▼前回はこちら 『やまのめの六人』試し読み#5
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横溝正史ミステリ&ホラー大賞受賞作家原浩さん待望の新刊『やまのめの六人』発売!
『火喰鳥を、喰う』で令和初の横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した原浩さん、待望の2作目となる『やまのめの六人』が2021年12月2日に発売されました!
嵐の夜、ワケありの男たち5人が逃げ込んだのは、不死身の老婆が棲む館。
しかも5人だったはずの仲間がいつのまにか6人に……。紛れ込んだ化け物は誰?
気になる設定と畳みかけるような謎でページをめくる手が止まらない、スリリングな密室ホラーミステリです。
特別に冒頭試し読みをお届けします!
『やまのめの六人』試し読み#6
一郎は懐中電灯を携え、その女性の足元を照らしながら歩いている。おそらく彼女が金崎兄弟の母親だろう。二人の後ろには二郎が続く。二郎はトレイを手にしていた。その上には湯気の立つマグカップが幾つか載っている。
「母です」一郎が女性を紹介すると、金崎夫人は顔中の皺をにこにこと歪ませて、僕たちに会釈した。金崎兄弟の母親にしては、かなり老いてみえる。兄弟の母というよりも祖母とした方が自然な世代に思えた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本当に助かりました」
緋村が重ねて礼を言うと、金崎夫人はゆるゆると左右に首を振り、答えた。
「いいえ、困ったとき、は、おたがい、さま、ですか、ら……」
一瞬、聞き取れなかった。夫人の声は途切れ途切れに
一郎が補足する。
「母は
僕は二郎のひょろ長い腕が差し出すトレイからマグカップを受け取った。カップは黒い液体でなみなみと満たされていた。
「これは?」僕が尋ねると、
「珈琲です。インスタントですがね。砂糖とミルクはここに」と一郎が答えた。
独特の香りが鼻をつく。紫垣がそれを受け取ってストーブの前に戻る。喉が渇いていたのだろう。すぐに一口飲んで、ふうと息をついた。紺野はミルクと砂糖を入れると、しつこいまでに搔き回し、その液体を口にした。
山吹は珈琲を一口
「ミルク、入れた方がいいですか? それともこのまま?」僕が訊くと、山吹は苦笑した。
「知らないよ。君の好きに飲めばいい」
僕は珈琲を一口、二口と飲み下した。
金崎夫人が口を開いた。
「おいで、い、いただき、嬉しいですよ。寂しい暮らし、ですから。ごゆっくりおやすみ、ください」
山吹が腰を屈め、重ねて礼を言う。
「我々は息子さんたちに助けられました。お母さんにもお礼を申し上げます。ありがとうございます」
金崎夫人は山吹の
「こちらこそ、たすかり、ます。寂しい、暮らしですし。あなたがた、し、しねば、わたくしども、も、助かります。珈琲、おかわり、いかがですか」
山吹の顔色がさっと変わった。紫垣と紺野も困惑した視線を交錯させる。
今、この女は何て言ったんだ? 何かと聞き違えたのだろうか。『あなた方が死ねば私共も助かります』と、話さなかったか?
金崎夫人は笑みを顔に張り付けたまま、くるりと体の向きを変えた。そのままよろよろと歩きだす。二郎が従者のように母の後ろを歩く。夫人は毛布が掛けられた白石の死体の前に立ち、微笑みを
一郎が母の背に声をかける。
「母さん、それ、亡くなられた方のご遺体だよ。死んでしまったんだよ」
「し、死んで、いる?」
「そうだよ」
金崎夫人は無表情に振り返ると、息子に何事か告げた。二郎が頷き、死体の前に
紺野が飲みかけた珈琲に
金崎夫人はしげしげと白石の死に顔を見つめていたが、やがて得心したように何度も頷いた。
「これ、し、死んで、死んでいる、のねえ」
金崎夫人はほとんど嬉しそうに呟くと、手を合わせて念仏らしきものをぶつぶつと口にした。僕たちは呆気に取られてその様子を見守った。
「さあもういいだろう。死体を
二郎が白石の顔から手を離すと、死体の後頭部が床に落ちてごとんと音を立てた。衝撃で白石の口が少し開き、唇が不気味に微笑むように歪む。二郎は元通りに毛布で死体を覆った。
緋村が怒気を発して金崎兄弟を睨む。
「丁重に扱ってくれ!」
一郎は慌てた様子で緋村に
「いや、これは、申し訳ありません……」
突然、がらん、と音がした。
「おい、どうしたんだ?」それを見た山吹が動揺した声を上げる。
紺野は荒く呼吸をすると、駆け寄った山吹に眼球だけぎょろりと向けた。
「紫垣さん?」今度は緋村が声を発した。当惑した緋村の視線を
今度は紺野の傍らにしゃがみこんでいた山吹がふらりとよろめき、床に手をついた。僕は慌てて山吹に近づき、今にも倒れそうな山吹の背に手を回した。
「だ、大丈夫ですか?」僕が訊くと、
山吹は「珈琲……」とだけ答えて、ぎこちなく視線を床に
一郎が満足気な笑みを浮かべ、歌うように話した。
「珈琲もお口に合わなかったようで。『糞不味い』珈琲なんかお出ししてしまって、いや、なんとお詫びいたしましょう」
一郎は不揃いな黄色く汚れた歯列をぬらりと露出させると、僕たちをせせら笑うように見下ろす。さっきまでの温厚そうな色は完全に失せ、いやらしい悪意がその顔面に表れていた。こちらがこの男の本質なのだろう。
山吹の身体から力が抜けてずるずると体勢を崩す。僕は彼の身体を支えきれず、山吹はそのまま床に倒れ込んだ。
これは何が起きているんだ? 状況が理解できず、緋村を見ると、彼は鋭い視線を一郎に向けて言った。
「……何を飲ませた」
僕はハッとして湯気の立つマグカップを見る。
金崎夫人は穏やかな笑みを顔面に張り付けたまま、ゆるゆると歩くと、一郎の引いた椅子に腰かけた。
「ご、ごゆっくり、おやすみ、ください。うれしい、ですよ」金崎夫人はそう言って目じりの皺を歪ませた。
緋村が僕を見て、小声で訊いた。
「あなたは?」
僕の身体に変調はない。「大丈夫です」と、答える。緋村は目で頷いた。緋村にも異常は見られない。彼は僕が見ていた限り飲み物に口をつけていない筈だ。
「倒れたやつらを椅子に座らせろ。そうしたら手首にこれを繫げ。椅子の背もたれに通すんだ」
一郎はそう言ってダイニングテーブルの上に何かを放り投げた。蠟燭の光を受けて金属製の輪がじゃらりと音を立てた。それは二つの手錠だった。
「どうして……?」僕の問いかけに、一郎は表情もなく答えた。
「質問はするな。今後お前らの行動の許可をするのは全て私だ。私の許可無く口を開くな」
いつの間にか二郎が紫垣の背後に回っていた。テーブルに伏した彼の髪の毛を摑んで引き起こし、頭を持ち上げる。どこに隠し持っていたのか、二郎の右手には長大な包丁が握られていた。いわゆる柳刃包丁と呼ばれる細身で先端が鋭い刃物だ。二郎は逆手に持ったそれの切っ先を紫垣の首筋に突きつけた。体は自由にならずとも意識はあるらしく、紫垣が恐怖に染まった目を僕に向けた。
緋村は落ち着き払った声で一郎に問う。
「何の真似だ?」
その声には静かな怒りが
一郎は緋村の視線を冷たく受け止めていたが、やがて、「質問するなと言った筈だ」と、弟に目配せした。
二郎が手にした包丁でいきなり紫垣の首を突いた。刃の切っ先が首の皮膚に埋まり、そこから湧いた血が、ぼたぼたと流れ落ちた。紫垣の口から、ぐうっと言葉にならない呻き声が漏れる。
「やめろ!」
(続きは本書でお楽しみください)
作品紹介
やまのめの六人
著者 原 浩
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
発売日:2021年12月02日
「俺たちは五人だった。今は、六人いる」怪異は誰か。密室ホラー×ミステリ
嵐の夜、「ある仕事」を終えた男たちを乗せて一台の乗用車が疾走していた。峠に差し掛かった時、土砂崩れに巻き込まれて車は横転。仲間の一人は命を落とし、なんとか生還した五人は、雨をしのごうと付近の屋敷に逃げ込む。しかしそこは不気味な老婆が支配する恐ろしい館だった。拘束された五人は館からの脱出を試みるが、いつのまにか仲間の中に「化け物」が紛れ込んでいるとわかり……。怪異の正体を見抜き、恐怖の館から脱出せよ!横溝正史ミステリ&ホラー大賞受賞作家が放つ、新たなる恐怖と謎。
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