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試し読み

謎解きは散歩のあとで。ゆるすぎる名探偵×犯人に騙されまくる助手の本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』特別ためし読み!#6

「小説 野性時代」で人気を博した、東川篤哉さんの本格ミステリ『谷根千ミステリ散歩』。
10月17日の書籍発売に先駆けて、「もう一度読みたい!」「ためし読みしてみたい」という声にお応えして、集中掲載を実施します!

※サイン本のプレゼント企画実施中!
(応募要項は記事末尾をご覧ください)

>>第5回へ

 ◆ ◆ ◆

「いや、まだ他にも、あったような……ええっと」腕組みしながら考え込む私は「あッ」と声をあげてポンと手を叩いた。「考えてみれば、そもそも普通の大学生が安全靴なんて持ってるわけないじゃありませんか。彼はどこでそれを手に入れたんですか。『ワークマン』で買ったんですか」
 ちなみに『ワークマン』とは労働者たちから絶大な支持を集める作業服の専門店。当然、安全靴も各種取り揃えているだろう。「でも、谷中に『ワークマン』はないか……」
「うん、確かに君のいうとおり、安全靴はそういう専門店で買うイメージだね。谷根千あたりだと、どこで手に入るんだろうか。正直よく知らないけど、べつに買わなくたって、安全靴を手に入れることは不可能じゃないだろ」
「というと――?」
 私が首を傾けると、隣を歩く竹田津さんの横顔に悪党っぽい笑みが浮かんだ。
「なーに、簡単なことさ。日常的にそれが使われている場所から、こっそり盗むんだよ。では、それはどこか。一般的にいって安全靴というのは、重たいものを扱う危険な現場で使用されるものだ。例えば建築現場とか自動車修理工場、貨物の運搬に関わる現場とか、あるいは墓石の製造・販売・設置……」
「ああッ」咄嗟に私の口から声が漏れた。「石材店……まさか『浅田石材』のこと!」
「そう、その『まさか』だと思うよ。BBQ大会があったのは木曜日の夕刻。『浅田石材』に泥棒が入ったのは、同じ木曜日の昼間のことだ。石材店から安全靴を盗み、それを履いてBBQ大会に現れることは、時間的には充分に可能だ。――え、泥棒は何も盗まなかったはずだって? それについては、例の従業員もいっていただろ。確かにカネ目のものは何も盗まれていないけれど、お店の人たちだって、あらゆる備品をチェックしたわけじゃない。安全靴の一足くらい無くなっていても、たぶん誰も気付かないよ。ていうか、まさかそんなものを盗んでいく泥棒がいるなんて、考えもしないだろ」
「それもそうですね。――あッ、そうか」瞬間、私の中で保留になっていた疑問が、たちまち氷解した。「それで竹田津さん、あのとき、あの従業員の足をわざと踏んでみたんですね。彼の履いている靴が、どんなものか確かめようとして!」
「おいおい、何度もいってるだろ。わざとじゃないって。あれは偶然、踏んでしまっただけさ」と、あくまでシラを切りながら、竹田津さんはニヤリと笑った。「でもまあ、そんなことはどうだっていい。ところで君も気付いたと思うけど、あの従業員が履いていた靴は、見た感じ白いスニーカーとしか思えなかった。だが僕が自分の足で踏んだ感触からすると、その先端は石のように硬かった。まさしく白いスニーカータイプの安全靴だ。実際、彼は僕に足を踏まれても、まったく平気な顔だったろ」
「ええ、確かに」――でも万が一、彼の履いていたのが普通のスニーカーだった場合、あなた、その場で彼からぶん殴られているところですよ。随分と危険な賭けでしたね!
 呆れるような感心するような、そんな複雑な気持ちを抱きながら、私は話を戻した。
「では、その安全靴を盗んだ張本人が、倉橋先輩ってことなんですね」
「あくまで推測だよ。いまは、まだ仮定の話だ。だが実際に『浅田石材』の従業員は白いスニーカータイプの安全靴を履いていた。一方、BBQ大会に参加した倉橋先輩も、密かに同じタイプの安全靴を履いていたらしい。これは偶然だろうか。僕は偶然じゃないと睨んだ。倉橋先輩は足の怪我を仲間に悟られまいとして、わざわざ盗んだ安全靴を履き、何食わぬ顔でBBQ大会に参加した。そうまでして足の怪我を秘密にしておきたかったんだ。だが盗みという罪を犯してまで、隠しておきたい秘密って、いったい何だと思う? 当然、それは盗み以上の重大な犯罪を連想させるだろ」
 と、そこまで説明したところで、竹田津さんはピタリと足を止めた。気が付けば、五月の太陽は大きく西に傾き、西の空は茜色。古びた住宅が軒を並べる路地は、すでに薄暗くなりつつある。
 そんな中、私たちの目の前には昭和を感じさせる木造モルタル造りの二階建てアパート。『あさがお荘』と書かれたプレートを確認した竹田津さんは、
「間違いない。町田クンの教えてくれたアパートだね」
 そういって二階の一室を見上げる。そして感慨深げな口調でいった。
「やれやれ、ちょっと店を空けるつもりが、随分と長い散歩になっちゃったな……」
 彼の言葉は、この場所が長い散歩の最終地点であることを告げていた。

 錆びついた外階段を上って二階へ向かう。四つの玄関扉が並ぶ中のいちばん奥の部屋。ネームプレートに住人の名前は書かれていないが、空室でないことは玄関先の傘立てを見れば判る。扉の前で足を止めた私と竹田津さんは、ごく自然に顔を見合わせた。まずは竹田津さんが扉をノック。だが応答はない。強めのノックを繰り返してみても、結果は同じだった。
「ちッ、仕方がないな……」
 そういって彼は右手をドアノブへと伸ばす。ハラハラしながら見守る私の目の前で、その口許から「おや」という声が漏れた。「鍵は掛かっていないみたいだな」
「だ、駄目ですよ、竹田津さん!」私は彼の背後から慌てて警告した。「鍵が掛かっていないからって、知らない人の部屋を勝手に開けちゃ……」
「不法侵入になるってかい!? うーん、そうか」彼はドアノブから手を離すと、「よし判った。じゃあ、つみれちゃん、君に頼むとしよう。君は高村沙織ちゃんの友達だろ。その沙織ちゃんは彼女の友達なんだから、『友達の友達はみな友達』という古い理論からすると、間違いなく君は彼女の友達ってことだ。それなら勝手に部屋の扉を開けることだって、ギリギリ許されるじゃないか。――さあ、頼む。僕は無関係な男を演じながら、ここから夕焼け空でも眺めているとしよう。その隙に君はその扉を開けてくれたまえ」
「え、えッ、『開けてくれたまえ』って、そんな無茶な!」
 戸惑う私の前で、彼はくるりと反転。作務衣の背中をこちらに向けると、沈みゆく春の夕日を眺めながら、「やあ、夕暮れ時の谷中の町も、なかなかの風情だなあ」
「…………」この期に及んで、竹田津さんは本当に無関係な男を演じはじめたらしい。こうなったら仕方がない。腹を括った私はドアノブに右手を伸ばす。確かに彼のいったとおり、鍵は掛かっていない。手首を捻るとノブは滑らかに回転した。「お、お邪魔します……」
 挨拶しながら入れば不法侵入にはならない。独自理論を頼りにして他人の玄関を開けるのは、本日二度目だ。私は恐る恐る中を覗き込む。靴脱ぎスペースの向こうは、すぐ板張りの台所になっている。その奥は和室らしいが、畳の上には水色のラグが敷いてある。典型的な昭和の間取り。その西日に照らされた畳の間に、明らかな異変があった。
「た、た、竹田津さん……」
「ふーん、どうやら、ここからじゃ富士山は見えないみたいだなあ……」
「竹田津さん!」私は思わず声を荒らげた。「もう、いつまで夕日を眺めてるんですか。――ほら、あれ! あれを見てください!」
 開け放った扉から部屋の奥を指差す。竹田津さんはようやく夕焼け空からアパートの室内へと視線を移す。やがて畳の間の異変に気付いた彼の口許から「むッ」という声。次の瞬間、彼は素早く靴を脱ぐと、挨拶もせずに室内へと上がり込む。私も彼の後に続いた。
 畳の間にはピンクのカバーが掛けられたベッドと白いクローゼット。そしてテレビやローテーブルなどが置いてある。そのテーブルの横に、若い女性が横たわっていた。
 茶髪の巻き髪に日焼けした肌。派手めな化粧が似合いそうなギャル風の女性だ。いまはスウェットの上下を着ているが、クローゼットの周囲に脱ぎ散らかされた洋服は、やはりギャルっぽい。
 そんな彼女は水色のラグの上に長々と横たわったまま微動だにしない。その首筋には、何かで絞められたようなどす黒い痕跡がハッキリと残っている。
「ひいッ」と叫んで思わず目を逸らした私は、竹田津さんの背中に隠れるようにしながら、ワナワナと唇を震わせた。「し、死んでるんですか、その娘……?」
「ああ、間違いない。随分と前に死んでいる……ていうか、殺されてるね」
「……ジュリアちゃん……ですよね?」
「だろうね。ここは彼女の部屋なんだから」
 ジュリアちゃん――町田さんの話によれば、本名は大橋樹里亜というらしい。D大学のシーズンスポーツ同好会の一員だ。だが木曜日のBBQ大会は欠席。そして私たちが部室で会った女性部員も『このところ見かけない』といっていた。それもそのはずジュリアちゃんは、アパートの自室で人知れず冷たくなっていたのだ。
 だが彼女の遺体を眺める竹田津さんの表情に、さほど驚きの色はない。彼の頭の中では、このような状況が、ある程度予想できていたのだ。そんな彼に、私は震える声で尋ねた。
「つ、つまりこれが……倉橋って人の秘密……だったんですね」
「そう。倉橋がジュリアちゃんを殺したんだ。殺害は木曜日の昼間のことだろう。だが、その代償として倉橋は右足を怪我した。激しく抵抗するジュリアちゃんから、爪先を踏んづけられたんだな。ひょっとすると指の骨が折れたのかもしれない。だが怪我した原因が原因だから病院にいくわけにはいかない。しかもBBQ大会の時刻は迫っている。欠席すれば、仲間からの疑念を招くだろう。だから仕方なく彼は足の怪我を隠してBBQ大会に参加したんだ。石材店から盗んだ安全靴で、怪我した爪先を文字どおり覆い隠しながらね。もしも怪我していることがバレると、後々になってジュリアちゃんの変死事件との関連を疑われることになりかねない。そのことを彼は嫌がったんだろうな」
「そうですね。きっと、そうだと思います」
 現に死体が発見されたいまとなっては、もはや信憑性を疑う理由は何もない。ここを訪れる道すがら、竹田津さんが私に語ってくれた推理は、やはり正しかったのだ。その慧眼に舌を巻きながら、私は呟くようにいった。
「王子様の足を踏んだのは沙織さんではなく、ジュリアちゃんのほうだったんですね」

      9

 それからのことは、いろいろ目まぐるしかったので簡潔に要点のみ。
 まず私と竹田津優介さんは現場を荒らさないようにと、いったん部屋の外へ出る。そして彼は例の『~したまえ』口調で、私に一一〇番通報を要請。だが一一〇番に不慣れな私は次善の策として、唯一自分の携帯に登録されている警察関係者に直接電話した。
 斉藤巡査が白い自転車に跨りながら飛んできたのは、それから数分後のことだ。
 アパートの部屋に転がる女子大生の変死体を見て、斉藤巡査は唖然呆然。「こりゃあ、どういうことだい、つみれちゃん!?」と目を剥く彼に、私はここに至るまでの経緯を簡潔に説明してあげた。すると斉藤巡査は「なるほど、そういうことか」と、ようやく納得した様子。その間、竹田津さんはアパートの外廊下の手すりにもたれながら、「やあ、もう星が出てきたみたいだなぁ……」などと呟きながら、とっぷり暮れた谷中の夜空を眺めるばかり。結局、最後までロクな発言をしなかったから、ひょっとすると斉藤巡査は丸眼鏡の怪しい三十男ではなくて、この私こそが神のごとき推理力で秘められた事件の真相を暴いたものと、そう勘違いしたかもしれない。
 実際には私の語った推理は、すべて竹田津さんの受け売りだったのだが――
 とにもかくにも、そういうわけで『谷中女子大生殺害事件』は公のものとなった。
 倉橋稜が殺人の容疑で逮捕されたのは、それから数日後のことだ。
 報道によると、倉橋は罪を認めているらしい。殺害の動機はいわゆる痴情の縺れ。実は倉橋稜は大橋樹里亜と男女の関係にあった。ところがモテ男の倉橋に別の恋人が出現。そちらに乗り換えようとした倉橋は、樹里亜に別れ話を持ちかけたのだが、彼女はそう簡単に引き下がる女性ではなかった。激昂した樹里亜が「その泥棒猫に会って話をつけてやる!」と直談判に及ぼうとしたところで、倉橋の中に殺意が芽生えたらしい。なぜなら、その新しい恋人は社長令嬢。倉橋は彼女の父親の会社に就職が決まっていたのだ――
 こうして今回の事件は動機も含めて、いちおうの解決を見た。――でも、ちょっと待って。今回の事件って、そもそも何だっけ?
 よくよく考えて見ると事の発端は、そう、高村沙織さんだ。私が真に解決を願ったのは、沙織さんの恋の悩みだったはず。では、憧れの王子様の逮捕は沙織さんにとって良い結末だったかというと、もちろんそんなことはない。
 それが証拠に、王子様の逮捕された翌日、再び真っ昼間から『吾郎』を訪れた沙織さんは、鰯の唐揚げ、鰯のお造り、鰯の蒲焼、そして鰯のなめろう(もちろん料理のほう)を肴にしながら、ビール五杯をガブ飲み。なめ郎兄さんを歓喜させたものの、やはりサークル仲間の死と憧れの先輩の逮捕は、彼女にとって相当にショックが大きかったらしい。顔を赤くした沙織さんは最後まで言葉数が少なかった。
「大丈夫ですか、沙織さん。元気出してくださいね」
 帰り際、心配して声を掛けると、彼女はカラ元気とも思える陽気な表情。自分の胸を拳でドンと叩きながら、「なーに、平気よ、平気。むしろ、あんな男に本気で惚れなくて良かったって、マジでそう思ってる。だってヘタに付き合ってたりしたなら、こっちがどんな目に遭ってたか判らないもんね、それ考えるとゾッとするわー」
 ひょっとして強がりかもしれないけれど、ある意味ポジティブな感想を口にした沙織さんは、キッチリ飲み代を払って『吾郎』を後にした。右に左にふらつく彼女の足取りを、複雑な思いで見送る私。その背後から、なめ郎兄さんの声が唐突に響いた。
「おい、つみれ、結局あんまり効き目なかったみたいだな、例の店」
「ん、例の店って!?」
「ほら、俺の友達がやってる開運グッズの店。そう、『怪運堂』だよ。おまえ、あの店で何かグッズを買って、沙織ちゃんにプレゼントしたんだろ?」
「あ、いや、そうしようと思って、お店には入ってみたんだけどね。なんやかんやで買いそびれちゃって……って、ねえ、お兄ちゃん」私は先日来、胸にわだかまっていた疑問を、ここぞとばかり口にした。「あのお店の人とお兄ちゃんって、本当に友達なの?」
 ――向こうは、全然そう思ってないみたいだったけど、ホントに?
 疑念に満ちた視線を向ける私。すると調理服姿の兄は腕組みしながら胸を張った。
「んなもん、友達にきまってるだろ。竹田津さんちの優介くんといえば、俺の幼稚園時代の同級生でよ。それ以来、ずーっと続く幼なじみさ。昔風にいうなら竹馬の友っつーか、要するに腐れ縁っつーか、お互い『竹ちゃん』『なめちゃん』って呼び合った仲よ。まあ、親友っていや親友だな。竹ちゃんだって俺のこと、きっとそう思ってるに違いねーって。いいか、つみれ、そもそも俺と竹ちゃんの絆はよぉ……」
 ――もう、やめて、お兄ちゃん! 聞いてるこっちが、つらくなるから!
 私は自分の耳を両手で押さえて、兄の話をシャットアウト。そして今度もし、あの怪しい名探偵と《散歩》する機会があったなら、もう少し兄のことを聞いてみようと思うのだった。

(つづく)

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