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試し読み

大実業家の遺言書、それはなぜか一族に死者が出るのを想定したような内容で――。『天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族』試し読み#3

2022年6月10日発売、注目のユーモア&リーガルミステリ『天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族』

若手弁護士・比良坂小夜子の祖母は、「伝説」「神」と語り継がれる偉大すぎる弁護士。でも孫の小夜子は、いたって地味で平凡(むしろ自他共に認めるポンコツ?)という真逆っぷりで、先輩弁護士の葛城一馬に叱られたり呆れられたりするばかり。なのに、祖母の伝手で大実業家の遺言執行の依頼が舞い込んできてしまう。及び腰で屋敷に向かう小夜子を待っていたのは、癖の強い一族の面々。さらに殺人事件まで発生してしまい――!?
天才弁護士の孫娘は、果たして遺言状の謎と事件の真相にたどりつけるのか。
コミカルでスリリングなイチオシ新作『天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族』、特別試し読みをお送りします!



『天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族』試し読み#3

 ほどなくして執事から、「晴絵様と秋良様が病院からお帰りになりました」との報告がもたらされたので、小夜子たちは夏彦一家と別れ、まずは御子神秋良が滞在しているという客室へと赴いた。
 その道すがら、葛城一馬が「お前、なんであんな無茶な要求であわあわしてんだよ。普通にすっぱり断れよ」といらたし気に吐き捨てた。
「それともまさか、遺言内容を他の相続人に従わせるのも執行者の仕事のうちだとか、本気で勘違いしてたわけじゃないだろうな」
「いえ、してませんよ! してませんけど」
「けどなんだよ」
「弁護士の仕事でしょうって言われると、なんとかしなきゃいけないような気になってしまうといいますか」
「……お前、そういうところだよ」
 深々とため息をつかれて、小夜子は思わず視線を落とした。実のところ、比良坂小夜子がポンコツである一番の理由はそれだった。
 小夜子には祖母のような鋭いぜつぽうもなければ天才的なひらめきもなく、探偵顔負けの調査力や周囲を魅了するコミュニケーション能力も持ち合わせていない。まさにないない尽くしのない尽くしだが、中でも一番に欠けているのは「己の判断に対する自信」といっていいだろう
 小夜子は昔から他人と意見が食い違うと、自分の方が間違っている気になってしまうのが常だった。ことに尊子のような押しの強いタイプに断言されるともう駄目だ。
 内心「あれ? 確か条文はこうなっていたし、判例の解釈もこうだったよね?」と思いつつも、相手がこれだけ自信たっぷりなのだから、もしかすると自分の方が間違っているのではなかろうか、いや間違っているに違いない、と不安が膨れ上がっていく。そして迷走しかけたところを葛城一馬に一喝されて何度修正したことか。
「お前、予備試験も司法試験も一発合格だったよな」
「はい、一応」
 祖母の予想問題がぴたりと当たったおかげだが、一応合格は合格だ。
「だったらもうちょっと自信持ってもよさそうなもんだけどな。比良坂貴夜子の孫が一発合格してうちの事務所に来るって聞いたときは、てっきり『明日の判例は私が作る! ひれ伏せ愚民ども!』みたいな奴かと思ってたわ」
「ご期待に沿えなくて申し訳ありません」
「いや、そんな奴に来られてもうつとうしいからいいんだけどな。かといってお前みたいに卑屈なのもうざったいし。……普通でいいんだよ、普通で」
 普通が一番難しい、と誰かが言った。
 果たして自分は葛城の求める普通の弁護士になれるときが来るのだろうか? なにか絶望的な未来が浮かびそうになったので、小夜子は深く考えないことにした。



 夏彦夫妻の説明によれば、次男の御子神秋良は五十を過ぎていまだ独身で、父親の援助を元手に事業を起こしては失敗することを繰り返しており、その借金の穴埋めとして父の遺産を当てにしているとのことだった。
 その情報をもとに秋良との会談に臨んだわけだが、案の定というべきか、御子神秋良は説明を聞くなり激高した。
「冗談じゃない。そんなふざけた遺言があってたまるか!」
 秋良は夏彦とは正反対の長身で大柄な男性で、怒鳴るとなかなかに迫力がある。
「申し訳ありません!」
 小夜子は反射的に謝ってから、おそるおそる「それでつまり、秋良さんは遺留分を請求するということでよろしいでしょうか」と確認した。
「それはもちろん請求するが、そもそもこんな遺言は認められない。親父は前に遺産は兄弟で平等に分けるって言ってたんだよ! それなのに、こんなのは絶対おかしいだろ!」
「え、そうなんですか?」
 突然飛び出した新情報に小夜子があたふたする一方、葛城は冷静に問いかけた。
「ちなみにそうおっしゃっていたのはいつ頃ですか?」
「ええと、あれは確か夏斗が生まれた年だから、今から──」
 小夜子と葛城は思わず顔を見合わせた。先ほど会った青年は、どう見ても二十歳近かった。
「……失礼ですが、単にお父様の気が変わっただけの話では?」
 小夜子がおずおずと問いかけるも、「親父はそう簡単に気持ちを変える人間じゃないんだよ!」との返事。
 そう簡単に変える人間じゃなくても、二十年近くも経っていれば変わることもあるだろうというのが小夜子の率直な感想だったが、むろん口にはしなかった。
「ええと、それで秋良さんの主張としては、つまりこの遺言書は」
「ああ、偽物だよ。兄貴か兄貴の嫁さんが偽造したに決まってる。筆跡鑑定をすればすぐわかるはずだ。それで偽物だってわかったら、当然無効になるんだろ?」
「遺言無効確認訴訟を起こして、認められれば無効になります。ただその、筆跡鑑定だけで無効と認められるのはちょっと難しいんじゃないかと思います。あれってそんなに確実なものじゃあないんです」
「そうなのか?」
「はい。鑑定人によって結果がまちまちだったりしますし、まだ科学的に確立された手法ではないんです」
 小夜子が「ですよね?」とばかりに隣に目をやると、葛城が面倒くさそうにうなずいたので、自信をもって説明を続けた。
「ですから裁判で認められるためには、他にも色々と間接証拠を積み上げる必要があります。例えば先ほどおっしゃっていた、お父様の生前の発言と遺言内容が矛盾している点などは有力な証拠になるはずですが、他にお父様の発言を聞いている方はいらっしゃいますか?」
「いると思うが、分からない。俺が親父から聞いたのは、二人きりの時だったからな。でも絶対に俺以外にも同じことを聞いた人間がいるはずだ。弁護士さん、なんとしても証人を探し出してくれ」
「え、私がですか?」
「ああそうだよ。他に誰がいるんだよ」
「え、でも私はそういうのはちょっと」
「遺言執行者の仕事だろう? 仕事はちゃんとやってくれなきゃ困る」
「いえ、でも、それは」
「それは執行者の仕事の範囲外です」
 そこで葛城が横から口をはさんで、すっぱり話を打ち切った。
 そして当然のことながら、小夜子はその後こってり絞られた。



 そんなこんなで序盤は散々な有様だったが、幸い次の訪問相手である御子神晴絵は小柄でおっとりとした老婦人で、「もちろん遺言の通りで構いませんわ。全て季一郎さんの望み通りにしてくださいな」と相続人のかがみのような言葉を贈ってよこした。
「つまり遺留分は請求しないということで、よろしいんでしょうか」
「ええ、だって私はお金のことなんてさっぱり分かりませんもの。財産をもらってもどうしていいのか困ってしまいますし、夏彦さんと尊子さんが管理してくれるなら、とってもありがたいことだと思いますわ」
 その屈託のない笑顔からは、少女めいた愛らしささえ感じられる。
 公開情報をあさって得られた知識によれば、御子神晴絵は旧華族であるたかやなぎ家出身のお姫様であり、季一郎氏は高柳家で書生のようなことをしていた縁で彼女と知り合い、あこがれて憧れて口説き落としたたかの花であったらしい。こうして見ても、口説き落としたはあったと思わせる、天女のような女性である。
 その後小夜子は彼女に引き止められるまま、お茶とお菓子をごそうになり、「こんなお若いお嬢さんが弁護士だなんてすごいわねぇ」「弁護士のお仕事って大変なことも多いんでしょう?」などといたわられながら歓談した。
 小夜子は寄せられる同情が心地よくて、「そうなんです。大変なんです」と仕事の愚痴を垂れ流しつつ茶菓をたんのうしていたが、隣にいる補佐役の機嫌がすさまじいことになってきたので、適当なところで切り上げた。



 三男の冬也は結局現れなかったため、相続人への説明はそこでいったんお開きとなったが、帰り際にちょっとしたハプニングが起きた。お手洗いを借りて正面玄関へと戻る途中、小夜子の足に何者かがいきなり触れてきたのである。
 思わず悲鳴が出かかったが、見れば一匹のトラ猫だった。小夜子のパンツスーツに毛を練り込むように身体をこすりつけている。
「わあ可愛い! 可愛いけど毛が……でも可愛い!」
 かがんででようと手を伸ばすと、猫はするりとよけて距離を取った。自分が触るのは構わないが、触られるのを許可した覚えはないらしい。
 腰をかがめてちっちっちっと舌を鳴らしていると、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音がした。
かん、ここにいたの」
 鈴を振るような声音と共に現れたのは、白いはだと長い黒髪が印象的な、どこか人形めいた少女だった。歳は十歳前後だろうか。
 少女がかがんで猫に両腕を差し伸べると、猫は自らひらりとその腕の中に飛び込んだ。そのままうっとりと身をゆだねているところを見ると、随分と彼女に慣れているらしい。
「もしかして御子神真冬さんですか?」
 小夜子が問うと、少女はこくりと頷いた。
 御子神真冬。現在しつそう中の御子神冬也の一人娘だ。
れいな猫ですね。蜜柑って名前なんですか?」
「そう、蜜柑色だから、蜜柑。……それで貴方あなたは?」
「あ、初めまして。弁護士の比良坂と申します」
「もしかしてお祖父じいちゃんの選んだ弁護士さんなの?」
「はい。一応」
「そう……。だけど、この家にはもう来ない方がいいと思う」
「え?」
 何か気に障ることでも言っただろうか。戸惑う小夜子に、少女は「危ないから」と言葉を続けた。
「危ない?」
「蜜柑が言ってるの。この家では、また人が死ぬことになるって」
 少女の腕の中で、トラ猫がにゃぁおんと声を上げた。



 運転席に座りながら、小夜子はぽつりとつぶやいた。
「なんか……すごく疲れたんですけど」
「大したことはやってないだろ」
「そうなんですけど、なんか皆さん個性的で」
「金持ちなんて大体そうだろ」
「そうなんですかねぇ」
 周囲に金持ちのサンプルが少ないので標準的かどうか判断できない。
「じゃあ俺の依頼と替わってみるか?」
「葛城さんの依頼って」
「傷害事件だ。被疑者は正当防衛で無罪を主張している」
「うわぁ……」
 聞くだに面倒くさそうな案件である。
「遺言執行で頑張ります」
「ああ、頑張れ」
 そんな風にして、御子神家訪問の第一日目は終了した。

〇 四十九日まであと二十日

 翌日。葛城は断固として同行を拒否したために、小夜子は一人で御子神邸へと赴いた。
 今日の予定は主に財産目録作りである。遺言執行者は被相続人の財産目録を作成して、各相続人に渡す義務がある。
 小夜子は故人の書斎に陣取ると、渡された大量の書類を基に、まずは遺産を不動産、動産、預貯金、現金、有価証券といった具合に分類しながらノートパソコンに打ち込んでいった。その内容は予想にたがわず実に華やかなものだったが、中でも故人が趣味で集めた日本刀コレクションは圧巻で、さすがは刃物メーカーの創業社長といった趣がある。
 小夜子は「あ、これゲームで聞いたことある奴!」などと思いつつせっせと作業を進めていたが、その最中でちょっとした騒動が巻き起こった。蔵で刀剣の確認に立ち会っていた夏彦が「父の短刀がない!」と血相を変えて騒ぎだしたのである。
「コレクションの中には春夏秋冬の短刀が確かにあったはずなんです!」
「え、それは価値の高いものなんですか?」
「それはもう、特別な価値があります」
「ちなみにお幾らくらいなんですか?」
「金なんかには換えられません。父が若いころに自分で打った短刀なんです!」
「……季一郎さんが?」
「はい。父の形見だと思って一生大切にするつもりだったのに、一体どこにいったんだか……」
 夏彦いわく、それは季一郎が刀に学んで打った四振りで、自ら「春」「夏」「秋」「冬」の名をつけて、ことのほか大切にしていたとのこと。一応確認してみたが、別に「家督を受け継ぐ儀式に必要」とかいった象徴的意味合いがあるわけでもないらしい。言葉を換えれば財産的には無価値である。
 小夜子としてはいささか拍子抜けだったが、夏彦いわく「気持ちの問題なんですよ!」とのことだ。まあ確かに思い入れのある品ならば、放置しない方がいいだろう。
 小夜子が夏彦に家探しを提案したところ、そこに思わぬ横やりが入った。
「まあ貴方ったら、別にそこまでしなくてもいいじゃありませんの。あんなもの誰もったりしないでしょうし、そのうちひょっこり出てきますわよ」
 尊子はたしなめるような調子で言った。
「しかしあれだって父の大切な遺産なんだ。どこにあるのか確認しないと」
「確認はいつでもできるでしょう? そんなつまらないことでお手間を取らせては、比良坂先生がお気の毒ですわ」
「先生が家探しを提案してくださってるんだからそれでいいじゃないか。比良坂先生。とにかく家探しをお願いします。あれだって父の遺産の一部です」
「必要ありませんわ、比良坂先生。さっさと進めてくださいな」
 双方から要求されて、小夜子は思わず反応に窮した。
 小夜子は「判断に迷った場合はその場にいる偉い人の指示に従う」を基本的な行動指針にしているが、この場合は果たしてどちらが上なのだろう。立場的には依頼者であり相続人である夏彦の方が上のはずだが、小夜子の内なる小動物的な本能が『尊子に従え』とささやいてくる。
 迷った末に「すみません、ちょっと」と断りを入れて場を外し、葛城に電話で聞いてみたところ「財産の一部なら一応家探ししてみたらどうだ。その手の思い入れのある品はめると色々面倒だぞ」とのお言葉をいただいた。
 そこで意気軒昂として戻ってきたはいいのだが、あいにく二人の間で雌雄はすでに決していた。
「比良坂先生、お騒がせして申し訳ありませんでした。義父ちちの打った短刀のことなんか気にせずに、そのままお仕事を進めてくださいな」
 戻ってきた小夜子に対し、尊子はにこやかにそう告げた。その隣では、夏彦がしようぜんうなれている。
「え、でも……」
 小夜子はしばししゆんじゆんしたのち、「夏彦さんはそれでよろしいんですか?」と確認を取った。
「……はい」
「ほら、主人もこう申しておりますし、ね? 比良坂先生、つまらないことでお騒がせして申し訳ありませんでした」
「分かりました。ではそうさせていただきますね」
 依頼者本人がそれで納得しているなら、別に問題はないだろう。いや内心では納得していないのかもしれないが、口に出して言わない以上は夏彦自身の責任だ。自分は何も悪くない。
 小夜子はそう結論付けて、結局家探しは行わないまま、目録作りを再開した。後日そのことを心から後悔する羽目になるのだが、その時の小夜子はむろん知る由もなかったのである。

(つづく)

作品紹介・あらすじ



天才弁護士の孫娘 比良坂小夜子と御子神家の一族
著者 雨宮 周
定価: 682円(本体620円+税)
発売日:2022年06月10日

謎めいた遺言状が引き起こす殺人劇。その真相に、天才弁護士の孫が迫る!?
伝説の弁護士の孫は、まさかのポンコツ!?
なのに、いわくありげな一族の遺言執行をすることになって……!
ユーモアあふれるリーガルミステリ!

若手弁護士・比良坂小夜子ひらさかさよこの祖母は、勝率100%で法曹関係者から神と崇められている伝説の弁護士。
だが小夜子は、そんな祖母とは真反対。
気弱で流されやすく、いたって省エネなスタンスで、同じ事務所のエリート先輩弁護士・葛城一馬かつらぎかずまにいつも叱られたり、呆れられたりしている。

そんな折、小夜子は祖母がかつて弁護を担当した大実業家・御子神季一郎みこがみきいちろうの遺言執行者に指名される。
その遺言書はなぜか、相続をめぐって殺し合いが起きかねない不穏な内容で、一族の面々も癖の強い人物ばかり。

小夜子は及び腰ながらも職務を全うしようとするが、御子神邸で連続殺人が発生し、当事者として巻き込まれることに……。
天才弁護士の孫は、遺言状の謎と殺人事件の真相に迫ることができるのか!?
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322106000322/
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