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試し読み

福音の列車を、神さまは確かにお遣わしになった。一つ欠点があるが――「ゴスペル・トレイン」試し読み【3/4】

『熱源』で直木賞を、『パシヨン』で中央公論文芸賞を、
それぞれ受賞した川越宗一、初の短編集単行本となる『福音列車』。
同作の中で、最も編集部内で人気の高い「ゴスペル・トレイン」を、
カドブンで全文公開いたします。

川越宗一『福音列車』より「ゴスペル・トレイン」試し読み【3/4】



 スピリチュアル、というのが一連の歌の総称らしかった。神を讃美する歌であり、黒人奴隷たちが悲嘆や希望を込めて伝え継いだ歌でもあるという。
「俺たちが教会の外、白人たちの前で歌うのは、フィスク・ジュビリー・シンガーズの成功があったからだ」
 授業に続いての合唱の練習が終わったあと、ウィリアムが教えてくれた。夏の太陽は、もうずいぶん傾いていた。
 奴隷解放の後、黒人のためにフィスク大学という学校が設立された。すぐに運営資金に行き詰まってしまい、職員は学生の合唱団を作ってフィスク・ジュビリー・シンガーズと名付け、興行で寄付を募ることにした。当初こそ差別でうまくいかなかったが、レパートリーにスピリチュアルを加えるとまずは新奇さが、次いでうたい手たちの確かな実力が評価され、大きな人気を博した。アメリカ各地での公演に成功し、さらには海を渡って英国女王の前でうたい、いくばくかの黒人への理解と数万ドルの寄付金を集めた。
 ザ・チャリオット・シンガーズのメンバーは全員、奴隷の子に生まれ、十代のころに内戦が終結、自由人となった。地元の教会が開いた日曜学校の最初の卒業生で、なりわいや家事をこなしながら教会や学校の運営を手伝っている。同時に、学校の資金不足にも悩んでいた。
「つまり、お金のためにうたうのよ」
 ネッティのあけすけな表現を、ウィリアムが「寄付だ」と訂正した。
「ただし、ケイには教えられない。正確には、教えてもケイにはうたえない」
 考えた結果だ、と言い添えたウィリアムが続けるに、スピリチュアルはただの歌ではない。聖書の逸話をうたった表向きの詞の裏には自由の希求、故郷のアフリカや奴隷制の無い北部州への逃亡の願望、あるいは秘密集会の日時を知らせるなど、切実で具体的な意味が込められている。
「俺たちへのさげすみは、自由になったはずの今も止まない。少し前までは『クー・クラックス・クラン』に襲われ、殺されたやつもいた」
 KKKなるならず者たちの存在は啓次郎も聞いている。南部出身の退役軍人が作った秘密結社で、いろの三角帽子とローブ、おどろおどろしい仮面というふんそうを特徴とする。馬鹿げた恰好に紛れてやっていることは、黒人に対する常軌を逸した迫害だった。公然と街を行進して威を示し、黒人や彼らを支持する白人、また黒人向けの学校や教会を襲撃して回る。合衆国政府の取り締まりを受けて公然とした組織はついえたが、その暗い意思を継ぐ者はいまだ絶えていない。
「だからこそ、スピリチュアルがうたわれる意味があるんだ」
 歌は、神のみわざは白人だけでなく信じる者を残らず救うはずだという宣言であり、その日まで必ず耐え抜くという誓約に等しい、とウィリアムは力説した。
「スピリチュアルに必要なものは、ソウル、それとガッツだ」
 ソウルとは米国の黒人にしか持ちえない、父祖の苦難の歴史と己の艱難の経験によって育まれる精神の謂いらしい。ガッツは気力や勇気を指す言葉で、つらい境遇の中で救いを信じて生きる黒人には大事な徳目なのだという。
「ケイがいいやつだとは分かる。だが、日本人のケイにはスピリチュアルはうたえない。詞と旋律の上っ面だけなぞっても、それはスピリチュアルじゃない」
 啓次郎は、おとなしく学校の寮へ帰った。おうようたれ、忠言否むなかれ、という実家の教えが、どうも癖になっていたらしい。ただ寝て、思いついたように起き、ときおり「ミハイロフの店」で酒とともに沈思して六日を過ごし、次の日曜日の朝に再び教会を訪れた。
 礼拝を見学し、牧師の激しい説教に感心し、スピリチュアルがうたわれる時間には踊り、薄っぺらい財布から寄付を投じた。
 集会所へ移動する。やはりあった鯰のフライだけを皿に大量に盛り、ウィリアムとネッティの前に座り、ただひたすらに口に放り込む。泥臭さがこうを満たす。不快のあまり涙がにじむ。構わずウィリアムをにらみ続け、もぐもぐとしゃくする。
「寄付をありがとう」
 ウィリアムは苦笑しながら、きちんと礼を言ってくれた。
 次の週、再び礼拝に参加し、寄付をし、集会所へ行く。
「今日はごちそうよ、あたしたちにとっては」
 すれ違いざまにネッティが指さしたのは、真っ赤にで上がったざりがにの山だった。ちょっと意地が悪いんじゃないの、彼のためだ、という小声の問答が後ろから聞こえた。啓次郎は気にせず皿に盛り、テーブルで躄蟹の殻を剥いたり割ったりして、やはりウィリアムをにらみながら身を頬張る。鯰よりずっと泥臭い。ちらりと目をった先では、ネッティがきゃしゃな体格のわりに太く節くれ立った指で忙しく殻を剥いている。あたしたちにとってのごちそう、というのは本当なのだろう。
「躄蟹は夏のいまが旬だ。あと、寄付をありがとう」
 やはり目に涙をためた啓次郎に、ウィリアムもやはり礼を述べた。
 翌週、また啓次郎は教会へ行った。「ミハイロフの店」にはしばらく行けないな、と思いながら財布をひっくり返し、あるだけの金を寄付の袋に入れた。
 集会所へ入ると、濃厚な臭気が立ち込めていた。
 いつも料理が並ぶテーブルには湯気の立つ巨大なずんどうなべが据えられている。中には生き物のかけらのような白っぽい何かが、濁った煮汁に見え隠れしていた。
「よお、今日はチタリングスか。俺の寄付で足りてるかな」
 声に振り向くと、前に聖書を読んで泣いていた信徒が目を輝かせていた。
「こいつぁ、うまいぜ。それに力がつく」
 信徒はいかつい体を揺らし、親しげに話しかけてくる。根は朗らかな為人ひととなりらしい。
「チタリングスとは何だろう」
「洗ってよく煮た、豚の腸さ」
 答えに啓次郎は身を硬くした。そもそも日本では鶴くらいしかきんじゅうの肉を口にしなかった。長い米国生活で肉食には慣れたが、さすがに内臓は食べたことがない。これも彼らのごちそうなのだろうか。ままよとレードルで鍋をかき混ぜ、具をごっそり皿に盛る。
 おい取りすぎじゃねえか、と口をとがらせる信徒に目で謝意を示し、啓次郎はウィリアムとネッティの前に座った。
「東洋には、三度礼を尽くすという故事がある。サンレエと言う」
 言い放ってから啓次郎はスプーンをつかつか)み、内臓を頬張った。生々しさが口いっぱいに広がり、のどえんを拒否するようにびくびくと震えた。
 普通なら捨てられ、あるいは見向きもされない食材で作られた料理は、黒人たちの生き抜く意志や直面している困難そのものだろう。ガッツで調理して口に入れ、たどり着いた滋味がソウルを育む、ということだろうか。
 例のごとく、啓次郎の目が潤んだ。食事も学業も身の振り方も、誰かによって注意深くり抜かれ、手を掛けられたものを、ただ与えられる。疎ましく感じていた大名の子という境遇に、今さら逃げ帰りたくなる。
 だめだ、と首を振った。涙は勝手にあふれて止まらないが、咀嚼は自らの意志で止めない。
「まずいか。ケイ」
 ウィリアムの声には、試験官のような冷厳さがあった。
「いや――」
 ごくりと飲み下してから、強く首を振った。虚勢ではなく、口の中の感触が変わっていた。
「おいしい」
 貝柱かしいたけを思わせるごたえには淡白なうまみがあった。ふんだんに使われた香辛料は生臭さを忘れさせてくれるだけでなく、重層的な味わいを作っている。自分は自らの足で、知らない世界に辿たどり着けたことを知った。スプーンの動きは止まらなかった。
「ケイは、どうしてそんなにスピリチュアルをやりたいんだ」
 啓次郎はてのひらを向け、時間をもらった。口はぐにゃぐにゃのチタリングスで、胸はとめどなく湧く感情にふさがれている。内臓肉を何とか呑み込み、水を飲んで前を向く。
「ぼくにも分からない」
 啓次郎は正直に答えた。
「もとから歌が好きだったわけでもない。けど、あなたたちの歌は本当に素晴らしかった。どうしても、うたってみたいと思った。それに」
 そでで顔をぬぐった。立派な海軍学校の制服も、今の啓次郎にはハンカチか懐紙の代わりでしかない。
「これからぼくは、自分が決めたことをするんだ」
 生々しい内臓食が、啓次郎の決意を言葉にしてくれた。
 ネッティが感心したように短い口笛を吹いた。ウィリアムは思案のためか目を落とし、それから言った。
「ケイにはソウルがない」
 突き放すような言葉だったが、声は柔らかかった。
「だが、ガッツがある。いつかソウルも得られるかもしれないな」
 そう言ってから、ウィリアムは白い歯を見せて笑った。



 翌日、啓次郎は兵学校の教務課へ行った。慈善事業に参加するという理由で長期外泊を申請し、隔週で学校に顔を出すという条件で許されると、荷物をまとめて寮を飛び出した。
 教会のほうではウィリアムと牧師が相談し、集会所の隅っこに毛布二枚と寝床を確保してくれた。会堂の掃除や修繕など雑用をこなし、日曜学校でも助手を務めることとなった。
 対価として、空いた時間にウィリアムかネッティから歌を習う。二人の指導方針は正反対で、ウィリアムは音程や拍子、呼吸や言葉の発音をうんざりするほど事細かに指摘してきた。ネッティは「楽しんで」「うまくやろうとしないで」の二言しか口にしない。
 前者だけでは歌が嫌いになりそうだったし、後者だけだとうたい方は一生わからなかっただろう。夫婦の意図はともかく均衡のとれた指導を受けながら、啓次郎は朝に夕に、時間を見つけてうたった。
 あっというまに最初の二週間が過ぎ、啓次郎は約束通り兵学校に顔を出した。日本の外務省を経由した実父からの手紙が届いていた。
 四号生徒八十三名中、英文法七十三位、歴史六十四位、仏語七十七位、罰則点二百四十五。父は古風な巻紙に啓次郎のさんたんたる成績を列挙した後、「それはよい」と続ける。
 ――大名の子が果し合いとはいかなる仕儀か。かつまた、勝負つかずとは情けなし。
 妙なしっせきの後には、日本の情勢がつづられていた。
 去年、東京で政変があり、維新に大功あった西郷隆盛、いたがき退たいすけらが下野した。板垣は選挙の当選者が国政を議する議院の設立を政府に上申し、朝野で激しい論争になっているという。
 かたや西郷は、郷里の鹿児島でわたくしに学校を作った。そのままがっこうと通称され、士族に漢籍と軍事を教えているという。
「士族、漢籍、軍事」
 目を疑い、思わず読み上げた。大事を言論で決する四民平等の世に、明治の日本はまだ遠いと嘆息しながら、教会へ戻った。
「そろそろケイも人前でうたうか」
 ウィリアムに言われたのは、教会の庭でのことだった。顔を上げた拍子に冷涼な秋風が啓次郎の頬をでた。九月もそろそろ終わりに近づき、啓次郎が歌を習い始めて二か月ほどが経っていた。
「うたえるかな、ぼくが」
 さっきの練習でこっぴどく られた啓次郎には、かけらほどの自信もなかった。
「一曲だけなら大丈夫だろう。東洋から来たゲストとして紹介するから、下手でも聴衆は大目に見てくれる」
 ウィリアムは悪人でも酷薄な性格でもないが、物言いはいつも遠慮がない。付け加えれば表情にも愛想がない。
「せっかくだ、ケイがうたいたい曲を選べ」
「なら〝福音の列車ゴスペル・トレイン〟がいいな」
 啓次郎は即答した。ザ・チャリオット・シンガーズとの出会いの曲だ。思い出というには近すぎる過去だが、初めて聞いた時の衝動は何度聞いても、何度うたってもこみあげてくる。
「わかった。それと」
「なんだい?」
「十月には学校に帰るんだろ」
「まあ、そうだね」
 兵学校の新年度がもうすぐ始まる。三号生徒になれば休日の外出も許されるが、週一回ていどの練習ではザ・チャリオット・シンガーズの技量には一生かかっても追いつかない。彼らはすでに啓次郎よりずっとうまく、なおかつ毎日うたっている。
「俺たちは、きみを追い出しも追いかけもしない。歌を続けるか止めるか、ケイが決めるんだ」
 夕日に照らされたウィリアムの顔には、父親のような威厳があった。
 翌日、啓次郎は荷馬車を引き出して街へ買い出しに出かけた。食材や筆記用具、ランプの油など教会に必要な品々を買い込みながら、胸はずっと高鳴っていた。
 初舞台は三日後、ミハイロフの店と決まった。急ではあるが、兵学校に戻る前に、というウィリアムの配慮らしい。
 帰りの道すがら、御者台で揺られながら啓次郎はうたった。枯れ色が混じる草原の一本道で、聴衆は車を引く老いた馬、あと鳥と虫くらいしかいない。まずにはされまいと思うと気が大きくなり、腹の底から声が出た。
「福音の列車が来る、その音がすぐそばで聞こえる」
 今日は調子がいい。喉はよく開き、意のままに締まる。多少だが上達も実感できた。
「さあ乗り込もう、子供たちよ! 客室はまだまだ余裕があるさ」
 何度も繰り返しうたっていると、草原のかなたに一筋の煙が見えた。教会があるあたりだ。まだ遠いためか細く見えるが、普段の炊事であんな煙は上がらない。不用品の焼却など大きな火をく用も、今日はなかったはずだ。
 啓次郎は胸騒ぎを覚え、手綱を鋭くしならせた。馬が一ついななき、ごとごとと馬車は進む。
 やがて火元が判然とする。
 白い会堂が、屋根に掲げた十字架ごと巨大な炎に包まれていた。



 老馬をいくらかしても速度は上がらない。啓次郎は馬車から飛び降り、自分の足でひたすら走った。
 教会に近づくにつれ、そよいでいた秋風が強い熱風に変わってゆく。まっすぐ水桶に取りつき、バケツで水を汲み、振り返る。
「だめだ――」
 炎は会堂をすっかり抱きこんでいる。水桶の水を全部ぶちまけたところで、火勢は小揺るぎもしないだろう。
 裏手、集会場のほうから獣を思わせる悲鳴が上がった。泣き叫ぶ女性の声が続く。啓次郎はそちらへ急ぎ、次いで立ちすくんだ。
 三角帽子、緋色のローブ、恐ろしげな仮面。莫迦げた扮装をした五人ほどが立っている。背恰好からして、みな男性らしい。
 KKKだ。啓次郎の肌があわった。
 緋色の集団の前では、後ろ手に縛られたウィリアムとネッティがひざまずいていた。ウィリアムは上衣をがれ、もんに顔を歪めている。ネッティは泣き叫びながら何ごとかを哀願している。
「ウィル!」
 啓次郎が叫ぶと同時に、の面をかぶった緋色のひとりがゆらりと動いた。会堂の炎に突っ込まれていた真っ赤な鉄棒が、ウィリアムの背に押し当てられる。肉の焼ける音がして、ウィリアムはのたうち、ネッティが金切り声を上げた。KKKはみな身をよじって笑った。
「ところでミスター・ニューマン、あの黄色い動物はなんだね」
 ウィリアムの肌を焼いたばかりの山羊が悠長な口調でたずねた。
「知らない、ケイ、来るな」
 苦痛のためか、ウィリアムは錯乱している。緋色の者たちはなお笑う。
「どうして」
 啓次郎は怒鳴った。
「どうして教会を燃やすんだ。ここは厳粛な信仰の場だ。きみらは神を信じないのか」
「けものは、やはり莫迦らしいな。神が黒んぼなんぞ救うものかよ」
 山羊はおおに肩をすくめた。
「お祈りごっこはやめろ。教会のまがい物なんぞ、それこそ神のみ心に反する」
 山羊はウィリアムの頭上に鉄棒を振り上げた。その素振りは不器用で、棒の重さに負けたものか、よろめいてすらいた。
 啓次郎は瞬時に決心し、絶叫しながら駆け出した。山羊はあわてて啓次郎に向き直った。緋色の男たちは棒切れひとつまともに扱えない。たぶん闘争には慣れておらず、とっさに人質を取る機転も利かないだろう。希望がふんだんにまじった啓次郎の予想通りとなった。
「うおおっ」
 啓次郎はなお叫んだ。振り下ろされた鉄棒を左の下腕で受ける。衝撃と熱、激痛が走る。耐えろ、と念じながら山羊の懐に飛び込み、その喉元にみぎひじを差し込みながら体ごとぶつかり、足を巻き付け、もろとも倒れる。
 ぐえっという無様なうめきに、乾いた金属音が続いた。啓次郎は急いで体を起こし、取り落とされた鉄棒を右手で拾う。剣を使う所作で何度か、見せつけるように振り回す。
「戦いたいやつはいるか」
 挑発すると、悪魔の面を着けた男がローブを翻して飛び掛かってきた。その肩に思い切り鉄棒を叩きつけ、身体を翻して牛面のももよこぎに打ち据える。鳥と老人の面を使ったふたりは、恐れをなしたのか微動だにしなかった。
「帰れ」
 怒鳴りつける。鳥と老人はまだ倒れていた山羊を抱え上げ、悪魔は肩を押さえ、牛は足を引きずりながら逃げていった。啓次郎は追いかけて打ち据えたい衝動をこらえ、逃げ去る足音が遠のいたところで鉄棒を放り出した。
 突っ伏していたウィリアムに駆け寄る。背には棒状のひど火傷やけどがいくつもっていた。ネッティの顔は涙でぐしゃぐしゃになっているが、乱暴された形跡はない。まず男のほうから、という順番だけのことだったのかもしれないが、ともかく啓次郎ははじめて安堵できた。右の腕と肩だけで、ウィリアムの体を起こす。
「けがはないか、ケイ」
「あなたよりは。牧師さまは」
「幸い、留守だった」
 何が幸いなものか、と叫びそうになったが、ウィリアムは心底から喜んでいる様子だった。あの動きの激しい牧師は、信徒たちの魂のり所なのだ。
「立てるかい、ウィル」
「無理だ。たぶん腰の骨が砕けてる」
 返ってきた声には苦痛がにじんでいる。身を焼かれるより先に、ひどい暴行に遭ったらしい。
「神さまは何をしてたんだ」
 啓次郎がつい毒づくと、ウィリアムは「ケイ」とたしなめた。
「神さまを悪く言うな」
 ウィリアムの声はやはり苦しげで、だが揺るぎない力があった。
「けど、あれほど祈りを捧げ、歌でたたえ、信じているあなたを、神は助けなかった」
「そんなことはないぞ」
 ウィリアムは首を振った。
「福音の列車を、神さまは確かにお遣わしになった。一つ欠点があるが」
「欠点?」
「歌が、下手だ」
 泣きながら、啓次郎は笑った。

(つづく)

作品紹介



福音列車
著 川越 宗一
発売日:2023年11月02日

日本史が世界史と激突する瞬間のきらめく5つの福音を、直木賞作家が描く!
「福音の列車が、やっと日本にも来る。このやかましく、血なまぐさい戦闘の騒音とともに」

国と国の歴史が激突するその瞬間、その時代を活写した5つの物語。


明治維新の後、アメリカの海軍兵学校に留学した佐土原藩主の三男・島津啓次郎。彼はスピリチュアル(黒人霊歌)と出会い、これにぞっこんに。しかし、歌うにはソウルとガッツが必要だと言われる。「ゴスペル・トレイン」

上野戦争で死に損ない、妻と二人で「虹の国」ハワイへ移住して再起を図ろうとした伊奈弥二郎。待っていたのはサトウキビ農場での重労働だった。威圧的な白人農場主たちに、弥二郎とハワイ人労働者のエオノはストライク(労働争議)を決行する。「虹の国の侍」

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