11月6日に発売された、第43回 横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉受賞作にして、北沢 陶のデビュー作『をんごく』。本作は大正末期の大阪・船場の商家を舞台にした謎×ホラーで、選考委員大絶賛での「大賞」、さらに「読者賞」「カクヨム賞」も受賞し、三冠でのデビューとなりました。大注目小説、まずは試し読みからお楽しみください。
横溝正史ミステリ&ホラー大賞〈大賞〉受賞作!
北沢陶『をんごく』試し読み#1
第一幕
一
黒い格子の外から、誰かが見ている。
軒下から。戸の節穴から。西陽の届かない、ほの暗い影の中から。
思い過ごしだ、と強いて自分に言い聞かせた。外はひとがかろうじてすれ違えるくらいの裏通りで、
息をつき、羽織の襟を正す。こういうところに来ているから、ありもしない視線に
「今日はえらい……」
祭壇を背にした四十がらみの女が、ふいに私の肩を見越して言った。
「居てますな」
女の視線をたどろうとして、すんでのところで抑える。
「ひい、ふう、みい」と指折り数え、
近所の子どものことを言っているのだと、そう思い込もうとしても無駄なことだった。ただでさえ寒い背中が、さらに冷えていく。
大の男が内心怯えているのをさすがに見て取って、女は軽く手を振った。
「まあ、気にすることやあらしまへん。入ってくるでもなし、これが終わってあんたはんが外に出はったとこで取って食うやなし。終わったらな、まあ、すうと消えていきますよって」
それでも気になりますやろか、と問われて、はいと認めるのも
「外のもんは……なんでそないに集まっとるんでっか」
目を細めたまま、
「うらやましいんやろうなぁ。呼んでもらえるもんがおって。わいも
巫女が脇に置いていた、
「やかましいこと」
怯えが収まるとともに、これが巫女の使う手なのではないか、来た人間をまずこうして脅してみせるのではないかと勘ぐったが、あの樒で空気が軽くなったのは確かだ。
電球もつけない板間の部屋、巫女の背後にある祭壇は、なんとも奇妙なものだった。樒が一対、両端に飾られ、黒漆の塗られた小さな
「知ってはると思いますけど、一年やよってな。
巫女の顔が、格子の陰で暗がりに沈み込んでいた。
「一年経ってしもたらもう、呼べませんよってな。……いつごろ、行きはったんだす」
巫女が追い払った視線とは別の重苦しさが
「妻が行んだのは、去年の十二月です」
年明けの準備に近所がせわしく働いていたころ。北東からの風が冷たく、長火鉢を寄せてくれと頼んでいた次の日の夜明け前だった。
ちょうどひと月。巫女がつぶやいた。
「何を尋ねようというんでもあらへんのです。ただ、心残りがあんまり大きいですよって」
「行んでもうたのが、よう受け入れられへん。そういうことだっか」
言い当てられて顔を上げると、巫女はもう祭壇に向かって、
「わてがなにか唱えましたらな、意味はお分かりやないと思いますけどな、こう、手を出しますよって、軽く握っとくなはれ。そしたらな、喋りますさかい。奥さんが来はりますさかい」
黒い
ふいに、妻と出会ったときから、彼女が「行んでもうた」あの日のことまでが、鮮やかに──残酷なほど鮮やかに、脳裏によみがえった。
(つづく)
作品紹介
をんごく
著者 北沢 陶
発売日:2023年11月06日
第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞 史上初の三冠受賞作!
嫁さんは、死んでもまだこの世にうろついているんだよ――
大正時代末期、大阪船場。画家の壮一郎は、妻・倭子の死を受け入れられずにいた。
未練から巫女に降霊を頼んだがうまくいかず、「奥さんは普通の霊とは違う」と警告を受ける。
巫女の懸念は現実となり、壮一郎のもとに倭子が現われるが、その声や気配は歪なものであった。
倭子の霊について探る壮一郎は、顔のない存在「エリマキ」と出会う。
エリマキは死を自覚していない霊を喰って腹を満たしていると言い、
倭子の霊を狙うが、大勢の“何か”に阻まれてしまう。
壮一郎とエリマキは怪現象の謎を追ううち、忌まわしい事実に直面する――。
家に、死んだはずの妻がいる。
この世に留めるのは、未練か、呪いか。
選考委員満場一致、大絶賛!
第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞 史上初の三冠受賞作!
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