谷根千ミステリ散歩 中途半端な逆さま問題
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「――実は僕、ニンジャなんだよ」ゆるすぎる名探偵&犯人に騙されまくる女子の本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』特別ためし読み!#4
「小説 野性時代」で人気を博した、東川篤哉さんの本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』。
10月17日の書籍発売に先駆けて、「もう一度読みたい!」「ためし読みしてみたい」という声にお応えして、集中掲載を実施します!
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◆ ◆ ◆
6
しかしまあ、谷中がいくら墓の町だといっても、墓石を売る店が飲食店並みに林立しているわけではない。「だから、その気になって探せば、泥棒に入られた石材店ぐらい、きっと見つかるさ」と希望的な観測を述べながら、『怪運堂』の店主は店を出る。玄関に自ら施錠して、まな板みたいな小さな看板を裏返すと、その瞬間から店は《休業中》となった。「――うむ、これでよし」
満足そうに呟いて、作務衣姿の竹田津優介さんは狭い路地を歩き出す。仕方がないので私も彼の後に続く。こうして二人は泥棒被害に遭った石材店を探す旅に出た。いや、《旅》といっては大袈裟だから、《散歩》とでも呼ぶべきか。それはともかく、「やはり餅は餅屋だろうね」という竹田津さんの考えに従って、とりあえず私たちは近所の石材店にいくことにした。
入り口のガラス戸から二人で顔を覗かせながら、
「あのー、ひょっとして、こちらの店……」
「最近、泥棒に入られたなんてことは……」
などと、間抜けな質問をしてみたところ、意外にこれがニアピン。顔面が石みたいな初老の店主は、こちらの問いが終わらないうちに、「それなら、うちじゃなくて『浅田石材』じゃねーかな。そういう話を耳にしたぜ」と即答してくれた。同じ地域の同業者同士だけあって、噂は簡単に広がるらしい。竹田津さんは「ありがとうございます」といって店を出る。
私はさっそくスマートフォンの画面上に指を滑らせながら、
「あった、『浅田石材』……なんだ、この店のことか……これなら、うちの大学の近所ですよ。案内しますね」
こっちです、こっち――と手招きしながら自ら先頭を切って歩き出す私。今度は竹田津さんが後に続く番だ。
ところでピンクのパーカーを着たミニスカートの可愛い女子と、茶色の作務衣を着た丸眼鏡の三十男。二人が谷中の路地を並んで歩く姿は、町の住人の目にどう映っていたのだろうか。正直よく判らないが、少なくとも道行く外国人観光客の中には、私たちにカメラを向ける者が数名ほど存在した。そんな彼らは口々に「オー、ニンジャ、ニンジャ!」と歓声をあげていたから、たぶん竹田津さんの作務衣姿が忍者コスっぽく見えたのだろう。私は《くノ一》に間違われていないことを祈りつつ、彼から少しだけ距離を取る。その一方で、当の竹田津さんはピースサインと手裏剣投げのポーズで、外国人たちの勘違いをさらに増幅させていた。
――この人、本当は馬鹿なんじゃないの?
そのような疑念が、私の胸にふつふつと湧き上がった。
そうして歩き続けること、しばらく――。いくつかの寺院と墓地とを通り過ぎた私たちは、ようやく目指す『浅田石材』に到着した。その建物はT字路の角に位置する鉄筋二階建て。屋上に掲げられた看板には《墓石の製造・販売・設置》とある。店頭の陳列スペースには、まだ何の文字も彫られていない様々な墓石が並んでいる。「これ、おひとつ、くださいな」と気軽に指を差せば、トマトやキュウリのように売ってくれるのだろうか。べつに買う気はないけれど、なんだか気になる。
そんな中、竹田津さんはT字路の角を曲がり、建物の裏手へと歩を進めながら、
「ふむ、表は店舗だけど、裏は墓石を加工する工場らしい。まさに町工場だな」
そういえば斉藤巡査の話によると、泥棒は建物の裏口から出入りしたらしい。
「てことは、泥棒は工場の側から侵入して出ていったんですね……」
そう呟いた私の視線の先。いきなり工場の勝手口みたいな引き戸が開く。中から姿を現したのは、作業服を着た若い男性だ。この店の従業員であることは、作業服の胸に縫い付けられた『浅田石材』のロゴで判る。男性は喫煙のため外に出てきたらしい。建物の壁に背中を預けながら、ひとり煙草を吸いはじめる。
竹田津さんは迷うことなく、その男性に声を掛けた。
「――ああ、ちょっと、君」
呼ばれた従業員は一瞬、怪訝そうな表情。それから火のついた煙草を慌てて背中に隠すと、「あ、何かお探しですか。だったら、どうぞ店舗のほうへ。専門のスタッフがご相談を承りますよ」と、いきなり流暢な営業トーク。
どうやら墓石の購入を考えている二人連れだと思われたらしい。なかなかレアな勘違いだ。竹田津さんはキッパリ首を真横に振ると、「いや、墓石を買うのは何十年か経ったまたの機会に、きっとお願いするよ」と相当に気の長い約束を交わしてから、「それより今日は、ちょっと聞きたいことがあってね」
「はあ、なんです?」
お客ではないらしいと判って、男性は堂々と喫煙を再開。煙草の灰が白いスニーカーを履いた男性の足許に落ちる。竹田津さんは構う様子もなく続けた。
「ひょっとして一昨日の昼間、この店に泥棒が入らなかったかい?」
相手が初対面の男性であるにもかかわらず、竹田津さんの口調は完全なタメ口――というより、むしろ上からモノをいうような感じである。これで相手の男性は腹を立てたりしないのだろうかと、ハラハラして見守る私。その前で若い従業員はむしろ、よくぞ聞いてくれました――と、いわんばかりの嬉しそうな表情。上から口調の竹田津さんに負けず劣らずのタメ口で捲し立てた。「そうそう、そうなんだよ。こないだ、うちの工場に泥棒が入りやがってよ。警察とかきて、大変だったんだぜ。――あんた、よく知ってるね」
「そりゃあ、知っているとも。だって、このところ谷根千界隈の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、その泥棒のうわさをしているくらいだよ」
――あれ、石材店に入った泥棒って『怪人二十面相』だったのかしら?
首を傾げる私をよそに、竹田津さんは滑らかな舌の動きで軽快に話を続けた。
「いや、しかし最近は谷中も物騒になったもんだねえ。こりゃきっと大手テレビ局や有名出版社が谷根千ヤネセンって馬鹿みたいに騒いで、そういうタイトルの番組とか本とかを次々と作っちゃったせいだ。ブームに便乗しすぎなんだよ、まったく。――まあ、中には面白いやつもあるけどね」と辛口ながらも気を遣ったメディア批判を展開した竹田津さんは、ようやく本題に戻って彼に質問した。「ところで、その泥棒、いったい何を盗んでいったんだい?」
「いや、実はそれが間抜けな泥棒でさ……」
若い従業員は元来お喋りなタイプらしい。斉藤巡査が話したとおりの内容を、煙草片手に繰り返す。竹田津さんは、さも初めて聞いた話のごとく、「ふんふん、へえ!」と相の手を入れながら、判りきった話を最後まで聞き終えると、「ふうん、じゃあ、その泥棒、何も盗まずに逃げたってわけだ。だけど本当に何も? 事務所の棚にある本一冊、工場にある物差しひとつ、ロッカーの作業服一枚、盗まれなかったっていうのかい?」
「え、いや、そこまでは、なんとも……」といって作業服の男性は煙を吐いた。「少なくともカネ目のものは無くなっていないって話をしているだけで、そりゃあ、よくよく捜せば何か無くなってるって可能性はゼロじゃねーだろうよ」
うんうん、そうだろうねえ――と嬉しそうに頷いた竹田津さんは、先ほど男性が出てきたサッシの引き戸を指差して聞いた。「その泥棒が出入りした裏口っていうのは、この引き戸のことだね。ここからリュックを背負った泥棒が逃げていくのを、二階にいた女将さんが偶然目撃したってわけだ」
そういって竹田津さんは真上を指差すと、「ははん、確かに、おあつらえ向きの窓があるねえ」などと呟きながら上を向く。そして、そのまま二三歩前進。すると次の瞬間、踏み出した足が壁にもたれる男性の足と交錯。「――あッ、こりゃ失礼!」咄嗟に叫んだ竹田津さんは、慌てて自分の足を引っ込めながら、「も、申し訳ない。痛くなかった?」
「いや、べつに……」
気にするな――というように男性は軽く手を振る。白いスニーカーを履いた彼の右足は、何も問題なさそうだ。竹田津さんは「ああ、良かった」といって胸を撫で下ろす。その仕草に若干の違和感を覚えた私は、密かにムッと眉をひそめる。しかし竹田津さんは何食わぬ顔で再び質問に戻った。
「事件の際、この引き戸は施錠されていなかったんだね」
「ていうか、引き戸は全開だった。一昨日の昼間は暑かったから、網戸だけにして風通しを良くしてたんだ。まだクーラー使う時期じゃねーもんな。たぶん、その泥棒、網戸越しに中の様子を窺って、誰もいないのを確認してから中に忍び込んだんだぜ。俺たちは作業場のほうにいて、泥棒の侵入に気付かなかった。事務のおばちゃんは、たまたま給湯室でお茶を淹れてて、やっぱり何も気付かなかったってわけ」
そういって、また男性は煙草をプカリ。そして、いまさらながら疑念に満ちた視線を丸眼鏡の三十男に向けた。「なあ、随分と事件のことを知りたがってるみたいだけれど、ひょっとして、あんた、刑事さん? それとも探偵とかか?」
「ん――君、面白いこというね。この僕が刑事や探偵に見えるかい?」
竹田津さんは笑いながら、ホラよく見てごらんよ、とばかりに作務衣の袖を左右に大きく広げてみせる。すると若い従業員は煙草を持つ手を軽く振って、
「いいや、正直、刑事にも探偵にも見えねえ。じゃあ、いったい何者なんだよ、あんた?」
「そんなに知りたい? じゃあ特別に教えてあげようか、本当のことを……」といって竹田津さんは、煙草をくわえた男性の耳もとに自ら口を寄せる。そして囁くような声で、ついに驚きの正体を明かした。「――実は僕、ニンジャなんだよ」
7
そんなこんなで、私たちが石材店の男性従業員に、感謝の言葉とサヨナラを告げた直後。路地を歩く私は、とうとう痺れを切らして『怪運堂』の怪しい店主に問い掛けた。
「さっきのアレ、いったい何だったんですか?」
すると竹田津優介さんは前方を向いたまま、僅かに首を傾げて、「ん、アレって!? ああ、アレのことか。いや、もちろん僕はニンジャではなくてだね……」
「知ってます。誰も、そんな馬鹿みたいなこと聞いてません」
私はピシャリといって、彼の戯言を無理やり遮る。いま話題にしたいのは彼の《ニンジャ発言》ではなくて、先ほど彼が見せた奇妙な振る舞いのことだ。
「さっき竹田津さん、あの人の足を踏みましたよね。――しかも、わざと」
「え、わざと!? おいおい、つみれちゃん、あんまり人聞きの悪いこと、いってもらっちゃ困るな。わざとだなんて、とんでもない。君は僕のことを極悪非道な悪党だとでも? 掟破りのならず者だとでも? はは、冗談じゃない。あくまでも僕は、正真正銘ウッカリ不注意で、あの人の足を踏んづけたんだ。――わざと踏んだりしたら犯罪だろ」
と一気に捲し立てて竹田津さんはニヤリ。その横顔には『わざとですけど、それが何か?』と書いてある。サッパリ訳が判らない私は、ゆるゆると首を横に振るばかりだ。
「まあ、いいです。――で、これから、どうするんですか。いったん店に戻ります?」
「ん、戻りたいなら、君はひとりで戻っていてくれたまえ」
「…………」なぜ私が他人の店に戻ってなくちゃならないのか? なぜ『~したまえ』口調で命令されなくてはならないのか? 釈然としない思いで「ハァ」と溜め息をつく私。
その隣で竹田津さんは、いきなり意外なことを言い出した。
「僕はね、これから例のお調子者に会いにいこうと思うんだ」
「ん、例のお調子者って……えッ、なめ郎兄さんに?」
ビックリ仰天する私の隣で、竹田津さんは大変判りやすくコケた。
「なんで、このタイミングで僕が君の兄貴に会わなくちゃならないんだい!? そんなの時間の無駄、体力の浪費以外の何物でもないだろ」と相変わらず竹田津さんは兄に対して、ことのほか辛辣だ。そんな彼は、私の顔を覗き込むようにしていった。「違うよ。僕がいってるのは、もうひとりのお調子者のことだ。――ほら、高村沙織さんの話に出てきただろ。彼女と王子様の仲が悪くなりそうなところで、咄嗟に冗談を飛ばした同好会の人気者が」
「ああ、確か町田孝平さんとかいう男子学生ですね」記憶を喚起された私は、しかしすぐに怪訝な表情を浮かべた。「だけど、その男子に会って、どうするんですか? その人は今回の件に、あんまり関係ないような気がしますけど……」
「いやいや、そんなことはないさ。ひょっとすると彼こそは最も重要な目撃者かもしれないよ。――ええっと、シーズンスポーツ同好会の町田クンだね」
そういって竹田津さんは再び勢い良く歩きはじめる。向かおうとする先は、当然ながらD大学の部室棟だろう。私は後れを取るまいとして、彼の背中を慌てて追いかけた。
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