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試し読み

p.50まで読める! 超弩級ミステリ巨編 長浦京『アンダードッグス』試し読み#5

2023年9月22日(金)、長浦京さんによるミステリ巨編『アンダードッグス』(角川文庫)が刊行となります。直木賞候補作となるなど大きな話題を集めた本作の文庫化を記念し、冒頭部約50ページ分が読める豪華試し読みを掲載! 全6回の連載形式で毎日公開します。超スケールで綴られる極上のエンタテインメントの序章を、存分にお楽しみください。



長浦京『アンダードッグス』試し読み#5

「あの裏金事件はそもそも古葉さんのリークにより露見したものですよね」
「は?」
 抑え切れず口から出た。
「あなたが情報を流したことで、不正の事実が発覚したんです。古葉さんは勇気ある告発者でもある。佐々井さんの死に関して、誰よりも発言すべき立場にあるんじゃないですか。佐々井さんの死を無駄にしないためにも」
「違います。私じゃない」
「あなたですよ、間違いなく。その証拠が、明後日あさつて発売のうちの新年合併号に載ります」
 ──完全な捏造記事だ。
 反論する前に、ドアを閉め鍵も閉めていた。もう何もいいたくなかったし、聞きたくもない。だが、インターフォンの音は鳴り続ける。
 頭をき、壁をると、古葉は鍵と財布、携帯を持ち、またドアを開けた。
 詰問するディレクターと記者を振り払い、管理人を睨みつけ、階段を駆け下りるとマンションを出た。
 自宅とも会社とも無関係な場所にあるファミレスをタクシーを乗り継いであちこち巡りながら、知り合いに連絡をとり続けた。何が起きたのか、どうして佐々井は死んだのか、記者からの伝聞ではなく自分自身で確かめたかった。
 農林水産省の関係者で、あの裏金事件で辞めさせられた者、残った者にかかわらず、番号のわかる全員にかけた。ほとんどが出ずに留守電に切り替わったが、必ずメッセージを残した。留守電にならない場合は、深夜になってもしつこくかけ続けた。
 農水省に残っている唯一今でも付き合いのある能代にも、もちろん連絡した。
 かけ直してきたのは能代を含む四人だけ。それでも言葉少なに話してくれた四人の言葉をつなぎ合わせることで、状況がぼんやりと見えてきた。
 佐々井一家の心中は、偽装ではなく事実だった。有罪判決を受けたせいで望む就職先が見つからず、過去を知る人間に「不正役人」と罵られるようなこともあったらしい。精神的にも追い詰められ、病んでいたという。
 だが、それが古葉にも飛び火したのには、やはり裏があった。
 逮捕者が出た薬害エイズ問題。「ものつくり大学」設立に関する参議院代表質問での疑獄問題。それらで手一杯なところに、佐々井修一の死をきっかけに日本農業生産者組合連合会の裏金問題を、来年一月からの通常国会で蒸し返されるのを嫌った政府与党と所管省庁の上層部が、論点をぼかすために古葉をリークの首謀者にでっち上げたほか、様々な捏造ニュースを仕込んだらしい。
 古葉の中に怒りが、そしてすぐあとを追うように憎しみがこみ上げてきた。
 生前の佐々井の顔が頭に浮かぶ。
 選ばなければあの人にも仕事はあったはずだ。どんなに罵られても、顔を伏せ、聞こえないふりをしていれば生きていけたはずだ。言葉は心に刺さるが、実際に肌を切り裂き、血を流させたりはしないのだから。
 生活費や子供達の学費もセーフティーネットから支給されていたはずだ。
 しかし、佐々井は自らを殺し、最も大事な家族までも殺した。東大卒、元官僚という肩書きが、どうしても捨て切れなかった過去のプライドが、彼を殺した。
 佐々井の人生とは、命とは何だったのだろう?
 ファミレスのテーブルにひじをつき、爪先でひたいを何度も叩く。深く考え込んだときの古葉のくせだった。ひどいと皮膚がれ、血がにじむこともある。
 ──自分はあの人と同じようにはなりたくない。
 考えた末にたどり着いたのは、そんな思いだった。
 ──俺は何の抵抗もせず、哀れな自分を嘆きながら自殺などしたくない。
 死ぬならば、農水省を追われた俺さえも、まだスケープゴートに利用しようとしている奴らを必ず道連れにする。

 朝方までファミレスで過ごし、午前九時半にマンションに戻った。
 まだマスコミ関係者数人がエントランス前の路上にいたが、無視を決め込んだ。前を遮られ、せいに近い言葉を投げつけられても反論せず、オートロックのドアの内側に入ってゆく。
 エレベーターを降り、自宅の玄関ドアを閉めると、すぐにまたインターフォンが鳴った。プライバシーを荒らすなと抗議するつもりで出ると、マスコミ関係者ではなく郵便局員だった。
 警戒しながら玄関を開けると、本当に制服の郵便局員で速達の書留を渡された。日本人名の差出人には心当たりがなかったものの、発送元には軽井沢のホテルの住所が書かれている。
 開けるとやはりマッシモからだった。フロッピーディスクが一枚。パソコンを立ち上げ、スロットに入れ、データを確認する。
『Enter My last words』のメッセージ。
 彼がホテルの部屋で最後にいった『Buon Natale』と入れると、英文のテキストが画面に並んだ。
 彼の話していた計画の一部。全体の五分の一だと冒頭にただし書きがあったが、それでもかなりの長文で詳細に書かれている。
 半ば投げやりに読みはじめたものの、五分も経たないうちに本気で文字を追っていた。
 インターフォンがまだしつこく鳴っているが、気にならない。それほど画面のテキストに集中していた。
 あの日聞いたマッシモの言葉をまた思い出す。
『成功の鍵は、どう上手くやるかじゃない、誰がどれだけ忠実に遂行するかなんだ』
 自分の流儀を持つ熟練のプロフェッショナルより、可能な限り指示を再現しようとする古葉のような人間のほうが、成功率は高くなるかもしれない。
 読み終えすべてを頭に刻み込むと、マッシモの指示通り、フロッピーのプラスチックカバーを叩き割った。中の磁気ディスクをキッチンのシンクで油に浸し、燃やしてゆく。
 直後、古葉は机の奥を探った。
 あの日聞かされた、マッシモのもうひとつの言葉が、頭の中に響いている。
「フロッピーと書類に記録されている、日本人政治家と財界人の違法な資産運用の証拠も渡そう。それを使って、日本国内での名誉の回復を求めるのも、相応の対価を要求するのも君の自由だ」
 ──戦ってやる。きばを剝かずに終わらせるつもりはない。
 陥れようとしている奴らののど元に食らいつき、逆に息の根を止めてやる。
 軽い興奮を感じながら、見つけ出したパスポートを握りしめていた。


    *


一九九六年十二月三十日 月曜日

 <外字>德カイタツク空港は相変わらず狭く古く、混み合っている。
 古葉が香港に来るのは二度目。バックパッカー気取りで旅行を続けていた大学二年以来になる。ここで新年を迎えようとしている観光客に加え、本国でのクリスマス休暇を終えて戻って来たイギリス人の姿も目立つ。
 スーツケースを回収し、広東カントン語、英語、日本語、インドネシア語、マレー語が飛び交う入国審査を抜けると、「私たちは還元法に反対しています」という日本語のプラカードが見えた。他にも様々な言語で同じ内容を掲げた香港人の集団が署名を求めている。
 還元法とは中国政府が画策している一種の中国本土との同化政策だった。イギリスから任命されたクリストファー・パッテン香港総督が推し進めてきた急激な民主化政策を、一九九七年七月一日の返還を境に凍結するもので、以降はこうしたデモや抗議集会は届出制から認可制になる。中国政府のかんに障るようなデモ行為は、一切行えなくなるということだ。
 だが、署名を呼びかけ続ける若い集団に、中年の男たちが罵声を浴びせ、激しい口論がはじまった。飛行機から降りてきたばかりの観光客たちは、休暇気分をがれ、不愉快そうに見ている。
 デモの若者たちが「Dogs of CCP中国共産党の犬(Chinese Communist Party)」と中年男たちを責め、中年のほうもデモ隊に「Mammon's拝金主義者ども」と怒鳴り返す。
 ここはまだ中国ではないし、かといってもう英国でもない。住民たちも含め、すべてが定まらず揺れている。
 空港内の銀行で当座の現金の両替をすませた。レートは一ホンコンドルが十三・八円。トラベラーズチェックは日本で用意してきた。現金を手にすると、すぐに空港内のショップで、こちらでも出回りはじめたプリペイド式携帯を買った。契約式の携帯電話にも加入するつもりだが、とりあえずはこれで間に合わせる。
 少し暑くて背広の上着を脱いだ。到着ロビーにある電光掲示板を見ると、現在気温十九度。湿度も高くない。それでも額に薄く汗が浮かんできて、ネクタイも外した。
 やはり緊張している。
 自分に言い聞かせた──俺は犯罪のために来たんじゃない。自暴自棄になったのでも、日本を逃げ出してきたのでもない。仕事をしに来ただけだ。大きな利益を生む可能性のある新規事業を。
 手に入れたばかりの自分の電話番号をマッシモのオフィスに連絡する。
 本人も秘書のクラエスも不在だったが、事前に聞かされていた通りなので問題はない。オフィススタッフに「到着した」とメッセージを残した。
 日本の農水省にいる元同僚・能代の留守電、さらに古葉と同じく裏金作りで農水省を追われ、少し前に司法試験に合格したづきという元後輩の留守電にも、香港での新たな連絡先を残した。ふたりには宮城で暮らす古葉の両親の安否を含む、日本の状況を逐一報告してもらうことになっている。知り合いだが、もちろん無料じゃない。前金で多額の報酬を支払ってきた。
 タクシーに乗り、最初の目的地へ。
 街は十二年前と大きく変わっていた。以前は、一部の繁華街を除いて、貧しく慎ましやかといった印象で木造の平屋も目立ったが、今はどこまでも高層マンションとアパートが続いている。発展したというより、より雑然とし、窮屈になったように感じた。
 地下鉄が延線・拡張しているのに、九龍カオルーン半島内の道路渋滞もひどくなっていた。ガイドブックには十五分で着く場所と書いてあったが、もう三十分以上乗っている。あと少しというところで、またも渋滞にまった。
「歩いたほうが早いよ」と英語でいう運転手に料金を渡し、「釣りはいいよ」と英語で返す。
 すると運転手は、「お年玉ありがと」と日本語でいった。
 身なりと英語の発音、そして何より金払いのよさから、「どんな間抜けでも日本人ってわかるよ」と香港生まれだという彼は笑顔を見せた。
 そんなに簡単に素性を見抜かれるのか──もっと立ち居振る舞いに気をつけないと。

(つづく)

作品紹介



アンダードッグス
著者 長浦 京
発売日:2023年09月22日

世界に、牙を剥け。超弩級ミステリー巨編!
1996年、元官僚で証券マンの古葉慶太は顧客の大富豪・マッシモにある計画を強要される。
それは中国返還直前の香港から運び出される機密情報を奪取するというものだった。
かつて政争に巻き込まれ失脚した古葉は、自分を陥れた者たちへの復讐の機会と考え現地へ飛ぶ。
待っていたのは4人のチームメンバーと、計画を狙う米露英中の諜報機関だった。
策謀と銃弾飛び交う香港で“負け犬たち”は世界に牙を剥く!
直木賞候補作にもなった究極のエンタテインメント小説。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322301000216/
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