから、沙織さんの足の裏には石を踏んだような硬い感触が残ったんですね。それで彼女は、まさしく石ころを踏んだものと、そう思い込んだ。まさかスニーカーの爪先がそんなに硬くできているなんて、想像もしないことだから」
「そういうこと」竹田津さんは深く頷いた。「もちろん、偶然その場に拳大の石が転がっていたことも、彼女の勘違いを後押ししただろうけどね」
「そうだったんですか。――でも待ってください。そもそも、そのとき倉橋先輩は、なぜ安全靴なんか履いていたんです? BBQ大会で安全靴を履く理由なんてないですよね」
「うむ、もっともな指摘だね。では、僕も別の疑問点を挙げるとしよう。――なぜ倉橋先輩は、安全靴を履いているにもかかわらず、足を踏まれて痛がる素振りを見せたのか?」
「ああ、それもそうですね」
 安全靴を履いているなら、仮に沙織さんの全体重が爪先に乗っても、それほど痛みを感じることはないはず。しかし倉橋先輩は実際、堪えきれずに痛がる素振りを見せたのだ。これは、どういうことなのか。考えるうちに、私の頭にもようやく閃くものがあった。
「あッ、ひょっとして倉橋先輩は、そのときすでに右足を怪我していたのでは? だから少しの衝撃でも痛みを我慢できなかった……」
 私の推測に、竹田津さんは嬉しそうに頷いた。
「僕もそう思う。彼は右足の爪先に怪我を負っていた。だからこそ安全靴を必要としたんだよ。本来、安全靴というものは怪我をしないよう、用心のために履くものだろう。だが彼はすでに怪我した足をガードするために、それを履いたんだな。靴の先端を覆う鉄板が、怪我した爪先を衝撃から守ってくれる。実際、沙織さんに足を踏まれた際も、彼は痛がる素振りを見せる程度で、なんとかやり過ごすことができた。もしも彼の履いていた靴が、正真正銘 《ごく普通の白いスニーカー》だったなら、その場面で彼は絶叫して悶絶していただろう。仲間たちからは奇異の目で見られたに違いない。ひょっとしたら、その場で靴を脱がされていたかもだ。彼はまさしくそういう事態を避けたかったんだろうな」
「なるほど」と頷く私。だが、ひとつの疑問が解けると、その傍からまた新たな疑問が湧いてきた。「でも、どうして? 足を怪我しているなら、仲間たちにひと言そういえばいいじゃないですか。それなのに、わざわざ安全靴を履いてまで、それをヒタ隠しにしようとする理由は、いったい何でしょうか」
「いい指摘だね」と竹田津さんは歩きながら頷く。「でも疑問点は、それだけかい?」

(つづく)

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